第59話 「武勇伝」の多い少年

 ユイラは非常に心配している。

 宮廷医師団長のランゲルの妻として、夫の側にいる事もあったが、末息子のナーツが生まれ、成長してくるとそうも言っていられなくなった。乳母や誰かに見てもらう事ができず、つきっきりでみなくてはならなかった。

 非常にやんちゃで、悪戯いたずら好きなやんちゃ坊主だとか言う範疇はんちゅうではない。

 ナーツがハイハイできるようになった頃から、よく動く子だとは思っていた。だが、子供の成長はそれぞれなので、気にしてはいなかった。それが、二歳くらいの頃から通常ではない片鱗へんりんが見え始めた。気がついたらどこかへ行っており、いつの間にか、毒を採取するために飼っている毒蛇のおりを開けて、毒蛇を両手に一匹ずつにぎっていた。

 もちろん、かぎはかかっていたが、椅子に上って鍵掛から鍵を自分で取って開けたのだ。のど元をしっかり握っており、蛇は二匹とも難を逃れようとナーツの腕にからみついていたが、右手で握っていた蛇は窒息死していた。大変貴重な蛇で、ナーツがまれなくて良かったとほっとしつつも、どっと冷や汗をかいて、蛇が死んでしまったことに青ざめた。

 ちなみに左手に握られていた蛇は、生きている間中、ナーツがやって来ると檻のすみに逃げていた。

 二歳半の頃、薬草を管理している部屋に入り込み、全ての引き出しを片っ端から開けて回り、ナーツの背が届く範囲はんいの引き出し全ての薬草が床に散乱していた。その上、薬草をスルメでもむようにかみかみして、しゃぶっていた。その口に毒草がくわえられているのを見た時は、一瞬いっしゅん、思考が停止した。

 すぐに夫のランゲルを呼び、一族、一門の全員で何をしゃぶったかを調べ、ナーツがかじかじしたのが、全部で十三種類もあった事が分かった。すぐに解毒しようとみんなで知恵をしぼっていたが、当のナーツは少し熱を出し、りんごのすりおろしをたくさん食べた後、ぐうぐう眠って次の日はけろりとしていた。

 しばらく様子を見たが、何事もなく、そのおかげで新たな薬の調合が何種類か発見された。

 三歳の時、貴重な毒を持ったトカゲを、勝手に飼育箱から取り出して遊んで殺してしまい、その辺のトカゲを捕まえて押し込めてあった。似た事件で、五十匹ほどいた毒蜘蛛くもの内、大人の見よう見まねで三十匹も分解して殺してしまった。

 もちろん、鍵は管理する者が持ち歩き、ナーツが持ち出さないようにしているのだが、なぜか開け閉めしているので、様子をうかがった。すると、管理者が仕事で開けて中で作業をしているすきに、鍵を粘土に押し付けて型を取り、水の中に入れると石のように固くなる特殊な木の樹液で合鍵を作っていた。とても、三歳児の犯行とは思えなかった。

 他に宴会に使う、料理用の花を宴会の前日に全て刈り取り、酢漬けにしてあった。本当は砂糖漬けだし、そもそも、飾り用で砂糖漬け用とは別に分けていたものだった。料理の担当者が、一人は半狂乱になり、一人は心臓発作を引き起こし、大変な事になった。幸い、一命を取り留め、今はナーツがいない所で働いている。ナーツとしては手伝ってあげたつもりだった。

 他にも様々な武勇伝がある。薬草園の薬草を勝手に抜いたり、畑に農耕馬や牛を入れて薬草が滅茶苦茶めちゃくちゃになっていたこともあった。街の外に出かけた時に農家がやっていた事を見て、自分でやってみようと思ったという。だが、まだ幼いため力がなく、牛や馬を放すまでしかできなかったのだ。

 さらに成長してくると、読み書きができるようになり、やらかしてくれる事が増えた。図書館の目録をナイフでばらして折り紙をしていた。薬草などの図鑑ずかんに好きなように色を塗って遊んでいた。読める字の所だけ薬草学の本を読み、まだってはいけない薬草をせっせと刈りまくっていた事もあった。

 一番恐ろしかったのは、人体図鑑を見ながら、従弟いとこの赤ちゃんを連れてきて、おくるみを脱がせて並べていた時だった。この時は何かする前に赤ん坊を取り返せたので良かった。

