第5章 変化していく心
第28話 父の心配ごと
予定より、少し早めに
どうやって休みを勝ち取るかが課題だったが、それが思いのほか、上手くいき、イイスは怪我をしたのもまんざらではなかった。ただ、父のドルガの事がある。
そこで、一緒に連れて行く事にした。カートン家の
しかし、問題は遠すぎる事だ。なぜ、カートン家の本拠地のコニュータを飛ばして、シタレまで行く必要があるのか、勘ぐられてしまう。だから、真実を混ぜた適当な言葉でごまかしておくことにした。
「なんだ、お前、せっかくコニュータに来たのに、たかだか二週間でシタレまで行くのか。何をしに行く?」
たった一人、文句を言いながらも、世話をしてくれる息子のイイスにドルガは尋ねた。頭は非常に良く、大変切れる事をドルガも認めているが、身の回りの事にはいいかげんで、適当な服装をしている。見た目も重要だという事をあまり分かっていない。その上、言う事とやる事が時に違うという、あまのじゃくな性格をしている。
ティールのラペック学校で常に首席を取り、学費の免除を受けて卒業した。あんな所でちゃんと友達ができるのか、心配していた。
「友達と会うためだ。ハオサンセの屋敷で執事補佐をしている友達がいて、時間が出来たなら会いに来いと誘ってくれるから。どうやら、ハオサンセの元で働かないかという誘いもあるようだ。」
その息子から友達の話を聞き、ドルガは
「そうか、それは良かった。」
ドルガは言ったが気分は晴れない。仕事で失敗し、妻には離婚され、子供達もほとんど財産を失った父の元を離れて、母の元に引き取られて行く中、たった一人、イイスは残った。
他の兄弟達が説得した。兄も姉も二人の弟も妹も、イイスを説得しようとした。
『父さんといても貧しい暮らしをするだけよ。頭はいいのに、どうしてそんなに簡単な事も分からないの。』
『そうだ、今回ばかりは悪い事は言わない。一緒に来い。お前に代わりに宿題をさせたりしないから、母さんのところに行こう。』
イイスの姉と兄が説得しようとした。弟達と妹もいないと寂しいと、かなり泣いて
『そうよ。イイス。母さんの家に来なさい。そうすれば、どんなにお金がかかってもお前が行きたい学校に行ける。ラペック学校にだって行けるわ。ね、そうしてちょうだい。』
イイスはドルガの元妻にとって、自慢の子供だったので、手放したくなかったのだ。とうとう、ドルガが説得しにかかった。
『イイス。母さんや兄さんたちの言う事を聞いて、一緒に行きなさい。父さんは情けない事に、仕事を失って、他にもいろいろ失った。お前をきちんと育てる事はできんだろうよ。学校にも行かせてやれないだろう。
だから、悪い事は言わない。お願いだから、母さん達と一緒に行ってくれ。お祖父さん達が何不自由なく、暮らせるようにしてくれるから。』
まだこの時、六歳だったイイスはクマのぬいぐるみを抱きしめたまま、ドルガを見上げた。
『どうして?父さんは何かわるいことをしたの?おじいちゃんたちは本当はわるいことをしていないと、さいしょは言ってたのに、けっきょく、母さんとりこんするようにしたよ。どうして?父さんはわるいことをしていないと、おじさんたちもみんな言ってた。はめられたって。
それなのに、どうして、父さんのざいさんをとったの?
父さんはなにもわるいことはしていないと、みんな口ではいいながら、父さんのやしきもみんなとった。どうして?
