第48話 子の叫びと、母の叫び
「さて、レグム・ブレイル・ジャビス殿。どこから、いきましょうかね。」
四方執政長官のムルデが切り出した。貴族の問題を扱うのが、四方執政官の役割だ。
「まず、八年前、レグム・ガルジ殿が行方不明の間に、あなたが養子になっているのが解せませんな。本人の署名が必要ですが、亡くなった方がどうやって、署名なさったのでしょうな?」
ジャビスは気味が悪いほどに押し
「それから、これとこれもこれもですね。八年前の書類のほとんどは、偽造です。書類は全て二部ずつ作る決まりになっています。まあ、普通の書記官なら
ご丁寧にあなたの手元にある書類も偽造を残していたので、かえってあだとなりました。
偽造を見破る名人の私が言うのですから、間違いないですよ。私は偽造パノン(小切手みたいなもの。)や偽造貨幣の取り締まりにも関わっていますからね。」
テルサが言うと、自慢も自慢に聞こえないから不思議だった。
「何も分からない十歳の子供に、偽造した書類に署名させたのですね?」
ムルデの確認にもジャビスは答えようとしなかった。
「なぜ、エイグ君を寄宿学校に入学させたふりをして、そうしなかったのですか?寄宿学校に入学させていれば、あなたの悪事は明るみに出なかった。」
ムルデが追及すると、ジャビスがふ、ははは、と笑い出した。
「本当です。全くだ。一時帰宅させた時に殺せば、バレなかったんだ。あははは。」
ジャビスは笑っていたが、目は笑っていなかった。
「…もう少しだった。もう少しで、完成するはずだったのに!」
笑っていたジャビスは、突然、
「貴様の、貴様のせいだ、
ジャビスがエイグに詰め寄ろうとしたので、ミンスとイグーが立ちはだかった。
「あなたは、なぜ、この子に
今まで黙っていたランゲルが尋ねた。激しく怒っている目で、ぎろりとジャビスはランゲルを
「この子は栄養失調で、十八歳の少年にしては、発達が未熟で骨格も
ランゲルはジャビスの視線をものともせず、更に質問する。
「私自身は手を出していない。」
「でも、使用人に許可したでしょう。主人であるあなたがさせれば、あなたの責任です。」
ジャビスはギラギラした目で、エイグを見つめた。
「
だから、私はレグム家を乗っ取り、破滅させるために、ガルジに
ジャビスの大声にエイグは
「カルム・イグー、貴様が現れるとはな。こいつの顔を知っている奴と鉢合わせするなんてなあ!上手くできすぎてるぜ!」
ジャビスは
「しかも、タリア。お前、何を考えている。お前、また、私を裏切るつもりなのか…!答えろ!」
タリアは無視している。その姿にジャビスは標的をエイグに変えた。
「エイグ、貴様、調子に乗ってんじゃねえぞ!味方を手に入れたつもりなのか知らねえが、貴様が泣いて助けて下さいと、
エイグが小動物のように震えて動けず、ルイスに支えて
その時、タリアがつかつかとジャビスに近寄り、彼の
妻の行動に
「
今回もそうよ…!エイグを寄宿学校に入れたと言ったじゃない!入学証明書や、成績表だって、送られてきていた!全てあんたが偽造していたんじゃないの!」
呆気に取られていたジャビスだったが、
「自分だけ、何も知らないフリをするつもりか、タリア!本当は知っていたくせに!エイグが使用人達の
「…!」
さすがにタリアは小さく息を呑み、言葉を失った。
「本当は知っていただろうが…!何もかも。ガルジが死んだ時から全てをな。」
タリアが言葉を失ったので、少し
「…だったら、何よ!わたくしが止めたら、あんたはやめたの!違うわ!最初から、あんたはエイグの事が嫌いだった。エイグを憎んでいた!それが分からないとでも言うの!わたくしがあの子の味方をしたら、あんたはもっと手ひどくエイグをいじめた!
