通過儀礼

「本当にそうだよな。この前倉庫行ったらさぁ、剣とか矢とか、きっちり綺麗にまとめられてやんの。何処に何があるのかもすぐにわかるしさぁ」

「しかも補充までされてるんだぜ。補給部隊が仕事なくなるって騒いでたよ」


 グレアムは眉を顰めた。予想とは違った方向に、会話が流れているような気がするのだ。

 そして実際、兵士たちは朗らかな表情でグレアムのほうを見ていた。


「でもさ、もうちょっと気楽でいいと思うぞ。確かに、手を抜きすぎると怒られるけどな」


 あんま気合入れすぎるとバテちまうだろ、と気遣うような言葉まで出てきたものだから、グレアムは戸惑うしかなかった。


「いえ、しかし、自分は皆さんにご迷惑を――」


 と自分から言ってみるが、


「〈奔流ラッシュ〉のこと? あんなん、誰もが一度は通る道だって」


 むしろ怪訝そうに返されて、グレアムは呆気に取られた。あれだけの騒動がそんな軽い一言で済まされるとは思っていなかった。

 だが、相手は本心で言っているらしい。だって、と掌でバシバシと宙空を叩きながらその人は続ける。


「森傷つけんなとか、どだい無理な話だって」

「細い根っこをうっかり踏み折っただけでも起こるんだぜ? そんなんでいちいち責任感じてなんかいられねーよ」

「掃除だって、みんなやったことあるしな。俺なんて、最近は洗濯まで追加されちまってさぁ――」


 と、仲間内で思い出話に花を咲かせたあと、


「お前さん、随分真面目だよな」


 もうちょっと早く手伝ってやりゃ良かった、と体格の良い兵士が頭を掻く。手伝ってもらえるようなことなのか、とこれまた驚く。だって、リチャードは一人で、と言っていたのだ。だからグレアムは友人に手伝いを求めなかったし、友人たちもグレアムの処罰がさらに重くなると大変だから、と敢えて手伝いを申し出なかった。


「二股掛けるような浮気者だって聞いてたからさ、ちょっとはまあ、いい気味だと思って放置してたけど」

「羨ましいとか言ってたもんな、お前」

「いやだって、こんなところに居ちゃあ、出会いもなにもあったもんじゃないだろ? アキナの村の女の子ももう慣れちまって、最近じゃあ相手してくれないしさぁ」

「だからって迷える後輩くん無視するか。ひっでぇ奴だな、お前」

「だからモテねぇんだよ」


 目の前で繰り広げられる会話に、グレアムは次第に自分の勘違いを悟った。〈奔流ラッシュ〉のことはダイクの人々にはたいしたことではなく、婚約解消のこともそこまで深刻に受け止められていたわけでもなく――

 

「……自分は、皆さんに軽蔑されているかと思っていました」


 誰かとすれ違うたびに、ひそひそと噂され、メイリンからはきつい態度で接せられ。配置された人数は少ないが、女性から向けられる視線も厳しかったように思う。

 嫌われた。トラヴィスに婚約者のことを訊かれたとき、グレアムはそう思った。それからずっと、誰かとすれ違う度にそう思っていたのだが。


「ああ、うんまあ、どうかと思わないこともないけどさ」


 なにせ、不義理・不誠実なことには違いない。そこは誰もが認めるところではあるようだが、そもそも他人の恋愛騒動にそこまでの関心はないのだ、と三人が口を揃えて言った。


「それに、浮気なんて男の甲斐性だろ?」


 豪快に、それでいてさっぱりとした様子で男たちは笑った。グレアムも少し苦い物を混ぜつつ、気持ちよく笑う男たちに笑みをこぼさずにはいられなかった。

 隣でサリックスが些か呆れたような顔をしているような雰囲気はあったのだが。

 自分はこのダイクの兵士たちに受け入れられているのだという事実が、グレアムの心を軽くした。


「――へぇ。やっぱり男の方って、そういう考えなんですね」


 季節早くも唐突に砦の内側から吹き付けた暴風雪ブリザードに、ぴたり、と男たちの笑い声が凍り付いた。出入り口の前に立つ男たちが、凍りかけた首関節を軋ませながら後ろを振り返る。グレアムはといえば、全身を強張らせた状態で、そんな先輩たちと来訪者――メイリンを見つめるしかなかった。


