第7話 チャム


 チャムは、襲撃しゅうげき者達が二種類いたことを突き止めていた。最初にブルエ達をおそっていた者達と、イゴン将軍が来てから襲ってきた者だ。 

 イゴン将軍については政治的な絡みで、ニピ族の護衛のレクスがついている事は周知の事実なので、成功しなくてもいいものだったのだろう。だから、すぐに退散した。そして、毒矢を使う事により、危機感を抱かせるという目的だろうと推測した。

 問題は最初の襲撃の方だ。ニピ族を狙うなど、言語道断である。ニピ族を馬鹿にしているのだろうか。しかも、マウダを名乗るという、暴挙だ。マウダもこうなるまで、何をやっていたのだろうか。ここまで、増長するまで放っておいて良かったのか?

 こうなったのも、お前達のせいだとののしってやりたかった。

 チャムはため息をついた。それでも、そのイラつきは治まらない。非常にイライラしていた。

 そのイライラの原因はいくつかある。

 最初にランバダに自分が護衛だと、知られたことだ。彼に知られてはならなかった。後々、護衛をやりづらくなる。

 チャムはローロールで働いている事になっているが、実際はランバダの護衛だ。もちろん、ニピ族である。

 知られてしまった事は仕方ないとして、その原因となった案件については、軽視できない。

 そして、ブルエに対して怒っていた。

 自分の主人と離れ離れになっているという事は、危険な事態であるという事だ。それなのに、ブルエはランウルグではなく、ランバダを守ろうとした。

 ランバダはチャムが守るべき主であるのに、ブルエが命がけで守ってしまった。本当なら、自分がやる事なのだ。

 ニピ族は、自分の主人を他人が護衛するのを極端に嫌う。

 ニピ族を嫌う者が悪し様に、徹底した心からの犬だ、と言うが、チャムも思う。その通りだと。

 例えば、飼っている犬がいて、他に新しい犬を連れて行くと、その前から飼っている犬は、新しい犬に敵意をき出しにする。その犬の性格や、性別の違いによっても変わってくるが。

 チャムはどちらかと言えば、敵意を剥き出しにしてみつく方だ。

 ブルエならあの矢はち落とせたはずだ。それなのに、なぜ、払わずに抱き着いて守ったのか。

 理由はしばらくして、思いついたが考えたくなかった。

 最初にはこう考えた。ブルエがイゴン将軍と直接、話をするためにあえて傷を負ったのだと。ただ、それだけなら、かすり傷程度で済ませられたはずだ。

 そう、あの矢は絶妙な間隔と角度で飛んで来た。だから、チャムも払い落としそこねた。死んでも死ななくてもいいが、できれば狙った相手を殺したい、という意図が明確な矢だったということだ。射手が名手なのは、明らかだった。

 暗殺が目的だった。だから、ランバダだけではなく、イゴン将軍にもかすり傷を負わせてはならなかった。ニピ族ならば、毒矢である可能性を考えている。払った矢がすぐそばにいるどちらかに、当たる可能性は高かった。

 だから、ああするしかなかった。

 しかも、ブルエの場合、イゴン将軍に恩を売ったつもりはなく、おこなっただろうとも考えがつく。

 チャムはブルエの行動が分かってしまい、さらにイラついた。それで、別の事を考える事にした。

 大体が、自分の主人を間違える奴があるか。

 チャムは近くの建物の中にいて、窓からランバダの様子を見守っていた。仲間は怪しげな行動をする者を見つけ、後を追っていたのでチャム一人だった。

 あっと思った時には、出て行きづらくなった。ブルエならランバダを簡単に、守れるだろう。仲間が来るのを待つか、そう思い、見守っていたら、案の定、敵はあっと言う間にやっつけた。

 問題はその後だ。ブルエはランバダをランウルグと間違えたのだ。

 最初は、何をしているのか深くは考えず、無事を確認しているだけだと思った。それが、よく見てみれば連れて行こうとしているではないか。

(あの大馬鹿野郎、間違えるなよ…!)

