辞退

 翌々日。

 側室入りの話をしに王城を訪れたジュディスは、兄と二人困惑していた。王宮の客間、ロデリックを待つはずのその場所に、王太子妃のシャルロットが居たからだ。

 クリーム色のドレスをふんわりと広げて金色の刺繍が見事な長椅子に腰かけたシャルロットは、呆気に取られて立ち尽くす兄妹に席を勧めた後、メイドにお茶を頼んだ。まるで招いたのが彼女であるかのような堂々たる態度に、ジュディスたちは頭の中に疑問符を浮かべながらぎこちなく王太子妃の向かいに腰を下ろす。


「ごめんなさいね、驚いたでしょう」


 シャルロットは微笑みかけた。異国から来た王太子妃は、さすがに王族の出であることもあって、細かい所作に気品があり、感嘆させられた。しかし、ジュディスの一つ下だからだろうか、艶やかな黒い髪を結いあげていてもなお、何処か少女染みた印象を抱いた。


「でも、殿下が来られる前に、どうしてもお話をしておきたかったから」


 そうして彼女は、砂糖菓子を含んだような笑みのまま、強い光を宿した鳶色の瞳でジュディスを射貫いた。


「単刀直入に言うわ。ジュディスさん、貴女には是非殿下の側室になっていただきたいの」


 一瞬、ジュディスは言葉に詰まった。もともとの用件は確かにそれだったのだが、まさか王太子妃に先手を打たれることになるとは、先程まで思っていなかった。

 思わぬ伏兵からの攻撃に怯んだジュディスだったが、兄が励ますようにそっと手を重ねてきたことに気を取り直し、背筋を正して鳶色の眼差しを真っ向から受け止めた。


「……恐れながら、王太子妃殿下。私はそのことをお断りするために――」

「いいえ、駄目よ」


 決して大きな声ではなかったが、断固とした強い意志を持つ声に、ジュディスの言葉は遮られた。

 シャルロットは、ゆるゆると首を横に振る。


「駄目、絶対に駄目。他の男に靡くなんて、そんなの駄目よ」


 濡れた鳶色の瞳がジュディスを睨みつける。甘やかな雰囲気は何処へやら、シャルロットは王族の威厳を振りかざしてジュディスを従わせようとしているように見えた。


「殿下には貴女が必要なのよ。貴女のこと愛していらっしゃる。それなのに貴女が離れてしまったら、誰があの方を支えるの?」


 ざらり、としたものがジュディスの口の中に満ちた。ロデリックがジュディスに愛情を寄せているなどというのは初耳でそれにも驚かされたが、それ以上に今とんでもない理不尽を押し付けられているような気がした。無垢な顔で必死に言い募るシャルロットが得体の知れないものに見えてくる。


「私では駄目なのよ。あの人との想い出を抱えて生きると決めた私では。でも、殿下が想いを寄せる貴女なら――」


 シャルロットはじっと上目づかいでジュディスを見る。ローテーブル越しに、縋るように詰め寄ってくる彼女に、ジュディスは思わず身を引いた。


「このままでは殿下が可哀想だわ。だからお願い――」

「そこまでにしてくれ、シャルロット」


 突如割り込んできた声に、シャルロットは弾かれたように顔を上げた。ジュディスたちも入って来た白塗りに金の縁の入った扉から、ロデリックが姿を現した。


「殿下」


 慌てて立ち上がり頭を下げる三人に、ロデリックは手を挙げて応え、座るように促す。そして自身はシャルロットの座る長椅子の傍に寄ると、立ったままシャルロットを見下ろした。


「シャルロット、君が過去の恋人を想う罪悪感から、私を幸せにしようと奔走してくれていることは知っている。……良く解っている」


 穏やかな表情がわずかに歪む。苦悩とも取れる表情に、ロデリックを見上げるシャルロットは困惑した表情を浮かべた。


「だが、今君が彼女に無理強いをしていることは、私が望む幸せではないよ」

「そんなことはございません!」


 目を見開いたシャルロットは、勢いと共に立ち上がり、ロデリックに詰め寄った。


「だって貴方は、確かに彼女を想っていらっしゃったではありませんか!」

「……そうかな。どうだろうね。でも、どちらにしても、もう彼女は私の下には来ない」


 そうだろう、とジュディスに顔を向ける。思わぬ展開に戸惑っていたジュディスだが、この問いかけには強く頷いた。ジュディスはどうあってもグレアムと共に生きるのだ、とそう覚悟してここに来ている。

 ジュディスの無言の肯定を受け取ったロデリックは、寂しそうな笑みを浮かべてジュディスに頷き、それから再びシャルロットを見下ろした。


「彼女を、私の憐れみの犠牲にするわけにはいかないよ」


 シャルロットは絶句し、見開いた大きな眼をそのままにゆるゆるとジュディスのほうに顔を向けた。目線だけでジュディスに否定を求めてくる。ジュディスはそれに目を伏せて躱した。縋る隙を与えれば、取り込まれてしまうような気がしたのだ。

