第19話 決意


 ランバダがギルムの家に行く日がやってきた。ランバダはイグーと会ってから、考えている事があった。

 イグーはまだ子供なのに、それでも大人達相手に堂々どうどうと落ち着いてたたかった。

(人を守るってああいうことなんだ。)

 ランバダの中に何かが芽生めばえた。あんな風になりたい。それはランバダが初めて感じた、あこがれという気持ちだった。でも、ランバダにはまだ、それが憧れとは分からない。ただ、イグーみたいになりたいと強く思った。

 そして、それと同時にもう一つ、気になっている事があった。どうしても、もう一度、ルンナに会いたかった。

「ねえ、ランバダどうしたの?」

 レイリアがさびしそうな顔でたずねた。ランバダがいなくなると分かってから、彼女は毎日、わたしが守ってあげるから行かないでと言っていた。

 今日も朝からずっと、イオニの店の前に置いてある椅子いすに二人で座っていた。むかえは午後から来るから、まだ、時間がある。

 実はソリヤとセリナは結局、イオニにはイゴン将軍の所に行くという事を話していた。最初は信じられない様子だったが、くわしく話を聞いて納得なっとくし、喜んだ。そして、街の誰にも話さなかった。

「ねえ、ランバダってば、どうしたの?」

 しつこくレイリアに聞かれ、ランバダはようやく顔を上げた。

「…うん、ちょっと、ルンナおばさんに会いに行ってくる。」

 レイリアの顔が一瞬いっしゅん、固まる。

「だめだよ、また、いやなこと言われるよ、きっと。」

「うん、でも、行ってくる。」

「でも、一人で行ったらあぶないよ。」

 レイリアはランバダのうでつかんだ。彼女もグースが目の前でさらわれた事に衝撃しょうげきを受けていた。それ以来、一人になるのを極端きょくたんこわがるようになった。

「お父さん、ランバダがルンナおばさんのところに行くって言うの!」

 レイリアは店の奥に向かって大声で呼びかけた。

「えー、なんだって、どこに行くって?」

 イオニが店の奥から出てきた。

「ランバダがルンナおばさんのところに行くって。」

 レイリアはもう一度、繰り返した。

 イオニはランバダを見つめた。ランバダはレイリアに腕を掴まれたまま、じっと道路の石畳いしだたみを見つめている。彼は頑固がんこな所がある。だから、一度、言い出したら聞かないだろう。イオニはうなずいた。

「シャルアン!ちょっと店番をたのむ!」

 大声で家の奥にいる妻に呼びかけ、イオニは娘とランバダの手を片方ずつにぎった。

「じゃ、行くぞ。」

 イオニの声を合図に三人は歩き出した。イオニはそっと左側を歩いているランバダを見つめた。

 後ろに結んだ髪がぴょんぴょんとねて可愛らしい。赤ん坊の頃から知っている。イオニは通りに誰もいない事を確認して、ランバダに話しかけた。

「なあ、ランバダ。お前、本当にイゴン将軍の所に行って大丈夫か。一人ぼっちでも大丈夫か?」

 何か考え込んでいたランバダが歩きながら、イオニを見上げた。レイリアも深刻しんこくな表情でイオニとランバダを交互に見つめている。

「…どうして?」

 逆にどうしてと聞かれ、イオニは困ってしまった。

「どうしてって、お前が心配だからだよ。苦しくて辛い事もたくさんあるぞ。どうしても耐えられなかったら、戻って来ていいんだぞ。」

「…うん、おじさん、ありがとう。でもね、ぼく、がんばるよ。だって、父さんが言ったんだ。

 どうしてもマウダをつかまえたいなら、もどって来るなって。にげないでがんばらないとマウダをつかまえることはできないって、父さんが言ったんだ。

 だから、ぼく、がんばるよ。そして、こくおうぐんに入ってマウダをつかまえるんだ。ルンナおばさんにもそれを言いたいんだ。ぼくが大きくなってマウダをつかまえて、グースをさがすって言いたいんだ。」