 チャムは慌てて飛び出し、仕方なく屋根を伝い降りた。

 当然、ランバダは驚いた顔をし、困惑した表情を浮かべた。

 ああ、そうだよな、なんでここにチャムがいるんだろう、そう思うよな、普通。チャムは心の中で、半ばやけっぱちでランバダの心情を思った。

 ブルエも困惑した表情をしていた。

 なぜ、ここに同郷のチャムが出て来たのか、どういう事だろうか、私の若様ではないのだろうか。だが、考えてみれば、若様が私より早くここまで来る事などできないはずだ。つまり、若様によく似たこの子は別人だと言う事になるが、若様によく似た美しい子がそんなに何人もいるわけもない。

 チャムは同じ年のブルエの心情も簡単に想像できた。

 だから、双子だと伝えたが、さすがのブルエも雇い主のセルゲス公が、息子が双子だという事を隠していた、という事実をすぐさま理解するという訳にはいかなかった。

 はたから見たら、すぐに理解したように見えるかもしれないが、生業上、頭の回転が速いニピ族にしては遅い方である。

 しかし、ここまで考えてチャムは、ブルエが見間違えるほどそっくりならば、自分もおそらく初めて見たら間違えるだろう、という事実から目をらせないという事だった。

 つまり、ブルエが間違えたのは致し方ないという事になり、これもチャムを一層イラだたせるのに役立った。

 イライラしながら、ブルエが何者に追われていたのか、彼の援護に回っている部隊からさらに詳しい報告を聞く。ブルエ自身もよく分からないと言っていた。とりあえず、マウダを名乗る何者か、という事しか分からない。

「…マウダを名乗るなんて、命知らずな連中だ。しかも、ニピ族を狙うなんて、昔からいた連中のやり方じゃない。

 よそから来た奴らだな。しばらくマウダに卸売りか何かをしてやり方を学び、力をつけたから独立しようと動きだしたんだろう。プジーゼ国辺りから入って来た奴らが、最近、寄り集まって悪さをやってる話を聞いた事がある。そいつらを調べろ。

 それから、何より優先すべき事は、ランウルグ様を探し出してお助けする事だ。俺はマウダに行く。」

 目がわっているチャムが言うので、一人が恐る恐る意見を述べた。

「マウダに乗り込むんですか?」

「悪いか…?」

「い、いいえ。ただ、大暴れしすぎても後々、め、面倒になりませんか?」

 苛立いらだちをおさえるため、ぎ、ぎ、ぎ、と歯ぎしりをしたチャムに、相手がおびえてしどろもどろになった。相手も舞の継承者だが、チャムの方が強いので、隠そうともしない苛立ちと殺気に気圧されている。

 チャムは里でブルエの次に有能な舞手であり、ブルエみたいな百年に一度の天才が現れなければ、間違いなく一番だと言われた。ブルエが百年に一度なら、チャムは五十年に一度の才能だと言われたのである。

 なぜ、天才が一度に生まれるのだ、となげかれた事がある。そんな事を言われても、こっちのせいではない。いつも二番にしかなれない、こっちの方がなげきたいくらいだ。

「面倒にはならない。マウダもニピ族なら仕方ないとあきらめがつくし、偽物を直ちに排除しにかかるだろう。」

「……。」

「他にあるか?なければ俺は行く。」

「え、援護はいりますか?」

 一応、聞くべき事を聞いた点は、評価してやろうとチャムは思った。

「いらない。俺一人で十分だ。お前らは俺が指示した事をしろ。何人か、いや、何十人かぶった斬ってくる。」

 今度は誰も止めなかった。

 彼らも分かっている。主人を守る任務に就く舞の継承者は、同じニピ族の中でも特別である事を。

 里の中で特に才能ある者を集め、徹底的に質の高い舞を継承させる。その時に奥義も継承される。そして、高い忠誠心を持つように訓練される。子供の頃から訓練されるため、ただでさえ忠誠心の厚いニピ族が、いよいよ忠誠心が厚くなる。

