第13話 イイスとマルス

 並べられた兵士の遺体を見て、男はうなった。二十人編成の特別に訓練を受けさせた精鋭のはずだった。よろいを脱がせ、その傷を検分している所だ。

「上手い。それしか言えん。国王軍にもこれほどの弓の名手はいないだろう。」

「それほど、上手いか。」

 隣のもう一人の男が言った。

「上手い。考えてもみろ。鎧を着ている人間の首という狭い場所に、確実に矢を射ぬいているんだぞ。」

「なるほど、それもそうか。お前にはできんのか?」

 少しからかうように、感心しきりの男に言う。

「できんな。距離にもよるが、私はあまり弓が上手いとはいえん。敵に当たればいいという所か。」

 あっさり、武人は認めた。

「おい、どうだ、お前の見立ては。」

 先ほどから感心していた武人が、かがみこんで遺体を検分している若者に尋ねた。

「間違いありません。我が一族の手の者です。下手人は二人か三人でしょう。ですが、ほとんどは一人が殺しています。」

 若者は普段、あまり表情を見せないが、心なしか悔しそうな表情であるのを、彼の主人である武人は見抜いた。

「どうした、ブメス。悔しいのか?」

 彼は少ししてから、うなずいた。

「…はい。この鎧の隙間すきまを迷うことなく、急所を突き刺しています。骨に引っかかって、刺しなおす事もしていません。動きを封じるための他の傷も見当たりません。

 私なら、一度、動きを封じ、その後に止めを刺します。最低でも一人当たり、二動作以上が必要ですが、この人物は一回で急所を刺しているのです。」

 ブメスの詳しい説明に武人は頷いた。

「お前の故郷にいたか?」

「いいえ。先ほどから考えていましたが、我が里にはおりません。ですが、うわさでは聞いた事があります。昔ながらのおきてを守る里がいくつかあります。彼らは彼らでまとまっているのですが、その一つの里に素晴らしい舞をする少年がいると聞きました。

 そのうわさを聞いてから数年が経ちます。もしかしたら、その少年かもしれません。」

 珍しく饒舌じょうぜつなブメスに、武人ともう一人の男は顔を見合わせた。

「そうか。やはり、引き入れる事は難しいだろうな。」

「はい、おそらく。」

 また、いつもの表情に戻ってブメスは答えた。自分と同じニピ族である。そう簡単に考えを変えるとはとても思えない。だが、できればその人物の舞を見てみたかった。

「そうか。」

 短く武人は答えつつ、ブメスの様子から、相当な舞の名手だろうと考えた。ブメスとて名手と言われている。そのブメスが素晴らしいと評した。殺された二十人とて、腕はいい。何しろ、ブメスに訓練させたのだから。その全員が殺された。

