焦りは苛立ちに
飛んでくる拳大の火の玉を左に躱す。グレアムの動きを予想していたのか、躱した先にも火の玉が飛んできた。左、左へと走りながら、グレアムは自らの左手に体内の魔素を集める。少し時間を掛けてしまうがバリアを作る準備を整えて、展開。透明な傘が火の玉を防いだ。
相手は一瞬だけ攻撃の手を緩めて舌打ちするが、その後も立て続けに火の玉をグレアムに向けて放つ。次から次にバリアに打ち付けられる火の玉。その連続攻撃にグレアムは舌を巻いた。グレアムではこんなことはできない。せいぜい、このバリアを維持するのが関の山だ。
バリアを展開したまま、グレアムは前へと踏み出した。火の玉を受けつつ一気に相手に詰め寄る。その間に右手で別の魔法の準備。相手の攻撃を防ぎながら接近し、ゼロ距離で右手の魔法を使えば、相手に一撃を与えることができる――はずだったのだが。
「な……っ」
拳大の火の玉の連撃は、あと少しで相手に触れられるといったところでなくなった。代わりに、頭上に一抱えもあるほどの大きな火球が現れる。グレアム目掛けて隕石のように墜ちてくる炎の球。グレアムは前方に展開していたバリアを頭上に掲げ、炎を受け止めようとして。
そこで、脇腹に蹴撃を受けた。
全く意識していなかった方向から飛んできた物理攻撃に、グレアムは地面の上に倒れ込む。その間にも炎の球は墜ちてくる。あれだけは防がねばなるまい、とグレアムは必死にバリアを維持し続けて――
「そこまで!」
鋭い静止の声とともに、炎もバリアも消失した。
一息吐いて、グレアムは立ち上がる。視線を向けた先には、黒い詰襟の戦闘服を纏った講師が、右手を掲げて立っていた。グレアムを焼かんとしていた炎の球を消したのは、彼である。
グレアムから少し離れたところでは、黒髪に泣きぼくろの青年――フリンがグレアムと同じようにして、講師に身体を向けていた。
魔法師学校の訓練場、地面に埋まったガラス球の中。グレアムの周囲では、魔法を使った戦闘訓練が行われていた。魔法師兵を目指す者たちに向けた講義である。一対一の模擬戦闘を行うことで魔法師兵としての実力を高めていくのが、この講義の趣旨。グレアムも将来魔法師兵を目指す人間の一人として、この講義に臨んでいるのだが、結果は奮わず。一方的にやられて敗北してしまった。
「さすがだな、フリン」
講師の講評を受けたあと、グレアムは傍らの友人に声を掛けた。
「お前の連撃にはいつも驚かされる」
「それだったらお前だって。あれだけ撃ったのに、全部防がれるなんてな。展開は遅いくせに、維持するほうはピカ一だ」
「それくらいの取り柄はないとな」
力なく返した後、グレアムは密かに下唇を噛んだ。
フリンはグレアムと比肩するほどの実力と成績の持ち主だ。目指すところも同じ魔法師兵。長年
確かに、魔法を使用したまま維持するのは得意だ。だが、戦闘においてはフリンのような瞬発力がものを言う。戦いは状況が刻一刻と変化する。そこに柔軟に対応できる判断力と、それを実行できるだけの器用さが魔法師兵には必要だ。
グレアムは、前者はともかく、後者は持ち合わせていなかった。
――アクトン。君に魔法師兵は向いていない。
かつての言葉が呪いのように蘇る。
二年ほど前のことだ。まだ本格的に決める時ではなかったが、魔法師としての進路面談を行ったときのこと。魔法師兵を希望する、と言ったグレアムに対して、面談を行った講師がそうグレアムに告げた。グレアムが先程自分をそう評価したように魔法を繰り出す際の瞬発力がないことが理由だった。その一方で、物事にじっくり取り組むことのできる性格と分析能力は評価してくれて、研究者としての道を勧められた。
それでもグレアムは、魔法師兵としての力を身に着けることを諦めることはできなかった。魔物たちを退けられるだけの能力と実力が欲しかった。だから、茨の道を突き進む覚悟で、周囲の反対を押し切ってこの道を進むことにしたのだが。
現実はそう甘くない。座学や魔法をただ実践するだけの実技に置いての成績は維持することはできていたが、魔法師兵としての実力を求められる分野においては、成績は下がっていく一方だった。特に最終学年を迎えて、魔法師兵向きの講義の数が増えてきた今日は、総合成績も下がっていく一方だ。
試験の成績が全てではない、と自らに言い聞かせているとはいえ、目に見えて下がっていく順位にグレアムは焦りを覚えていた。