 命をけるほどに。

 どんな拷問でも耐え抜けるほどに。

 だから、主に関して自分に落ち度があって、危険が迫った時、物凄く荒れるのだ。この時のチャムのように。だから、彼らも黙ってチャムを隠れ家から出した。

 チャムは歩きながら考えていた。

 一番の原因は自分にある。そう、色々と余計な事を考えすぎたのだ。

 怪しげな一団が現れて、仲間が調べに行った時点でランバダの側にいるべきだった。チャムはランバダの護衛なのだ。チャムがそばにいれば、ブルエもあんな行動はとらず、無茶はしなかっただろう。

 そう考えると不思議な事に頭はえたが、自分に対する怒りはおさえきれなかった。

 そして、しばらくその怒りに身を任せるつもりだ。

 チャムは迷いなく、サプリュにあるマウダの隠れ家の一つに入った。目的もなく、やってきたわけではない。ある人物に会うためだ。

 さっき、確認したのでサプリュにいる事は分かっている。どこの隠れ家にいるかまでは分からなかったが、おそらく取引に一番使うこの隠れ家で間違いないだろう。

 だから、チャムは門番に言った。

「ビアン・ザナー=ザルガに会わせろ。」

 突然、現れて頭領の右腕の男の名前を出したので、門番は当然、できないと答えた。

「じゃあ、これでも無理か?」

 チャムは門番が派手な悲鳴を上げるように、わざとすぐに死なない程度にると、へいを超えて中に侵入した。

 もちろん、侵入者に気づいて、大勢の者が取り押さえに集まって来る。チャムは人数が集まるのを待ちながら、何度かザナーに会わせろと要求した。

「何者だ…!マウダに乗り込んで来るとは、いい度胸してんじゃねえか。」

 一人の若造が、と言ってもチャムより年上だろう、威勢いせいだけはいい奴が息巻いた。

「おい、気をつけろ、ダンクンイ、そいつは門番を斬ったんだ。しかも、斬った事を隠すつもりがない。」

 取り巻きの一人が注意した。

「おい、お前。」

 こいつがダンクンイか、と思いながらチャムはもう一度、要求した。

「ザナーに会わせろ。」

 ザナーと聞いた途端とたん、ダンクンイが気色けしきばんだ。鼻にしわをよせ、歯をきだす。

「んだと、なんだってザナーを指名するんだ。おい、答えろよ、ザナー指名の理由はなんだってんだ!」

 ずいぶん幼稚だな、とチャムは内心、馬鹿にしながらダンクンイにもう一度言った。

「ザナーを出さないなら、呼び出すまでだ。言っておくが、ザナーでないと俺を止められないぞ。一応、こっちは怒りを抑えて、被害を最小限にするためにザナーを出せ、と言ってる。」

