第二章 寒風、荒れる

 昼休み。アメラス魔法師養成学校の学生たちが一斉に昼食を取ることから、一日の中で食堂が最も賑わう時間帯。ジュディスは既に選んで持ってきた、鶏肉と野菜を乳で煮込んだ昼食を前に一人、頬杖を付いてぼんやりと大窓の向こうにある外の景色を眺めていた。対岸の南校舎の前に広がった芝生は、緑色を薄くしてしなびた様子を見せている。日中の気温もぐっと下がり、風も強まって、上着をなくしてはとても外に出ることのできない時季を迎えたが、そんな冬枯れた景色とは裏腹に石造りの校舎の中は冬の到来を感じさせないほどに暖かい。

 ジュディスは南中の日差しに眠くなりそうになる一方で、どんどん冷めていく食事が気がかりで仕方がなかった。

 待ち人が、来ないのだ。


 ジュディスが現在待っているのは、婚約者ではなかった。この学園生活でグレアムとは毎晩夕食をともにする約束をしてはいるが、さすがに朝、昼の食事は各々自由にすることにしていた。二人ともそれぞれ友人付き合いというものがあるし、お互いに束縛し合うのも考えものである。それに、体調不良になりやすいジュディスは朝早くに起きられないことも多く、遅くなりがちなジュディスにグレアムを付き合わせるのも気が退けた。

 でもやはり将来を約束しているのだし、とジュディスは我儘を言って、夕食だけは一緒に取ることにしてもらった。もちろん、用事できた場合は柔軟対応。事前に連絡して予定をキャンセルすることもある。


 そういうわけで、ジュディスは前の講義を共にして、そのまま昼食を一緒にする約束をした友人を待っているのだが。

 先に行け、と講義の片付けに手間取っていた彼女は何故かずいぶんと遅れている。

 どうかしたのか、と思いつつ、ジュディスは心配はすることなく待ちぼうけていた。実は、こういうことは度々あるのだ。慣れているので、退屈になることはあるが焦れることはあまりない。

 そうして待っている間に、ほら、あちらのほうからやってきたことであるし。


「全くもう信じられないわ!」


 食器同士が音を立てかねない乱暴さで、テーブルの向かいに立つ女子生徒がトレイを置く。細く、多く、真っ直ぐな金髪を蘇芳すおう色のヘアバンドで後ろに流した少女。勝ち気そうな顔に嵌まった青い瞳を吊り上げて、腹立ちを示すかのように乱暴に椅子に座った。ジュディスはそんな彼女を苦笑気味に見ていた。

 カタリナ・ユークランド。ジュディスが待っていた友人。侯爵令嬢なのだが、見ての通り本人は激しい気性の持ち主で、普段の所作は礼儀作法は何処にいったのかと思わんばかりの粗暴さを見せる。一応本気を出せば文句をつけようのないくらい美しい動きをすることもできるのだが、指摘する親がいない学校でそんなことに気を払うなんて面倒だ、とカタリナは言ってやりたがらない。結果、男子からは令嬢らしくないと白い目で見られているが……まあ、本人が気にしていないというので、ジュディスが口出しするようなことではないだろう。


 そのカタリナは、眼光を鋭いままにジュディスを見据えた。睨みつけられているのか、と錯覚しそうになるほど眼つきがきつい。


「ねえ、ジュディ。あなた、聴いていて?」


 いったいなんのことを指しているのか全く想像できず、首を振る。


「ロザンナ・キャラハンよ。四年の編入生!」

「ああ」


 その話か、とジュディスは頷いた。

 大怪我で退学を余儀なくされたキャラハン家の嫡子の代わりに、このアメラス魔法師養成学校に編入したという少女の話は、かなり有名だ。なにせ一人っ子と思われていたキャラハン家嫡子に妹がいたというのだから、皆が注目する。そして注目しているだけに、彼女の一挙一動がすぐに話題になる。例えば、キャラハン当主の愛人の娘であること、魔法の知識皆無で編入したこと、しかし才能はあったのかあっという間に講義の内容に追いついてきていること、など。噂話にはさほど興味のないジュディスの耳にも入ってくる。

 最もそれらは全て目の前に座るカタリナから齎されたものではあるけれど。


 カタリナは早耳で、物知りだ。流行や噂などといった社交界のことは大抵知っている。度々待ち合わせに遅れてくるのも、情報収集に気を取られてしまうことがあるからだ。

 そんな彼女は、ついさっきロザンナ・キャラハンについて新しい情報を仕入れてきたらしい。そして、その内容にひどく憤っているらしいのだ。


「あの子、やっぱり男漁りに来たという話よ」


 まるで親の仇とでもいったように鶏肉のグリルにフォークを突き立て、鮮やかな手付きでナイフで切り分けながら、カタリナは不機嫌な声で言う。最近、ロザンナ・キャラハンが教師・学生を問わず男性に話しかけているのを目撃した情報が相次いでいるらしい。中でも、ある成績優秀な上級生と仲良く図書室で過ごしているのをよく見かけるのだとか、なんとか。


