守るために(※流血表現有)
雷鳴が轟くのと同時に、突如感じたただならぬ重圧に、ジュディスは人の姿のまま結界室を飛び出した。ロデリックが制止するのも構わずに砦の中を素足で走る。感じる魔力の収束。魔物の仕業だ、とジュディスは確信した。ここに力のある魔法師はいるが、ジュディスの魔力を越える者はいない。しかし、今感じる魔力はジュディスのそれに匹敵する大きさだ。
とんでもない魔物が出たということは、ロデリックにバレる前の騒ぎで知っていた。そして、その魔物の対応にグレアムが行っていることもまた、結界室の中で飛び交っていた通信魔法により知っていた。だから、心配はしていたのだ。サリックスでは足手まといにしかならないから、結界室に籠もっていたが。
砦の中に人影は見当たらなかった。皆、外にいるのだ。砦の駐在兵を総動員するほどの脅威が差し迫っている。これまで〈
冷たい石床を蹴り、砦の外に通じる扉に飛びつく。一瞬躊躇ったが、ロデリックが結界を張ってくれていることを思い出し、観音開きの扉を押した。
水の中から出たときのように、音が一斉にジュディスの耳に届く。魔物の唸り声、剣戟の音、飛び交う怒号。砦の兵士たちが魔物に応戦している。青い光のシャボン膜のような結界のすぐ外には、見慣れた魔物たちが迫り、兵たちと競り合っていた。そしてジュディスの立つ入口よりも右側――数十歩ほどの距離の先に、とてつもなく大きな黒い狼の姿が見える。
「グレアムは……!?」
思わず言葉が出た瞬間、二度目の雷鳴が轟いた。幾重にも走った閃光に反射的に閉じた目をこじ開け、雷光の走ったほうを向く。
これはもう、執念の仕業だとしか言いようのない。ジュディスの翠の瞳は、魔物に吹き飛ばされたうえ、雷を食らったグレアムが地面に落ちていく様をはっきりと捉えたのだから。
「グレアムっ!!」
悲鳴混じりの叫びが上がる。なりふり構わず、ジュディスは結界の外に出た。
新しく出てきた無防備な姿の獲物に襲い掛かる魔物たちを、ジュディスは魔力を持って打ち払いながら、ただひたすらグレアムの下へと走る。長い猫生活で身体を動かしてきたからだろうか、身体は人間の頃よりも軽く、足場の悪い場所を少し駆けたくらいでは息をあげることはなかった。
が、それでもジュディスの顔からはみるみる血の気が引いていった。巨狼が地面に倒れたグレアムに迫っている。このままでは――殺されてしまう。
「離れろぉっ!」
渾身の魔力を籠めて風の塊を巨狼にぶつける。感情に任せた所為か高い風圧を宿した空気の塊は、牛をも越える巨体を後方に吹き飛ばした。ジュディスはその間にグレアムとの間に割って入り、土だらけで転がったグレアムの魔法弓を拾い上げる。
魔法の糸を張って、矢をつがえる。もう三年近く変身魔法以外の魔法をほとんど使っていない。魔法師学校では習わない魔法弓なんてもってのほか。しかし、伊達にグレアムの傍に居て、見守ってきたわけではなかった。実践ははじめてだが、やりかたは心得ている。
体勢を立て直した巨狼が、身を屈めてジュディスを見据える。自分の姿が赤い瞳に映った瞬間、口の中が干上がり、足が震えた。
頭を過ぎる幼少の記憶。
だが、そのときの恐怖はむしろジュディスの気を引き締めた。あのときと同じことを繰り返さない。腹に力を込め、足を踏ん張る。
それになにより、今はグレアムが背後にいる。それだけでもう、覚悟は決まった。
弓を引き絞り、矢を放つ。はじめての感覚に戸惑うが、矢は自ら軌道を修正しながら、狼の首元へと飛んでいった。二矢、三矢と射って、感覚を掴んだ頃にはもう、戦いに気が昂っていた。喉の奥から言葉にならない叫び声を上げ、矢を射ながら、こちらに走り寄る巨狼に向かって突っ込む。