 本当にチャムは一応、気遣きづかっていた。ニピ族としても、マウダとあまり一戦は交えたくない。

 だが、今はそんな理屈なんかどうでも良かった。怒りが理性を上回る所をぎりぎり、抑えているのだ。

「ザナーでないと、止められない、そんな馬鹿なことがあるか!おい、お前ら……。」

 ダンクンイが威勢よく言いかけるのを、取り巻きの一人が抑えた。

 チャムは右手に剣を握っている。その剣は門番の血で濡れている。

 そして、左手で帯に挟んでいた鉄扇を抜き取り、高く掲げて器用に左手だけで広げて見せ、腕を下ろしながら扇を畳んで帯に挟んだ。

 それだけで、しん、と静まり返った。

 それまで、なんとかして隙を見つけて飛びかかろうとしていた者達の戦意が、急速にしぼんでいく。

 見せるんじゃなかった、とチャムは思う。

 裏の世界で生きているマウダは、普通の人よりもニピ族の事を知っている。

 例えば、鉄扇はまず利き手を使うという事。今の動きだけでチャムの利き手が左手であり、利き手でない方の右手でも、相当な剣の腕だと分かったのだ。

 普通だったら、ここでザナーを呼びに行かせる。そして、乱闘らんとうけるものだ。

「分かったなら、ザナーに会わせろ。どうせ、お前達じゃ相手にならない。」

 だが、ダンクンイは何を思ったのか、取り巻きが止める間もなく、叫んだ。

「何やってる!こいつが本当にニピ族かどうかは分からない。一斉に飛びかかってやっちまえ…!」

 下っ端達は発破はっぱをかけられて、反射的に何も考えずに動き出した。

 そのダンクンイの言葉と彼らの行動はチャムの限界点を突破させた。

 一斉に飛びかかったら殺せると思っていること事態が、屈辱的だ。表面張力でこぼれないでいる水が、ちょっとしたしずく一滴で零れ落ちるように、チャムの理性を超えて行った。

 下っ端達が向かってくるのも、ニピ族を知らないが故だ。

 チャムはごく自然に舞を舞った。

 ニピ族は両手を自在に使えるように訓練される。剣を右手に握ったまま、一つ舞を舞い終わった時には、十人以上が倒れていた。

 そして、ダンクンイはすでに逃げ出していた。取り巻きの一人も、指示を出しながら後を追う。

 チャムはその後を追った。他の連中はどうでもいい。ダンクンイは頭領の息子だと、裏の世界では知られた事実だ。

 黙って後を追い、後から意味も分からず襲撃だと聞いて出て来た連中をぎ払いながら、チャムは進み続けた。

 建物の中だろうがチャムには対して、障害にはならない。

「…何事だ!コウディ、ザナーを呼んで来い!」

 階段の上から様子を見に来た男が、すぐ様叫んだ。ほおに切り傷の跡がある。

「おい、お前、ニピ族だな、なぜ、暴れている…!」

 ようやく、話の分かる人間が出て来た。しかし、チャムは暴れるのをやめるつもりはなかった。

「ニピ族が暴れる理由は一つしかない。それは、お前達も分かっているはず、だ!」

 チャムは階段を駆け上がりながら、頬に傷跡のある男に斬りかかった。

 だが、寸前に階段を駆け下り、手すりを使って男の頭上を飛び越えて来た男の剣で、見事にさばかれた。

 男はその勢いのまま、見事に階段下に着地する。

 夏も冬も着ているという、外套がいとうを頭からすっぽりかぶっているが、さすがに今の動きで頭巾ずきんの部分が取れて、顔があらわになっている。

 マウダの中でも、彼の顔を見た事がない者も多いのだろう。彼の容姿に息を呑んでいる者もいた。随分ずいぶん、整った顔立ちの男だ。もし、チャムが怒り心頭に達していなかったら、少しは眺める気分になっただろう。