 心労と過労でユイラが寝込んだ時、いつの間にか枕元におかゆせんじた薬が置いてあった。てっきり、一族の者が処方して使用人が置いておいてくれたものと思い、ユイラが食べて飲んだところ、死ぬ思いをした。実際に意識が遠のきかけ、あの世に行く所だった。

 後で分かったのは、ナーツが勝手に他の患者の物を持ってきて置いていたという事だった。寝込んだ母のためにもってきてくれたのだ。気持ちは嬉しいが、もう少し大人しくなってくれる方がもっと嬉しい母だった。

 当然、薬が消えていたので、担当者はこっぴどく叱られ、みんなで必死に探したという。

 これらはナーツが三歳から四歳にかけて、起こした事件だ。あまりに多すぎてユイラは全てを覚えていない。

 五歳ころからは口が達者になってきて、患者に言ってはいけない事を言い始めた。

 手術をするかどうか迷っている患者に、「おじさん、どうせ、手術してもしなくても死ぬんだから、した方がいいよ。その方がカートン家の医者の技術が向上するから、将来的に世のためになるんだよ。」と言った。突然、現れた子供に担当医と患者は唖然あぜんとし、あわててつかまえに来たユイラは、必死になって謝った。

 心を病み、毎日顔を真っ白におしろいでりまくっている女性に、

「どうせ、塗らなくたって不美人なんだから、塗らない方がましだよ。それにおしろいを塗ったからって、性格が悪いのは治らないよ。」

 と言った。彼女はその日から、おしろいを塗るのをやめた。

 もちろん、毎回、このように上手くいくわけはない。ほとんどの場合、本当の事を言うので、患者や大人を怒らせる。

「一体、この失礼な子供は、どこの子供だ!」

 と相手が怒鳴るたびに、ユイラや他の子供達、また、一族、一門の者は慌ててナーツの元に走り、頭を下げた。

 一番、ぎょっとしたのは、トアゴターン銀行を経営しているトベルンク家の当主に言った事だ。

「おじいさん、お金持ちのくせにケチなんだね。カートン家が無料で診療をしているのを知っているから、カートン家で治療を受けているくせに、どうして、今さら本当にお金を払わなくていいのか、なんて聞くの?」

 ランゲルが相手をしており、ナーツがやって来たので、あわててこの時一緒にいたトースに口をふさがせようとしたが、間に合わなかった。兄に捕まえられた腕の中でニコニコしてのたまったのである。

 急いでやって来たユイラは心臓が止まるかと思ったが、さすがトベルンク家の当主は、笑って聞き流してくれた。

「こいつは、たいした奴だ。ケチでないと銀行なんて経営できんでのう。それに、無料だからカートン家で診察を受けるんでないぞ。お前の父上をはじめ、カートン家の医者が有能だからだ。もし、有能でなくなったら、治療なんぞ受けんわ。」

「ふーん。」

「分かったなら、お前も一生懸命、勉強するんだぞ。」

 素直に分かったと言ってくれればいいものを、ナーツは言い放った。

「嫌だ。」

「ほう、嫌だと?なぜだ?」

「誰かに言われてやりたくない。それに、兄さんや姉さんの方が優秀ゆうしゅうだから、私はやらなくていいもん。」

 トベルンク家の当主は笑い出した。

「なるほど、なるほど。一理ありそうだが、そうもいかんぞ。なんせ、カートン家の子供が能無しで、読み書きも計算もできないと分かったら、他の奴らからうばわれるだけだ。分かるか?金持ちだと思われているからな、色々持って来いと言われる。そうなったら、どうする?」

「大丈夫だよ。ニピの踊りを習うから、強いもん。」

「おや、おかしいのう。わしの記憶なら、まずは学校を卒業し、医師に弟子入りしてからでないと、習えないはずだったが。」

「こっそり、習うもん。それに、早いうちから習った方が効率的だよ。」

「そうか、だがな、儂は年寄りだから、お前より知っている事がある。ニピの踊りは完全ではないのだぞ。ニピの踊りにも欠陥けっかんがある。だから、最強ではない。大勢で来られたら捕まってしまうかもしれんぞ。」

