第1章 昔、投げられた石

第1話 策略・スクーキ=マリャの場合



 策略とは、緻密ちみつな計算と綿密な計画によって、誰にも気づかれずに行うものだ。

 これが、ラコッピ・スクーキ=マリャの持論である。

 そもそも、マリャは他の兄達にとって、青天の霹靂へきれきで生まれた、自分達の子供達よりも年下の弟だった。

 父のスクーキが七十も過ぎてから、使用人の娘に手を出し、一発でできて生まれてしまったのである。

 子供達は非常におどろいた。

 その時まで、父親がそんなそぶりは全く見せず、突然、その時だけ起こした行動だったのだ。息子達よりも、嫁達の方がその事態に怒った。しゅうとめのために、事件の解決に乗り出そうとした。

 嫁達は、その使用人の娘を疑った。

 まず、本当にしゅうとの子供かどうかをである。しかし、スクーキは言った。その娘は処女であったと。

 次に疑ったのは、何か媚薬びやくを盛って、誘惑ゆうわくしたのではないかという事だった。

 しかし、責められておどおどし続け、おろおろしながらふるえている様子はあまりにあわれであり、実際に常日頃からおどおどして要領ようりょうを得ず、おろおろしている様子の娘の姿は、簡単に疑いを晴らした。

 使用人達がみんな、あの子はいつもあんな調子であり、主人に媚薬を盛って誘惑するなど、あり得ないと証言した。

 こうして、マリャは生まれた。

 生まれて三か月後に、父のスクーキは死んだ。スクーキは自分の過ちで生まれた子がそんをしないように、ありとあらゆる手を使って財産分与を行い、遺書いしょを書き直し、長男のレンノにラコッピ家を託して亡くなった。

 レンノと妻のフェスティーが一番、マリャの誕生を祝ったからだ。

 それは、長男であり、ラコッピ家を継ぐ者としての責任感からもそうしたのであり、生まれてくる子供には罪はないと考えていたからである。

 そして、マリャ親子を屋敷やしきに住まわせ、何不自由ないように、父親の遺言ゆいごん通りに行ったのだ。

 最初はなんだかんだ言っていた他の兄達も、子供達よりも幼い弟の事を、可愛がってくれるようになった。

 ラコッピ家は、一つの広大な屋敷の中に家族がみんな住んでいる。基本的に当主が本館に住み、兄弟達ははなれ屋敷や別館に住む。

 レンノが当主になってからは、叔父や叔母は一番良い離れ屋敷にまとまって住み、次兄と三兄は他の離れ屋敷に住む事になった。そして、四番目は別館に住む事になった。そもそも、軍人であり家を出ていたので、その方が合理的だった。

 マリャと母のミリノは本館に部屋をもらって住んでいた。何不自由ない生活で、マリャはレンノを父だと思っていたし、他の兄達を叔父だと思っていた。

 マリャはかしこい子供だった。

 三歳から字を覚えて書き始めたので、家庭教師を付けて勉強をさせて貰えた。

 ラコッピ家の人々は、おどおどしているミリノから生まれた子供が賢いので、ラコッピ家の血筋が良いからだと、ほこりに思っていた。

 マリャが五歳の時、事件は起こる。

 マリャは園丁えんていの少年と仲良くなった。彼は耳は聞こえるが、話すことができない。ラコッピ家では、こういう人々をやとうようにしていた。障害があっても真面目まじめに働いてくれるし、秘密も守ってくれる。

 何より善行を積めば、将来、何かあった時、その徳によって助けが得られると考えていていたからだ。

 ミリノもその少年の事を知っていた。ちょくちょくミリノは、少年に写し書きをして貰っていた。少年は字を読むことができなかったが、だれかの字を真似まねて、そっくりに書くことが大変上手だった。

