第29話 思わぬ再会
シタレに行くことは、マルスにも伝えてある。シタレで合流する事になっていた。
まだ、
「なんて格好だ。ひどいな。本当にあちこち上手い事怪我をしたな。お前にしかできない芸当だ。」
そこまで言われるとさすがに少々、腹も立つ。
「そこまで、笑わなくてもいいだろう。こっちだって、怪我したくてした
イイスが言うと、マルスは突然、
「まさか、お前、計画的に怪我をしたのか?」
「はあ?さすがに私もそんな事はしないぞ。そこまで命知らずじゃない。」
「ああ、確かに。」
そんな会話をした事を、イイスは馬車に揺られながら思い出した。
この馬車は大変、乗り心地が良かった。お尻が
しかし、長距離ともなると毎回、そういう訳にもいかない。半年間、全国どこへでも行ける一スクル五十セルの手形を買って、馬車を予約して行った方がいい。宿は勝手にカートン家運営の旅館に連れて行ってくれる。もちろん、そこには医者がいて、勝手に診察をしてくれる。大変、便利な仕組みになっていた。
もちろん、イイスも今回、これを利用している。ただし、元気になったら利用できない。そのために医者の診療が必ずあるのだ。帰りは元気になっている可能性があるが、まあマルスにでも送って
イイスののんきな旅は意外に早く終結した。予定より早めにシタレに着いてしまった。
(仕方ない。観光でもしておくか…。)
イイスは馬を借りると、シタレの街並みを観察する事にした。もちろん、ただ眺めている訳ではない。観光案内の地図を片手にゆっくり馬を歩かせながら、街の防衛や上下水道の整備の具合、道路の広さ、建物の高さ及び
まずはランウルグが通っている、リムカーナ学校に行ってみた。立派な石垣に囲まれ、小高くした土地に学校が建っている。学校の敷地内からは古木が伸びて、森のようになっているのが分かった。
シタレは巨大な港町だ。古くから栄えてきて、大河のサリカタ河を通じて古都ティールや首府のサプリュに物資を送る、流通の拠点であり、外国との窓口の一つだ。巨大な三角州の中にあるこの街は、とりわけ水害に弱い。
だから、建物は必ず盛り土をし、その上に建てる。この土壌のため、地震にも弱く、地盤沈下もしやすい。沈下してきた所は必ず、松の杭をぎっしりと並べて打ち、土を盛る。沈んできた所に建物が建っていたら、取り壊して地面をならし、それから立てるほど、徹底している。
今も見ただけで、ざっと五軒の家が取り壊されていた。そのうちの一軒は
隣のシュリツはパーセ川の河口にあるが、サリカタ河とつながっている訳ではない。ヒュープはもっと不便になる。これから発展してきてシタレの強敵になるのは、東のレイトだろうが、シタレの真反対に位置するし、港に入る船の国籍がまるで変わる。だとすれば、結局、シタレの重要性は変わらなかった。
「おい、何をしている、道に迷ったのか?」
突然、声をかけられてイイスは地図から顔をあげた。見ると、五人組の衛兵が騎馬で見回りをしていて、目の前に立っていた。
「ああ、すみません、シタレは初めてなものですから。広くてどこをどう行けばいいのか、考えていました。」
実際にどういう風にシタレを見るか、頭の中で考えていた。
「ぼんやりしていると、泥棒に狙われる。スリもいる。気を付けた方がいい。道に迷ったのなら、案内しよう。」
一番前にいる隊長らしい男が、気さくに笑って言った。
「それはどこも同じでしょう。それにどうせ、大したものも持っていませんよ。それに迷ったわけではないので、大丈夫です。」
「旅に必要なものまで取られるぞ。一文無しになったら困るだろうに。」
「まあ、確かに気を付けるに越したことはないでしょうが、一文無しになっても仕事を見つける自信はありますよ。」
妙な事を言い出したイイスに、衛兵たちは苦笑いした。
「とにかく、気を付けて。」
「はい、どうも。」
イイスは衛兵たちと別れて、地図を見ながら、馬を歩かせた。その後ろ姿を衛兵の隊長は眺めた。一瞬、妙な視線の鋭さというか、ただ、地図を見ているだけではないものを感じたのだ。だが、監視するほどでもないだろう。衛兵はそのまま行く事にしたのだった。
マルスと会うのにまだ四日もあった。それなのに、イイスは宿を出なくてはならなくなった。一週間も馬に乗ってうろうろしていたら、カートン家の医者にどこかで見られていたらしい。さすがのイイスも、カートン家の医者に対してそこまでずうずうしく、嘘を言うのもできなかったので、素直に出る事にした。
問題はどこへ行くかである。この間、衛兵には一文無しになっても平気だと豪語していたが、できればその手はマルスとの用事が終わってからにしたかった。
今、手持ちの金は十五セルあるかないかくらいである。たったこれしきの金で旅をしようとする方が、馬鹿としかいいようがないが、イイスはあまり金を使いたくなかった。だからと言って、物乞いの真似をする訳にもいかない。
道の真ん中で杖を突きながら、どうするか考え込んでいると、肩をぽんぽんと叩かれた。
振り返ると藍色の外套を着た、品の良い青年剣士が立っていた。
「!お前…。」
一瞬、分からなかったがブルエだった。
「お久しぶりです。道のど真ん中で何を考えていらっしゃるんですか?杖もついているのに、危ないですよ。」
ブルエはにこやかに言って、イイスの腕を取り、介助しているかのようにイイスを連れて道の端に寄った。
以前は触れば切れそうなほど、鋭い空気を
「ところで、どこか行く予定はありますか?」
