残鏡

「人間と使い魔の関係は、いわば糸の端と端でつながれているようなものなんだ」


 簡素な部屋の奥、穴を木戸で塞いだだけの窓の下にあるローテーブルの一辺に一人腰かけたマシューは、快活とした様子で口を開く。体面に座ったグレアムは真剣な面持ちで、トラヴィスは話半分と言った感じでふんぞり返って、マシューのを聴いていた。


 砦に配属されてから一月もすると、慣れない上に慌ただしい日常の中にも少しの余裕が出てきたようだった。いい加減、使い魔の話が気になっていたらしいグレアムは、夕食を終えてから夜寝る前までの空き時間の中で使い魔について教えてくれないかとマシューに交渉し、快諾してもらっていた。今晩がその最初の講義だ。

 使い魔の話と言うこともあって、ジュディスもまた猫姿でグレアムたちに同席し、マシューの話を聴いている。


「仕組みは、簡単に例えると糸電話のようなもの。どちらかが糸を振るわせる行動をすると、もう一方にそれが伝わる。場合によっては言葉として伝わる。そんな感じかな」


 研究の話ができるのが嬉しいのだろうか、マシューはここに来て初めて生き生きとした姿を見せていた。

 はじめはグレアムと距離を置こうとする素振りを見せていたマシューだったが、これまででどのような心境の変化があったのか、二人はすっかり打ち解けてしまったらしい。これにトラヴィスも交えて、三人とも互いに同志としての念を抱いているようだった。久方ぶりに友人を得たからか、最近のグレアムは楽しそうにしている。それでいながらサリックスへの構いぶりに変化はなく、ジュディスとしては非常に満足であった。

 マシューに爪を立てる必要もなくなった。


「糸って、ずっとくっついているもんなの?」


 退屈だから、というだけで同席したトラヴィスが首を傾げる。


「魔法を発動している間は。だから、使役していないときは切っておくのが普通だね」

「その間に逃げられないか?」

「馴れてないとね。だから……」


 マシューは一度気まずそうに口を閉じた。


「僕ははじめあんな風に言ったけど、使い魔は愛玩動物を選ぶのが一般的なんだ。逆に言えば、その場限りでそこら辺の動物を拾って使うこともできる」

「だが、対象との魔力同調が上手くいかない場合が多く現実的ではない。だから、使い魔は基本魔法師の手元に置いている動物を選ぶ、だったな」

「さすが成績上位」


 勉強だけは得意だ、とグレアムは笑って見せるが、ジュディスはあまり笑えなかった。趣味らしい趣味がないことは前々から知っていたし本人も自覚していたようだが、以前はこんな自虐めいたことは言わなかった。サリックスに弱音を吐いていたこともあるし、ロージーの一件以来グレアムは少し変わってしまったようだ。


「そういえば、君、卒論で似たようなテーマを扱っていたっけ」


 納得、とマシューは頷くと、グレアムは少しだけ嬉しそうにした。たぶん傍目からは判らないほどの微妙な差異だったが。フリンという友人を失って以降、他人との距離感というものを掴みかねていたようだから、相手に関心を持ってもらえたのが嬉しいのだろう。これもまた、前のグレアムには見られなかった。


「話が逸れたね。えっと、君とサリックスの問題点についてだけど。思うに……サリックスは、君に完全に心を開いていない」


 どきり、とジュディスの心臓が大きく鳴った。心当たりがあるなんて言うものではない。自覚がある。なんていったって、グレアムの使い魔となることで自分の正体がばれやしないかとひやひやしているからだ。

 表向き、ジュディスとグレアムの縁はもう完全に切れている。グレアムもきっと切れていると思っている。ジュディスがグレアムの傍にいる理由はない。だからもしサリックスの正体がジュディスとばれるようなことが有れば、ジュディスはきっとグレアムにロデリックの下へと追い返されることだろう。

 それは、許容できなかった。ジュディスは、しばらくの間だけでもグレアムの力になるのだと決めているのだ。それがグレアムに対し心を閉ざすことになるものだとしても。

 だが、傷ついた表情のグレアムを見てしまうと、その決意も揺らぎかけてしまう。友人ができたとはいえ、サリックスがグレアムの心の支えだという自覚があったから。


「まあ、猫だからね。彼女たちは自由で気ままな生き物だから。人に懐いても束縛されるのは嫌うんじゃないかな。その点、犬は従順で仕えた主に尽くすことを喜びとするから、なにも使わない場合は猫よりも犬のほうが使い魔にしやすい」


 マシューのフォローに、ジュディスはほっとした。どうやら猫には一般的にあることらしく、サリックスに限った話ではないようだ。グレアムも安堵の息を漏らしている。


「なにも使わない場合、ということは、使えばできるのか?」

「そういうこと」


 この場合、なにか媒介物を使うのが一般的だとマシューは言った。


「いわゆるフィルターだね。接続に媒介を置くことで、差し出したい情報だけを選別して受け渡しすることができる。これで心まで曝け出す必要はなくなるし、魔法師も使い魔も余計な情報でパンクすることがなくなるんだ」

