第10話 武装集団

「おーい、ラッダン、どこだあ?」

 ドルセスの呼びかけにランウルグはかがめていた体を起こして、手をった。

「ここだよー。」

 そこはドルセスの父ヤイグの田んぼだ。ドルセスはお使いに行って留守だったので、ランウルグはヤイグを手伝って田んぼの草刈りをしていた。

 当然、護衛のブルエも一緒に手伝わされている。最初はブルエがランウルグに鎌の使い方を教えていたが、今ではすっかり器用に使えるようになっていた。

 稲は今、どんどん伸びている。広い田畑を手入れするのは大変だが、ランウルグは野良仕事が結構好きだ。田んぼには当然、虫やカエル、小魚や蛇などもいる。小亀も住んでいる。虫やカエルを食べようと、鳥や山猫なんかもやってくる。今は夜になると蛍も飛んでいる。

 いろんな生き物が住んでいて、面白い。もちろん、面白いだけではない。毒虫にまれて手足が腫れたり、毒蛇にまれそうになったこともある。ブルエがなたで蛇を一刀両断にして、ヤイグ一家を驚かせていた。

「ぼっちゃん、ほれ、ドルセスが戻ってきました。一緒に遊んで来てください。」

 ヤイグが気をつかって言った。

「分かりました。ありがとうございました。」

「いやいや、こちらこそ。」

 ヤイグは恐縮きょうしゅくしている。

「鎌をここに置いていきます。」

 ブルエはランウルグと使った鎌を軽く、自分の服でぬぐい、畦道あぜみちの石の上に置いた。ブルエの故郷も田舎で、野良仕事には慣れているので気にもしていない。

 しかし、ヤイグにとってはとても不思議な事だった。

 以前にあの屋敷にいた住人達は、とても偉そうだったし、護衛の剣士たちも野良仕事を馬鹿にしている様子だった。

 しかし、今の住人達は違うようだ。以前の住人達は、屋敷内にある菜園の世話も当然のように自分達村人にさせていたし、村人を自分たちの使用人のように扱っていたが、それがない。自分たちで菜園の世話もするし、なんでもする。

 どうやら、主の息子らしいラッダン、もしくはランウルグという坊ちゃんまで、野良仕事を喜んでやっている。その護衛剣士のブルエも当然のようにそれを手伝う。

 護衛剣士が四六時中ひっついているという事は、この坊ちゃんと屋敷の主はそれなりの身分と言えると思うのだが、それにしては生活はつつましやかな様子だ。

 ヤイグは他の村人たちに、どういう人間か調べろとやかましく言われるのだが、どうにも分からない。

 そう、最近では林にたきぎを取りに行くついでに、栽培しているきのこの様子を見に行ったら、坊ちゃんと護衛剣士が林の中を走っていた。坊ちゃんは護衛剣士に尻を叩かれていた。

「そんな事で根をあげてどうするんです?もっと速く、もっと遠くに走る。あっという間に捕まってしまいますよ。」

 かと思えば、この屋敷の果樹園の世話の指導に行ったら、裏庭で木刀を振らされていた。

「ふらふらしています。もっと、まっすぐに振り下ろす!」

 護衛剣士は坊ちゃんにかなりきびしい様子だ。それなのに、他の使用人達も何も言わない。どうやら、それがいいと思っているらしい。

 訳が分からないヤイグは、だんだんこの住人達に興味を持ってきて、様子をうかがう事が増えた。時々、使用人達も剣術の練習をしている。夜に護衛剣士が指導していて、女達も一緒に練習しているようだった。

 この事は村人に不安を与えた。しかし、坊ちゃんの様子を見る限り、決して悪そうではない。素直でいい子そうで、かなりの働き者と言えそうだ。

 何しろ、この坊ちゃんがドルセスと遊ぶようになって、ドルセスが手伝う量が増えたのだから。オーシャも真似してやりたがり、少なくともヤイグにとっては良い効果をもたらしている。

 しかも、遊びながら、坊ちゃんは子供達に読み書きを教えてくれる。一応、手習いはこの村にもあるのだが、行かない事の方が多い。読み書きくらいはできた方がいいと思っていたから、ありがたい話だ。

