第1章 前兆

第1話 八大貴族

 王位についてから五年が経った。タルナスはそこに集まっている面々を無表情に眺めた。

 誰も信用ならない。決して心を開いてはならない。いつ、誰が裏切るか分からないからだ。

 父のボルピス王は、甥から玉座を奪った。その父を王位に就けた者達が、目の前にいる。憎み続けた父が、最後に言った言葉だけは事実だ。

『八大貴族を信じるな。王位に就いたら、誰一人として信じるな。常に裏を見、常に万が一に備えよ。それが自分を守る術となる。』

 半ば発狂し、病で痛みに苦しみ抜いた末に死んでいった。父の顔はどす黒かった。醜く歪んでいた。

 それを無表情に眺めていた。感情が豊かであれば、そこに付け込まれる。いつからか、感情を抑え込むことは、簡単にできるようになった。

 だが、いつでも能面のような無表情でいる訳ではない。時たま、その時々にふさわしい表情を作ってみせる。

 そのことで、彼らも安心する。あまりに無表情だと『陛下はお心を病まれておいでだ。』と騒ぎ出す。そうなると、次の玉座を狙っての争いが始まり、面倒くさい。

 今は不本意でもこの王位が必要で、玉座を失ってはならなかった。

「陛下、セルゲス公はご存命でしょうか。このところ、公務にもあまり、お見えにならないのですが。」

「なぜ、余に聞く?」

 タルナスは抑揚のない声で、トトルビ・ブラークに聞き返した。

「余よりもそなた達の方が、よく知っているのではないのか?」

「…陛下。皮肉っておいでですか。」

 ラスーカ・ベブフフがこの若造が、という視線を投げながら、ひげを蓄えた口元には笑みを浮かべ、さも、物分かりの良さそうな大人を演じて言った。

「皮肉などではない。現実として、そなた達の雇っている密偵集団が、非常に優秀だという事だ。国中の様々な事を知っているではないか。

 逆に余が聞きたい。グイニスはどこにいる?いつの間にか、身元不明の死体としてカートン家に引き取られ、解剖されたりしていないか、夜な夜な心配で夜も眠れない。」

 タルナスはため息をついてみせた。

「陛下。あまり、ご心配召されますな。お体を害します。」

 シェリア・ノンプディが、澄んだ通る声で歌うように言い、黒い瞳でタルナスを見つめた。八大貴族の中で紅二点のうちの一人だ。中年だがかなりの美女である。

 しかし、その美貌に惑わされてはならない。夫は二十年ほど前に死んだが、実は彼女が毒殺したと、もっぱらの噂である。

「今の所、わたくし共の情報網にセルゲス公の行方について、何もありませぬ。それ故、あまりご心配召されませぬように。」

 もう一人の女性、クユゼル・ファナが淡々と報告した。一人娘として、クユゼル家を彼女は継いだ。

 ファナはシェリアとは全く違い、線が細く、どこか神秘的な雰囲気を漂わせている。夏でも手袋をはめていて、外す時は誰かを呪い殺す時だ、などと言われ、魔女のように扱われているが、見た目には普通の女性である。

 タルナスが思うに一番、まともだ。なぜ、ボルピス王に従ったのか、その事情は分かるが、もう、いいのではないかとも思う。

「皆はそろって心配をするなというが、あの子が今までにどれほど、命を狙われてきた事か。

 つい、一か月半前も、公務の視察の帰りに襲われたではないか。」

「陛下。セルゲス公のお命を狙う者は数多くいます。陛下を快く思っていない王族も大勢いるのです。そういう王族はみな、セルゲス公の敵と言っていいでしょう。

 私共も手を尽くしておりますが、なかなか難しい仕事で、時間がかかっております。なんせ、疑いのあるだけで、全員を抹殺するわけにも参りませんから。今しばらく、お時間を下さいますように。」

