第54話 見舞い(下)

 レイリアは少し緊張した。久しぶりに会うのだって、少しは緊張するものなのに、傷つきやすい人と会うのだから、余計だった。しかも、昔はいじめっ子だった相手である。どう接したらいいのか分からない、というのが正直なところだった。

 隣を見ると、ランバダはもっと緊張した表情をしている。たぶん、普通にしようと思ってもどうしたら、普通になるのか分からなくなっているのだろう。緊張しているランバダを見て、レイリアは少し緊張がほぐれた。

「失礼するよ。エイグ、友達を連れて来たよ。」

 ルイスが先に入って声をかけ、三人を招き入れた。

 エイグは背中にクッションを入れて、寝台の上に足を延ばして座っていた。布団をお腹の辺りまでかけて、本を読んでいたようだ。本にしおりをはさんで、横にいる三人を見上げた。

 レイリアはエイグを見て、びっくりした。栗色の長い髪が背中に流れている。寝巻の上からも左肩に包帯が巻かれているのが分かった。その包帯が巻かれている腕を布で吊ってある。顔にはあざがあり、腕にも傷を治療して包帯を巻いてあるのが見えた。しかも、体つきはとても華奢きゃしゃでほっそりしており、顔色はどこか青白い。

 それでも、エイグだという事は分かった。何より印象的な若葉が少しくなったくらいの、緑色の美しい目がレイリアに子供だったエイグを思い出させた。

 子供の時のエイグと比べて、レイリアはおどろいたのだ。何よりエイグのかもし出す雰囲気に驚いていた。彼はとても純粋で繊細せんさいな少年だった。触れたら壊れていしまいそうなほど、細やかな雰囲気を漂わせている。透明感があって溶けてしまいそうな氷の結晶のようだ。

 窓から差し込む光が、エイグの瞳に当たり、余計に彼を神秘的に見せているのかもしれない。それで、レイリアは理解した。ランバダが昨日、どうしても彼を助けようとした事と、彼が子供の頃、意地悪だったのは家庭の環境のせいだったのだという事を。とても繊細で純粋だから、その影響を強く受けてしまったのだと。

 エイグの方も驚いて、三人を眺めていた。まさか、三人やって来るとは思わなかったのだ。しかも、一人は女の子である。エイグはしばらく眺めているうちに気がついた。

「…レイリア?」

「そうよ、エイグ、気がつい……。」

 レイリアが言い終わる前に、ランバダがレイリアを押しのけた。

「エイグ…!よ、良かった、俺……。」

 ランバダは人を押しのけておいて、ちゃんと言葉にできずに泣き出した。驚くエイグにルイスが夕べの事を話したと説明した。彼らには言っておくべきだと思ってね、とルイスは言って、少し下がった。

「…ごめん、ランバダ。」

 おいおい泣きじゃくるランバダに、エイグは自然に謝っていた。ランバダが泣きながら、驚いて目をみはる。ホルが黙って小机の上からちり紙を取って、ランバダに手渡し、ランバダはそれを使いながらごみ箱の中に、ちり紙の小山をこしらえていた。

「これね、お土産。ランバダの家族とわたしの手作り。みんなで作ったの。」

 泣いているランバダの代わりにレイリアが説明した。ランバダは鼻をかみながら、何か説明を補足しようとしたが、何を言っているのか分からなかった。

「たぶん、今のはね、焼き菓子と蒸し菓子が入っているっていう説明。」

 ランバダがうなずく。

「…や、やきがしは、もつ……。」

 ずびずびと鼻をかんだ。

「お前、無理して説明しようとするの、やめろ。」

 とうとうホルに注意されている。

「焼き菓子は慌てなくても、しばらくは持つから安心よ。蒸し菓子の方から、早めに食べて。パサつくし、カビが生えるといけないから。でも、食べられなかったら無理しなくていいからね。捨ててもいいから。」

 レイリアの説明にエイグはうつむいた。

「…ありがとう。でも、受け取れないよ。」

 エイグの言葉に

「なんで?」

「なんでよ?」

 ランバダとレイリアの言葉が重なった。ランバダは今まで泣いていたくせに、驚いて涙が止まったらしい。直後、ランバダは鼻をずずず、とすすり、急いでちり紙で鼻をおさえた。