 その上、印でさえも芋で上手に真似をして作ってみせた。

 マリャは母に頼まれて、少年に写し書きをして貰いに行った。その当時のマリャは、字は読めても意味を理解する事はできなかった。

 母にお使いをたのまれることがうれしくて、マリャは喜んで少年の所に行った。少年の方も、頼みごとをされるのが嬉しくて、ミリノの頼みを忠実に行った。

 他の使用人達も、マリャが一緒にいるので、幼い先代のご落胤らくいんと遊んでやっているとしか思っていなかったし、字も読めなかったから、何も知らなかった。

 ミリノは、少年や使用人達にいつも親切にした。珍しい菓子や心づけをよく渡したし、里帰りの時にはお土産も渡してあげていた。

 だから、使用人達はミリノの事を、大人しくて気が弱いが、気のく礼儀のしっかりした娘、だと信じていた。彼らはみんなミリノの味方だった。

 ある日、マリャは写し書きをして貰う紙を見て、母に言った。ここに叔父さん二人の名前を書けばいいよ、と。

 ミリノはマリャをき上げて頭をでた。

「マリャ、わたしの可愛い子。お前は本当に賢い子ね。さすが、わたしの子供だわ。

それからね、叔父さんじゃないわ。お兄さんよ。お母さんが必ず、お前を当主にしてあげる。」

 当主の意味が分からなかったが、当時は母にめられて幼いマリャは喜んだ。

「だって、おじさんたちが言っていたよ。こまったときは、わたしたちのなまえをつかえって。」

 ミリノはやさしく微笑ほほえんで、ひたいに口づけしてくれた。母親が幼い我が子をいつくしんでいる、温かな情景にしか見えなかっただろう。

 今では、兄達の言った意味が分かるが、当時のマリャには額面がくめん通りにしか受け取れなかった。

 そう、だから言ったのだ、ここに兄達の名前を書けば良いと。

 その一か月後に、レンノの十五歳の娘、ラコッピ・レンノ=リノラがマウダに誘拐ゆうかいされた。

 ラコッピ家を揺るがす大事件が、幕を開けたのだ。

 そもそもの始まりは、ミリノがラコッピ家に使用人として入った時からだ。

 ミリノはわざとおどおどしていた。特に主人のスクーキの目の前で、わざと派手に失敗し、おろおろしてみせた。他の使用人達にきびしく叱責しっせきされるのを何度か見たスクーキは、ミリノを自分のお茶係にした。

 年寄りの茶をれるくらいなら、失敗せずにできるだろうと配慮しての事だった。だが、それはすべてミリノの計画だったのだ。

 ミリノが妊娠にんしんした時、兄嫁達がうたがったように、スクーキに媚薬を盛り、自分と一晩過ごすように計った。しかも、その前には精のつく茶や菓子を食べさせておくという、念の入れようである。

 そして、計画通りに子供を妊娠し、ねがった通りに男子を出産した。

 しかも、うまい具合に生まれた子供が賢かった。

 ミリノはラコッピ家を乗っ取るため、マリャを産んだのである。恨みがある訳ではない。ただ、お金に苦労しない生活を確実に手に入れるため、ミリノは綿密に計画した。

 マリャが生まれた後、当然、スクーキは自分に責任があると思う。それを利用していつもの調子でおろおろしながら、子供の将来を案じてみせた。

 スクーキはミリノの計算通り、マリャにも財産を分与するように遺言ゆいごんも書きえた。だが、それだけでミリノは満足しなかった。ラコッピ家は大きい。それだけに分与される金額は意外に少ない。

 それが不満だったミリノは、計画の第二段階に入った。

 まず、スクーキを間接的に暗殺した。

 飲ませる茶を、体の調子が悪くなるものを選んで飲ませた。医者には止められていたが、本人が飲みたがるので、誰にも言わない約束だと言って、こっそり飲ませた。

 スクーキ本人は満足していたので、暗殺されたとは思わなかったはずだ。

 次は、新たに当主となったレンノを追い落とす事だった。

 レンノは娘のリノラを可愛がっていた。

 だから、ミリノはリノラに目をつけた。少し我がままな所もあるが、基本的には素直で可愛い子だった。

 だが、ミリノは冷酷れいこくにもマウダにリノラをさらわせた。レンノの弟達の名をかたってである。

 ミリノは園丁の少年にマウダの契約書けいやくしょの写しをさせたのだ。印も含めて全てを。

 そして、写しの契約書をマリャにひろわせ、それで折り紙をして遊ぶようにしむけた。

 さらに、ミリノはラコッピ家の家令かれいの前で、マリャの折り紙がただの紙ではない事に気が付いたふりをした。

 家令は本当に青ざめたが、ミリノは青ざめたふりをした。

 マリャはどこで紙を拾ったのか、レンノに聞かれた。二番目の兄のギルの部屋の前だと伝えた。

 マリャは母のミリノが少年に作らせた写しだと知っていたが、うそをつかないと母とはらせないとミリノに厳しくおどされていたので、必死で嘘をつらぬき通した。

 間もなく、家族会議が開かれた。

 ギルと三番目の兄ガールは、身に覚えがないと身の潔白けっぱくうったえた。本当にぎぬだったのだが、レンノとギル、ガールの仲は険悪けんあくになった。

 最初は一致いっちして濡れ衣だと訴えていた、ギルとガールも次第に疑心暗鬼ぎしんあんきになり、お互いに実はリノラを攫わせたのではないかと疑うようになった。

 従軍している四番目の兄のバルだけは、我関せずという感じだったが、疑心暗鬼のかたまりとなったレンノは、軍にいるからこそ、誰にも気づかれずにマウダを差し向けられると思うようになった。

 娘一人が攫われただけで、兄弟達はお互いに疑い合い、とうとう刺客しかくを差し向けるようにさえなったのである。

 そんな冬のある日、ギルは馬車に乗って川淵かわぶちの道路を走行中、馬車の車軸が折れて車輪が外れ、川に転落して事故死した。それから間もなく、ガールは強盗におそわれて刺殺された。

 レンノは心を病み、ある日、屋上から飛びりて自殺した。

 誰も、ミリノが犯人だと疑わなかった。

 誰も、ミリノの計画だと思わなかった。

 策略は、緻密ちみつな計算と綿密な計画によって成り立つ。そして、誰にも気づかれずに実行されなければ意味がない。

 マリャが母から教わった事である。

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