第19話 名家の子息達(上)
その頃、ランウルグはティールにいた。以前、首府が置かれていた
そこに貴族の子弟が通う、ラペック学校という有名な学校がある。材木の大商人である、ロキック家が創設した学校だ。
この学校は貴族の長男以外、
ここで、王宮で侍従や侍女になる訓練を受ける。しかし、実際に侍従や侍女になる者達は少ない。ほとんどは礼儀作法を学び、卒業証書を得るために通う。この学校に通ったと言う
ランウルグは入学して一年たった。ブルエの思いがけない怪我で一か月入学が遅れたが、ブルエの代わりに手助けしてくれたチャムのおかげで連絡が行き届いており、無事に入学できたのだった。
ここは貴族の子弟や金持ちの子供が通うので、寮の部屋は一人一人に個室が与えられ、そこには浴室や便所もついている。さらに一人侍従か侍女を連れていけた。
だが、ランウルグはさらに特別待遇だった。ブルエはどうやったか知らないが、自分が護衛として付いて行く事を承諾してもらった。他にも数名、そういう学生はいたので、何か方法があるらしい。
ここは、侍従や侍女になる訓練を受けるための学校なはずなのに、寮に帰れば仕えて貰うという変な場所だ。当然、莫大な金が必要である。だが、ブルエはちゃんとフォーリ経由できちんと、資金をもらっていた。お金はどうしたのかと、ランウルグが尋ねるとそう答えた。
この学校は入学を随時受け付けている。入学した当初は先生が一日中ついて、朝から晩まで徹底的に歩き方や動作、何から何まで教わった。他の人達と一緒に授業を受ける事ができるようになるまで続いた。つまり、最初は授業についていけないのだ。
ランウルグは三か月間、その訓練を受けたが、この学校の凄い所は、寮で学生に仕える侍女や侍従達にも特訓をする点である。アギは一か月早く行って先に訓練を受けていた。ブルエはランウルグと一緒に学ばせられた。
ランウルグは驚いたが、ブルエは非常に呑み込みが早い。さすがニピ一の舞手である。先生も
比べられて、もちろん内容にかなり大きな差があるのだが、それでも悔しかったランウルグは、一生懸命に学んだ。それで半年分先に進んでいる人達に追いつけたのだ。
この学校は学べば学ぶほど、進んでいける仕組みになっている。その上、随時、入学を認めるので、途中からでも入学できる。だから、この学校をブルエは選んだのだろう。七年もの間、ニピの里にいたランウルグが、できるだけ多くの事を短期間で学べるように。
それが分かっていたので、ランウルグは
この日も最後まで図書館にいた。この学校で
ランウルグは侍従になるつもりはない。王宮などに入ったら、上手く変装してもじきに正体がばれてしまう。今も赤い髪を黒く染めて、分からないようにしているが、髪を洗えば取れてしまうし、いつも気をつけていた。
「ランウルグ、ランウルグ、待ってくれよ。」
後ろから一人の少年が走ってきた。
「アフジェ、どうしたんだ?そんなに急いで走って来て。」
アフジェは走って来て、肩で大きく息をした。
「ほら、日記帳、忘れてる。」
アフジェはランウルグの忘れ物を届けてくれた。学業などの進み具合を記録しているものだ。全員がつける事になっている。
「あ、本当だ。ありがとう。明日、確認の時に先生に叱られる所だったよ。」
「いや、いいさ。」
アフジェはにっこりした。彼はトアゴターン銀行を経営している、トベルンク家の分家の三男だ。サリカタ王国で最も古いと言われている銀行で、昔から金貸し一本でやってきた、筋金入りの金貸し一族である。
アフジェは子供の頃、銀行ごっこで、どんな人にも気前よく金を貸しすぎて、すぐに経営破綻させてしまった。上手くやろうとしても、結局は経営破綻になってしまうので、この学校に入る事になったという。
つまり、金貸しに向いていないと判断されたのだ。アフジェの