 最近では他の村の子供達にも時々、教えているようだ。中には自分の子供と遊ばせないという親もいるが、坊ちゃんはよくしつけされている。

 たぶん、理由があって落ちぶれた良家の子息が住んでいるのだろう。

 ヤイグは、ドルセスと護衛剣士を引き連れて走っている坊ちゃんを眺めた。なんか言いながら、途中で止まって花をんでいる。オーシャにやるのだろう。坊ちゃんはオーシャのお気に入りだ。容姿が整っている上に、サリカン族で少年でも髪を長く伸ばしている。光にけるような朱色の赤い髪に夢中で、生きている人形のように思っているようだ。

 坊ちゃんが優しくて、オーシャに何をされても文句を言わないからいいのだが。

 ヤイグはやれやれと空を眺めた。腰を叩きながら濃い青空に白い雲があるのを眺めた。今日の天気は晴れ時々曇りだ。風が吹いている。白いもくもくした雲の下が怪しく灰色であるのが見えてきた。雨が降るだろう。

 家で食べる野菜は収穫したからいい。たぶん、明日までは降り続けないだろうから、明日、収穫した野菜を街に売りにいけるはずだ。近くの街に行商人がやって来る日で、貴重な収入を得られる機会だ。

 今日は早めに仕事を切り上げよう。明日は早朝から起きて、新鮮な野菜を収穫しなくては。

 そうだ、坊ちゃんに夕食を御馳走ごちそうしよう。大した物は出せないが、家族でる食事を坊ちゃんはとても喜んでくれる。ここの所、毎日、草刈りを手伝ってくれている、何かお礼をしなくては。たぶん、妻も同じ考えのはずで準備をしているだろう。

 ヤイグは急いで刈った草を一か所に集めて山にすると、農具を集めて家に向かった。

 めずらしく、馬車が通っている。どうやら、坊ちゃんの父、屋敷の主が戻って来たらしい。何の仕事をしているのか、ほとんど戻って来ない。こうして、突然やって来ては、突然、帰って行く。

 ヤイグも不安がない訳ではない。金持ちや貴族の争いに巻き込まれたりしたくない。それでも、坊ちゃんは素直で可愛いし、愛想はないが仕事は真面目で草刈りも手早い、坊ちゃんにブルエと呼ばれている護衛剣士の事も嫌いではなかった。むしろ、自分に近いものさえ感じるほどだ。

 ヤイグは近道をしようと、笹薮ささやぶの間の獣道に入った。坊ちゃんに父さんが帰って来たと早く伝えてやろうと思ったのだ。

 その時、珍しく馬の駆け足が聞こえてきた。この辺ではめったに乗馬をする人はいない。以前はあの屋敷の住人がしていたが、坊ちゃんはほとんど乗馬をしないし、護衛剣士もしない。したとしても、まだ、小さいから屋敷周辺しか乗らない。

 ヤイグは首をかしげた。構わず歩き出そうとしたが、何か不安を覚えてじっと息をひそめた。馬は一頭ではなかった。山と山の曲がりくねった道の間に馬が止まった。だんだん、数が増えてくる。ヤイグはそっとしゃがみこみ、なんとか、笹の間から馬の頭数を数えようとした。

 全部で十頭ほど、その全てに人が、それも武装した兵士らしき者が乗っている。ガシャガシャと何か金属が触れ合う音が聞こえるからだ。馬の息が笹の向こうがわでしている。笹薮が深くなければ気が付かれてしまう距離だ。

「いいか。」

 ヤイグはびっくりして一層、息を潜めた。危うく声を出す所だった。

「グイニス・セルゲス公をお連れする。できれば子供を人質にとる。もし、それが叶わなければ子供を殺せ。護衛剣士はもちろん、女中も剣を扱う。一切、証拠を残すな。一人たりとも生かしてはならん。特に子供のランウルグの護衛剣士、ブルエはニピ族だ。本物のニピの舞を舞う。決して油断するな。」

