第29話 思わぬ再会

 シタレに行くことは、マルスにも伝えてある。シタレで合流する事になっていた。

 まだ、怪我けがが治る前、カートン家の診療所に見舞いに来たマルスは、イイスの姿を見るなり、爆笑した。

「なんて格好だ。ひどいな。本当にあちこち上手い事怪我をしたな。お前にしかできない芸当だ。」

 そこまで言われるとさすがに少々、腹も立つ。

「そこまで、笑わなくてもいいだろう。こっちだって、怪我したくてしたわけじゃない。それに、あのじいさんから半年も正式に休みを勝ち取った。この怪我もまんざらでもないさ。」

 イイスが言うと、マルスは突然、神妙しんみょうな顔になった。

「まさか、お前、計画的に怪我をしたのか?」

「はあ?さすがに私もそんな事はしないぞ。そこまで命知らずじゃない。」

「ああ、確かに。」

 そんな会話をした事を、イイスは馬車に揺られながら思い出した。

 この馬車は大変、乗り心地が良かった。お尻が麻痺まひしそうになるほど跳ねる馬車とは大違いだ。カートン家が運営している乗合馬車だ。カートン家で治療を受けている者なら、無料で乗れる。ただし、手形を発行してもらい、それを見せなくてはならないし、裏に医者の署名欄があって、必ず医者の診察を受けて、署名をもらわなければならなかった。

 しかし、長距離ともなると毎回、そういう訳にもいかない。半年間、全国どこへでも行ける一スクル五十セルの手形を買って、馬車を予約して行った方がいい。宿は勝手にカートン家運営の旅館に連れて行ってくれる。もちろん、そこには医者がいて、勝手に診察をしてくれる。大変、便利な仕組みになっていた。

 もちろん、イイスも今回、これを利用している。ただし、元気になったら利用できない。そのために医者の診療が必ずあるのだ。帰りは元気になっている可能性があるが、まあマルスにでも送ってもらおうと、算段した。

 イイスののんきな旅は意外に早く終結した。予定より早めにシタレに着いてしまった。

(仕方ない。観光でもしておくか…。)

 イイスは馬を借りると、シタレの街並みを観察する事にした。もちろん、ただ眺めている訳ではない。観光案内の地図を片手にゆっくり馬を歩かせながら、街の防衛や上下水道の整備の具合、道路の広さ、建物の高さ及び間隔かんかく、そういう所を観察して歩いている。

 まずはランウルグが通っている、リムカーナ学校に行ってみた。立派な石垣に囲まれ、小高くした土地に学校が建っている。学校の敷地内からは古木が伸びて、森のようになっているのが分かった。

 シタレは巨大な港町だ。古くから栄えてきて、大河のサリカタ河を通じて古都ティールや首府のサプリュに物資を送る、流通の拠点であり、外国との窓口の一つだ。巨大な三角州の中にあるこの街は、とりわけ水害に弱い。

 だから、建物は必ず盛り土をし、その上に建てる。この土壌のため、地震にも弱く、地盤沈下もしやすい。沈下してきた所は必ず、松の杭をぎっしりと並べて打ち、土を盛る。沈んできた所に建物が建っていたら、取り壊して地面をならし、それから立てるほど、徹底している。

 今も見ただけで、ざっと五軒の家が取り壊されていた。そのうちの一軒は豪邸ごうていだ。有力商人の家だろうが、支出はどうなるんだろうとつい、頭の中で計算してしまう。時々、大改修を行わなければならないとなると、他の港町に商人たちが引っ越してしまわないかと考えるが、そうもいかないから、シタレはいまだに発展している。

 隣のシュリツはパーセ川の河口にあるが、サリカタ河とつながっている訳ではない。ヒュープはもっと不便になる。これから発展してきてシタレの強敵になるのは、東のレイトだろうが、シタレの真反対に位置するし、港に入る船の国籍がまるで変わる。だとすれば、結局、シタレの重要性は変わらなかった。