知らないとでも思っていて!あんたが変な男を家庭教師に
「それを知っているなら、もっとかばってやっても良かっただろうに…!馬鹿な女だ!まったく、
「あんたより、ましだわ!」
ランバダは呆気に取られて、始まった夫婦
エイグの目はひどく、冷めていた。そして、小さい時の意地悪なエイグの時と同じ表情をしていたのだ。ランバダはそれを見て、エイグが子供の頃、意地悪だった理由を理解した。その原因はこれだったのだ。
両親がいつも
ランバダは胸を痛めた。とても悲しくて、涙を
泣き出したランバダに気がついて、エイグがはっとして、ランバダを見つめた。ランバダはエイグの視線を感じたが、涙を堪えられない。
思わずといった感じでエイグがランバダの手をぎゅっと握ってきたので、ランバダは余計に悲しくなった。
「…なんで、お前が泣くんだ。」
エイグが外套の
「お前はやっぱり、泣き虫だ。国王軍に入っても、変わってないんだな。」
小さな声だったので、ランバダの他に、ルイスとホル、そして、ニピ族のミンスしかエイグの変化に気がついていなかった。
ムルデは何も言わずに、夫婦喧嘩を
エイグは小声でランバダにありがとう、と言うと、ランバダが右手に握ったままだった呼び鈴を手に取った。
ランバダは何をするんだろうと、エイグを見つめる。
ジャビスとタリア、そして、エイグの行動に気がついていなかった人達は、全員、
「いい加減にしろ…!」
エイグは怒鳴った。
「私は目が覚めた。父上が死んでいなければ、こうはならなかったと、長い間思い込んでいた。でも、思い出した。いつも、家の中は静まり返っているか、父と母が怒鳴り合っているかだった。
そもそも、父はグースをマウダに
はあはあとエイグは肩で息をした。
「あなた達は、どっちもどっちだ。私にとって、あなたは父ではない…!」
ジャビスに言った後、タリアを見つめた。
「あなたも母ではない。私の両親は、もういない。」
タリアがはっとして、エイグに駆け寄ろうとし、つまずいて転んだ。だが、ジャビスは助け起こそうともしない。エイグも黙ってそれを眺めていた。
「違うの!違うの、エイグ!」
タリアは四つん
「言い訳なんか、聞きたくない。」
「違うの、エイグ、聞いてちょうだい!」
タリアは起き上がって、エイグに近寄ろうとしたが、そっと、ミンスに
「今さら、何を聞けって…!あなたは、あの時、私を捨てた。私は何度も、助けてって言ったのに、あなたは無視した!
私がいじめられながら、下働きをさせられているのを知っていたはずだ!あなたの娘達が、私を馬鹿にして、わざと地面に落とした菓子を食べさせたりしているのを知っていたはずだ…!私が兄だとあの子達に教えてもいないくせに!
あなたはさっき、なぜ逃げなかったのかと言った。できる訳がない!物置に閉じ込められていたのに!閉じ込められていない時は、男達の布団の中に連れ込まれていた!どうやって、逃げろと言うんだ!
それだけじゃない、あの男が、時々、少年趣味の客人に私を当てがっていたのも、あなたは知っていたはずだ!私の姿を見たのに、助けてくれなかった!
あなたには、何度も、何度も失望して、絶望させられた!」
エイグの今まで
「……、ごめんなさい、エイグ。」
タリアの両目から、涙が
「なんで、助けてくれなかったんだ!母だと思っていたのに!」
エイグが泣きながら、叫んだ。
「おまえが、…お前が、殺されると思ったのよ!」
タリアは叫んだ。
「いじめられていても、生きていれば、なんとかなるって、思ったのよ!いじめを黙認すれば、それ以上、命までは取らないって思ったのよ…!」
「また、そんな言い逃れを。じきに殺すと分かっていたくせに。」
横からジャビスが口を出し、タリアは金切り声で怒鳴り返した。
「だから、この人達をここに連れて来たのよ!」
「結局、いざという時には、あの男の味方をするんだな!あの、ガルジの味方を!」
「信じられないわ、あんたはいつまで、ひがんでいるのよ!こうなったら、教えてやるわよ!」
タリアは涙でぐちゃぐちゃの顔で笑い出した。
「あの子、エイグはね、ガルジの子じゃないかもしれないのよ!ドルチの子かもしれないのよ!少なくとも、ドルチはそう、信じていたわ!」
さすがのジャビスも顔色が変わった。そこの全員が、タリアとエイグを交互に見つめた。
