第2章 事のおこり

第7話 弟子入りの話


 ランバダは祖母のルダに言われて、夕食の手伝いをしていた。今は夏まっさかりで、とてもし暑かった。日中は焼けつくような暑さで、空も青く、白い大きな入道雲が綿わたの実のようにもくもくと浮かんでいた。が、夕方になってくると、にわかに暗くなり、いまにも夕立が降ってきそうである。

 窓辺まどべに立っていても、手元が暗い。ランバダは顔を上げて、開けている窓の向こうの通りをながめた。少しかがむと黒い雲がどんどん進みながら、集まってきている所が見えた。

 ランバダは包丁と芋をまな板に置くと、慌てて外に出て、十番通り共同の中庭に干していた洗濯物の取り入れにかかった。すでに他の住人達も洗濯物を入れようと出て来ていた。

「こんにちは。」

 ランバダは挨拶あいさつもそこそこに洗濯物をつかんだ。次々に竹竿ざおにかかっている洗濯物を引っ張り下ろしていく。

「ランバダ、あんたは偉いね。よくお手伝いをして。うちの子は言っても女くさい仕事は嫌だって、やらないからね。女の子だったら、いいお嫁さんになるのにね。」

 隣人りんじんのサフラ・トックがめてくれたが、何気ない「女の子だったら良かったのに」という言葉にランバダは傷ついた。実際はそうは言っていないが、ランバダにはそう言われているのと同じだ。

 前から傷つかなかった訳ではない。ただ、グースと遊ぶようになってから、余計に傷つくようになった。

 グースとは馬糞ばふんの一件以来、一緒に遊ぶようになった。おかげでいじめられなくなったが、かわりにグースが嫌味を言われたりしている。ランバダの「お守り」をしていると。

 それが、ランバダは苦しかった。男に生まれなければ良かったのだろうか。母のセリナは『そんなことはないわ。あなたはあなたよ。誰かに何を言われようと、胸を張っていればいいの。周りの人の言う事なんか気にしたらだめよ。』と言ってくれるが、きっとランバダのこの苦しみを理解してくれてはいないと思うのだ。

 母は明るくて優しいし、間違った事が好きではない。そんな母の事は好きだが、もどかしさもあった。

 ランバダは高い所に干してある、弟のカユリのよだれかけを取ろうと背伸びした。雨粒あまつぶが鼻の頭のてっぺんに落ちた。あと少しだ。かするようにしてよだれかけを掴んだが、その拍子ひょうしに体の均衡きんこうくずして後ろにひっくり返りそうになった。

(せんたくものが落ちる!)

 汚したら叱られるので、必死になって洗濯物を抱きしめた。

「おい、大丈夫か。気を付けないと頭をぶつぞ。」

 父のソリヤがランバダがひっくりかえる寸前に、しっかりと腕で抱き抱えてくれた。

「父さん!おかえりなさい。」

 ソリヤは王宮の掃除夫として働いている。今日は仕事が早く終わったらしい。いつもより、帰宅が早かった。

「うん、ただいま。」

 言いながら、洗濯物を抱えたランバダを抱き抱えて家の中に入った。ランバダは嬉しくて笑い声をあげた。

 雨がぱたぱたと屋根に落ち始めた。

「ただいまあ。本降りになる前に間に合ったわ。良かった。」

「ただいま。あら、ランバダ、洗濯物ありがとうね。」

 セリナと姉のパーナが帰宅した。二人は花車と呼ばれている手押し車を押して、人通りの多い通りで花を売っている。

 ガラガラと馬車が家の前に止まった。

「それじゃ、気を付けて。」

 チャムとルダのやり取りが聞こえて、すぐにカユリを抱いたルダとリーヤが入ってきた。

「ただいま。二人とも夏風邪はたいしたことはないそうだよ。一応、薬も貰って来た。ただ、汗をよくかくから、水や甘酒をよく飲ませてやるようにとの事だったよ。」

 ルダはカユリとリーヤが風邪を引いたので、五番通りの医者まで連れて行っていた。ランバダは一人で夕食の準備をしながら、留守番をしていたのだ。

「おにちゃん、これ、とれた。」

 リーヤがくたびれた布の人形をランバダに差し出した。ランバダがルダに習って作った、手作りの人形だ。毛糸の髪の毛が取れてきていたので、前から直してあげると言っていたが、リーヤは嫌がり、とうとう目にしているボタンも取れたのだ。髪の毛の毛糸は五本になってしまっている。