 ラコッピ・スクーキ=マリャが答えた。元軍人にして策略家だ。

 五男でありながら、ラコッピ家の家督を継いだ。兄達が次々と不審な死を遂げていった。皆、怪しんだが、確実な証拠は何一つ出ていない。タルナスが気を遣う一人だ。

「それに反逆者がいたら、クグン殿が始末なさるでしょう。」

 スクーキ=マリャが話を振った、ネイズ・クグンは、珍しく顔をしかめた。

「私は後始末係ではありません。誤解を招く物言いはなさらないで頂きたい。」

 八大貴族の中で一番、切り崩しやすい人物だ。十剣術の内の一つ、セーラトシュ流セーラトシュ家の三男坊だが、クグン家に養子に入った。

 養父がボルピス王に同調していたから、今も集まりに参加しているだけである。いつもつまらなさそうに話を聞いている。

「その通りです、ラコッピ殿。失礼にもほどがある。大体、そんな話のために今日、ここに集まったわけではない。」

 アジアス・ナルグダが呆れたように口を挟むと、八大貴族の筆頭、バムス・レルスリの方に視線を向けた。

「そんな話、とは失礼でしょう、ナルグダ殿。」

 静かにバムスが切り出した。アジアスは顔をムッとしかめたが、反論はせずに黙っていた。

「陛下にとっては、御弟同然の御従弟の行方です。当然、大事な話です。

 ただ、陛下、そんなに夜も眠れないとなれば、政務に支障をきたします。宮廷医師団長に話し、薬を処方するように致しましょう。」

「それほど、心配する必要はない。」

 タルナスがため息交じりに言うと、バムスは穏やかな表情で続きを話した。 

「それならば、今日、枢密議会を招集した本題に入らせて頂きます。」

 必要な事以外話さず、物静かでないだ湖面のように穏やかだが、一度事を起こすと派手で必ずやり遂げる。その普段の人格性との落差に、誰もが驚く男だ。

 そのせいかは知らないが、妻以外の女がたくさんいる。彼がたぶらかすのではなく、女の方から近づいていくという話だ。

「陛下、最近、セセヌア妃にお会いになりましたか?」

 バムスの問いにタルナスは首を振った。

「いいや。父上の死後、カムーナ後宮に入り、その後は全く会っていない。」

 カムーナ後宮とは、以前の王の王妃や側室が暮らす場所だ。位の低い愛妾と子供達は王宮を出なくてはならないが、位のある側室と子供達は王宮に残る。まとめて面倒を見ていると言えば聞こえはいいが、実際は監視しているのだ。

 カムーナ後宮は、以前の王達の妃や側室達が暮らしている場所なので、王が直接管理をしない。枢密議会の議長が管理する。

 枢密議会は、貴族中心の右議会と、市民から選挙で選ばれた左議会のうち、推薦で選ばれた者八名で構成される。緊急性のある話だと、枢密議会は王も呼んで、直接話をする事ができる。かなり、権力を持った議会だ。

 だが、実際は貴族で固められている。八大貴族とは、この八名の事だ。そして、長らくこの八名の顔触れは変わっていない。

「セセヌア妃にご注意下さい。」

 バムスは言った。

「彼女の子飼いの剣士に与えられました権限が、故ボルピス王の御遺言によって、未だに強い状況です。最近、子飼いの剣士シバシス・ゲイルの姿が見当たりません。今、後を追わせている所です。