身体が魔物の足元に潜った瞬間、ジュディスは体内で練り上げていた有り余る魔力を一気に解放した。周囲の水分と共に収束し膨れ上がった魔力を、水柱として一気に爆発させた。水に押し上げられて、巨狼の身体が満月に届かんと宙を舞う。そこに狙いを定め、ジュディスは幾本もの矢を敵に撃ち込んだ。
四方八方から矢を受けた巨体が、衝撃に身を躍らせる。
そこに、とどめとばかりに、ジュディスは
もう一度宙を跳ねた身体が、間近の木にぶつかり倒しながら、地面に落ちていく。
躰のあちこちに穴を空けた巨狼は、もう動かなくなっていた。
魔物を討ったことを確認し、ジュディスは呼吸を思い出したかのように、肩で大きく息をした。構えたままの魔法弓を下ろすと、身を翻してグレアムの身体に飛びつこうとして、たたらを踏んだ。
仰向けになって倒れているグレアムの足に、蔦が絡みついていたのだ。
「うそ……」
呆然と呟いた先で、グレアムの身体が蔦に引っ張られる。ジュディスは慌ててその身体に飛びつくと、森を傷つけてはならないという掟も忘れて、乱暴に蔦を引きはがした。ぶち、と音を立てて蔦がちぎれる。植物の欠片を放り出すと、ジュディスは身を乗り出してその身体に抱きついた。
まだ温かい。意識はないようだが、微かに息もある。
――まだ、生きている。
安堵の溜め息がジュディスの胸の中から吐き出される。
「ああっ、グレアム……っ!」
ぎゅっと縋るように、これまでよりも強く、グレアムの身体を抱きしめた。胸が上下する様を感じる。心臓の鼓動もまた。
ジュディスの目の奥が熱くなった。
「お願い、もうこんな無茶をしないで」
涙声で懇願する。グレアムの覚悟は知っていた。魔物と戦うということも。だが、もうこれ以上はジュディスの心臓が絶えられない。
ジュディスのことはどうでも良い。贖罪などしなくていい。だからもう、こんな危険なことを止めて欲しい。今、心から強くそう思った。
そんなジュディスの背後で、かさり、と草木を掻き分ける音がする。
ジュディスは頬を涙で濡らしたまま、背後を振り返った。音の正体など分かっている。幾度となく見た〈
森があの巨体までも呑み込んでいく様子を見守り、それからジュディスはまだ止んでいない戦いの音に気が付いた。
地面に落とした魔法弓を土だらけの手で握りしめ、それから空いた手でグレアムの白い頬をそっと撫でた。
「もう少し、待っててね」
立ち上がり足を肩幅に開くと、ジュディスはゆっくりと息を吐いた。目を閉じて、知覚を研ぎ澄ませる。近くに感じる魔力の気配。グレアムのもの、森の入口で倒れているマシューのもの――さらに遠くへ、遠くへと意識を広げていく。
やがて、空から砦を見下ろしたときのように、戦っているものたちの魔力をジュディスは知覚した。人のものと魔物のものを区別して。
おそらくすべての数を捉えると、左手を上げ、ジュディスは空へ向かって矢を放つように魔法弓を構えた。ジュディスの右手に二色の光が宿る。緑のものと、赤いものと。
「こんなことができるなんて、知らなかった」
自嘲ともつかない声が漏らしながら、空に向けて矢を放つ。
夜闇を裂いて、二色の光が螺旋を描きながら打ち上げられた。森のはるか上空に達したその光は、突如弾け、放射状に光の矢をばら撒いた。
赤い光は、魔物に向けて。
緑の光は、人間に向けて。
赤い矢は魔物の躰を穿ち、緑の矢は兵士たちの傷を癒した。拮抗していた形勢は、
そして、戦いは
魔物たちが撤退し、騒ぎが落ち着いて兵士たちが負傷者の回収を始めたところで、ジュディスは再び猫の姿へと戻り、意識を失ったグレアムに寄り添った。
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