「わかった、後で直してあげるね。今はそれより、くつをぬいでねんねしような。」

「うん。」

 リーヤは素直に頷いた。

「ほんとに、お兄ちゃんのいう事はすぐに聞くんだから。」

 ルダは苦笑しながら、ソリヤとセリナの方を見た。二人は顔を見合わせて頷く。今日はランバダに大事な話があるのだ。それを本人はまだ知らないが、パーナも母から聞いていたので、すぐに察知した。

「ほら、リーヤ、お姉ちゃんが着替えさせてあげる。こっちへおいで。」

 靴を脱がせてリーヤを抱き上げて、寝室にしている隣の部屋に入って引き戸を閉めた。ランバダはいつもと様子が違うので不思議そうに、それをながめ、床に積んだ洗濯物をたたもうと、上りかまちに座り込んだ。

「ランバダ、こっちへおいで。今日は父さんと母さんから話があるんだ。」

「はなし?」

「洗濯物はお祖母ちゃんがたたんでおくから。」

 カユリをゆりかごに寝せながら、ルダが言う。

 ランバダはソリヤが座っている揺り椅子の側に寄った。ソリヤは抱き上げてひざに乗せた。七歳になった息子は嬉しそうに振り返って、ソリヤを見上げた。上の前歯が生え変わるのに一本抜けている。

「ランバダ、あのな、お前は強くなりたいか?」

 一週間前からさんざん考えて、結局ソリヤはこう切り出した。ランバダの表情がくもった。最近はグースと仲良くなり、以前ほどいじめられなくなったが、自分が守られているという事に葛藤かっとうしているのをソリヤは知っていた。

「うん。つよくなりたい。」

 ややあって、ランバダは力強くうなずいた。

「本当に強くなりたいか?苦しい事や辛い事があっても耐えられるか?」

「うん。…だって、今もつらいから。」

 ランバダの言葉に大人はみんな驚いた。七歳の子供が辛いという言葉を口にするなんて、思いもしなかったのだ。

「そうか、辛いか。…何がそんなに辛いんだ?いじめられている事か?」

ランバダは揺り椅子の肘掛ひじかけをぎゅっとにぎりしめ、首を振った。

「ううん、ちがう。そうじゃなくて…。」

 ランバダの両目に涙が盛り上がった。

「みんなが、女の子みたいだとか、女の子だったらいいのにとか、言うから…!」

 初めて聞くランバダの心の叫びに、隣室で耳をそばだてていたパーナも含めて話を理解できる家族全員が、息を呑んだ。周りの人間が何気なく言っていた言葉に、ランバダがどれほど傷ついていたか、初めて分かったのだ。

「そうか、そうか、ごめんな、今まで気が付かなくて。」

「ごめんね、ランバダ。母さん、あんたがそんなに苦しんでるなんて、分からなかった。」

 ルダは何も言わずに涙をぬぐっている。セリナはソリヤの膝の上で泣きじゃくっているランバダの背中を優しくさすった。

 セリナはソリヤが職場の上司から聞いてきた、棚から牡丹餅ぼたもちのような話に乗り気ではなかった。ランバダを手元から離したくなかったのもあるし、弱気な息子には到底無理な話だと思い、反対した。

 しかし、珍しくソリヤがランバダに行かせると強く主張したので、今日、話をすることにしたのだ。

 ソリヤはランバダの気持ちに気が付いていたのに違いない。セリナは女だから、男の子のランバダが可愛いとか、女の子みたいという言葉にそんなに傷つくとは思いもしなかった。女として見られたいのに、そう受け止めてもらえないのと同じだろうか。

 セリナとしては、息子の顔立ちが整っているのをひそかに自慢に思っていたから、そんなに気にすることではないと楽観的に思っていた。ソリヤとしては男親だから、同じ男として、何か思う所があったのかもしれない。セリナはソリヤのそういう所が気に入っていた。