「……つまり、なにかしら媒介物を持つのが一般的?」

「そういうこと」


 グレアムは空を仰いだ。


「そんなことは本に書かれていなかった」

「基本原理を書いた本が実用的に書かれているとは限らないよ。ちゃんとしっかり論文を確認しないと」

「その通りだ」


 しきりに頷くグレアム。


「なにを用意すればいいんだ?」

「なんだと思う?」


 意地悪くマシューは微笑む。グレアムは首を傾げていたが、ジュディスはピンときた。


「いつも身に付けられるものが良いとは思うが……」

「ある意味正解。でも、男には一般的じゃないね。正解は、鏡なんだ」


 やはり、とジュディスは頷いた。鏡――というよりも鏡像は、魔法の研究やいわゆるおまじないといった魔法によく使われることがある。鏡に映った自分が、自分でありながらも自分でないという特性を利用するのだ。分かりやすいところでいうと、呪いの身代わりなどがある。


「研究者には常識なんだけれどね、これ」

「そうなのか」


 こういうとき、教育の違いを実感する。あのグレアムが知らなくて、ジュディスが知っていることもあるのだ。


「鏡ならなんでも良いのか?」

「うん、まあ」

「なら……これは?」


 グレアムは椅子から立ち上がり、自分のベッドの横に置いてある荷物を漁った。鏡など持ち歩いていたのか、とテーブルの近くで見ていたジュディスは、グレアムが可愛らしい紙袋を持って来たことに驚いた。懐かしい――魔法師学校の生徒がよく行くアルフェア学区街にある雑貨屋の袋だ。

 普段のグレアムには縁のない小物雑貨屋だ。なんのために行ったのだろうか、と心の中に暗雲が差す。少なくとも、ジュディスが婚約者の頃には行かなかった。

 まさか、と思い浮かぶ顔がある。

 だが、グレアムはそんなジュディスの胸中など当然知らず、可愛らしい紙袋を丁寧に開封して、中身を取り出した。現れたのは、予想通り手鏡だ。鏡面しか見えないが、それでも女の子に向けた可愛らしいものであることは、白い縁に刻まれた花模様で判った。


「これはまたずいぶんと……」


 魔法の話の間は退屈そうに聞き流していたトラヴィスの目に、不穏な光が宿る。にやついた表情からして、グレアムの購入理由をあれこれ面白がって推測しているのは明らかだった。


「昔、プレゼントしようとして渡しそびれたものなんだ」

「誰に?」


 マシューの返しに、グレアムは沈黙した。言いにくい相手なのか、とジュディスの心に波が立つ。

 気まずい沈黙に、失言を悟ったマシューが頭を下げた。


「ごめん。意地が悪すぎた」

「いや……」


 頬を強張らせたまま、グレアムは鏡をテーブルの上に置いた。マシューが鏡を見分して、これで大丈夫だ、と保証する。

 結局、鏡を贈る相手が誰だったのか、わからずじまいだ。だが、とジュディスの胸中は未だに荒れていた。

 いつ購入したものかは知らないが、ジュディスに宛てたものだとは思えない。そうであるならば、婚約解消する以前に貰えたことだろう。一方で、グレアムが婚約解消の後にジュディスにこういうものを渡そうと考えるはずがない。物を贈ることで気を惹くような真似は、率先して避けるからだ。謝罪訪問のときに花束はくれたが、あれはあくまで見舞いの品であることは、ジュディスは解っている。

 となれば、ジュディスの中で残る可能性は一つしかない。ロザンナ・キャラハン。彼女に宛てたもの。

 もうグレアムと彼女の間に縁がないことは解っているが、あんなものを大事に持っていたあたり、未だ彼女への気持ちが残っているのではないかと考えてしまう。


「これ、サリー側はどうすんだ?」


 グレアムの魔法師学校での噂を知らないトラヴィスは、空気を察せなかったのか、こんな状況下でも能天気な声色で問う。因みに、〝サリー〟とはトラヴィスが勝手につけたサリックスの愛称だ。実は、グレアムやマシューたちにも密かに定着しつつある。


「猫サイズのものを作るしかないね。今度の休みのときに下の村に買いに行こう」


 マシューは眉を垂らしながら言った。猫に人間の手鏡は大きすぎる。だから、小さめの鏡を買って、割った破片で作るしかないだろう、と。きっと首輪につける鏡のメダルのようなものを想像していることだろう。こういうものは鏡であることが重要で、一部さえ映すことができれば良いのだ。


「作れるのか」

「まあ、研究で足りない物は、そうやって手作りしていたから」


 なら教えてくれ、とやり取りする魔法師たちを、トラヴィスが不思議そうに眺めていた。


「いやさ、どっかに割れた鏡とか要らない鏡とかあるんじゃないか?  わざわざ既製品買って壊すより、はじめから壊れている奴を加工すりゃいいじゃん」


 ああ、と二人はようやく思い至ったというような表情をする。トラヴィスが呆れた顔で首を振るのが、少し可笑しかった。


「これだから、金に余裕のあるやつは。良いぜ、俺探してきてやるよ」


 早速、といった様子で部屋から飛び出しかけたトラヴィスを、マシューが慌てて引き留める。


「夜は迷惑だから、明日にしてね!」




 翌日。

 何人かの兵士をあたったトラヴィスは、見事割れた洗面所の鏡の破片を拾ってきた。

 これにてサリックスは無事グレアムの使い魔となることができたのだが、この鏡に関する一連の行動が、グレアムに暗雲を齎すのだった。

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