 これは自分の主を傷つけようとした者達に対する伝言だ。自分達を狙う者は決して許さないということだ。

「さて、どうする?」

 隣の男が本当は分かっているくせに、言ってきた。

「何も変わらん。捕まえればいいだけの話だ。計画は変わらんさ。それより、イイス。お前の方は大丈夫なのか。」

 イイスはぼさぼさの長い髪を振り回すようにして、首を回した。近くにいると、その髪が凶器だ。目に入る。この男、サリカン人のくせに武術が苦手だった。

「ああ、そっちは心配いらない。私に任せておきなさい。」

 肩を回すとごきごき音がしている。相当な肩のりようだ。一見、ただのみすぼらしい男にしかみえないが、イイスの頭の切れは本物だ。

「ビルエ将軍、代理市長!」

 一人の兵士が走ってきた。連絡にきた下っ端の兵士なので、ビルエ将軍は知っていても代理市長は知らなかった。

「あ、あれ?は、将軍、子供が戻って来ました。」

 きょろきょろしていた兵士は、マルスを見て、慌てて姿勢をただして要件を述べた。

「やはり、そうか。村の外に出る道を知っているな。教えて来たのだろう。タグーという男に先回りして案内させておいて正解だったな。さて、私達もそろそろ行こうか。」

 髪もひげもぼさぼさの男が口を挟んだので、兵士は怪訝けげんそうな顔をした。

「マルス、行こう。」

 ビルエ将軍に気軽に声をかけるので、兵士は目をぱちくりさせ、何か言おうとするが上手く声を出せないでいる。

「大丈夫だ。こいつが代理市長だ。」

「え?」

 イイスは時々、こうやって人をからかって遊ぶくせがある。今も知らんふりして、馬にまたがっていた。


 ブルエは山に入ってすぐに、ランウルグを背負う事にした。あまりに暗くてランウルグは上手く歩けない。夜目が利くブルエが背負う方が早かった。それでも、知らない山道をしかも、夜に歩くのは容易ではない。

 その上、ランウルグの様子がおかしかった。なんだかぐったりしている。小声で話しかけても反応がにぶい。それに夏だとはいえ、妙に体が熱い。とうとう、一度、ランウルグを大木の根元におろし、様子を確かめた。

「若様、若様、大丈夫ですか。」

「う、ん。」

 返事はするものの、座るのもやっとだ。ひたいに手を当てると、少し熱があるらしい。

「さむい…。」

 ランウルグはつぶやいた。どうやら、雨に当たった上に、精神的に衝撃しょうげきを受けて、熱を出しているようだ。心身共に弱り、風邪を引いてしまったのかもしれない。

 ブルエは少し考えて決断した。ランウルグを背負うと急いで道を引き返し、山小屋に辿たどり着いた。ランウルグを山小屋に寝かせる。ここも、決していい場所ではない。追っ手にじきに見つかる。

「若様、少しの間、待っていて下さい。必ず戻って参りますから。」

「うん。」

 かろうじて返事はあるが、かなり具合が悪いらしい。ブルエにも薬草の知識はあるが、子供で体力が弱っている上に、追っ手に追われている状況では適切な治療ができない。風邪をこじらせ、肺炎になることだってある。

 ブルエは急いで山を下って行った。


 ドルセスはゆっくり、家に戻った。なんだか、早く戻る気になれなかった。

 父のヤイグの葬儀の準備をするために、多くの村人が集まっていたが、本当に父親の葬儀をしようという気は、村人にはなさそうだった。みんな、屋敷の火事と謎の兵士の一団や後からやってきた役人や、国王軍の事で話は持ちきりで、何度も母のカリーサに事情を説明させては、屋敷の住人に関わったからこうなったと、カリーサを責め立てた。

 オーシャは疲れ切って眠ってしまい、ドルセスはこっそり便所に行くふりをして、抜け出てきたのだった。

 ドルセスはぶらぶらと戻った。家の玄関は開け放たれ、夜も更けてきたというのに、多くの村人が集まって、興奮こうふん気味に話し続けたままだった。

「あのタグー、あいつ、兵士に金をもらったんだろ。俺に自慢したぞ。その割にはびくびくしてふるえてると思ったら、こっそり物陰ものかげから、様子を見てたらしいな。」

「一体、いくらもらったんだ?」

「分からん、もう、さっさと逃げたからな。あいつ、一体どこに行ったんだ?」

「どうも、後から来た国王軍の兵士に連れて行かれたみたいだぞ。」

 村人達はドルセスが出て行ったのも、帰ったのも気がついた様子はなかった。タグーは日頃から調子のいい、おちゃらけた若者でドルセスは好きではなかった。また、ランウルグとブルエの事を売るつもりなのだろう。心配になったが、おそらく野良仕事を嫌っているタグーには、あの獣道は知られていないはずだ。今、動けばさすがに村人に気づかれるかもしれない。

 それよりも、早く葬式の準備を村人達にさせようとドルセスは思った。何もしないで、騒いでいるだけの村人達にドルセスは無性に腹が立っていた。

 彼らは恐れるだけで何もせず、いつもヤイグに面倒ごとを押しつけていたのだ。口だけは達者で何もしなかった。もう、構うもんか。ドルセスは決意した。年若くとも、この一家の主は自分だ。大黒柱は自分なのだ。