子供にかかった費用も、もちろん、大人になって働くようになったら取り返す。長く学校に居れば居るほど借金が増す。試験で首席を取れば、授業料が全額免除になる。次席だと半額、三位だと三分の一免除になる。
だからアフジェは、実家が金持ちなのに常に勉強している、珍しい学生の一人だった。
「それより、ランウルグ、お願いがあるんだよ。」
アフジェは言った。
「お願い?一体、何?」
ランウルグの質問に、アフジェは困ったように鼻をかいた。
「実は、僕、護身術と身辺護衛の実技が苦手で。君の目つきの鋭い護衛に教えて
このままでは君に首席の座を
そうでないと、僕は今後三十年間、トアゴターン銀行に金を返し続けなくちゃいけなくなるんだ。借金地獄だ。お願いだ、そうしてくれ。頼むよ。」
アフジェの勢いに負けて、ランウルグは
「分かった、ブルエに聞いてみるよ。ただし、ブルエができないと言ったらだめだよ。私が少しなら教えてあげられるとは思うんだけど。」
ランウルグの答えに、アフジェは飛び上がらんばかりに喜んだ。
「本当に?ありがとう、恩に着るよ。」
「だけど、ブルエに聞いてからだよ。」
ランウルグは念を押した。
「うん。聞いたよ。しかし、君は仕える者に対して親切な主人だね。ちゃんと意志を尊重するんだ。」
アフジェは複雑な表情で言った。
「どうして?仕えてくれる人だって人間だよ。私の代わりに色々としてくれているだけであって、私が決して偉い訳じゃない。彼らの意志を聞くのは当然の事だよ。」
本当はあのまま、若様、若様と言われて成長していたら、勘違いしていたかもしれなかった。でも、里での生活のおかげで勘違いしなくて済んだ。
アフジェはただでさえ丸い目をますます丸くして、穴のあくほどじぃっとランウルグを見つめた。
「君は、本当にそう思っている?」
「うん、そうだけど…。」
アフジェの反応に少したじろぎながら、ランウルグは頷いた。
「もし、本当にそうなら、君は素晴らしい人格者だ。普通なら、
それからしたら、トベルンクなんて
ランウルグは驚いた。
「えぇ、一年半、ずっと首席なのに?」
「成績なんて関係ないんだ。うちは金貸しの要領が上手いか下手かで、出来の良し悪しが決まるんだから。それじゃ、よろしく頼むよ。早く勉強しなくちゃ。」
「うん、また明日。」
アフジェは急いで走って行こうとしたが、すぐに戻ってきた。
「そうだ、
ランウルグは手招きされて、アフジェの元に寄った。
「あのね、君は他の人達に狙われてるよ。」
「どういう意味?」
驚くランウルグに、アフジェはまたひそひそ声で
「君の正体が分からないからさ。特に大金持ちの家柄という訳でもない。それなのに、護衛をつける事を許された。だから、みんな正体を知りたいのさ。それだけ。」
他愛のない話のようにアフジェは言うと、手を振って走って行った。
それを見届けたように人の気配がして、ランウルグはぱっと振り返った。廊下の柱の陰から同級生の姿が現れた。フェルス・プバンという少年だ。彼は入学した時期が遅かったので、二つ年上の十七歳だ。
馬商人のプバン家の息子だが、母が妓女なのでこの学校に入る事になった。なかなかの美少年だが、どこか冷たい印象もある。
「私はニーリベル流を学んで、かなり武術には自信があるし、気配を消す事にも自信があるけど、君ほどじゃないな。」
フェルスはすっとランウルグに近づいた。その動きにランウルグは警戒した。本人が言う通りに彼は武術ができる。
「君はアフジェの言う事が本当だと思う?」
なんか裏があるような質問に嫌な気分になったが、フェルスの言う事も一理あると思うので、慎重に答えた。
「どうして?確かに護身術や身辺警護の実技は苦手みたいだけど。」
「君は彼の
「趣味が乗馬だと聞いたけど…。」
フェルスは笑い出した。
「乗馬程度でなるようなものだったか?