 イオニはおどろいた。あの優しいソリヤが、ランバダにそんなにきびしい言葉をかけていたとは信じられなかった。

 そして、ソリヤにそんな事を言わせるほど、ランバダの意志が固いと分かってしまった。マウダをつかまえてグースを探す。この事がランバダをふるい立たせている。

 イオニの胸が痛んだ。悲しくて切なかった。たった七歳の子供に、こんな決心をさせるマウダが許せなかった。それと同時にランバダが急速に成長しているのも感じた。

 周りの人間が何を言おうとも、ランバダはイゴン将軍の所に行く。

 レイリアもそれを分かっているから、可愛い顔の眉間みけんしわを寄せて、深刻な顔をしてだまりこくっているのだ。

 やがて、オブン家の前にやってきた。珍しくルンナが家の前に椅子を出し、街路樹の作る日陰で涼んでいた。

 ルンナが気づいて気まずそうな顔をする。立ち上がりかけたので、イオニはあわてて声をかけた。

「ルンナ、調子はどうだ?今日は、少しはいいのか?」

「…。」

 ルンナは気まずそうにうつむいた。

「いいんだ。今日はちょっと、ランバダが最後の挨拶あいさつに来たんだよ。」

 ルンナがはっとして子供達に目を走らせ、家の戸口をり返った。オリとブランを呼ぼうとしているのだ。ランバダがこの間来た時よりは、調子が良さそうだった。

「いやいや、お前さんに話があるんだと。ちょっと聞いてやってくれないか?」

 イオニの言葉にルンナは面食らったようにイオニを見つめ、それからそっとランバダと視線を合わせた。

 ランバダはつばを呑み込んだ。

「あの…、あのね、おばさん。ごめんなさい、ぼくがさらわれなくて。」

 ルンナの顔がぎょっとして、何か言おうと口を開きかけた。

「あのね、ぼく、大きくなったら、必ずこくおうぐんに入って、マウダをつかまえる。そして、グースを助けるんだ。だから、それまでまっててね。ぼく、つよくなって、みんなをまもるから。

 だから、だから、おばさんも早く元気になって。ぼく、おばさんがいつも声をかけてくれるから、うれしかったんだ。また、前みたいに元気になって。

 ぼくが必ずグースを助けるから、マウダをつかまえるから、そのために、イゴンしょうぐんにでし入りするから、だから、おばさんも早く元気になって。ぼく、必ずマウダをつかまえるから…。」

「もう、いいよ。」

 ルンナはたまらなくなって、ランバダをきしめた。心の奥底に冷えて固まっていた石のようなものが、けて流れ去っていくような感じがした。

「分かった、ありがとう、ランバダ。」

 緊張きんちょうして固まっていたランバダの小さな体が、ほっとしたのが分かった。

「ごめんね、ごめんね、ランバダ。」

 ルンナはすすり泣いた。涙があふれ出て声がかすれた。

「本当にごめんね。…ありがとう、ランバダ。ありがとうね。」

 ルンナは泣きながら、ランバダの背中をさすり続けた。こんなに小さな子が、マウダを捕まえると決心している間に、自分は一体何をしていたのだろう。ぼーっとして、悲しみにれて、当り散らして、子供達や隣人りんじんにひどい事を言って傷つけて。家族にも迷惑をかけっぱなしだ。

 やっとルンナは自分を取り戻した。ああ、神様、ありがとう、ランバダという子を送ってくれて。

 ルンナはグースを失ってから初めて、あたたかい気持ちになった。

 いつの間にか、周りに近所の人達が様子を見に出て来ていた。オリとブランの気配も後ろに感じた。

 みんな、心配そうに見守っている。あたしは、一体、どれほど、心配をかけていたのだろう。みんなが心配してくれている。ありがたいことじゃないか。ルンナは素直に感謝できる気持ちになった。

 感謝した途端とたん、なんだか、身も心もすっきりした感じがした。

 ルンナは静かに立ち上がった。

「みんな、ごめんなさい、心配をかけて。あたし…、あれ以来、どうかしてた。本当に何もかも嫌になっちゃって…。いろいろ親切にしてもらっても、何も感じなくて、かえってひがんだりして。本当にごめんなさい。」