「おい、何をしている、道に迷ったのか?」

 突然、声をかけられてイイスは地図から顔をあげた。見ると、五人組の衛兵が騎馬で見回りをしていて、目の前に立っていた。

「ああ、すみません、シタレは初めてなものですから。広くてどこをどう行けばいいのか、考えていました。」

 実際にどういう風にシタレを見るか、頭の中で考えていた。

「ぼんやりしていると、泥棒に狙われる。スリもいる。気を付けた方がいい。道に迷ったのなら、案内しよう。」

 一番前にいる隊長らしい男が、気さくに笑って言った。

「それはどこも同じでしょう。それにどうせ、大したものも持っていませんよ。それに迷ったわけではないので、大丈夫です。」

「旅に必要なものまで取られるぞ。一文無しになったら困るだろうに。」

「まあ、確かに気を付けるに越したことはないでしょうが、一文無しになっても仕事を見つける自信はありますよ。」

 妙な事を言い出したイイスに、衛兵たちは苦笑いした。

「とにかく、気を付けて。」

「はい、どうも。」

 イイスは衛兵たちと別れて、地図を見ながら、馬を歩かせた。その後ろ姿を衛兵の隊長は眺めた。一瞬、妙な視線の鋭さというか、ただ、地図を見ているだけではないものを感じたのだ。だが、監視するほどでもないだろう。衛兵はそのまま行く事にしたのだった。

 マルスと会うのにまだ四日もあった。それなのに、イイスは宿を出なくてはならなくなった。一週間も馬に乗ってうろうろしていたら、カートン家の医者にどこかで見られていたらしい。さすがのイイスも、カートン家の医者に対してそこまでずうずうしく、嘘を言うのもできなかったので、素直に出る事にした。

 問題はどこへ行くかである。この間、衛兵には一文無しになっても平気だと豪語していたが、できればその手はマルスとの用事が終わってからにしたかった。

 今、手持ちの金は十五セルあるかないかくらいである。たったこれしきの金で旅をしようとする方が、馬鹿としかいいようがないが、イイスはあまり金を使いたくなかった。だからと言って、物乞いの真似をする訳にもいかない。

 道の真ん中で杖を突きながら、どうするか考え込んでいると、肩をぽんぽんと叩かれた。

 振り返ると藍色の外套を着た、品の良い青年剣士が立っていた。

「!お前…。」

 一瞬、分からなかったがブルエだった。

「お久しぶりです。道のど真ん中で何を考えていらっしゃるんですか?杖もついているのに、危ないですよ。」

 ブルエはにこやかに言って、イイスの腕を取り、介助しているかのようにイイスを連れて道の端に寄った。

 以前は触れば切れそうなほど、鋭い空気をまとっていたが、街ではこんなにも穏やかそうにできるのかとイイスは驚いた。だが、ニピ族である。これができなければ仕事ができないので、当たり前と言えば当たり前だった。

「ところで、どこか行く予定はありますか?」

「ああ、いや…。」

 さすがにイイスもどうするか考えあぐねた。この展開は考えていなかった。にこやかにブルエは言っているが、腕はがっちりつかまれていて後で青あざができそうだ。

「もし、よろしければ、私がお送りいたしましょう。足も怪我をされているようですし。」

「それはありがたいが、しかし、迷惑にならないか?」

 イイスはためしに言ってみた。どうせ、よろしくなくたって、連れて行かれるに決まっているが。

「何も、問題はありません。若様がぜひ乗って頂きたいと。」

「はあ…。だが。」

 もう、馬車の目の前だった。ブルエが扉を開けた。中にその若様が乗っていた。十年ぶりくらいに見るその姿に、一瞬、おどろいている隙に後ろからブルエに押し込まれ、もう一人、中から出てきた腕に引っ張りこまれた。