 彼らはまた、移動を始めた。

 恐ろしい殺人計画にヤイグは震えながら、そっと後ろに下がった。がさがさ音を立てたら見つかってしまう。きっと、殺されてしまうだろう。ヤイグは呼吸を整えた。その時、強い風が吹き始めた。急速に空が曇り始める。

 ヤイグは走った。笹薮の中の獣道を必死に走った。

 風がまないうちに。笹薮の葉音が止まらないうちに。

 ヤイグは笹薮の中から飛び出した。我が家の裏の畑の側だ。本当は途中から、笹薮と道は平行にならず、離れているので、馬の集団に気づかれる心配はなかった。それでも、のんびり歩く気持ちになんて、なれなかった。

 少し、遠くでゴロゴロと雷が鳴っている。ヤイグは農具を持ったまま、夏野菜が茂っている畑のあぜを小走りで進んだ。急いで、家の中に走りこみ、玄関の扉をぴしゃっと閉めた。

 息も整えないまま、土間に農具と背負子しょいこを放り投げるように下ろすと、家の中を眺めまわした。妻のカリーサが驚いた顔でヤイグを見つめている。

「雨が降ってきたの?」

 カリーサの質問に答えず、薄暗くなった家の中をヤイグは見つめた。ブルエを探していたのだ。

 だが、ブルエの姿はなかった。家の中は至って平和で、ドルセスとオーシャが坊ちゃんと一緒に遊んでいる。

 窓際で、オーシャが坊ちゃんの髪の毛を三つ編みにし、坊ちゃんはドルセスに板切れに炭で字を書いて教えていた。三つ編みに飽きたオーシャが、今度は人形遊びをしようと言いだし、ドルセスがだめだと言い、泣き出しかけたオーシャに坊ちゃんが笛を吹いてあげると言って、本当に小さな横笛を取り出した。

 ヤイグは慌てて、子供達に近寄り、坊ちゃんの手から笛を取り上げた。子供達が驚いてヤイグを見上げる。

「父さん、どうして、そんなこと!」

 ドルセスが抗議したが、当のランウルグは注意深くヤイグを見つめた。

「どうしたんですか?」

 最後まで言い終わらないうちに、ヤイグがランウルグに尋ねた。

「あの、剣士の…ブルエさんはどこですか?」

 ヤイグのただならぬ様子に、ランウルグはすぐに答えた。

「ブルエなら父上がかえってこられる日なので、ようすをしらべに外に出て行きました。とちゅうで会いませんでしたか?」

「外に?」

 すぐに出て行こうとするヤイグの手をつかみ、ランウルグは引き留めた。

「まってください、何かあったのですか?」

 ヤイグは言葉をにごした。

「いや、ちょっと、伝えておこうと思ったことがあっただけだね。」

 明らかに重大な何かを隠しているとランウルグは気づいたが、それ以上は言わずに注意をうながした。

「分かりました。出て行く前にちょっと、まって下さい。」

 ランウルグは扉を少しだけ開けて外の様子を伺い、何もない事を確かめた。

「だいじょうぶそうです。気をつけて下さい。じきにブルエはもどってくると思います。」

 ヤイグは落ち着き払ったランウルグに少し驚いたが、子供に聞いてしまった事を話すつもりはなかった。

 どうしようと考えながら、生垣の隙間すきまから小道を見つめ、出て行こうかしかし、馬の集団がいたらな、と迷っていると、後ろから声を掛けられ、飛び上がるほどおどろいた。

「!」

 探していたブルエだった。胸の心臓のあたりをさすりながら、慌てて小声で言った。

「あんた、探していたんだ…!大変だ、大変なことが…!」

 ヤイグは笹薮の中で見聞きした事を急いでブルエに伝えた。

「分かりました。教えて下さってありがとうございます。実は私も馬の頭数を数えてきましたが、正体がはっきりしなかったので、助かりました。実は、ヤイグさんにお願いがあります。」