 ルンナは涙をぬぐい、鼻をすすりながらあやまった。謝ったら、すっきり楽になった。

「いいさ、お互い様だ。俺だって、レイリアがさらわれていたら、そうなってたかもしれない。誰だって、子供が攫われたら、苦しくてやってられないよ。よく耐えられてるな。」

 イオニは心底、そんな気持ちで言った。自分だったらどうなったか分からない。本当にそう思っていた。

「…実は、まだ、グースの事を考えると涙が出てきちゃうよ。どれほど、寂しくて怖くて悲しい思いをしているかって。マウダは殺しはしないというから、それだけは救いだけど、でも、ちゃんとご飯は食べているかとか、食事を目にするたびにあの子に申し訳なくて、オリやブランだけは守らなくちゃって思って、それなのに、体に力が入らなくて。」

 ルンナは涙を拭った。

「だけど、今日、ランバダの決心を聞いて、苦しいのはあたしだけじゃないって、気が付けた。オリもブランもレイリアもランバダも見ていたのに、目の前で攫われてどれだけ傷ついたか、あたしは考えもせずに、本当にひどい事を言った。

 レイリア、ランバダ、ごめんね。本当にごめんね。そして、二人とも毎日のように来てくれてありがとう。これからも、オリとブランと遊んでやってくれる?」

 二人はうなずいた。

「いいよ、おばさん。ランバダはとおくに行っちゃうけど、あたしがいっしょにあそんであげる。」

 レイリアは神妙しんみょうな顔つきで言った。

「…ランバダは、だめかい?」

 ルンナはランバダに言った事を覚えていた。ランバダは誰よりも傷ついたのだ。だから、僕が攫われなくてごめんなさいだなんて、言ったのだ。

 よちよち歩きの頃から、何かが他の子供と違う事は分かっていた。だから、余計にセリナとランバダを気にかけてきた。

 そして、わざと傷つく言葉を選んで言った。どんな子供か分かっているから。そして、ランバダはきっとルンナを許してくれる。それも分かっていた。

 あたしは卑怯者ひきょうものだ、そう思いつつもルンナはランバダの返事を待った。オリとブランのために遊び相手を確保しておきたかった。母のルンナが子供達の人間関係をこわしたのだから、修復しゅうふくしておきたかった。

「…おばさん、あのね、ぼく、これから、イゴンしょうぐんの所にでしいりするから、いつもはいっしょにあそべないけど、かえってきたら一ばんに会いに行くってやくそくしたんだ。だから、ちゃんとあそびにいくよ。」

 イオニはランバダの口を押さえようとしたが間に合わなかった。一回目はルンナも気づいていなかったし、周りに人もいなかった。だが、今は気づいてしまった。

「なんだって、ランバダ。今のは一体、なんて言ったんだい?」

 ルンナに言われ、みんなに見つめられて、ランバダはきょとんとした。うっかり口をすべらせた事に気が付いていないのだ。きょとんとしたまま、イオニを見上げたので、全員の視線がイオニに集中した。

「イオニ、あんた、なんか知ってるのかい?」

 すっかり、調子を取り戻したルンナはイオニに尋ねた。イオニは汗をかきながら、頭をかいた。勝手に言っていいものやら、分からないが、しかし、こうなった以上は言わないわけにもいかないか…。

「みんな、どうしたの?」

 セリナの声に全員が振り返った。

「シャルアンにここにいるって聞いて来たの。」

 セリナはルンナの顔を見て、すぐに彼女が元気を取り戻したのが分かった。

「…ルンナ、大丈夫?なんか、元気みたいじゃない?」

「…うん。おかげさまですっかり目が覚めた所なの。ランバダのおかげよ。ところで、あんたの方こそ、大丈夫なの?顔色が悪いわ。もしかして、おめでたなの?さあ、ここに座って。」