 もしかしたらの話ではありますが、セルゲス公を暗殺しようと企んでいる可能性があります。」

 タルナスは思わず、バムスを凝視した。

「証拠はあるのか?」

「今の所はまだ、ありません。ただ、私共がセルゲス公がいらっしゃるようだと、考えている場所に向かった様子ですので。」

「グイニスを…見つけたら、必ず保護してやってくれ。」

「もちろんの事でございます、陛下。

 セルゲス公は、ウムグ王の御子でございます。賢王と称えられた方の御子を、むざむざと殺させるような真似は致しません。」

 バムスは優雅に頭を下げた。グイニスを思いやっているような発言をしているが、バムスはきっちり釘を刺してくる。

 今、タルナスが玉座に座っていられるのは、自分達のおかげだと。そして、本当はこの玉座に座るはずだった、グイニスの生死を握っているのは、自分達だと言っているのだ。

 王のタルナスではなく、自分達だと。

「しかし、セセヌア妃は、何を考えているのか分からぬ。」

 話の切れ目を巧みに縫って、ブラークが話題を変えた。

「姫しかおらぬのに。どれだけお転婆でじゃじゃ馬だろうとも、男には変われん。」

「共犯がいるのです。」

 ファナが言った。

「その通りです。クユゼル殿。」

 バムスは続けた。

「ティースンス妃です。」

 一瞬、間が空いた。

「ぶっはっはっ、オルザン王子に目をつけておると?」

 ブラークが笑った。

「何をやらせても、全くダメなオルザン王子をどうするつもりだ?」

「ご想像の通りです。私達がいる限りはそんな事はさせません。」

 バムスの目が一瞬鋭くなった。

「バムス様、手を回さなくても大丈夫よ。どれだけ母親たちが息巻いても、肝心の息子がダメな王子で名が知られていますわ。あまりにダメだから、国民にも可哀かわいそうな王子様で名が通っているくらいですもの。

 どれだけ王位に就けたくても、国民から反対されます。可哀そうな王子様に無理強いさせるな、とね。」

 シェリアが紅を塗った口角を微かに上げながら、微笑んだ。夫亡き後、二十年ほども一人で領地を治めて来た女である。

「しかし、そんな事、二人の妃も分かっているでしょうに。」

 スクーキ=マリャが不思議そうに口を挟んだ。

「マリャ様も女の心はご存じないのね。」

 シェリアは鷹揚に笑ってみせた。

「馬鹿息子でも自分達が権力を握ればいいのです。国民が反対しても、とにかく座らせればいいと思っている。それに、彼女たちが考えている事はそれだけではないでしょう。」

 いつの間にか、ファナは手袋を外し、両手の平を豪華な木彫りのリッシュ彫刻が入った机の上に、上を向けて置いていた。

「それは私でも分かりますよ。」

 スクーキ=マリャは胸を張った。

「密偵を使った動きをさせる事で、私達に自分達の存在を見せつけているのでしょう。八大貴族に劣らぬ情報網を持っていると。」

「バムス様、どうするおつもりですの?」

 シェリアはどこか楽し気に、ゆったりとした動きで、綾布を張ってある美しい扇を口元に当てた。

「もちろん、許しません。たとえ、前王のご寵愛を受けた方であろうとも、今の陛下に仇為すような事は許されません。これを許せば、大きな混乱が起こります。

 このままでは、母親達の身勝手でオルザン王子は文字通り、可哀そうな王子様になってしまう可能性が出てきてしまうので。」

 バムスはタルナスに向き直った。

「そこで、陛下にご提案があるのです。万一の時には、ボルピス王のご遺言を変更する事もやむを得ないと了承して頂けないかと。」

「それでオルザンは助かるのか。オルザンは、まだ十三歳だ。できるだけ、穏便に済ませて欲しいのだが。

 決定的な罪がない限り、もしくは、セセヌア妃本人が放棄しない限り大事にはしたくない。遺言の変更となると大がかりだ。右議会だけでなく、左議会にもかけなくてはならない。

 そなたなら、事を大きくせずとも、事態の鎮静化を図れるはずだ。」

「それでは、陛下、今回の件は見逃すという事ですか?」

 バムスは慎重に聞き返してきた。

「そうだ。ただし、釘は刺す。余計な夢は持つなと、警告してやれ。

 オルザンは、自分の好きなように生かしてやるのが一番だ。余計な争いに巻き込まれぬようにしてやれ。」

「承知致しました。」

「話は終わりか?」

「はい。」

 タルナスは立ち上がり、出入り口に向かった。バムスを始め他の面々も礼儀上、敬礼して見送る。

 扉が開き、後ろで閉まる寸前に、可哀そうな王子様の絵本を売りますわ、というシェリアの声が聞こえた。ちゃっかり、金儲けの算段をしている。

 バムスは不満だったに違いない。オルザンをだしにして、八大貴族の敵対勢力を残したのだから。

 タルナスが王である限り、セセヌア妃とティースンス妃は、強力な八大貴族の敵となる。決して、両者に手を結ばせたくなかった。

 今回も、なんとか権力の均衡を保つことができた。

 王位に就いて分かった事がある。王というのは、貴族にも王族にも議員にも軍人にも、誰にも権力を持たせすぎないようにする者の事だ。

 戦いは始まったばかりだ。先はまだ長い。

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