「ふーん。この獣道が村の外につながる道か。本当に間違っていないだろうな?」

「は、はい、間違っていません。この道を通るほかはありませんから。」

 タグーは震えながら、イイスに証言した。しかし、待てども待てども、待っている人物達は現れない。

「やはり、子供に山小屋に案内させた方が良かったんじゃないか?」

 マルスが言うと、イイスは首を振った。

「夜の慣れない山道で違う道を案内されたらどうしようもない。それに、朝になったら一斉に捜索そうさくされると分かっていて、いつまでも同じ所にいやしないさ。

 ニピ族だったら夜目が利く。君のブメスだってそうだろう?私だったら、子供をおんぶしてでも夜のうちに村を脱出するね。

 だけど、あるじの子供を危険にさらす訳にはいかないから、道なき道を強引に進むわけにもいかない。だとすれば、地元の人間しか知らないような獣道なんかを行くしかない。だから、必ずここを通るはずさ。」

 イイスは自信たっぷりに言った。どこからそんな自信が出て来るのか分からないが、なぜか彼の計画は上手くいく事が多い。突発的な事象に対してもそうである。人の心理をよく見抜いているのだ。

 だから、マルスもイイスを信頼している。その時、ブメスが振り返った。猫のように辺りを見回し状況を見ている。動物のように研ぎ澄まされた五感はめったに狂わない。

 ブメスの様子にイイスがほらみろ、とばかりに口の端をあげてにやりとしてみせる。その目が松明の炎に怪しく光った。

 と、その時、何かが飛んできて、マルスは咄嗟とっさに身をよじった。びゅっと目の前を何かが飛んで、近くの木にぶつかった。

 石だ。

 皆が一斉に振り返る。次々に石が飛んできた。避けるのに難しい所、避けても他の人に当たる所に飛んでくる。

 イイスが急いでマルスの後ろに隠れ、ブメスがマルスの周りに飛んでくる石を、鉄扇てっせんで次々に打ち払った。珍しく、手首の骨に石が当たったのをマルスは見逃さなかった。かなり、痛かったはずだ。

 急に石が飛んで来るのが止んだ。

 ブメスとマルス、他の兵士が振り返った。びゅうっと何かが飛んで来て、マルスの後ろに隠れていたイイスの首に巻きついた。石を結んだ縄だ。あっという間に近くの茂みに引きずりこまれる。よく見れば、低木と低木の間で隙間があり、向こう側には空間があるようだ。

 イイスは死にはしないだろうが、気絶はしているかもしれない。

 ブメスがそっと茂みに近寄る。イイスの両足の先が茂みから出ている。しばらく、様子をうかがう。ブメスがマルスを振り返って指示を仰いだ。首を横に振った。それだけで、ブメスには通じる。

 だが、他の兵士は違う。音沙汰がないので、兵士達が近づき、一人がイイスの両足首を握った。

「触るな!」

 ブメスが注意したが間に合わなかった。いきなり、兵士は引きずり出そうと、イイスの足を引っ張ったのだ。

「うう!」

 イイスは痛みで呻きながら、意識を取り戻した。やはり、引っ張られた瞬間に気絶していたのだ。ブルエが絶妙な力で死なないように引いたから、イイスは気絶だけですんでいる。今は体をどこか押さえられていて、引かれた拍子ひょうしに痛みが走ったのだ。

 イイスはきっちりと首筋に刃物が当てられているのを感じた。いつの間にか首の縄は取られている。しかし、動けないように体を後ろから羽交はがめにされ、物凄ものすごく暑苦しい。女に抱き着かれるのはいいが、男にされるのは少し、気分が違う。しかも、茂みの小枝で顔中にひっかき傷が出来たような感じがする。