 だが、あいにく、今のチャムはそんな気分にはならない。

 それよりも、むしろ大暴れできる相手が登場して、非常に嬉しい気分だった。

「やっと出て来たな。さっさと出せばいいものを。」

 目がらんらんと光っているチャムの様子に、ザナーはむ、と眉根まゆねを寄せた。

「待て、ここで暴れるな…!」

 さっきの頬傷の男が叫んだ。

「うるさい!俺の、主人はどこだ!よくもさらいやがったな!」

 本当の所、ランウルグはチャムの主人ではなかったが、ランバダとそっくりの双子である。ランバダと同じ顔で不安に震えているかと思えば、感情移入させる事は簡単だった。

 頬傷の男を含め、マウダの中でそれなりの立場にいる者達は全員、はっと息を呑んだ。

「どういうことだ?ニピ族が護衛についている者は狙わない。」

 ザナーが不思議そうに聞き返した。

「お前ら、知らないのか…!マウダを名乗る連中が俺達、ニピ族でさえも狙った事を。」

 怒りにぶるぶる震えていたチャムは、左手に剣を持ちかえると、ザナーに打ちかかった。ザナーはさやでチャムの剣を捌いた。

 だが、それは完全ではなく、チャムは体重差を利用して、勢いよく押し返した。ザナーが後ろに下がり、すぐに壁に当たった。

 一見、ザナーの方が劣勢だった。そのため、マウダの面々が一瞬、息を呑んだ。

 しかし、次の瞬間、チャムは咄嗟とっさに身を引いた。ザナーの空いた右手による、死角からの攻撃に気づいたからだ。

「さすが、ニピ族。今の私の技を見切った者は、ただの一人もいない。」

 ザナーは言いながらも、左手で持っていた鞘を投げ捨て、左手を振り、一度拳を握ってから開いた。

「ここでは、思いっきり戦えないだろう。お互いに。」

 ザナーは挑戦的な笑みを浮かべた。恐ろしいほどに美しい笑みだと、本人は気がついていないだろう。

 そして、外套を被り直すのを忘れるほど、今のチャムとの一戦に夢中になっている。

「お待ちを…!ニピ族です、戦うのですか?」

 頬傷の男が制止しようとした。

 ザナーはふふふ、と笑う。

「私をご指名だ。それにこの殺気を隠そうともしない、怒り狂ったニピ族を相手にできるのは、私しかいない。」

「しかし、取引があります。」

 食い下がる頬傷の男に、ザナーは命じた。

「待たせておけ。このニピ族の主人を探さなければならない。」

「はい、分かりました。」

「安心しろ。私を殺すつもりはないはずだ。そんな事をすれば、主人を探し出せなくなる。それに、私だってニピ族の相手はあまりしたくない。今のだけで左手がしびれた。 

 もし、これが鉄扇で私が剣で受けていたら、確実に剣が折れたはずだ。」

「それで、どんな人間を探していればいいでしょうか。」

 口とは裏腹にどこかうっとりしているザナーに、頬傷の男はしっかり尋ねた。

「…赤毛の美少年。年齢は十四、五歳だ。見ればすぐに分かる。」 

 ザナーの答えに、チャムはかなりほっとした。思わず、口をついて質問していた。

「どこにいる?」

「それは答えられない。だが、連れてこよう。ニピ族と王族とカートン家は攫わない。それがマウダの掟だ。確実に返そう。」

 チャムは体を震わせた。ザナーを始め、マウダの面々が今度は何事かと緊張を走らせる。顔を上げたチャムを見て、驚いた。チャムは歓喜の涙を流していたのだ。本当にチャムは今、心の底から嬉しかった。

「…ああ、若様、お迎えに上がります。私は非常に罪深い。マウダなんかに触れさせてしまった。攫った奴らはマウダなのか?」

「…違う。マウダならそんなへまはしない。私達に攫った人間を売る者達がいる。」

「つまり、卸売業者だな。」

「そういう事だ。」

「そいつを殺す。若様を触ったうえ、しばったはずだ。もし、それ以上の事をしていたら、死なせて欲しいというくらい、痛めつけて殺す。」

 ランバダの双子の兄だ。確実に連れ帰られなければならない。実際の所、美少年なので、性的な悪戯いたずらをされていないか心配だった。もし、そうなったら、ブルエも発狂するだろう。