エイグは息を
「…お前、何を言っている?」
ジャビスの声がかすれている。
「ふふふ、信じられない?私だって、分からないのよ、仕方ないでしょ!」
タリアはおかしくなったように笑っている。
「な、何を言って…。私はいったい、だれの子だと?」
エイグが
「私は、一体、誰の子なんだ…!」
エイグが怒鳴った。それだけで、全身が
「…だから、言ったでしょ!分からないって、言ったでしょ!」
タリアが半泣きで叫んだ。
「…分からないって、そんな言葉で……。」
エイグの両目から、今日だけで一体、何度流したか分からない涙が流れた。
「…やっぱり、あなたには失望する事ばかりだ!母とは、思えない…!」
「思わなければいいわ…!わたくしだって…産みたくて産んだわけじゃないもの!」
タリアの叫びに、誰もが胸を突かれた。タリア自身に人に言えない、
「産みたくて、産んだわけじゃないって…。」
エイグは
ランバダはハラハラして、エイグを見守った。
「エイグ、だめだ…!誰も傷つけちゃだめだ、自分自身も含めて、だめだ!」
とうとう、ランバダはエイグに呼び掛けた。
ランバダの声に、エイグの顔が上がった。その表情は人形のようで、
「生きてたって、意味がない。」
「そんなことない、エイグ!」
ランバダの声も無視して、エイグは呼び鈴の欠片を自分の首にためらいなく、当てて引こうとした。その
自殺しようとしたエイグを見て、タリアは息さえも
「…エイグ。ごめんね。わたくしが悪かったの。」
タリアが胸に手を当てて、よろめいた。よろめきながらエイグに歩み寄り、ルイスの胸に抱かれた、気絶しているエイグの顔に手を伸ばし、優しく
「ごめんね…。」
気絶しているエイグの顔の上に、はらはらと涙を
「これをどうぞ。」
と手巾を手渡し、タリアの状態を
「奥さん、失礼ですが、少し手を貸してください。」
ランゲルはタリアの手を取って、脈を
「少し、部屋で休みましょう。息子さんも休ませねばなりません。」
すると、タリアは首を
「最後だもの、一緒にいるわ。」
「最後、とはどういう事ですか?」
ランゲルは
「…この子、わたくしは母じゃないって言ったもの。だから……。
最後の言葉は消え入りそうだったのに、誰の耳にも届いた。そして、気を取り直したように、
「カートン家で保護して下さるのでしょう?」
と、タリアは
「…そうですね、今の所は。しかし、奥さんが息子さんと一緒にいたいと思われるならば、私共がこちらに
ランゲルの言葉にタリアは静かに、目を伏せた。
「それは、主人を国王軍が逮捕するから、という事ですね。」
「はい。失礼ながら、ご主人がいらっしゃらなくなれば、息子さんを害する人がいなくなります。そして、レグム家の当主は息子さんになります。」
「…だめよ。」
タリアはさっきの金切り声をあげていたのが、
「だめ。この子はここにいたくないわ。この子にとって、ここは家じゃなくて
タリアは
「もう少し早く、今のように手を差し伸べてあげる事は、できなかったのですか?」
ランゲルの質問に、タリアはエイグを撫でていた手を止め、顔を
「…できなかった。だって、
だから、少し嫌な思いをすれば、苦労をすれば、あの人にもドルチにも似ないで済むと思ったの!わたくしに一番、そっくりなのに、性格があの人達と同じになるかもしれないなんて、怖かった…!」
今まで、タリアが心の奥底に閉じ込めていた思いが
「分かりました。奥さん、やはり、少し休みましょう。先ほど、息子さんを治療した部屋でご一緒に休むといいですよ。」
タリアは返事をする代わりに、息を吐いた。
「申し訳ありません。休まれる前に、確認させて下さい。…奥さん、失礼ですが、先ほど
ムルデがようやく、気を取り直して、タリアに尋ねた。
「ええ、本当です。その事もあの人は知っていました。それなのに、エイグを可愛がっていたの。実の息子として、六千五百スクルも
必要な事は答えてくれるタリアに、ムルデは頭を
「…分かりました。それなら、エイグ君に遺産を継がせる事ができます。休まれている間に書類の手続きをしておきましょう。」
ムルデの一言で、できる限りで、書類の作成が始まったのだった。
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