「でもカタリナ、言ってしまうと、その……貴族の娘には珍しいことでもないと思うのだけれど」


 シチューを掬う手を止めて、鼻を鳴らすカタリナを宥めるようにジュディスは言った。

 魔法師養成学校は、その名の通り、国に仕える魔法師を育てるための学校であるのだが、国に仕えることよりも家を守ることを求められる貴族の娘が本当に魔法師になることを選択することは、まず少ない。ジュディスもそうであるように、大半が己が身の魔力を制御する術を学ぶためだけに来ているのだ。そうすると、必死に学問を修める必要がなくなってくるため、令嬢たちは身近で歳の近い令息たちを見定めて、将来の嫁ぎ先を探すようになってくる。

 ジュディスはまあ、婚約者グレアムがいるので必要はないが、それ以外のところは他の令嬢たちと同じ。カタリナも本人は諦めかけているが、似たようなものである。ロザンナ・キャラハンがそうだとしても、ジュディスたちが彼女を咎められるはずもないと思う。


 因みに、そんな令嬢たちの姿勢に対して、中流・下流の国民たちからは、学校設立の本来の意義とは違うではないか、と非難する声が上がっている。そんなお遊びの連中で定員の枠を埋めているのか、とも。しかし、学校側としてはそういった子女たちを迎え入れることで多額の寄付金を得ることができるため、蔑ろにするわけにもいかないのだ。その寄付金があるお陰で、貴族ではない一般の国民の青少年を可能な限りの好待遇・低負担で迎え入れて教育することができているのだから。


 そんな魔法師学校の事情をよく知っているカタリナは、そうね、とジュディスの言葉を肯定した。


「たんに器の小さい連中が口さがなく騒ぎ立てているっていうのはあるのでしょうよ。でも、私が怒っているのは、そんなことではないのよ」


 貴女も他人事じゃないんだから、とカタリナは行儀悪くジュディスに肉の脂のついたナイフを突きつける。慣れたジュディスは、ナイフを突きつけられたことよりも発言のほうに驚いた。


「彼女の標的に、あなたの婚約者もいるっていう話なんだから」

「……え」


 予想外すぎたその言葉に、ジュディスの思考は停止する。

 グレアムは堅物で、以前ジュディスが本人に指摘したこともあるように一見して気難しい印象を与えることから、同性の友人さえ多くない。これまで四年間の学園生活で、グレアムにジュディス以外の女の影がちらついたことなどただの一度もなかったのだ。

 それが、ここに来て噂が出てくるなんて。


 そんなまさか、と否定する言葉が出そうになったところで、ふと先日グレアムと過ごした休日の出来事を思い出す。

 そういえば、〝可愛い後輩ができた〟などと言っていなかっただろうか。

 それは、自分に懐いてくれたことによる可愛さだと思っていたけれど、実は容姿に対する評価だとしたら。なにせ噂によれば、彼女の母親はキャラハン家当主を今でも誑かし続けている魔性の女。きっと美人であることだろう。娘がその容姿を受け継いでいる可能性だって、多分にある。

 グレアムが見た目に弱い性分だと、ジュディスは思っていなかったのだけれど。でも万が一、と思うと不安を抱かずにはいられなかった。


 表情を曇らせたジュディスをどのように見たのだろうか。カタリナはナイフを手元に戻し、先程よりは落ち着いた様子で食事を再開させた。


「まあ、グレアム・アクトンも堅物だから心配ないことでしょうけれど。あなたは婚約者の手綱をきっちり握っているようだし」


 夕食は必ず二人で食べるだなんてまるで夫婦のようだ、とカタリナはからかった。彼女の言うとおり、それを嫌がらず忠実に守ってくれているグレアムに、これまでジュディスが安心感を覚えていたのは確かだ。しかしこんな噂話を聴いてしまった今、それに甘んじているだけで良かったのだろうか、と考えてしまう。


 ジュディスとまた同じことを考えていたのだろう。カタリナは、ふと視線を上げて、力強い眼差しでジュディスを見据えた。


「でも、一応釘を刺して置きなさいね?」

「そうね……うん、そうしておく」


 力なく返事をして、ジュディスは自分の前にある皿に視線を落とした。半分ほど残ったシチュー。もうこれが、胃の中に収まるとは思えず、ジュディスはどうしたものかとスプーンを弄びはじめた。

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