 チャムはマウダを無視して勝手に歩き出した。建物の内部はさっき通った所については、把握している。

「待て。そっちではない。」

 ザナーが引き留めた。

「私が案内しよう。だが、連れてくるまではこちらの都合もあるので、近くで待機していてくれ。痛めつけるのはその後にして欲しい。」

 既に部下にランウルグを探しに行かせていた頬傷の男が、ザナーの言葉に反応した。

「しかし、いいのですか。そこまでする必要はないのでは。」

「主を失ったニピ族ほど不安定なものはない。早く主と引き合わせなければ、どんな事になるか分からない。これ以上の惨事さんじにするつもりか。」

 ザナーの言葉に頬傷の男は納得した。

 ザナーが先立って歩き、チャムもその後をついていく。二人とも抜き身の剣を握ったままだ。周りにはマウダの他の者達が、恐々取り巻いている。

 中庭に到達した時だった。

「おい、どこへ行きやがる!ザナー、お前、そいつに何をしてやるつもりだ!こいつが本当にニピ族だという、証拠はあるのか!」

 どこに隠れていたのか、ダンクンイが出てきてわめいた。意気地なしのくせに、わあわあ騒いでやかましい。

「間違いなくニピ族です。」

 頬傷の男が答える。丁寧な物言いだが、すきはない。

「ニピ族の主人は攫わない事になっています。それくらいご存じでしょう。」

 だが、ダンクンイは意地悪く、顔をゆがめて言い放った。

「だめだ。サプリュは俺の管轄かんかつなんだ。俺がだめだと言ったら、だめだ!せっかくの久しぶりの取引なんだぞ…!つぶさせてたまるか!そいつの主人が本当にいるかどうかも分からねえ!」

 チャムは目を見開いたまま、怒りで全身を震わせた。

 全身から殺気を放ちながら、ダンクンイを眺める。

「…やばいぞ。」

「おい、逃げろ!」

「ダンクンイの馬鹿野郎!」

 誰ともなく言い出し、逃げ出した。

 チャムはダンクンイを見据えながら、一歩踏み出した。

「待て。」

 ザナーが立ちはだかった。

「後で返す。ダンクンイの目を盗んでな。」 

 小声で言われたが、チャムはダンクンイを殺す事しか考えていなかった。

「な、何やってんだよ、ザナー!とっととそいつをやっちまえよ!」

 自分はやれないくせに、人には偉そうに命令する。

「ザナー、お前、分かってんだろうな!お前から剣術をとったら、何が残るってんだよ。頭領の夜の相手だけするってのか!今みたいな時のためにいるんだろ!この暗殺者め!」

 明らかに一瞬、ザナーが息を止めて怒りをこらえた。隣にいた頬傷の男もあからさまに嫌な顔をする。

「あんな奴を生かしておいて、一体、何になる?俺が殺してやる。」

 チャムが怒りを殺した小声でザナーに言ったが、彼はチャムの肩を押さえた。

「今はまだ、あんな奴でも役に立つ。今はまだ殺さない。」

 ザナーの濃い灰色の目の奥には、強い光があり、チャムを止めようとする意思が明確だった。

「…邪魔するなら、手加減しない。」

「やってみるといい。カートン家のニピ族と対戦した事がある。」

 ザナーの答えにチャムは笑った。

「踊りの方しか知らないんだな。」

 次の瞬間、声色が変わる。

「ならば、舞の怖さを知るがいい。」

 抑えていたザナーの手を振り払って、間合いを取った。チャムは左手に剣を持ち、舞の型の一つを取った。両手を広げ、ふわっと前に進む。本当に舞を舞っているようにしか見えない。

 だが、これは戦闘攻撃型の舞の一つ、とんびの舞だ。ゆっくりした動きのようにしか思えないが、間合いがとれない。取らせないのだ。キン、キンとザナーが剣を弾く。

 それだけでも大したものだ。普通ならそれすらもできず、既に死んでいる。チャムは舞を舞っている間、非常に落ち着いて冷静だった。そう、訓練されている。

 どんどん速度を上げていく。

 キン、キン、キン、と音楽が奏でられているかのように、規則だった音が鳴っている。どちらも達人だからできる事だ。ザナーの剣の腕は凄まじい。

 チャムは里でいつも二番目だった。いつも上にはブルエがおり、努力しても努力しても勝てない事が多く、十回対戦したら、四回しか勝てなかった。

 だから、常に自分より強い相手にどう戦うかという事を考えるのがくせだ。

 チャムは対戦しているうちに、ザナーの凄さが分かってきた。最初こそ、翻弄ほんろうされたが今は見切っている。その上、この対戦を楽しんでいるのが、彼の目を見れば分かった。