「…だって、私は受け取る資格がない。ランバダの家族みんなにそんなに親切にしてもらえるほど、私はいい子供ではなかった。」

「そんなん、関係ないだろ…!」

「今は関係ないでしょ…!」

 また、同時にランバダとレイリアは喋り出し、二人は一瞬、顔を見合わせた。

「同時に」

「同時に」

 声が重なるたびに二人は一瞬いっしゅんだまるがその呼吸が一緒なので、話し出すのも同じになる。

しゃべるなよ…!」

「喋んないでよ…!」

「お前ら、双子か?」

 ホルがとなりつぶやく。いつもなら、ランバダの方が引くのだが、今日のランバダは引かないので、レイリアが仕方なく黙った。

「とにかく、昔の話だろ。そんなんで遠慮えんりょなんかしないでくれよ。」

「そうよ、資格とかなんとかそんなこと、関係ないでしょ。」

 二人の勢いにエイグは、気圧されてランバダとレイリアを交互に見上げた。

「で、でも、私は子供の頃、二人をからかっていじめていた。」

 すると、レイリアがふん、と鼻で笑った。

「エイグ、あんた、忘れたの?このわたしが黙ってやられているとでも?」

 エイグはしばらく、考え、記憶の彼方を探るように視線を彷徨さまよわせた。

「…そういえば、ほうきを振り回していたような気がする……。」

 レイリアは上出来よ、というように胸を張った。

「そうよ、おんなおとこのランバダとおとこおんなのレイリアだって、言われていたでしょ。あんた、わたしに馬糞ばふんを投げ返されたの、覚えてないわけね?」

 エイグはえ?とレイリアを見つめ、それから眉根を寄せて、考え込んだ。

「二、三発、顔面に命中したわよ。ど真ん中ね。そしたら、泣きながら家に帰ったじゃない。あれは完全にわたしの勝利だったわね。」

 レイリアの発言にランバダも驚いて、レイリアを見つめた。

「レイリア、そんなことをしたんだ?」

「うん。腹が立ってね、馬糞を拾い集めてかごに入れておいたの。それで、エイグが一人の時を狙って、家から出てきた所、顔面に投げつけたわけよ。門番のおじさん達もいたけど、まさか、女の子がそんな事をするとは思わなかったんでしょ。完全に油断してたもん。」

 ニヤリとして言うレイリアの姿は、いじめられっ子ではなく、いじめっ子の姿である。

「……なんか、思い出した。急いで顔を洗ったような気がする。」

 エイグが小さな声で言った。

「それに、わたし、けっこう、言い返していたのよ。ランバダのかみをからかって、変な歌を歌ってたでしょ。だから、あんたの目の色で、アマガエル色の目玉、言いにくいから省略してカエルの目玉、とか言ってたんだけど。」

「そういえば、言ってたな。」

 ランバダがそうだ、というように手をポンと打った。

「エイグ、覚えてないの?わたし、変な歌も歌ったよ。『カエルの目玉のエイグは、雨の日ゲロゲロ鳴いている。ピョンピョン、ゲロゲロ、ピョンピョン、ゲロゲロ。』って、覚えてないの?けっこう、傑作けっさくだって思ってたのに。」

「改めて聞けば、けっこう、張り合ってたんだなあ。レイリアもかなり悪いんじゃないか。」

 ランバダがのんきに言うので、レイリアはにらみ返した。

「あんたが、やり返さないからでしょーが。」

「そういえば、あまりカエルが好きじゃないのって、そのせいなのかな…?」

 エイグの記憶の中では、あまり定着していなかった。

「とにかく、互角だったんだから、いじめてたとか、もう、こだわらない事ね。」

 レイリアはエッヘン、と胸を張った。

「レイリアの言っている事は本当だよ。俺がやらなくてもレイリアがやり返してたしね。気にしなくていいよ。昔の事は。」

「…そうなんだ。」

 エイグはどこか、不安そうな声で言った。

「ところでね、ランバダ。わたし、気になってたんだけど。」

 レイリアが一段落着いたところで聞いた。

「なんで、最初にカートン家に行こうって思わなかったの?」

「…え?」

 ランバダはレイリアの問いに固まった。

「ああ、そういえば、先生、失礼を承知でお聞きしたいんですが。」

 ホルがルイスにたずねた。

「俺も最初はそうした方がいいと思ったんです。でも、使用人達がカートン家に行って探し出すと言っていて。失礼ながら権力がある家だと、探し出されて連れ戻されるかなって思ったんです。実際の所はどうなんでしょうか?大丈夫だったんですか?」

 ルイスは笑った。

「確かにそういう恐れが全くないとは言い切れない。でもね、我々がなぜニピの踊りを習得しているかといえば、そういう時のためなんだ。患者の身に危険が及ぶところに、帰すことはできないからね。だから、大丈夫だったよ。

 ただ、今回の場合はこれで良かったんじゃないかな。一番、いい結果になったと思う。」

 ルイスの答えにホルは納得し、レイリアはランバダを振り返った。

「やっぱり、行って良かったんじゃない。なんで、カートン家に行こうって思わなかったの?」

 固まっていたランバダは、青ざめていた。レイリアは嫌な予感がした。まさか…。

「…気づかなかった。」

「え、なんて?」

 小さな声だったので、聞き返す。

「俺、気づかなかった、カートン家に行けば良かったって。」

「え?」

 エイグでさえ、みんなと一緒に聞き返した。

「だって、事件だって思ったから…!」

 ルイスが吹き出し、レイリアは盛大にため息をついた。一番、固まっているのはエイグとホルだった。

「あんたねえ、もう…!」

 レイリアが呆れるのと、ホルがランバダの頭をげんこつで殴ったのは同時だった。

「いってえ!」

 ランバダが頭を押さえる。

「また、ホル、叩く!」

「うるせえ!まったく、お前、本当に肝心なところは抜けてんだな!今回の事でよーく、分かったぜ。今度からは絶対に、遠慮えんりょなんかしねえからな…!」

「なんだ、それ、遠慮って…。」

「ほんと、ランバダって抜けてるから…!面倒見るの、大変だからね!」

 ランバダの抗議は、レイリアの発言で封じられてしまう。

 ランバダがむくれていると、目を真ん丸にしていたエイグがふふふ、と笑い出した。ランバダが思わず、エイグを見ると目が合った。

「ごめん…笑うつもりは…。」

 言いながらおかしそうに、腹を抱えて笑い出した。

「ははは、笑われたなあ、ランバダ。」

 ホルが横からからかい、レイリアも隣で笑い出した。最初からくくく、と笑っているルイスに、頭をポンポンとなでられ、

「大丈夫、たんこぶにもなってない。」

 と言われた途端、ランバダもとうとう一緒になって笑い出した。

 何より嬉しかったのは、エイグが笑っている事だ。子供の頃から、きっとこんな風に笑った事はなかったはずだ。エイグがこんなに楽しそうに笑っている姿を見た事がない。

 良かったな、とランバダは心から喜んでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る