父さんには何がのこるの?母さんは父さんのことが好きじゃなかったの?』
ドルガも元妻もこの時、顔の血の気が引き、すぐには言葉も出せなかった。頭が良いだけに
『あのね、イイス、母さんは父さんの事が嫌いになったわけじゃないの。だけど、父さんは仕事を失ったから、残念だけど父さんと離婚して、家に戻るのよ。そうしたら、みんな大変な思いをしなくてすむでしょう。これはあなたのためでもあるのよ。みんなのためにそうするの。』
だが、イイスは言い放った。
『うしなったからこそ、父さんにあたえるべきでしょ。おじいちゃんから母さんがお金をかりればいいじゃない。それなのに、母さんはそうしなかった。おじいちゃんもそうしなかった。おじさんたちもみんなりこんにさんせいした。うしなっているひとから、うばっちゃいけないんだ…!。』
元妻の顔色が変わった。イイスの姉と兄の顔も変わった。まだ、十二と十一だが言ってはいけない事は分かっている。母親の
『イイス、お前は何も分かっていないのよ。大人の事情に口を出すんじゃありません。』
すると、イイスの両目に涙が盛り上がった。
『おとなのじじょうなんかじゃない…!父さんと母さんのせいで、ぼくたちはばらばらにされるんだ…!』
『だから、一緒に来なさいと言っているでしょう。いいわね、決まった事なの。お前も一緒に来るの。』
元妻は勝手に決めた。
『いやだ…!』
イイスは叫んで、ますますクマのぬいぐるみを強く抱きしめた。
『どうしてなの。聞き分けのない子ね。大変な目に合うのよ。今までみたいに暮らせないのよ。本もなかなか読めないの。分かっているの?だから、一緒に来るの。』
イイスは泣きながら首を振った。
『いやだ。…だって、父さんがかわいそう。だれもいなくなっちゃう。父さんがかわいそう。何もわるいことをしていないなら、りこんしないで。』
『それは無理なの。もう決まった事なの。それに、これはあなた達のためなの。みんなのためにそうするのよ。』
イイスは泣きじゃくった。
『母さんはずるいよ。どうするかきいたくせに。母さんはじぶんがくるしいのがいやなんだ。そうなんでしょ…!』
元妻が目を見開いた。全身をぶるぶると
『もう、勝手にしなさい…!』
かろうじて手をあげるのは
『おい、正論を言われたからって怒鳴るな。事実だろう。ほかの子達は言わないだけだ。』
『あなたまで、なんてことを言うのよ。親子そろってのたれ死ねばいいわ!』
金切り声をあげ、出て行った。とはいえ、母親である。自慢の息子を取り返したいのもあって、事あるごとに元妻は金を送り、イイスの様子を見に来たり、人をやったりして、イイスを引き取ろうとした。だが、いずれも失敗した。
その当時は、ドルガも賃金の安い給料にあまんじて、中規模の船主の財務管理の仕事を朝から晩までしていて、考える暇もなかったが、イイスの作戦だったような気がしてならない。
元妻はイイスを気に入っていた。天才だと言いふらしていた。そのイイスが母の元に行けばドルガは新たな職を得るのも難しく、もっと大変な思いもしただろう。なぜなら、ドルガがすぐに新たな職を得る事ができたのは、義父が手を回していたから、と後になって知った。
そして、元妻はイイスの為に金を送り、なんだかんだ言って、二人の元にほかの子供達も連れて様子を見にやってきた。
つまり、イイスがドルガの元に残る事によって、家族が完全に離れ離れになる事もなく、ドルガもすぐに再就職できて、家計も
最初は否定した。まだ、クマのぬいぐるみが必要な六歳の子供だった。だが、どうにもすっきりしなかった。
ほとんど面倒をみれなかったと言っていい。仕事と生活に追われていた。
イイスが何を考えているのか分からない事が多い。何やら、やっているようなのだが、聞くのは怖いので聞かないでいる。
今回もその事に関係しているに違いない。普段はわざと憎まれ口を叩いているが、そうしないとなんと言っていいのか、分からないからだ。
妙に胸がざわざわとして、落ち着かなかった。
「イイス、お前…。」
「なんですか、父上。」
旅の準備はもう終わったのか、本を読んでいる。
「いや。怪我が治ったばかりだ。あまり無理をするんじゃないぞ。」
「どうしたんですか、父上。
「お、お前がいないと、用事をいいつける奴がおらなくなる。」
自分のために残ってくれた息子だ。どうか、無事であってほしい。無理に出世しなくていい。問題に巻き込まれずに、元気であればいい。自分の経験も踏まえて、ドルガは切にそう願う。
ぼさぼさ頭で本を読んでいる息子の横顔を見ながら、ドルガはため息をついた。
「なんですか、さっきから。父上、今日はどうも調子がおかしいですよ。寂しいかもしれませんが、しばらくの辛抱です。カートン家では無料で養生できるんですから、何も心配せずにゆっくり休んでいて下さい。」
「ふん、言われんでも養生するわい。…ただ、お前、もう少し服装をなんとかできんのか。もっとまともな格好をしたら、さっさと結婚できるだろうに。」
イイスは飲みかけていた茶を吹きだした。
「父上、私に結婚して欲しいんですか?」
いかにも心外だと言わんばかりに言うので、ドルガは息子の機嫌が悪くなるのが分かっていたが、こちらも気分を害したので、さらに言い返した。
「そうだ。私にも孫が欲しい。この年になって孫がおらんのは私くらいのものだ。周りのみんなから孫の自慢をされて、私だけ仲間外れだ。」
「……。」
あまりに寂しそうにドルガが言うので、さすがのイイスも言い返す言葉が見つからなかった。ほかの兄弟達の事は持ち出せない。ほとんど縁を切っている状態だから。
ドルガは息子の言葉が詰まったのを見て、いい機会だとさらに畳み掛けた。
「そうだ、せっかく友達の所に行くんだから、お見合いをしてもらえ。誰かいい人を紹介してもらえばいいじゃないか。ああ、いい事を思いついたぞ。」
ドルガはイイスを見てにたりとした。その不気味な笑顔にイイスは
「父上、何を考えています?」
「お前に言われたくないわい。内緒だ、内緒。まあ、せいぜい、旅を楽しんで来い。こっちはこっちで楽しんでおるわ。」
こうして、イイスは不気味な笑顔のドルガに見送られて、シタレに向かって出立した。
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