ランウルグは渋々、頷いた。アフジェは気の合う友達だ。その彼が
「…確かにそうだけど。でも、君は見たのか?」
「そうとも。私は見た。はっきりとこの目でね。彼は明らかに剣術をする。彼はレイト出身でガドカ流の道場に通っていた。あの辺ではガドカ流は盛んだから。
他のレイト出身の人に聞いたら、分かる。口裏を合わせているわけではなく、レイトに人をやって聞いてみればはっきりする。
ガドカ流のレイトで一番大きい道場で、かなりの上段者だったようだよ。弟子になるように言われたらしいけど、彼の親はトベルンク家初の剣士にはしたくなかったらしい。親がこの学校に入れたんだ。
そうそう。それに、レイトはレルスリ家の領地だしね。
ところで、言っている意味が分かるか?金貸しの上手い下手があるとはいえ、一年半も首席でいられる子供をトベルンク家が侍従にする学校にただで入れると思うか?
違うね。骨の髄まで金貸しの奴らが、何の目的もなくこの学校に入れたりしない。」
ランウルグは眉をひそめた。
「今まで君が言った事自体の意味は分かるけど、その裏にある意味は何?何を言いたいのかよく分からない。」
フェルスは鼻で笑った。
「君はまだまだ勉強不足だな。この学校に子供を貴族や大商人が入学させるのは、礼儀作法を学ばせたり、卒業資格を取らせるためじゃない。
人脈だよ。人脈を手に入れるためにこの学校に入れるんだ。
いいか、君は今まで勉強ばかり一生懸命やっているが、この学校は勉強だけを一生懸命やる所じゃない。一年間黙って見て来たけど、君はひたすら、寮と教室と図書館を往復し、当番で厩舎に行って馬の世話をするだけだろう。
アフジェは抜け目ないぞ。人の良さそうな人間を演じているが、しっかり誰がどこの出身で、家は何をしているか、きっちり把握している。
君の日記を忘れていると持って来ただろう。あいつは今日、一日だけで三人の日記を拾ってやっていた。」
ランウルグはびっくりして、フェルスをみつめた。アフジェがそんな事をしているとは思いもしなかった。だが、嘘だとは言えなかった。確かにアフジェはよく人の忘れ物や落とし物を拾ってやっている。
もしかしたら、一度盗んで中を確認し、忘れ物だと渡しているのかもしれなかった。その可能性をフェルスは指摘したのだ。
「そんなにびっくりした顔をしないでくれよ。きれいな顔で見つめられたら、こっちに気があるのかと思ってしまうだろう。女子学生よりもきれいな顔をして、もしかして本当は女の子かと勘ぐってしまうじゃないか。」
フェルスはくすっと笑うと、すっと間合いを縮めて、あっと思った時にはランウルグの目の前にいた。ランウルグの
ランウルグは何をされるのかとぎょっとして、なぜか指一本も動かせなかった。
「気を付けた方がいい。アフジェはどうやら、学生の情報を集めるためにトベルンクから送られてきた密偵のようだ。優秀だし子供だから、ばれずにできる。アフジェが一番、君の事を知りたがっているのさ。
それと、八大貴族の筆頭レルスリ家の坊ちゃん嬢ちゃん達、五、六、七、八、九番目がこの学校にいる。特に六番目が冴えていてね。レルスリはほとんどずっと、誰かしらをこの学校に入れている。
つまり、この学校はレルスリの天下だから、気を付けた方がいいって事だ。ついでに、アフジェもレルスリと関係あるぞ。この間も六番目と話していた。当然、トベルンクもレルスリと取引があるし。
アフジェはおそらく、君の護衛がニピ族がどうか確かめるために、教えて欲しいと申し出た。せいぜい、気を付けるんだな、王子様。」
フェルスは、最後の言葉にぎょっとしているランウルグの
ランウルグはその場に座り込みそうになった。だが、意地でも足に力を入れ、深呼吸をした。もしかしたら、唇に口づけされるのではないかと恐怖に駆られていたのだ。それを思えば頬でましだった。それでも、気持ち悪くて、服の袖で頬を拭った。
急いで寮に戻ろう。ランウルグはいつもより戻るのが遅くなっているので、大急ぎで走って行った。
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