サリカタ王国記 ~炎の両刀~

星河語

第1部 幼年期

序章 二人

 あの時はこんな事になるなんて、思いもしなかった。どうしてだろう。あんなに幸せだったのに。どこで間違えたのだろう。こんなに苦しいだなんて。

 それは、自分でも覚悟していたはずだった。いばらの道だということは。

 だから、後悔はしていない。その髪の色を見るまではそう思っていた。本当はとんでもない事をしたのかもしれない。それでも、引き返す事は考えていなかった。

 女は誰もいないはずの薄暗い林の中を、きょろきょろしながら歩いた。林の中はとても冷える。昨日、降っていたみぞれのせいで、空気がとても湿気ていた。息が白い。手がかじかみ、靴の中の足の指も冷たくなり、もはや感覚がなかった。

 やがて、一本の太いかしの木の下にやってきた。一人の男が立っている。黒い帽子を目深まぶかかぶり、焦げ茶色の外套がいとう羽織はおっている。

「話とはなんだ?」

 女が来るなり、男は言った。帽子のつばの下の眼光は鋭く、辺りの様子や女の後ろを注意深く観察している。

 女はこの男が苦手だった。というよりむしろ、嫌いだった。本当なら、顔を合わす事さえ嫌だったが、仕方ない。

「実は隠していたことがあります。」

 女は樫の大木の向こう側に話しかけた。男の雰囲気がとげとげしくなる。女は緊張しながらも、かまわず話し続けた。

「実は…本当は生まれた子供は、二人なのです。双子でした。」

「何!なぜ、隠していた?」

 男が剣呑な声で女に詰問する。

「なぜって、わたしの子供だわ。苦しい思いをして生んだのはわたしなのに、二人も渡さなくてはならないなんて、嫌だった。…だから、隠したのよ。」

「お前一人の子供ではない…!そもそもが。」

「フォーリ。」

 大木の後ろから声がして、男は渋々、黙った。

 大木の後ろから、これまた帽子を被り、外套を羽織った男が出て来た。二人とも同じ帽子と外套を身につけている。初めて見る人は、どっちがどっちか見分けがつかない。

 二人の事はよく知っている女でさえ、間違えそうになる。

 フォーリと呼ばれた男は、この男の影武者であり、しもべであり、護衛であった。

「すまない。許してくれ。…それで、もう一人の子がどうしたんだ?病気にでもなったのか?」

 男の優しい問いかけに、女は首をった。

「違います。ただ、あの人とあまりに似ていなくて。どうしても、お許し頂きたいのです。」

「許し?」

 女は頷き、つばを飲み込むと、意を決して大きく息を吸った。

「お許し下さい。どうか、あの子が生まれる前に、実の父は亡くなったという事にさせて下さい。

 そうでないと、あの子は一生、わたしの不貞によって生まれた子、とあざけられる事になります。

 それは、あまりにも哀れです。ですから、どうかお願いします。」

 男は少し沈黙したのち怒るでもなく、静かに女に尋ねた。

「どうしても、手元で育てたいのか?」

 女は震えながら頷いた。拒絶されてもおかしくなかった。自分の愛した男が、時に感情よりも、理性を優先させる事を知っているから。

「私としても、子が一生、不貞の子と嘲られるのは心が痛む。兄弟で共にいさせてはくれないか?」

 女は涙ぐんだ。

 どうしても、一人は育てたかった。自分のわがままだと分かっていても、無理やり別れさせられて、子供まで取られては、自分の心が壊れてしまいそうだった。何もできなくなってしまう。

 それに、分かっていて、何も聞かずに結婚してくれた夫をこれ以上、裏切りたくなかった。あの人も子供を可愛かわいがって、成長を楽しみにしている。

「確かにわたしもその事は、何度も考えました。

 でも、あなた様はずっと、追われるか見張られているかの身の上です。あなた様の命の保証がありますか。いつ、何があるか分からないではないですか。

 失礼を承知で申し上げております。このご時世ではどちらに転んでも、あの子達には困難が待ち受けております。

 もしかしたら、二人とも死んでしまうかもしれないではないですか。もし、生き延びたとしても、二人もいたら、また、騒動が起きてしまいます。

 あの子には何もない限り、一生、何も言いません。ただ一人の人として育てます。ですから、お願いですから…!」

 女の言葉は、最後にはほとんど声になっていなかった。

 フォーリが何か言いかけたが、男が手で制した。彼は少し考えた後、声を殺して泣いている女の肩に優しく手を置いた。

「分かった。君の気が済むようにするといい。

 ただ、私の手の者を護衛に付けさせてくれ。上の子に何かあった時の担保になるから、君の提案を受け入れるよ。

 それでも、血筋は無視できない。そこは了承してくれ。

 君の言う通り、このご時世ではどうなるか、誰にもこの先は分からないから。いいね。」

 女はうなずいた。ありがとうございます、と繰り返すが泣きじゃくっていて、上手く言葉になっていなかった。しばらくして、ようやく落ち着いた女は、男に丁寧に礼を言った。

「当然の事だ。私が父親なのだから。君には苦労をかける。申し訳ない。

 そして、本当にありがとう。…最後にもう一度だけ、君を抱きしめても構わないか?」

 女は首を振って一歩下がった。

「申し訳ありません。もう二度と、あの人を裏切らないと決めたのです。今日でお会いするのは、最後と決めてきたのです。ですから、どうかお許し下さい。」

 男はさびしそうに微笑ほほえんだ。事実、寂しかった。冷たい北風が背中を通し、心の中にまで吹き込んだようだった。

 結局、共にいる事は許されなかった。こんな自分の身の上をどれほど、恨めしく思っただろう。

 引き取った自分の子供にも、同じ思いをさせると思うと、とても心が痛み、心苦しかった。

「そうか。分かった。…君には本当に感謝している。先の見えない私の人生に、光を与えてくれた。生きる喜びを与えてくれた。本当にありがとう。」

 そう言って、固く握りしめている女の手にそっと触れて、少しだけ握ると後ろを向いた。

「フォーリ。彼女を送るんだ。」

 男は命じると、まっすぐ続く細い林道を歩いて帰った。一度も振り返らず、ただ、まっすぐと。

 女の手には、男が残していった手の温かさが、いつまでも残っていた。  

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