 それと同時に息子が確実に成長している事を実感した。少し前まではレイリアに女の子の服を着させられても、にこにこしていたのだから。

 ランバダが落ち着いてきた頃、もう一度、ソリヤは尋ねた。

「ランバダ、強くなりたいか?」

「うん。」

 ランバダは強く頷く。

「父さんと母さんと会えなくなってもか?」

 ランバダはさすがに首をかしげて、少し躊躇ちゅうちょしたが、結局はうなずいた。

「うん。ぼく、つよくなりたい。」

 でも、どうして?ランバダの黒い目が尋ねていた。ソリヤはランバダの頭をでると、膝から降ろして立たせ、自分も揺り椅子から降りて視線を合わせてかがんだ。

「中央将軍のイゴン将軍に弟子入りするんだ。それで、イゴン将軍の息子さんの話相手もするんだよ。できるか?」

「うん、できる。」

 意味が分かっているのかいないのか、ランバダは即答した。


 それから毎日、ソリヤとセリナはランバダに根気強く説明した。明らかに意味を理解していないと両親は思った。

 中央将軍は、サリカタ王国の国王軍の一番上に立つ、司令塔である。国内を四つの地域に分割し、各地域の国王軍を統括する、四方将軍四人と合わせて開く、五将軍会議の議長でもある。三か月に一回五将軍会議は開かれる云々うんぬん

 ソリヤが中央将軍は国王軍の一番偉い人だと説明したら、ランバダが知っていると言って、辞書をそのまま暗記したと思われる説明をした。さすがにイオニの貸本屋に毎日入り浸って本を読んでいるだけある。

「じゃあ、イゴン将軍は知ってるか?」

 ランバダは力強く頷き、

「しってるよ。しょうぐんたちのなかがわるいから、くろうしてるんだって。東のスイエしょうぐんと南のビルエしょうぐんとなかがわるいんでしょ。スイエしょうぐんが西のヒムしょうぐんにわいろをわたして、兵士のきゅうりょうをごまかしておうりょうしていたしょうこを、会ぎにていしゅつしないようにしてもらおうとしたんだって、新聞に書いてた。それでなかがわるいんだって。」

 と得意げに言った。

 イオニは一体、何を読ませているのだろう。七歳の子供から賄賂とか横領なんて言葉は聞きたくない。もっと、子供が読んでためになる書物を読ませてもらいたいものだ。ソリヤはだんだん心配になってきた。

 イゴン将軍に子供を弟子入りさせないかという話は、二つ階級が上の上司からきた話だった。宮廷の掃除夫と言っても、簡単になれるものではない。信用できる者を知り合いの中から探し、採用する。信用を失う事をすれば、紹介した人ともども罰せられる。

 安い給料で厳しいが、真面目な人が働いていると一般には思われている。真面目な人は確かに多いし、給料も安定しているがそこまで高くはないし、時間厳守で手は抜けないのも事実だ。

 でも、人間がやることで、全部かちかちな訳ではない。

 記念日や国王主催の催し物があった後には、心付けが特別に支給されるし、宴会で残った御馳走ごちそうの残りや珍しい果物を分けて貰ったり、上等な布の切れ端や糸などを貰ったり、同僚や上司を通じて貴族の館などで短期的な仕事を紹介されたり、普通だったら絶対ありえないような話まで回ってくるのだ。

 そう、イゴン将軍に子供を弟子入りさせないか、というような話だ。

 最初、聞いた時には耳を疑った。

「お前には確か、男の子がいるだろう。数人、候補を集めなくちゃいけないんだ。」

「どういうことですか。さっぱり意味が分かりません。」

 ソリヤが尋ねると、上司もため息をついた。

「実は俺もよく分かってないんだ。

 なんでも、イゴン将軍の御子息は体が弱くて、走る事もままならないらしい。その御子息の話し相手、遊び相手を探しているそうだ。

 最初は親せきの子供なんかがそうしていたらしいんだが、御子息を放っておいて、自分達だけで遊んでしまうらしい。子供だからしかたないんだが、御子息も遊びたい盛りだから、一緒に池で泳ごうとして死にかけたんだと。

