第9話 祖母と孫

 暗い天井を見上げていた。最近、あまりよく眠れなかった。目を閉じるとグースが連れ去られる瞬間が目に浮かぶ。どうしても、悲しくなって涙があふれてきてしまう。

 あの日、両親が初めて喧嘩けんかをしていた。今まで小さな言い争いくらいはあったが、あんなに激しい喧嘩は初めてだった。

 原因はランバダが馬に乗った男を追いかけて行った時、セリナが姉のパーナに追いかけさせた事を父のソリヤが怒ったことだった。

 娘に追いかけさせてなぜ、自分が行かなかったのかと、今までに見た事がないほど、怒っていた。

 それを止めたのはパーナだった。

「父さん、ひどい!どうして、母さんを責めるの…!突然、起こったのよ、みんな、びっくりして、母さんも走って追いかけようとしたけど、わたしの方が早かっただけよ!父さんはその場にいなかったくせに、文句ばかり言って責めないで…!」

「じゃあ、なんだ、ランバダが悪いとでも言うのか!」

「そうじゃない!ランバダは初めてできた男の子の友達がさらわれたのよ、どんなにびっくりしたか、分からないの!心配なのは分かるけど、そんなことで大喧嘩しないでよ…!お母さんのお腹に赤ちゃんがいるんだから!」

 パーナの最後の一言でソリヤは驚いた顔をして、セリナを見つめた。

「本当なのか?」

「そうよ。」

 セリナは横を向いたまま答え、パーナに優しく言った。

「よく、分かったわね。わたしもこの間気づいたのに。」

 パーナはにっこりした。

「母さんの様子を見てて気づいたの。それに伊達に…三人も生まれてくる瞬間を見ていた訳じゃないわ。」

 それで、両親の喧嘩はおしまいとなった。早く言えばいいのに、ソリヤはしばらく言っていたが、セリナに体を大事にするように言い、最後にパーナをめた。

 結局、最後は笑顔になったので良かったが、ランバダはいたたまれなくて、便所に立つふりをして中庭に出た。

 外は蒸し暑かったが、少し夜になって風が出て来ていた。もう少ししたら、川からの風が今より強く吹いて来て涼しくなる。

 妙な気分だった。暑いのにちょっと風に当たっただけで、鳥肌がたった。頭が痛いし、気持ちも悪かった。だんだん、胸のむかつきがひどくなって、本当に便所に行って吐いた。

 便所は二家で共同なのだが、スルー家の隣は空き部屋なので、実質、一軒で使っていた。

 誰もいなくて良かった。誰かがいたら間に合わなかったに違いない。便所の匂いがきつくて臭いので、よけいにむかつきがひどくなり、吐くものが何もなくなっても吐き気が続いた。

 体にふるえがきて、へとへとに疲れたが、便所にへたり込みたくない、という一心で立ち上がり、手水鉢で手を洗い、ふらふらと戻ろうと歩き始めた。

 ちょうど、心配したルダが様子を見に出てきた所だった。

「ランバダ!どうしたんだい?大丈夫かい?」

 ルダは駆け寄り、ランバダの汗ばんだ手を握った。そっと手をひたいに当てようとするのを、ランバダは振り払った。

「ねえ、おばあちゃん。」

 ランバダはよく分からなかったが、なんだかとても腹立たしくて、悲しくてたまらなかった。よく分からないまま、ルダに呼びかけた。

「なんだい?」

 ルダの目は家の窓明かりの元でも優しかった。

「おばあちゃん、ねえ、なんで、なんで、だれもグースのことをしんぱいしないの?ぼくがグースを助けに行こうとしたのは、いけないことなの?どうして、ぼくはおこられるの?母さんも、父さんもおこってた…!

 グースを助けたいんだ!ぼく、グースと目が合ったんだ、動けないけど、助けてって言ってた、ぼく、わかったんだ!」

 ランバダはぼろぼろと大粒の涙を流して泣きながら叫んだ。

 ランバダの叫び声に、家族だけでなく、近所の人も出てきたのが音で分かった。

「そうかい、そうかい、ランバダ。」

 ルダは胸を詰まらせながら、ランバダを抱きしめた。

 確かに子供の言う事は本質を突いている。

 一番、心配するべき相手はグースなのだから。どの親も自分の子供が一番心配で、きっと、みんな心のどこかで我が子でなくて良かったと思っている。

 ランバダはそれを敏感びんかんに感じ取っていた。両親に腹を立てていたのだ。

 ルダは全身を震わせて泣きじゃくっているランバダの背中を優しくさすった。そうしながら、ふと、気が付いた。

 ランバダはグースを助けられなかったと、言わなかった。助けたいと言ったのだ。この子はもしかしたら、気が弱いから泣くのではなく、どうしたらいいか分からなくて、泣いているのでは。

 あれだけ、グースにいじめられてからかわれて、毎日のように泣いて帰ってきて、レイリアに守ってもらって遊んでいたのに、ちょっとしたきっかけで、グースと仲良くなってしまった。