 有無を言わさず、その若様、ランウルグの隣に座らされた。扉が閉まり、馬車が走り出す。

 ようやく、隣のランウルグがイイスの方を向いた。

「お久しぶりです。イイス・サヌア殿。シタレには何の御用でいらっしゃったんですか。積もる話もたくさんおありでしょうから、ゆっくり滞在なさるといいですよ。」

 かなりの美少年である。声変わりも終わっている。その仕草や話し方は驚くほど、父のセルゲス公に似ていた。

「それは、ありがたい。」

 イイスはにっこりしてみせた。すでに調子を取り戻している。この成り行きも案外いいかもしれなかった。

「それにしても、若様も随分、成長なされました。初めてお会いした時は、あのブルエにおんぶされていましたね。噂では今でも妓楼や酒場でおんぶをせがむとか。」

 ランウルグは笑った。

「いやあ、随分ずいぶん遠くまでその噂は流れていくものですね。恥ずかしい限りです。まるで、父にでも見られているかのようです。」

 いきなり単刀直入に言って来た。つまり、見張りをつけて監視をしているくせに、ここに何の用で来たのかと言っているのだ。

「ははは。私なんかがお父上のセルゲス公に代われるはずもないでしょう。さて、お父上のセルゲス公はお元気ですか。いささか心配しております。」

「父の事を覚えて気にかけて下さっていたとは驚きです。あの時以来、父の事は忘れられたのだと思っていました。」

「まさか、忘れるはずもないでしょう。ところで、ラペック学校はどうでしたか?良い学校だったでしょう。」

「はい。いろんな事を学びました。実践的な事を学べる良い学校です。」

「そうでしたか。それでは、退学しなくてはならなくて残念だったでしょう。」

「そうですね。でも、そう残念でもありません。必要な事はもう十分に学んでいましたから。」

「そうですか。しかし、レルスリ家の手の内はあれだけではありませんよ。」

 ランウルグはにっこりした。

「おそらく、そうでしょう。ですから、彼らに学んだことを実践する事にしました。」

「なるほど。それはいい事です。何事も学びと実践ですから。学んだら実践しないと意味がありません。」

 ランウルグとイイスはしばらく、お互いを鋭い目で観察かんさつした。ランウルグの目は力と輝きがあった。決して泥酔して、迷っている目ではない。これなら、合格だ。

 イイスはにっこりした。

「そういえば、レルスリ家が最近、陛下に奥の宮殿を開けるように要求しだした事を御存じですか。」

「新聞にもっていましたね。」

「本当は結構、前から言っていたらしいですね。面倒くさい規則がありますから、陛下ものらりくらりと、時間稼ぎをして来られましたが、あまりにしつこいので、陛下もとうとう、折れてそうするとかしないとか。そんなうわさが流れていましてね。」

「そうなんですか。」

 最近、フェルスからの連絡がない。だから、タルナス王が八大貴族に折れたという話は聞いていなかった。

「そうなんです。あくまで噂なんですが。そうするようです。その上、自分の娘を嫁ぐパミーナ姫のために侍女として、差し出す予定なのだとか。まあ、パミーナ姫の方も剣術ができる貴族の男を探しており、嫁ぎ先が決まっていませんから、もう少し先の話ではありますが。」

「面白い噂ですね。娘を結婚させないとは。」

「ええ、何しろ、その娘はラペック学校に通っていたとか。だから、侍女にはぴったりだと。」

「なるほど。」

「ところで、先ほどから、同じところを走っているようですが。」

 ランウルグはにっこりした。

「最近、妙な視線の数が増えて来ましてね。」

「ははは。それは若様が美少年だからでしょう。」

「はたしてそうでしょうか。何しろ、強面する男性の視線の方が多い感じがしまして。女性ならまだ分かるんですが。」

「女性でも油断はできませんよ。ほら、昔話にあるでしょう。ホリアナ姫の話を。その美しさで隣の王国の王と王子をたぶらかし、寝首をかいて殺したとか。美しさでたぶらかさなくても、リイカ姫やパミーナ姫のような女傑じょけつも実際にいますし。」

「それは分かります。ところで、ビルエ将軍はいらっしゃらないんですか?」

 さすがのイイスも少々、どっきりした。しかし、嘘をついてもこの状況ではどうにもならないだろう。

「後、四日後に来ます。」

「そうですか。そうしたら、しばらく私の屋敷においで下さい。あなたとの話は面白いし、ためになる。ゆっくり話を伺いたい。」

「こちらこそ、ありがたいです。宿代が浮きますから。」

「そうですか。それは良かった。」

 ランウルグは言いながら、御者席の後ろをコンコンと叩いた。ブルエへの合図だ。馬車はもちろん、さっきの道からはずれて屋敷の方に向かっている。

 イイスはランウルグを見ながら、これは八大貴族も狙っているだろうと思った。タルナス王と入れ替えてもいい。レルスリ家はそう考え始めたのかもしれない。まずは目に見えている駒を大事に確保しておかなくては。

(いよいよ、次の手を打つ時が来たな。)

 イイスはマルスと会った後、どうするか、考え始めた。


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