結局、満足いく結果を得られないまま、戦闘訓練の時間は終わってしまった。溜め息が何度も零れてしまう気分の中でガラス球の外に出て、枯れ枝の並木道を進む。寒々しい風が、枝にしがみついていた枯れ葉を吹き飛ばした。その様に虚しさを覚えながら、東側の丸屋根のエントランスから本校舎の中に入っていく。
次の講義は、進路に関係なく必修とされている、魔法原理に関する内容だった。魔法師兵、研究者、技術者――目指すものの違う同級生たちが皆、この階段状の広く四角い講義室に集う。
知り合いを見つける気にもなれず、黒板が見やすい前から四列目の机の端に力なく腰掛ける。半ば投げ出し気味に教材を置き、机に肘を置いて凭れたところで、女子学生がグレアムに接近した。落とされた影に見上げた顔は、見慣れてはいないが見知ったもの。カタリナ・ユークランド。ジュディスの友人である侯爵令嬢だ。
「アクトン様、ジュディの居場所をご存知あって?」
物怖じという言葉を知らなそうな、詰問でもするかのように強い口調のカタリナは、蘇芳のヘアバンドで留めた真っ直ぐな金髪を揺らしながら、あちこちを見渡す首を止めることなく尋ねた。
「いや、知らないが……」
「そうなの。さっきから見当たらないのだけれど……」
また何処かで眠ってしまったのかしら、とようやくグレアムのほうを向いた
奇妙に思って首を傾げているところで、講師が入室した。カタリナはジュディス捜しを諦めて、大人しく自分の席に戻っていく。
講師の指定するページを広げ、黒板の文字を書き写していく中で、グレアムはジュディスのことが頭から離れずにいた。
あれほど何度も何度も指摘しているというのに、ジュディスは怠業を止めずにいる。ごめんなさい、と言うが反省した様子はいつまでも見られない。
魔法師学校に通う多くの令嬢たちのように、志があって来ているわけではないのは承知している。だが、ここに居る以上は学徒として必要最低限のことはするべきだというのが、グレアムの見解だ。受講などその最たるものではないか。特にジュディスの場合は、自らの健康にも関わってくることなのだから。
不覚にも半分聞き流してしまった状態で講義の時間を終え、グレアムはジュディスの捜索へと乗り出した。
校舎内の心当たりを覗いてみるが、見つからない。では図書館か、と外に出たところ、校舎と図書館の間に広がる芝生に置かれたベンチの上で横になっているのを見つけた。
「ジュディ――」
葉の落ちたプラタナスの木の下に置かれたベンチに駆け寄ったグレアムは、彼女の様子が見えてくるにつれ、その歩調を弱めていった。
紫紺の制服の上にベージュの厚手の上着を羽織ったジュディスは、身体の左側を下にしてベンチの座面に横たわり、目を閉じていた。あろうことか眠っているのだ。初冬に、外で。確かに日が高いうちは日当たりの良い場所だけれど、太陽がだいぶ傾いてきたこの時間はもうすっかり日陰になっている。
こんなところで眠ったら風邪を引く。そう思いジュディスを起こそうと手を伸ばすと、いつもは白い顔が赤くなっていることに気がついた。わずかに開いた口から漏れ出る呼吸も浅い。掴もうとした肩ではなく額にそろそろと触れると、なんとなく熱い気がした。
言わんことではない。体調が悪化したのだ。
重い、重い溜め息が漏れる。
暗い感情がグレアムの中で渦を巻き、脳が沸騰しそうな感覚を覚えるが、ぐっと堪える。今は寝ているうえに体調不良。説教の前にやるべきことがある。
グレアムはそっとジュディスの肩に触れ、揺さぶった。閉じられた瞼から、虚ろな翠の瞳が覗く。
「今から中に連れていく。背負うぞ」
首が微かに上下した後、焦点の合わない眼が閉じられた。
一応了承を得たグレアムは、ジュディスの手を引っ張って彼女の身体を引き寄せて、自身の背中に負った。二人分の荷物をジュディスの尻の下に敷いて固定し、枯れ草を踏みしめて保健室のある北校舎へと向かう。
魔法師兵という戦いに赴く道を目指しているため、そこそこ身体を鍛えているグレアムであったが、それにしてもジュディスの身体は軽かった。まるで枯れ木でも背負っているような気分になる。手も今にも折れそうなほどに細いし、背中に密着した部分からも肉の柔らかさをほとんど感じない。活発な行動こそしないものの現在は健康的な生活を送れているように見えるジュディスだが、やはりこうしてみると彼女は身体が弱いのだということを思い知らされる。
首筋に当たる粗い吐息が、グレアムの心を荒れさせた。
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