連想

 図書館へ向かう道の途中、青い若葉と赤い花序を付けたプラタナスの下。ベンチにちょこんと座る小さな影に、グレアムの口元が綻んだ。いよいよ春も本番となったこの時期。卒業考査を控えて独自で訓練や実験や調べ物などに追われて忙しくなってきたなかで、グレアムは最近新しい楽しみを見つけていた。


「お前、また今日も来たのか」


 図書館に返す資料を抱えたまま、ベンチに歩み寄る。春の霞の所為で細かい埃が付いてしまっている座面の上で、猫がしなやかな尾を揺らした。灰色の地に柳の葉のような黒い縦縞模様が入った猫。ここ最近、急に見かけるようになった。

 二週間ほど前、グレアムがウェルシュ家に謝罪訪問に行った折、同じような猫を見かけたことがある。魔法師学校と貴族街はある程度距離があるので、はじめは猫違いかと思ったが――腹が白いことといい、大きな翠色の瞳といい、どうもそのときの猫であるらしい。何故ここに居るのかと不思議に思ったが、彼女――雌だった――の前で一度弱音を吐いてしまった所為か、すっかり愛着を覚えてしまって、グレアムは見かける度にこうして声を掛けるようになった。


「大丈夫なのか、こんな頻繁に来て。ここは外来の動物には厳しいから、管理人たちに見つかると無理矢理追い出されるぞ」


 野生や野良の動物たちは、愛玩の動物たちと違って人による手入れがされていないため、深刻な病気や寄生虫を持っていることがままある。そういったものから学生たちを守るため、校内は外からの動物の侵入を極力許さないようにしていた。万が一この猫のように動物が侵入したときも、居付くことがないよう餌やりの禁止が校則で定められている。

 そういうわけでグレアムはこの灰猫の身の心配をしているわけだが、猫のほうは気にした様子もなく、いつもこの図書館と校舎を繋ぐ道でグレアムのことを待ち構えているのであった。

 ちなみにいうと、好き嫌いや過敏症アレルギーの関係から、校内はペットも禁止するほど徹底されている。とはいえ、鳥なども含めて完全に排除するのは難しいため、住みついたり環境に影響がない限りはある程度目溢しされているのが実情だ。

 だからグレアムは内密に、校則の範囲内でこの猫を愛でている。模様にちなんで〝柳葉サリックス〟と名前を付けて。


 ジュディスがいなくなり、友人は信用できず、ロージーとの交流も絶つようになって、グレアムは孤独の日々を過ごしていた。幸いにして、卒業に向けての取り組みが忙しく全体で受ける講義もなくなったので、人付き合いの煩わしさからは逃れられている。しかしふと気が緩むと、胸に穴が空いたような寂しさを覚えることがあった。

 サリックスは、その孤独を埋めてくれるのだ。


「これからまた図書館で資料探しだ」


 紫紺のズボンが砂埃で汚れるのも構わずに、サリックスの隣に座ったグレアムは、友人と話すときのように語りかけた。猫相手とはいえ、グレアムがもっぱら話すのは学業についてだ。時期的なものもあるが、そもそもグレアムは趣味らしい趣味を持たない。本は読むが、内容は魔法、地理、歴史などの勉学的なもので、娯楽とは程遠い。好きなことはなにか、と訊かれても明確には答えられない。

 つまらない男だ、と我が身を振り返り思う。不愛想だなんだと言われてきたが、本当の問題はこういうところにあったのではないだろうか。だから他人の情動を解することができず、信頼できる友人も持てない。婚約者も傷つける一方。


「俺は、なにをしていたんだろうな」


 日常について話していたはずが、気付くと己の心情を吐露していた。自分自身に苦笑する。猫相手に己の心をさらけ出している自分がおかしい。


「それもお前が綺麗な目をしているからか、サリックス」


 人差し指で顎の下を掻くと、サリックスは気持ちよさそうに目を細めた。木漏れ日を受けて輝く宝石のような翠色が、グレアムの心を落ち着かせる。思えば、いつもこの色の眼差しが傍にあったものだ。


「……さて、そろそろ行かないとな」


 腰を上げ、ズボンについた白い汚れを払う。分厚い本を抱え直すと、図書館のほうに足を向けて猫のほうを振り返った。


「じゃあな、サリックス。見つからないうちに、早く出て行けよ」


 空いた手を軽く振って、褐色煉瓦の建物へと歩を進めた。軽くなった心に、視線が上向く。鱗状の雲が架かった青空はやはり白く霞んでいて、空気もまた埃っぽく、清々しいとまでは言えなかった。しかし日差しは微睡みを誘うように優しく、頬に感じる微風は爽やかだ。どんなに胸中に暗雲が架かっていようとも、春という季節は心浮き立たせるものであるらしい。