「ああ、いや…。」
さすがにイイスもどうするか考えあぐねた。この展開は考えていなかった。にこやかにブルエは言っているが、腕はがっちり
「もし、よろしければ、私がお送りいたしましょう。足も怪我をされているようですし。」
「それはありがたいが、しかし、迷惑にならないか?」
イイスはためしに言ってみた。どうせ、よろしくなくたって、連れて行かれるに決まっているが。
「何も、問題はありません。若様がぜひ乗って頂きたいと。」
「はあ…。だが。」
もう、馬車の目の前だった。ブルエが扉を開けた。中にその若様が乗っていた。十年ぶりくらいに見るその姿に、一瞬、
有無を言わさず、その若様、ランウルグの隣に座らされた。扉が閉まり、馬車が走り出す。
ようやく、隣のランウルグがイイスの方を向いた。
「お久しぶりです。イイス・サヌア殿。シタレには何の御用でいらっしゃったんですか。積もる話もたくさんおありでしょうから、ゆっくり滞在なさるといいですよ。」
かなりの美少年である。声変わりも終わっている。その仕草や話し方は驚くほど、父のセルゲス公に似ていた。
「それは、ありがたい。」
イイスはにっこりしてみせた。すでに調子を取り戻している。この成り行きも案外いいかもしれなかった。
「それにしても、若様も随分、成長なされました。初めてお会いした時は、あのブルエにおんぶされていましたね。噂では今でも妓楼や酒場でおんぶをせがむとか。」
ランウルグは笑った。
「いやあ、
いきなり単刀直入に言って来た。つまり、見張りをつけて監視をしているくせに、ここに何の用で来たのかと言っているのだ。
「ははは。私なんかがお父上のセルゲス公に代われるはずもないでしょう。さて、お父上のセルゲス公はお元気ですか。いささか心配しております。」
「父の事を覚えて気にかけて下さっていたとは驚きです。あの時以来、父の事は忘れられたのだと思っていました。」
「まさか、忘れるはずもないでしょう。ところで、ラペック学校はどうでしたか?良い学校だったでしょう。」
「はい。いろんな事を学びました。実践的な事を学べる良い学校です。」
「そうでしたか。それでは、退学しなくてはならなくて残念だったでしょう。」
「そうですね。でも、そう残念でもありません。必要な事はもう十分に学んでいましたから。」
「そうですか。しかし、レルスリ家の手の内はあれだけではありませんよ。」
ランウルグはにっこりした。
「おそらく、そうでしょう。ですから、彼らに学んだことを実践する事にしました。」
「なるほど。それはいい事です。何事も学びと実践ですから。学んだら実践しないと意味がありません。」
ランウルグとイイスはしばらく、お互いを鋭い目で
イイスはにっこりした。
「そういえば、レルスリ家が最近、陛下に奥の宮殿を開けるように要求しだした事を御存じですか。」
「新聞にも
「本当は結構、前から言っていたらしいですね。面倒くさい規則がありますから、陛下ものらりくらりと、時間稼ぎをして来られましたが、あまりにしつこいので、陛下もとうとう、折れてそうするとかしないとか。そんな
「そうなんですか。」
最近、フェルスからの連絡がない。だから、タルナス王が八大貴族に折れたという話は聞いていなかった。
「そうなんです。あくまで噂なんですが。そうするようです。その上、自分の娘を嫁ぐパミーナ姫のために侍女として、差し出す予定なのだとか。まあ、パミーナ姫の方も剣術ができる貴族の男を探しており、嫁ぎ先が決まっていませんから、もう少し先の話ではありますが。」
「面白い噂ですね。娘を結婚させないとは。」
「ええ、何しろ、その娘はラペック学校に通っていたとか。だから、侍女にはぴったりだと。」
「なるほど。」
「ところで、先ほどから、同じところを走っているようですが。」
ランウルグはにっこりした。
「最近、妙な視線の数が増えて来ましてね。」
「ははは。それは若様が美少年だからでしょう。」
「はたしてそうでしょうか。何しろ、強面する男性の視線の方が多い感じがしまして。女性ならまだ分かるんですが。」
「女性でも油断はできませんよ。ほら、昔話にあるでしょう。ホリアナ姫の話を。その美しさで隣の王国の王と王子をたぶらかし、寝首をかいて殺したとか。美しさでたぶらかさなくても、リイカ姫やパミーナ姫のような
「それは分かります。ところで、ビルエ将軍はいらっしゃらないんですか?」
さすがのイイスも少々、どっきりした。しかし、嘘をついてもこの状況ではどうにもならないだろう。
「後、四日後に来ます。」
「そうですか。そうしたら、しばらく私の屋敷においで下さい。あなたとの話は面白いし、ためになる。ゆっくり話を伺いたい。」
「こちらこそ、ありがたいです。宿代が浮きますから。」
「そうですか。それは良かった。」
ランウルグは言いながら、御者席の後ろをコンコンと叩いた。ブルエへの合図だ。馬車はもちろん、さっきの道からはずれて屋敷の方に向かっている。
イイスはランウルグを見ながら、これは八大貴族も狙っているだろうと思った。タルナス王と入れ替えてもいい。レルスリ家はそう考え始めたのかもしれない。まずは目に見えている駒を大事に確保しておかなくては。
(いよいよ、次の手を打つ時が来たな。)
イイスはマルスと会った後、どうするか、考え始めた。
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