 イイスはやれやれとため息をついた。

「一体、何が目的だ?」

「お前達の正体を聞く事だ。お前達は一体、何者だ?何が目的でやってきて、屋敷中の者を皆殺しにし、火を放った?…答えろ!」

 この会話はもちろん、マルス達にも聞こえている。

「もし、答えなかったら?私を殺すのか。殺すつもりではないだろう、最初から。」

 ブルエは予想していたので、淡々と言った。

「もし、答えなかったら、まず、右目を失う。次に左目、右耳、左耳、鼻…と続く。」

 イイスはこいつは本当にやるかもしれないな、と思いつつもはったりをかけてみた。

「ふん。仮に答えを得たとして、どうやって逃げるつもりだ。」

 イイスはそこで、わざと小声でささやく。

「分かるか。そこにお前の同族がいるぞ。どうする?どうやって逃げるつもりだ?」

「おい、周りにいる者達は全員、二十歩以上離れろ!」

 ブルエは叫んで、イイスが悲鳴をあげるように、痛みの走るツボを押してめ上げた。

「いぎゃあああ!」

 イイスはブルエの期待通りに、派手に悲鳴を上げた。慌てて、兵士達は後ろに引き下がる。

「どうだ、答える気になったか。」

 ブルエの低い声に、イイスはあまりの痛さに出てきた涙と鼻水をすすりながら頷いた。

「分かった、分かったよ。」

 イイスは言いながら、考えていた。しゃべったら、殺されてしまうかもしれない。

「その前に一つ、約束して欲しい。話しても殺さないでくれ。まだ、やる事がたくさんあるし、死にたくな…ぎゃあああ!」

 右目のあたりに痛みが走り、イイスは叫んだ。血が流れて耳の方に伝っていくのを感じる。

「わ、分かった…、悪かった。答える。」

「お前の名前は?」

「イイス・サヌア。ネム市の代理市長だ。」

「代理市長?では、そこの軍人は何という名前のどこの所属の者だ?」

 ブルエは名前を聞いて、嫌な予感を感じながら、さらに尋ねた。

「あれは、私の友人のマルス・ビルエ将軍だ。」

「何?南方将軍がいるのか?」

 思わず短刀を持つ手に力が入る。

「ひいい、まだ、殺すな、本当だ、うそは言ってないぞ。」

 首筋に短刀が食い込み、イイスは必死だ。

 ブルエは考えた。なぜ、南方将軍が、西方将軍の所轄しょかつ区域にいるのか。しかし、これで兵士達が、国王軍の鎧を着けていなかった理由がはっきりした。西方将軍に無断で兵士を入れているからだ。これが明るみに出たら大問題になる。秘密を聞いたブルエを生かしておく気もないはずだ。

 彼らは何か途方もない事を考えている。主であるグイニスとランウルグを巻き込んで。

「では、なぜ、屋敷をおそった?屋敷中の者を皆殺しにしたのはなぜだ?」

 イイスは内心、困ったと思いながら、奇妙な事に自分をおどしている人物に好感を覚えた。狙うのはマルスでも良かったろうに、あえて自分を狙った。

 なかなか面白い奴じゃないか。そう思うと、笑いがこみ上げてきた。さすがに声を出して笑う気にはなれない。だが、おかげでようやく自分の調子を取り戻してきた。

「教えてやろう。証拠隠滅いんめつのためだ。できれば、お前の主人達を無傷で手に入れたかったが、上手くいかなかったのだろう。だから、第二段階として殺した。お前はこうなった事に対して怒っているのだろう。まあ、その気持ちは分かるさ。

 だが、お前がもし、裏切り者を見つけていたら、こうはならなかったはずだ。お前の手落ち…ぎゃ!」

 今度は左まぶたに痛みが走った。やはり、好感は持てない。

「聞き方を変える。お前達は誰を連れて行こうとしている?」

 イイスはため息をついた。さすがに大声では言えない。

「…グイニス・セルゲス・ジャノ・サリカタ公だ。

 子供がいるという情報だった。もし、実子なら人質に使えると思ったが、本当に血のつながった子供なのかどうか確証を得られなかった。セルゲス公は子供がいる事を公表されていないし、公には独身という事になっている。