 どさり、と音を立ててシャルロットが長椅子に座り込む。座面に手を付き呆然とした様子は哀れみを誘うが、ジュディスは彼女への同情を振り切った。ロデリックもまた王太子妃の様子を顧みず、ジュディスとディックへ向き直る。


「すまなかったな、ディック、ジュディス嬢。彼女が迷惑を掛けた」


 ジュディスもディックもなんとも言えず、曖昧に頷いた。


「用件は解っているよ。承った。残念だが、ジュディス嬢が望んでいないのであれば、仕方がない」

「殿下……」


 王太子妃と打って変わって、予想外にすんなりと受け入れてくれたロデリックに対して心苦しく、ジュディスは立ち上がり、頭を下げる。


「私の身勝手で、三年も、申し訳ございませんでした」

「気にしないでいいよ。……正直、フレアリート砦で君と会ってから、そんな気はしていたんだ」


 ロデリックに促されても、ジュディスは気まずさに頭を上げることができなかった。もう少し早く決断できれば、と後悔する。側室の提案をただの親切として受け取り、甘えたのがいけなかった。ジュディスのグレアムへの想いが、いったいどれだけの人を振り回したのか、深い青色の絨毯を睨みつけながらしっかり噛み締める。

 どうか幸せに、と後頭部に優しい言葉が掛けられる。ジュディスは少しだけ目線を上げた。若葉色の瞳は、いつか魔法師院でジュディスを茶に招待してくれたときのように、明るく慈しみ深い色を宿していた。


 兄と二人で部屋を辞すと、ふとジュディスの目に涙が溢れてきた。これで心置きなくグレアムと居られる解放感を覚える一方で、ロデリックへの後悔が重しのように圧し掛かる。

 あのときは妹のように接してくれていると思っていた。シャルロットの言ったように、ロデリックが本当にジュディスに愛情を寄せていてくれたかなど、解らない。それでも彼の親切を棒に振ったことだけは確かだった。


「ジュディ、君一人が背負うことじゃないよ」


 ずっと隣で励ましてくれていたディックは、扉の前から動けずにいたジュディスの肩をそっとさする。いつか側室の話を断ろうとしたジュディスを引き留めたのも、この兄だった。それを激しく後悔しているのだと、宥める手から伝わってくる。

 ジュディスは涙ながらに兄の言葉に頷き、赦す言葉も詰る言葉も呑み込んだ。正直なところ、恨んでしまおうか、という気持ちが胸中で頭をもたげはした。だが、すぐに振り払う。兄の優しさに流され、断固とした態度を取れなかった自分にも非はあるし、一年前に断るのではなく、延長という判断を下したのは自分だ。だからせめて、この後悔を一緒に背負ってもらうことにした。




 ジュディスが去った白い扉を見つめて、ロデリックは深く息を吐いた。右手を持ち上げ、なにとなしに見つめる。愛でていた小鳥を手放してしまった喪失感。だが、これがあるべき姿だったような気もして、昨日までの自らの執着心はなんだったのかと、自分に問い掛けた。


「殿下……」


 おずおずと背後から掛けられた声に、ロデリックは振り向いた。クリーム色のドレスの裾を握りしめ長椅子の前に所在なさげに立つ伴侶の姿に苦笑を漏らす。


「いいんだよ、シャルロット」


 居た堪れない様子の彼女に、優しく声を掛ける。手前勝手な理由で暴走したシャルロットだが、自分のことを本気で考えてくれた結果であることは良く解っていた。問題は、彼女の純真さを図りそこない、彼女の想い人に遠慮して話し合うことを止めた自分にもある。自分たちの都合に振り回されたジュディスは、たまったものではなかっただろう。


「ですが――」


 鳶色の瞳を切実に光らせ、言い募ろうとしたシャルロットを手を挙げて制した。


「これが運命だったんだよ、きっと」


 自分で言って、その言葉が胸に落ちた。はじめから縁がなかったのだと思えば、ジュディスのことも諦めがつくような気がした。そもそもどうして、とまた自らの執着心に思いを巡らす。とてつもなく子ども染みた理由であったような気がして、恥ずかしくなった。

 感化されてしまったな、と自分に代わり悲壮な表情を浮かべるシャルロットの肩に手を置き、自嘲する。


「……悔しいが、アクトン。お前の言うことが分かったよ」


 視線を逸らした窓の外、そこからは見えないチャコールグレーの邸に居る男を思い出し、呟いた。目の敵にしていた相手に自らの本質を突かれたことがなによりも悔しいかもしれない、とロデリックは密かに思った。

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