 さすがにナーツが考えこみ始めたので、急いでユイラは挨拶あいさつとお礼をし、ナーツを連れてその場をはなれた。

 その後、ランゲルはトベルンク家の当主に注意されたという。「あの子はしっかり育てれば大物になる。だが、失敗すれば大恥になる。」と。

 だが、今の所、ユイラはナーツをしっかり育てられている自信はない。

 ナーツはそれ以降も、事件を起こし続けた。七歳ころにはまった悪戯いたずらは、本の一文にもっともらしい一文や数文字を加えて、全然違う文章にする事だった。身近な本に始まり、図書館の蔵書に被害は及び、とうとう、ランゲルの備忘録びぼうろくにまで及んだ。

 その上、父親の字体に似せるという技まで編み出し、ある日、ランゲルは危うくタルナスに出す薬の処方を間違える所だった。

 この時ばかりはランゲルも、本気で怒った。まだ、七歳の子供の足首をつかみ、バルコニーの手すりの外側に逆さづりにしたくらいである。

 慌ててユイラをはじめ、その場にいた、ランゲルの兄のラクーサと弟のマルドがなだめ、ミンスは万一の時、ナーツを受け取れるように身構えた。

 さすがに放り投げたりはしなかった。おきゅうを据えるために、恐い思いをさせただけである。ところが、当のナーツは平気の平左で逆さまになるのを面白がり、ランゲルに逆さづりにされながら笑っていた。その上、次の日から逆立ちをする練習をしていた。

 それを見たランゲルは、さすがに頭を抱え、ナーツをサプリュのカートン家が開校している医療学校に入れるのをやめ、妻のユイラと共にコニュータにやる事に決めた。サプリュの学校は本当にカートン家一族だけの学校である。サプリュで仕事をする必要がある人の子供達が入れるようにしてあるものだ。

 ランゲルの仕事上、妻のユイラが必要な場面がいくつもあるので、サプリュにいてもらう方がありがたいのだが、ナーツの事がある限り、安心してサプリュに置いておけない。何をしでかすか分からないため、コニュータに送る決心をしたのだった。

 コニュータでもナーツはのびのびと成長した。サプリュよりものんびりしているため、ナーツは外で遊ぶ事が増えた。薬草園での悪戯いたずらがなくなったのは非常に良い事であったが、隣接しているリタの森に入り、たびたび行方不明となった。

 最初はおどろいていたユイラと一族と一門の者だったが、だんだん慣れっこになって、屋敷の中で悪さされるよりいいか、といい加減な気持ちになっていた。

 ナーツが十歳の時、気がついたら三日間も帰っていない事に気がついた。はっと気がついたユイラは、慌ててナーツを探し始めた。

 隣接しているリタの森には、周りに『街の森』と呼ばれる植樹林があり、街で人々が使うための木々を育てている。家の材木も含めて全てのコニュータで使用する分を育てているため、街の森だけでもかなり広大である。知らない人は自然林だと思うだろう。

 森の木々は、街に住むリタ族が管理している。街の人々が森の子族の領域に間違って入らないようにするためであり、また、間違って入った場合も、お互いに話をつけやすいからだ。

 街の森までは街に住む人も入っていい事になっているが、あまり、奥まで入る人はいない。

 ナーツは行方不明の間、街の森の管理人のリタ族に養って貰っていた。そのため、今回もそうかもしれないと思い、ユイラは探しに行ったが、管理人たちは知らないと答え、みんなで青ざめた。

 一族総出で、街の森の管理人たちにも手伝って貰い、探しまくった。もちろん、街の中も探した。どこにもいなくて、ユイラは気が遠くなった。

 とうとう、森の管理人達の一人が痕跡こんせきを見つけた。どうやら、街の森の奥に入り、さらにリタの森まで行ったらしい。彼らにお願いして、探しに行って貰った。ユイラも行こうとしたが、険しい道のりなので、待っているように告げられ、そうする事にした。

 そして、ナーツは帰って来た。話を聞けば、一人でやってきたナーツの大胆さを近くの村の村長に気に入られ、リタ族に戦闘せんとう稽古けいこをつけて貰っていたという。

 無事な姿のナーツを見た時、ユイラは叱るよりも何よりも、安心して気を失った。

 それ以来、さすがのナーツも黙って何日も森に行ったり、帰って来ないという事はなくなった。

 それでも、一日中おとなしく学校で勉強しているという事はなく、抜け出すことはしょちゅうだった。街に出て、街の子供達と遊ぶようになり、それだけならまだいいが、ちょっと悪い不良少年達とも遊ぶようになった。