「果てなき空の向こうに――」


 ふと口ずさむ。グレアムの視線の先には、四角い煉瓦の建物の向こうに見える北西の空。そのずっと向こうには、グレアムの目指す魔の森がある。




 心浮き立ち微睡みを誘う春――ではあるが、卒業考査を前にしたグレアムにそのような暇はない。魔法師学校は、必要最低限の受講と成績さえ取得していれば進級は容易だが、同時に魔法師資格を賜ることになる卒業となるとそうはいかない。魔法師院は国家機関。家格があろうが、縁故コネがあろうが、それなりの知識と技術がなければ入ることなど許されない。ましてグレアムは、講師たちから魔法師兵の適性は低いと判断されている。壁は高く、道は険しいと見ていいだろう。


 卒業考査は、目指す職によって査定内容が異なる。知識試験と論文の提出があるのはみな共通だが、研究職は己の実験成果の報告書レポート、技術職は魔法道具などの作品の提出がさらに求められ、魔法師兵は模擬戦闘が課されていた。

 その三つの課題の中で、グレアムはある講師から助言を受けて、特に論文に注力していた。活躍に応じて加点される模擬戦闘で、派手な動きができないグレアムが目立つ見込みは小さい。ならば、魔法を使った戦略について論じた文章を見てもらい、知略面での有用性を示そうということになったのだ。

 かつてグレアムの希望を一度は否定した講師たちだったが、それでもグレアムが諦めず真剣にその道を進もうとしているのを知ると、様々な手段を教授してくれた。攻撃ではなく守備に特化した魔法を極めることを勧めたり、分析力を活かして作戦起案の能力を培う参考書を教えてくれたり。少しでも可能性に縋りたいグレアムは、助言に従って様々な知識を吸収した。そして、現在はそれを論文に反映できないかと主題テーマを検討しているところだ。


 ひんやりとした空気の図書館に入ったグレアムは、カウンターに座った司書に借りていた本を返却すると、書架へと向かった。調べ物の最中に湧き上がった疑問をメモした紙片を取り出し、回答が書かれていそうな本を手当り次第に引っ張り出す。

 五冊ほど積み重ねて山になった本を両手に抱えて、棚の隙間から出ようとして。飛び出してきた影にたたらを踏んだ。山の一番上の本が滑り落ちる。


「すみません」


 謝罪しながら身を屈め、ふと驚きで固まったその人物に見覚えがあるような気がして顔を上げた。少し華奢な身体つきの、褐色の髪の地味な男子学生。顔見知りではない。


「……なんですか?」


 まじまじと見てしまったからだろうか、彼は渋面を作って胡乱な人物を見る目を向けてきた。


「ああ、いや、なんでも」


 慌てて返し、本を拾う。同じ年頃の学生で、ここは学内だ。すれ違ったことくらいあるだろう。

 しかし、相手には相当な不快感を味わわせてしまったらしい。不審者を見る目で、警戒心を露わにして、グレアムを遠巻きにしながら立ち去っていく。

 前にもこんなことがあった、とグレアムは苦笑した。〝人の噂も七十五日〟というが、こちらの悪評はまだ続いているようだ。あれから四ヶ月近く経っているというのに。


「……ああ」


 思い出した。確か冬休みに、二階の書架ですれ違った学生だ。あのときとはまた違った分類の書架なのに、同じような状況ですれ違うとは、妙なこともあるものだ。

 その冬の出来事が連なって呼び起こされる。あのときは、突然減少した魔力量に悩んだものだった。ジュディスの魔力を分け与えてもらっていたことも忘れ、なんとか原因を突き止めようと必死になって、しかし叶わず、つい最近まで気落ちしていたものだった。

 己の厚かましさはさておいて、原因が分かってしまえばもうどうということはないけれど。

 それよりも、ジュディスが自分に代わる相手を見つけられるのかどうか。――もしかして、それが王太子だったのだろうか。


 苦い事実を振り払い、気を取り直そうとしたところで、ふと頭の中にひらめくものがあった。

 魔力の同調。異なる人物間で魔力を送受するという行為。

 これについて、ディックが論文を出していたことを思い出したのだ。ジュディスのことを思ってした研究の成果だろうが、当時開発中だった防衛機構に転用できるとかで、王太子の目に止まって――。


 閲覧区画へ行こうと足を向けていたグレアムは、踵を返した。

 その論文、何処に行けば見ることができただろうか。

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