 もしかしたら、子供の情報は嘘かもしれないし、養子か何か血の繋がりのない子供かもしれない。人質に使えないなら、殺していいと確かに命じた。」

 ブルエはイイスの答えに手ごたえを感じた。自分達の生き延びる唯一の方法は成功するかもしれない。

「もし、実子なら?その子はどうする?」

 イイスはぎょっとして、胸がざわつくのを感じた。これは成功するという確信にも似た感触…。だが、イイスはそれを隠し、素知らぬ顔で言葉を続けた。

「もし、実子なら願ってもいない事だ。セルゲス公を探す手間が省ける。」

 イイスの答えにブルエは確信した。つまり、あの後もグイニスは捕まっていない。彼らにとって、ランウルグは絶対に必要なはずだ。

「ただ、どうやって実子だと確認できる?実子だと確認できなければ意味がない。」

「見れば分かる。一目で。」

 イイスはブルエの答えに驚いた。

 自分の主人は公の実子だと証言したのも同然だ。もしかして、彼は自分達の元に投降しようとしているのではないか。何か、彼の主人にあったのだ。

「…もしかして、お前の主人はセルゲス公の御子息なのか?」

「…。医者はいるか?」

 ブルエは答えなかったが、イイスにはそれで十分だった。

「いる。…どうして欲しい?」

 ブルエはイイスにある事を小声で告げた。イイスは少し考え込んだ。が、悩んでいる時間はない。すぐに決断をした。

「いいだろう。お前の条件を全てのむ。後は、私に任せておけ。」

 そして、イイスはブルエにひそひそとある指示を出した。

「おい、今から、私は出ていく。だから、出て行くまで誰も、一歩たりとも動くな。一人でも動いたら私は死ぬ。特にブメス!動くなよ。頼むから動かないでくれ。」

 イイスは大声を出しながら、もぞもぞと繁みの中で動いた。その間にブルエがその場から離れていく。

「あいててて!なんだ、何かに引っかかった。」

 ブルエはいとも簡単に繁みの中から出て行ったのに、なぜかイイスは出て行くのが難しかった。

 動くたびにどこかが何かに引っかかる。ブルエに切られた顔の傷にも引っかかる。芝居でなく本当に時間がかかった。どうせ、あいつはもうとっくに行ってしまっただろう。イイスは思い、とうとう自力で脱出するのをあきらめた。

「おーい、頼む、誰か出してくれ。」

「近づいたら死ぬんじゃなかったのか?」

 マルスが近寄ってきて言った。

「うん。理由は後で話すから先に出してくれ。だけど、そっと…あいたたた!髪が小枝にひっかかってるんだ!」

 言い終わった時には繁みの外に引きずり出されていた。

「…なんていう顔だ。だけど、目はつぶされてないぞ。悲鳴の割にはまともな顔だ。」

 やれやれと立ち上がったイイスにマルスは手拭てぬぐいを渡した。

「分かってるさ。だけど、痛かったんだ。あいつ、わざと痛くなるようにしたに違いない。」

 イイスは血だらけの顔を拭いながら言い返した。

「しかも、勝手に私の名前を言ったな。」

 マルスは早く説明しろと暗に言っている。

「ちょっと事情があったんだよ。まあ、いいや。それより、タグーって奴、まだいるか。あいつに山小屋に案内させろ。あの子供の家の山小屋だ。そこに兵士を向かわせろ。そこにいる。」

 すぐにマルスが部下に指示を出し、タグーを連れて出発していく。精鋭部隊が全滅させられているので、兵士達のほとんどが山小屋に向かった。

 残ったのはマルスとブメスとイイス、そして、数名の兵士だけだ。山の中の獣道にこの人数だけになったので、兵士達がいなくなると、急に辺りが静かになって、かえるの声が妙に大きく聞こえてきた。