 ザナーは強い。このまま、無駄に長い時間舞を見せたらだめだ。

 チャムは止めをさすつもりで、最大の攻撃を仕掛けた。

 鳶がえさを取る時、さーっと降下してきて、ぱっと舞い上がるように、剣を振り下ろしてさっと抜ける。

 ザナーはそれを見事にかわした。しかも、ニピ族の防衛の舞である、蝶の踊りで躱したのだ。

 チャムはさすがに驚いた。対戦した事があると言っていたが、まさか、踊りをそのまま覚えたとは思わなかった。

 振り返って体制を整えると、少し右手を振っていたザナーは、チャムの目線に気がつき、剣を握り直すと、チャムがさっき舞った鳶の舞の構えをし、そのまま舞だした。

 驚愕きょうがくしたが、同時にやっぱりかとも思う。絶対に長く対戦したらだめだと思った通り、ザナーは一度対戦すれば、相手の動きをそのまま覚えられる天才だ。

 こんな天才相手に、他の舞を見せてやる訳にはいかない。

 チャムは剣を投げ捨てた。鉄扇を両手に持ち、広げて構える。さっき、ザナーがやってみせた蝶の踊りだが、正しくは蝶の舞、さらにチャムには揚羽蝶あげはちょうの舞を特別に授けられている。護衛という任務の性格上、揚羽蝶の舞はよく使う。

 チャムはザナーの攻撃を全て躱した。ブルエと対戦していたおかげで、この揚羽蝶の舞は彼より上ではないかという自負がある。

「…この辺にしないか。」

 少し息を荒くしながら、ザナーが言った。

「これ以上、長くやっても意味がない。もう大概たいがい、暴れたからこの辺で怒りを収めてくれないか。やはり、ニピ族の舞は一朝一夕ではいかないし、手が痺れてこれ以上は無理だ。腕の筋を痛めそうだし、剣も刃こぼれしてしまう。」

「俺は、若様を探す。」

「分かった。だが、取引所には来ないでくれ。私がなんとかしよう。それと、ダンクンイの事は悪かった。

 それから、マウダを名乗ったのはどんな連中だった?」

 チャムはブルエが対戦していた時の状況を踏まえつつ、知っている限りの情報を伝えた。

「…やはり看過できないな。」

 つぶやくザナーの隣に頬傷の男ともう一人、彼に似た若い男が近づいてきた。

「ダンクンイの奴はいつも口先だけです。」 

 頬傷の男が大概あきれた口調で言った。

「コウディ、あの修羅場しゅらばを全て任せてしまってすまなかった。」

 ザナーはもう一人の若い男に声をかける。

「俺の役割です。全員、生きたのも死んだのも、カートン家に送りました。今、終わって掃除に取りかかっています。」

「被害はどれくらいだ?」

「死亡が十七名、重傷者が八名、割と軽傷だったのが五名です。」

「…二十人殺したかと。」

 思わずチャムが口にすると、コウディは眉をしかめたが、さらに言った。

「重傷者の内、三名は意識がなく、じきに死ぬと医者が言っていた。」

 大被害だ、と言っているザナーの横でチャムは悪びれることもなく、黙っている。コウディは不機嫌そうだったが、何も言わなかった。

 ザナーはコウディと頬傷の男に指示を出すと、小声で聞いてきた。

「グースを覚えているか?」

 チャムが頷くと、ザナーは部下達を連れて歩いて行った。チャムは剣を拾って刃をぬぐい、鞘にしまってその後を離れてついて行った。

 脅しとしてはまずまずだったかな、とチャムは思う。



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