 ルンナはセリナの顔を見るなり、彼女の妊娠にんしんに気づいた。自分が座っていた椅子に座らせる。

「ところで、セリナ、今、ランバダから聞いたんだけど、イゴン将軍の所に弟子入りするって本当なの?」

 ランバダは初めて口を滑らせた事に気が付いてはっとし、セリナを恐る恐る見つめた。イオニも困った顔をしている。大体、かくし通せる事でもなかった。セリナは覚悟かくごを決めて頷いた。

「ごめんなさい、本当の事なの。主人が持ってきた話で、なんだかとんとん拍子びょうしに決まっちゃって。

 急な話だったし、それに…うわさになっても困るし、とにかく、大事おおごとにしたくなかったの。もしかしたら、すぐにやめて帰ってくるかもしれないし、大したことじゃないのよ。子供さんの遊び相手になるだけだから。ついでに剣術を教えてくれるっていうそれだけの話なのよ。」

 セリナは必死に大した事ではないと強調しようとした。もし、ランバダが途中とちゅうで帰ってきたら、逃げて来たとか言われないように。

「でも、それだけでもすごい事じゃないか。」

 誰かが言った。

「子供さんが病弱だから、とろとろしてるランバダがちょうど良かった、それだけの話よ。…お願いだから、黙っててちょうだい。向こうにもお願いされているから、変にうわさになったら、困るのよ。」

 セリナが必死になればなるほど、人々は好奇の目でランバダとセリナを見つめた。初めてここにやって来た時と同じだった。とても、ソリヤが元々住んでいた地区には住めなかった。

 だから、花通りに結婚してすぐに引っ越したのだ。花通りでもなぜか、すぐに噂は広まった。

「やっぱり、隠し子でも良家のお坊ちゃまは違うんだな。」

 誰かが言った。一瞬にしてその場の空気が固まった。

「誰だい、今の?」

 ルンナは低い声を出した。油断するとすぐにこれだ。

「今のはひどすぎるぞ。」

 イオニも怒って周りを見渡した。みんな、彼が剣術道場に通っていた事を知っている。彼が本気を出せば太刀打ちできる人はそうはいない。

 一触即発いっしょくそくはつのぴりぴりした空気の中、うつむいて唇をんでいたランバダが突然、叫んだ。

「ぼくは、かくしごなんかじゃない!ぼくは、かくしごなんかじゃないんだ…!」

 全員がはっとした。

「そうだ、その通りだ、ランバダ!」

「よく言ったね、偉いよ、ランバダ。」

 イオニとルンナはすかさず、ランバダに同調した。その通りだ、心無い事を軽々しく口に出して。二人は憤慨ふんがいした。

 だが、一方で、セリナは心がえぐられるようだった。ああ、ランバダ、ごめんね。なぜ、本当の事が分かられてしまうの。誰にも何も言っていないのに。

「おばさん、セリナおばさん、大丈夫?たいへんだよ、ルンナおばさん!」

 レイリアが大声を出した。セリナが胸と腹のあたりを押さえていた。

「早く、医者を呼んで…!」

 ルンナは叫んだ。

 結局、ランバダはイゴン将軍の家に行く日、両親に見送ってもらう事はなかった。

 ソリヤは仕事を休めず、午前中で仕事を切り上げてきたセリナは、しばらく診療所にいなくてはならなくなった。パーナはそのために診療所に行き、ランバダを見送ったのはルダと何も分かっていない、リーヤとカユリ、向かいのハズン家の三人だけだった。

 少し寂しかったが、それでもランバダは元気に迎えの馬車に乗って行った。必ず、ぼくは強くなるんだという固い決意をもって。

 

 実はこの日、花通りではもう一つ事件があった。

 六番通りから、レグム家がひっそりと姿を消した。家令のドルチが死んだことも、なぜか大騒ぎになる事なく終わり、ランバダとセリナの事で話が持ち切りの間にレグム家から人気ひとけが消えた。

 いつも門番がいた門扉もんぴには、くさりかぎがかけられ、使用人達も共に姿を消した。

 二度とレグム家の人々を花通りで見かける事はなかったのである。





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