「おい、私達も向かうだろう。」

 いつまでも動こうとしないイイスに、マルスが苛立いらだちを隠しもせずに催促さいそくした。

 イイスは首を回し始め、下を向いた時にちらっとマルスを上目づかいに見て、ため息をついた。

「なんだ、その目は。」

「すまん、山小屋にはいない。人払いをした。あんまり、人に聞かれたらまずいからさ。」

 マルスは眉間みけんしわを寄せた。

「どういう事だ。お前一体、なんの取引をした?」

 マルスは離れていたので、全ての会話が聞こえた訳ではなかった。

「なあ、医者っているよな。軍医も来てるか?」

「お前の顔の治療に軍医が必要か?」

 マルスが明らかにぶち切れる寸前なのを見てとって、イイスは慌てて言った。

「違う、違う、私じゃない。医者を要求されたのさ。もし、ヤブだったら私が殺される。」

「医者を要求されたのか?」

「そうだ。いるか?」

「…いる。それより、ちゃんと説明しろ。」

 マルスの催促にイイスは、顔にこびりついた血をつけたまま、にやりとした。こういう表情の時、彼は手をつけられない。何やらいろいろ、素早く頭の中で計算し、計画を立てている。それが、上手くいくという実感がある時の表情だ。

「後で、おどろかしてやる。そろそろ、来るぞ。」

 イイスは一人で喉を鳴らして笑っている。知らない人がみたらおかしな奴にしか見えない。今は顔に血をつけているので、鬼神か何かのようだ。マルスでさえ、気味が悪い。

 ブメスがじっと獣道を見つめた。

「何者かがやってきます。」

「ああ、来たな。警戒しなくていい。というか、むしろ、するな。怪我をさせたらまずいからな。私達にとっては大事な大事なものがくる。」

 獣道をがさがさ歩いている音がする。黒い影が暗闇の向こうに見え、それが人型になり、かろうじて松明の火で物が見える所に立ち止った。両手を後ろに回し、むしろか何かにくるまったものを背負っている。

「お前か?さっき、私の顔を切りつけた奴は。」

 暗がりで姿を全く見ていなかったので、イイスは確認のため、わざと嫌味に言ってみた。

「…そうです。先ほどは失礼致しました。」

 拍子抜けするほど丁寧な調子である。しかし、声は間違いなかった。

「この通り、ちゃんと兵士を遠ざけたぞ。早く要件を言わないと、戻ってくる。」

「約束を守って頂き、ありがとうございます。残りの約束も守って頂けるものと信じて、ここにやって参りました。

 ですが、念のためにもう一度お尋ね致します。我が主の命と私自身の命を保証し、拘束せず、かつ助けて頂けるという事で間違いありませんか?」

 マルスとブメスがなんだと、という表情でこちらをにらんでいるのを感じたが、イイスは即答した。

「ああ、約束する。」

「そちらのビルエ将軍方も納得して頂いていますか。もし、私が死ねば必要な物は何一つ手に入らない。」

 マルスはすぐにイイスの意図を理解した。命を助ける代わりにこちらのいう事を聞いてもらうという事か。もしかして、と思いながらぼんやりした向こうの人影をみつめた。

「分かった。私も約束しよう。お前の言うとおりにしよう。二言はない。ブメス、お前も手は出すな。」

 ブメスが頭を下げる。

「この通り、全員が約束した。」

 ややあって、ブルエは歩き出した。本当にこれが正しいのかどうか、分からない。ただ、背中のランウルグを助けるには、今はこれしかない。

 お互いにはっきり見える所に立った。イイスはさんざん自分の顔を刻んだ男を、初めてじっくり観察した。

 まだ、若い青年である。長い黒髪を後ろで一つに結んでいる。ニピ族も古くは髪を伸ばす習慣があった。任務の都合上、出自を知られぬように髪を切る者も多い。ブメスも髪を切っている。青年はここら辺の村人の服を着ているが、その目つきは鋭い。山猫のようだ。