 しかも、グースは今まで一緒に遊んでいた子供達と遊ぶのをやめて、兄弟達と一緒にランバダやレイリアと遊ぶようになっていた。ランバダを守っている、家来と言われても。

 この子はもしかしたら、とんでもない才能を持っているのかもしれない。人に助けたいと思わせる才能を。

 ソリヤがやってきて、黙ったままひたすら、泣きじゃくっているランバダを抱き上げた。

「熱があるよ。」

 ルダが言うと、ソリヤは頷いた。

「ベリー先生の所に連れて行ってくる。」

 ランバダは五番街のカートン家が開いている、かかりつけの診療所に連れて行かれた。あまりに心に衝撃を受けたから、体にも反応が出ているので、しばらくそっとしてあげるように、と担当のベリー医師に言われて帰って来た。

 それから、ずっと、ランバダは夜、あまり眠れていなかった。この日もそうだった。

 グースが連れていかれる瞬間を夢にみて、はっとして飛び起きた。

 ランバダがあまりに頻繁ひんぱんに夜に目を覚まして泣くので、台所の土間に燭台の火を一つ、消さずに置いていた。引き戸を開けたら、すぐに明りが見える。明りを見せて安心させるためだ。

 その上、ソリヤとルダが交代でランバダと一緒に寝ていた。

 この日はソリヤと寝ていたが、父はあまりに疲れているのか、今晩はランバダが起きてもそのまま眠っている。いちいち、起してしまうのも申し訳ないので、それはそれで構わなかった。

 ランバダは引き戸を開けて、土間に下りた。水を飲もうと思ったのだ。引き戸を閉めて振り返り、人影に気がついてぎょっとした。

「ランバダ、何をそんなにおどろいて。こっちへおいで。」

 ルダだった。

「おばあちゃん。びっくりした。」

 小声で言って、ルダの隣の椅子に座る。ルダがかし置いた湯冷ましを入れてあるかめから、ランバダの湯飲みに水を入れてくれた。

「お飲み。わたしゃ、こっちを飲むからね。お前も飲んでみるかい?」

 ルダはにやっとしてみせた。

「おばあちゃん、なにをのんでるの?」

 ルダはしーっと指を口に当ててみせ、いたずらっ子のようにささやいた。

「お前も一口飲んでごらん。」

 ランバダは興味をそそられて、恐る恐る、ルダの湯飲みに口をつけて中の液体を一口飲んでみた。酸味と喉にかっとくるものがきて、ランバダはむせた。慌てて水を飲む。

「な、に、これ。」

「なんだと思う?」

 ランバダは首をかしげた。

「なんか、すっぱくてくだものの味がした。少し、あまかった。」

 ルダは頷いた。

「そう、果物。梅酒だよ。ほら、わたしが植えた梅の木が中庭にあるだろう。去年はあまり実の生りが良くなかったが、一昨年のが出来が良くてね。梅の蜂蜜漬けがいい具合に発酵して、いい梅酒になってたんだよ。」

 蜂蜜は高価だが、ローロールで花をおろしてもらっているセリナが、時々、ただでもらってきたり、安価で売ってもらったりしている。

 ルダは満足げに梅酒をすすった。

「ランバダ。お前、この間、助けようとするのがいけないのかと言ったね。」

「…うん。」

「父さんも母さんも、助けようとするのがいけないと言っている訳じゃないんだよ。ランバダ、お前がもし、悪者をあっという間にやっつける事ができる、武術の達人だったら、父さんも母さんも何も言わなかったさ。」

「……。」

「お前はまだ、子供で力がない。大人でさえ、さらわれる事がある、悪い連中だよ。力がないのに向かっていったって、やられてしまう。なんでも、一緒だよ。何かをやるには力が必要なんだ。

 勉強するにも力がいる。頭をきたえないと難しい問題は解けないだろう。

 力っていうのは、喧嘩の強さだけではないんだよ。

 心にも力がいる。

 力って言うと、強い事だけかと思うだろう。でも違うんだよ。どんな人にも優しくできるのも力がいるし、強さなんだ。

 たとえ、どんなにひどい事をされていても、その人が困っていたら助けてあげる。これも、強さなんだよ。

 お前はそういう所を持っているよ、ランバダ。お前をいじめていたグースと仲良くなって遊んでいただろう。今ではグースを心配して毎日、泣いている。普通はね、そんなに簡単にはできない事だよ。

 だからね、ランバダ。後はお前が腕っぷしを強くするだけだ。武術を身に着けて強くなって、優しさを忘れないようにすればいい。

 そして、身に着けた力を正しい事に使うんだ。人のためになる事をして、悪い事に使っちゃいけないよ。

 人はね、弱いんだ。武術を身に付けたら使ってみたくなる。それで、悪い事をする人が出てくるんだよ。でも、それはだめだ。仕返しに使ってもだめ。仕返しは自分を悪くするだけだからね。

 だから、明日、イゴン将軍に会ったら、ちゃんと説明しておいで。ぼくは友達を助けたいから強くなりたいって。みんなを守れるようになりたいってね。分かったかい?」

 ランバダはよく分からない所もあったが、うなずいた。

 ただ、一つ、分かった。

 そうか、ぼくはみんなを守りたいんだ。

 初めて気持ちと言葉がつながった。今までこの気持ちはどういうものなのか、よく分からなかった。

「分かったなら、早くお休み。」

「うん、おばあちゃん。」

ランバダは久しぶりに、ぐっすり眠れたのだった。

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