 やはり、ブルエも馬の武装集団に気づいたのだと思うと、ほっとしたが、お願いがあると言われ、身構えた。

「は、はい、なんですか?」

 ブルエはじっとヤイグを見つめ、子供に言い聞かせるようにゆっくりと言った。

「ヤイグさん、今しがた見聞きした事を全て忘れて下さい。」

「え?」

 思いがけない事を言われ、ヤイグはブルエを見返した。

「いいですか。お願いします。さっき聞いた事だけでなく、私達の事も一切、忘れて下さい。何を聞かれても知らないと答えて下さい。

 そして、我が主の屋敷に何が起ころうとも、決して助けに来ないで下さい。私達は全員、国王軍に入隊できるほどの武術を身に着けています。絶対に様子を見に来ないで下さい。それが、私達のためになります。

 それから、農作業用のための山小屋があるでしょう。できれば、今から家族を連れてそこに避難してください。雨が降り出す前に、早く。」

 ヤイグはごくりとつばを飲み込んだ。

「わ、分かったが、あんたたちはどうするんだ?」

「私達には、納屋をお貸しください。」

「なや?あんな、納屋なんかでいいのか?」

「いいのです。私は若様をお守りするのが任務です。私が若様をお守りしますから、若様の事は心配する必要はありません。それより、一刻も早く、山小屋に行って下さい。」

 ヤイグは頷き、とりあえず二人は家の中に入った。家の中は真っ暗で、小さな明りが一つともっているだけだった。ランウルグが家の窓と雨戸を閉めさせたからだ。湿気がこもし暑い。

「あの、一体…なんですか?」

 カリーサが不安そうにつぶやいた。ヤイグは妻の不安そうな様子を見て、本当の事は言うまいと決めた。

「今から、大雨がくる。大嵐だ。だから、山小屋に行くぞ。あっちの方が川からはなれているからな。荷物をすぐにまとめていくぞ。」

「食事は?せっかくたくさん作っているのに。」

 急いでいるのに、カリーサは立ち尽くしたままだ。

「いいから。早く。」

 ヤイグにせっつかれ、仕方なくカリーサは暗くてよく見えないと言いながら、荷物をまとめた。

 子供達は三人仲良くじっとだまっている。ブルエは玄関の扉の前に立って外の様子を伺っていた。すでに雨が降り始めている。

 ブルエが動いた。

 ヤイグに小声で指示する。

「今すぐ、裏口から出て下さい。」

 ブルエの指示に従い、一家の後に続いてランウルグ、ブルエと外に出た。雨がひどい。あっという間にれてしまう。六人はすぐに納屋に移動した。この分だと、山小屋に行くのは無理だ。

 雨が激しく納屋の屋根に叩きつけている。これでは、外の様子がよく分からない。

 しばらく、時間が経った。一時間は経過しただろうか。やがて、雨が止んできた。雲が晴れて夏の夕方の日差しが納屋の壁の隙間から射しこむ。

 うとうとしていたカリーサが目覚めた。

「なんだ、雨がやんだじゃない。」

 ヤイグが静かにさせようとしたが、無理だった。

「しーっ、静かに…!」

「何よ、さっきから、理由も言わずに…!ああしろ、こうしろって。雨に濡れて気持ち悪いわ。ただ、じっとしてるだけなら、家にいたって良かったじゃない。あたし、戻るわ。ご飯だって作らないと。」

 何も分かっていないカリーサは大声を出した。

「しずかに!」

 思わずランウルグは声を出した。大人達がはっとしてランウルグを見つめる。

「すみません。ほんとうにごめんなさい。ただ、もう少し、ここにいてもらえませんか?」

 とても七歳の子供とは思えない、しっかりした口調のランウルグにヤイグとカリーサは驚いている。

 ランウルグはブルエを振り返った。

「ブルエ、外のようすはどうだろう?」

「今の所は全く何も分かりません。私が外に出て様子を見て参ります。それで、安全が確認されましたら、ヤイグさん達ご一家には家に戻って頂きましょう。」

 ランウルグは頷いた。

「分かった。」

「それまでは、決してここから出ないようにお願い致します。」

 ブルエはランウルグというよりは、ヤイグとカリーサに言って、音もなく納屋の外に出て行った。

 

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