 青年は頭を下げた。

「私の名はブルエと申します。難しい約束をして頂き、感謝致します。」

 ブルエの名前を聞いて、わずかにブメスが顔をしかめた。

「お前の主人はどうしたのだ?」

 マルスが眉間に皺を寄せ、きびしい声を出した。

「我が主は御病気です。医者はいますか。すぐに診て頂きたいのですが。」

「お前の主は誰だ?セルゲス公ではないのか?」

 マルスは有無を言わせぬ強い口調でわざと言った。ブルエに誰が主人か言わせるためだ。 

 実は、マルスもイイスも子供の名前が何か、八大貴族が潜り込ませた間者を裏切らせて聞き出していたので、知っていた。イイスはわざとその事を言わなかった。

 ブルエが山猫のような目で、マルスを見つめた。しばし、マルスと視線が激しくぶつかり合う。だが、ブルエの方がふっと視線をそらした。背負っているものが動いたからだ。

「う、ううん。」

 か細い声がした。もぞもぞと動いて被さっていた筵が地面に落ちた。子供の手足が見える。

「うう、ブルエ、のど、かわいた…。」

 ブルエが首を後ろにひねって返事を返す。

「若様、大丈夫ですか?今しばらくお待ちください。もう少しだけ、お待ちください。」

「…うん。」

 子供はかなりぐったりしている様子だ。ブルエの表情がさっきと変わってかなり、優しい。

 それだけで間違いなかった。

 ブルエの主人は間違いなく、その子供だ。たとえ、父親のグイニスに雇われているとしても、その任務は間違いなくこの子を守る事である。

「ブルエ…なんか、あつい…むねが、どきどきする。あとね、むかむかする。」

「若様、むかむかするのですか?」

「う、うん。」

 ブルエは迷ったが、ランウルグが苦しそうにうめいて足をばたつかせたので、落ちた筵の上にランウルグを降ろし、急いでその様子を確かめた。ランウルグは普段から暴れたりしない。特に緊急事態の時には、本当に子供だろうかと思うほど、じっと静かに忍耐している。それが今、足をばたつかせるという事は相当、我慢していると考えられた。額に手を当てるとかなりの高熱が出ている上、浅い呼吸を繰り返している。熱のためにふらふらして、自力で座っていられないので、ブルエはランウルグを抱えた。

 ブルエはイイスとマルスを見上げた。

「お願いです。医者を呼んで頂けませんか。」

 イイスは腕を組んでマルスの反応を見ている。この辺はマルスに対応を任せるという事だろう。

「だめだ、先にその子の名前を言え。」

 マルスはわざと高圧的に、自分が優位の立場にある事を強調させて言った。相手は助けてもらいたいと思っている。だから、高圧的に畳み掛け、相手の心をくじかせる。一度、従えばこっちのものだ。

 ブルエは一瞬、視線を宙に泳がせ、考えるそぶりを見せた。さすがのニピ族も大事な主が病で動揺したのだとマルスは思った。上手い具合に子供が呻いた。実際のところ、早く医者に診せないと重篤になる恐れがあるだろう。

 ブルエは抱えている子供の顔を見つめた。

 落ちた。

 マルスは思った。ブルエは殺すのは惜しい人材だ。できれば手に入れたい。

「…そんなに名前が必要ですか?」

 ブルエの声はかすかに震えている。主君の名前を勝手に告げる事は、主君の命を危険にさらす事にもなるので、葛藤かっとうが大きいはずだ。

「そうだ。助けてやる代わりに確証が欲しいのだ。」

 うつむいていた顔をあげ、ブルエはマルスを睨みつけた。怒りに満ちたその視線に、マルスは一瞬、気おされそうになる。

「そんなに、そんなに名を知りたいのなら、その態度を改めたらどうだ!」

 ブルエが怒鳴った。ブメスが前に出ようとするのをマルスは手を出して止めた。なるほど、こうくるとは少し意外だった。

「もう、分かっているはずです!お二人ともこの方がどんな方か、見当がおつきになっているでしょう。だったら、なぜ、立ったまま、この方のお名前を聞こうとされるのですか…!不敬です!態度を改めて下さい!」