「いや、これは、その……」


 しどろもどろ、といった風に後ずさる兵士たち三人は、お互いの顔を見合わせて目配せし合っていた。

 やがて、覚悟を決めたのか、先程から主にグレアムと会話していた体格の良い兵士が矢面に立つ。


「言葉の綾。言葉の綾ですって。浮気はぜんぜん良くない。そうだよな?」


 ああ、とすぐに立ち消えてしまいそうなほど曖昧な態度で、残りの二人は頷いた。グレアムもまた、彼らに同調して首を縦に振る。


「ふぅん、そうですか」

「そうそう、ただ単に、噂なんか気にすんなっていう話ですから。だから、そんな深刻に捉えないで――」

「で、油売ってていいんですか? あなたたちはこの子みたいに休憩中というわけじゃないでしょう」


 話を振っておきながらばっさりと話を打ち切るメイリンに、


「……あ、はい。持ち場に着きます」


 誰一人文句を言うこともなく踵でくるっと身体を回転させ、彼らは人形のようにぎこちない動きで回廊の向こう側に消えていった。そもそも彼らは当番の見張りに向かうところだったのだろう。そこで悩むグレアムを見つけたから励ましてくれたということか。

 それにしても、既視感のあるやり取りだった。背中に冷や汗を滲ませながら、グレアムはメイリンと二人取り残された状況をどう打破しようか、と考える。

 そうしている間にメイリンがグレアムの隣まで来たので、逃げる機会を失った。


「……まあ、彼らも言ったとおり、〈奔流ラッシュ〉なんてそう珍しい現象ではないですから、気にすることはないですよ」


 鋸壁の際まで来たメイリンの手が、サリックスの頭に伸びる。耳の裏を掻かれたサリックスは、されるがまま気持ちよさそうに目を細めていた。


「しかし……懲罰が設けられていますが」


 掃除とはいえ、懲罰があるということは、ダイクにとって不都合な事態であるという証明に他ならない、とグレアムは思う。


「それはまあ、大変には違いありませんから。気を引き締めろという意味で設けられていますが」


 だって思ったよりも温いでしょう、と猫から手を放したメイリンは腰に手を当てて言った。それについてはグレアムも思っていたことなので、素直に頷く。


「ですから、そう深刻に捉える必要は有りません」


 真面目なのは良い事ですが、と続けるメイリンを、奇妙な気分でグレアムは見つめた。さっきからずっと、あの兵士たちにも、メイリンにも励まされている。

 立ち直ってきたところでようやく気付いたが、見るに見兼ねるほどひどい顔をしていたのだろうか、と自分自身を振り返り、サリックスのほうへと目を向けた。愛猫はなんとなく目を細めてこちらを見ている。――まるで、良かったね、とでも言いたげだ。

 この、胸にこみ上げてくるものをなんと表現したらいいのだろう。グレアムは唇を引き結んだ。


「リチャードから言われていることについても、別に貴方が無能だから意地悪を言っているわけではありません。彼には彼の考えがあるんですよ」


 誰も貴方を見捨ててはいません。その一言が、グレアムの心の奥に沁み込んでいく。思わず目の奥が熱くなるのを、グレアムは瞼を閉じて堪えた。


「まあ、私は貴方に悪感情を持っていますけど」


 いつもの笑顔で付け加えられたメイリンの言葉に、再び瞼を開いたグレアムは苦笑した。


「それは……承知しています」


 婚約破棄をされた女性が、他の男とはいえ婚約を解消する原因を作った人間に良い感情を持つはずがない。この点については、グレアムは割り切っているつもりだった。

 そうですか、とメイリンは応える。


「では、今後も励んでください」


 そう言い残してメイリンは階段を下りていく。先程の三人と違って、来た道を戻るということは、わざわざグレアムを訪ねてきてくれたということか。


「本当、俺はそんなに分かりやすい顔をしていたのか……?」


 傍に居残るサリックスに尋ねてみるが、鋸壁の上に身を伏せた彼女はすまし顔で尾を揺らすだけだった。肯定、と受け取ってグレアムは苦笑する。


 グレアムは再び壁の際によって眼下の森を見下ろした。そういえば、この時期だ。グレアムがジュディスと婚約を解消するに至ったのは。

 あの時から一年。グレアムは友人を失ってきたはずなのに、いつの間にか失った以上のものをここに来て得ているような気がする。

 まだ、二ヶ月しか経っていないのに。


「ここに来て、良かったような気がするよ」


 グレアムはそう、サリックスに話した。

 もともと目的があって選んだ配属先ではあったが、こうも親切な人たちが多いと、ジュディスのためだけでなく彼らのためにも力を尽くしたい、と思ってしまう。場所に、人に、恵まれた。そう思うと、なにかに感謝せずにはいられない。


「ここでならきっと、俺はやり直すことができる」


 確信を持って、そう口にする。そうしてやろう、と決意を固めた。

 そしていつか、ジュディスにもう一度謝罪を申し入れるのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る