 それで、御子息と気が合う子供を探す事にしたらしい。そのついでに、遊び相手の子供を弟子にすると。」

 ソリヤはようやく話がつかめた。

「つまり、子供をイゴン将軍に預ける代わりに、弟子として育ててくれると。」

「そうだ、そういう事だ。息子の話し相手だから、その親に遠慮して養子ではなく弟子にするらしい。三か月に一回くらい家に帰すそうだ。」

「しかし、なぜ、養子にしないんでしょう。親に遠慮してとはいえ、養子にしてもらいたい家族もいると思いますが。」

 貧しい家庭で子供が多いと、養子に出される事はよくある話だ。

「確か、最初は養子にするという話だったんだ。それで、御子息と気の合う子供がいたんだが、一人息子で養子にはできぬと断られたらしい。だから、養子ではなく弟子をとるという形にするそうだ。詳しい事はその家の事情を聞いて決めるそうだから、そんなに心配しなくていいと思うぞ。

 それに、お前も知ってると思うが、イゴン将軍は、スーラグ流もできるそうだし、なんといってもヨリクン流の開祖の孫弟子の弟子だからな。噂ではニピの踊りもできるとか。そんな人の弟子になれるんだ、この上ない機会だぞ。弟子になれるなれないは別にして、子供を面会させるくらいはしてもいいんじゃないか。」

 スーラグ流は十剣術と呼ばれる、由緒ある剣術流派の一つで、サリカタ王国でもっとも古い剣術と言われている。優雅でなく、武骨な剣だと最近はあまり人気がない。しかし、武骨でもサリカタ王国の剣術の基礎となった流派だ。

 それに対してヨリクン流は、百二十年前に開祖のヨリクンが各国の武者修行の末に編み出した剣術である。実践的で素早く舞のごとくあることを目指した。自然との調和を求め、抜かずして勝つという事を究極とした。

 そして、ニピの踊りはセッノ地方に住むニピ族に伝わるという伝説の踊りの事だ。踊りという名の通り、踊っているのだが、実は究極の殺人拳法なのだという。

 ソリヤは詳しい事は分からなかったが、どうやら、凄いらしいという事は知っていた。というのも、イオニが剣術に詳しかったからだ。以前にイオニが詳しく話してくれた記憶がある。

 イオニは、今は下町の小さな貸本屋をしているが、実は有名な薬問屋ハズン薬草店の三男坊で、お坊ちゃまだった。店は長男が継ぐので、三男坊のイオニは軍に入れるようにとの親御心で、十剣術のうちの一派ヴァドク流の剣術道場に通わせられていたという。

 怪我をしなければ、国王軍に入隊するつもりだったというイオニは、今でも御前試合や十剣術交流試合、サプリュ一剣士決定戦などの剣術試合を見るのを楽しみにしている。

 ソリヤも試合を見るのは好きだが、イオニみたいに詳しくない。イオニにそれとなく聞いてみようと思ったが、興奮したイオニが街中に言いふらすかもしれないので、やめた。今まで聞いてきた事を必死に思い出して、なかなか悪くないのではないかと思った。

 それになにより、ランバダに自信を持たせて、心を強く持ってもらいたかった。家計の都合で剣術道場には通わせてやれないが、機会があるなら、習わせてあげたかったのだ。

「それじゃあ…お願いします。」

「うん、それがいい、それがいい。どうせ、やらせてみるだけなんだ。よし、よし次は誰だったかな。」

 上司は上機嫌で次の人を探しに行った。問題はセリナになんと言おうかという事だ。

 案のじょう、セリナは反対した。特にニピの踊りに懸念けねんを示した。

「優しいあの子が殺人者になるみたいで嫌だわ。殺人拳法だなんて。」

 ルダもそんな機会はめったにないから、やらせてみたらいいじゃないかと言ったが、セリナは強情だった。

 ニピの踊りはあくまでうわさ程度のものだというと、今度はイゴン将軍は信用できるのかと言い出す始末。会った事がないから分からないが、中央将軍は国王軍一潔癖な人がなる職務だろうと言うと、政治の世界ではそんなものは表面上の事だけだとか、妙に現実的な事を言う。

 最終的にソリヤが上司の顔を潰す訳にはいかないと強引に押して、セリナが折れたのだった。

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