「これは、悪かった。確かに、君の言うとおりだ。」

 イイスが一本、取られたなという顔をしてマルスをちらっと見、自分はさっさと地面に膝をついた。

 マルスもイイスに習い、ブメスも仕方なくそれに従う。これでブルエは子供の名前を言わなくてはならなくなった。これで、名前を言わせるという作戦は成功である。

「…この方は、グイニス・セルゲス・ジャノ・サリカタ公の御嫡男、ランウルグ・セルゲス・ジャノ・サリカタ様です。」

 ブルエの言葉は、イイスとマルスには分かっていた事だったが、こうしてはっきり言われると衝撃的な事だった。

 グイニスに隠し子がいたのだ、世間では独身を通しているのに。いや、現実には前国王に結婚を許されなかったから、独身なのだ。

 国王に許されなかったのに子供がいる。これは大変な事だ。

 国を二分する。今だって、かろうじて国は一つだが、グイニスの行動一つで国は二分する。前国王のボルピス王はグイニスの叔父で、グイニスの後見人だった。グイニスの父、ウムグ王がグイニスが二歳の時に病で亡くなり、グイニスが十五歳になるまで後見人となり、王の代行者となった。

 だが、ボルピス王は自分が代行者だけで終わるのが許せなかったのだろう。グイニスが十歳になった時、その祝いの席で家来を使って自分を殺そうとしたと濡れ衣を着せ、王となる資格を奪い、玉座を奪った。

 ただ、子供であるという事で、ウムグ王の一番の側近であった貴族のスアルが唆したとして殺し、グイニスを首府のサプリュから遠く離れた田舎に追いやり、心の病だといって常に見張らせた。

 そして、十五歳をすぎても後見人が必要だとし、結婚も許さず、グイニスの子孫が残らないようにしようとしていたのだ。

 しかし、ボルピス王は晩年になると病にかかり、それを知ってか、グイニスは勝手にあちこち姿をくらますようになった。

 グイニスの病が本当であるかどうか、疑わしく思っていた貴族たちも動き始め、その事でボルピス王は相当苛立っていたが、結局、五年前に亡くなり、息子のタルナス王が即位し、今に至っている。

 タルナス王は即位したもののボルピス王の側近にがっちり固められ、王である以外、何の権力もない状況だ。当然、不満を持つ者が多くいて、グイニスの元に集まろうとする。それを王の側近たちが阻止しようとやっきになる。

 少しでも判断を間違えば命を失う。熾烈しれつな権力闘争が繰り返されているのだ。

 イイスとマルスは当然、この状況に不満だ。しかし、変えようと思っても当のグイニスが捕まらない。グイニスがいなければただの反乱にしかならないのだ。説得したくても会えない。公務で王宮にいる時もボルピス王時代からの貴族や官僚たちが取り囲み、うかつに近づけない。

 ようやく、情報を掴んで捕まえるように指示したものの、今回も走っている馬車の中から逃げられた。

 以前から、どうしてグイニスが協力したいと申し出る者と会おうとしないのか、不思議だった。本当におかしいのか、権力闘争にうんざりして戦う気も失せて、平和に暮らしたいのか、その気持ちさえも会って聞く事すらできなかった。

 だが、今日、二人の疑問は解けた。

 子供がいたのなら、納得できる。子供が大きくなるまでは、危険を避けたい。それに子供がさらわれて利用される事も避けたいはずだ。

 そして、ブルエが自分達が送った部隊を全滅させたのも理解できる。それくらいしなければ、主を守れない。ブルエはたいしたものだ。しかし、詰めが甘い。いや、それだけイイスとマルスの作戦が良かったのだ。こちらもかなりの痛手を負ったが、それだけの価値あるものを手に入れた。

 マルスはぐったりしているランウルグを見ながら、ブメスに軍医を連れてくるように指示した。

 確かにランウルグはグイニスの子供だ、と見るなりイイスは思った。一度、グイニスが公務でタルナス王の代わりにネムに巡幸に来た時、代理市長なので市内を案内してもてなした。だから、間近で顔を見て話もしている。松明の明かりの下で分かりにくくはあるが、髪の色と横顔がそっくりだ。

 心配そうにランウルグを抱えるブルエと、ブルエに安心して身を任せているランウルグの主従を見て、イイスとマルスはお互いに顔を見合わせてにやりとした。

 自分達の思ってもみない方向に事は動き出した。

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