 しかも、カートン家の子供と分かって、トベルンク家の当主に言われたように、たかられた事もあるらしい。リタ族の戦闘で切り抜けていたようだが、間に合わなくなってきて、時々、体にあざを作って帰って来る事もあった。

 それで、武術の基礎訓練を真面目にするようになった。剣術はニピ族が考案した、ニピの踊りにつながるものを習っている。真面目にするようになったのはいいが、今度はどうやらナーツが不良少年達を仕切っているらしい。わずか十一歳で、である。

 ナーツは十二歳になり、患者にあまり、本当の事を言わないようになった。それは、ナーツがなついているルイスが、「本当のことばかり言っていると、嫌われて誰も寄って来なくなるぞ。」と言ったからだ。

 しかし、ルイスはその後、余計な事を言った。

うそも方便ってあるだろう。とりあえず、権力者は金持ちの前では、うやまっているフリをしておくんだ。それは、患者に対しても同じだ。あまり、本当の事を言っていると、誰もカートン家に治療しに来なくなる。そうなったら、医者としてやっていけなくなる。

 患者が来なくなったら、お前は良くても他の一族が困る事になる。だから、お前は不満でもとりあえず、ニコニコして黙ってろ。患者が来ないと私も困るからな。医者としての腕をみがけなくなる。」

 ナーツは納得し、あまり、余計な事は言わないようになった。だが、先日、屋敷中の蝋燭ろうそくや灯り用の油やランプが消え去るという事件があった。まさか、泥棒が入ったのかと慌てたが、犯人はナーツだった。

 街の貧しい子供達に惜しみなく分け与えていたのだ。事は子供達の親達が、ランプや蝋燭を返しに来て発覚した。中には返しに来なかった家庭もあったが、ほとんどの家庭は返しに来た。

 とにかく、何かしない日がないナーツが、緊急事態が起こったとはいえ、サプリュに行くのは無謀むぼうな事のように思えた。

 ユイラは非常に心配だった。

(ああ、どうか、神様、ナーツが人様に何かご迷惑をおかけしませんように…!どうか、どうか、よろしくお願い致します。)

 毎日、ユイラは心から神に祈っている。

「ナーツ、絶対にお父様のご迷惑になるような事はしてはいけません。」

 コニュータを出発してから、毎日、ユイラはナーツに言い聞かせた。

「母上、分かってるって。もう、父上の備忘録に勝手に文章を書きこむような悪戯いたずらなんてしねえもん。今では父上が激怒げきどした理由も分かってるし。薬の処方を間違えれば、命に関わる事だと分かったからな。」

 ナーツは神妙にうなずき、言ってくれたが、母は本心から安堵あんどできなかった。この末息子のナーツがあまりに突き抜けているため、他の子供達に構う時間がないのが可哀そうだった。

 ちなみにナーツがコニュータに行くことが決まったので、上の子供達三人はサプリュに残り、サビアス、プリミア、グリアドの下の三人は一緒にコニュータに行った。特にグリアドはナーツと二つしか違わないので、時々、母に構って欲しい時もあっただろうと思う。

 だが、ナーツのすごさに他の子供達は大人にならざるを得なかった。プリミアもグリアドも自分の世界を持っており、プリミアは植物の種類に詳しく、グリアドは絵の天才だ。

 集中すると周りが聞こえなくなる二人だが、そんな二人も、「ナーツが…。」と言っただけで反応し、立ち上がる。

 一族と一門の中で、『ナーツ』の名は危険な名前である。

「早くサプリュに着かないかなあ。ルイスの兄貴は元気かなあ。」

 ナーツは馬車に揺られながら、窓の外を眺めてそんな事を言っている。プリミアとグリアドはそれぞれ、植物と絵の理論の専門書を読んでいたが、暗くなってきて本を閉じていた。

「ねえ、プリミア姉もグリアド兄もそう思わない?トース兄さんは時々、いないだけだけど、ルイス兄貴とアミ姉は全然、会わないだろ。時々、来た時しか。」

「…そうね。」

 プリミアが一応、返事を返す。

「なあ、なんで、二人ともそんなに無口なんだよ。ちぇっ、つまんねえな。」

「こら、舌打ちなんてして。いけません。」

 すかさずユイラが叱る。

「へーい、へい、へい。」

 母上は叱ってばかりだ、とか文句を言っている。早く着かねえかな、尻が痛いや、とぼやいているナーツを見ながら、どうか、問題を起こしませんように、と切に願うユイラだった。

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