第57話 薬の正体

 外にはルイスが乗って来た馬車が待っていた。

 走り出してしばらくしてから、ミリノは切り出した。

「実はですね、先生。わたし、知っているんです。奥様の手前、言わなかったのですが、あの初老の医者が坊ちゃまに何をしていたのか、知っているんです。」

 ミリノの言葉にルイスがはじかれたように、顔を上げてミリノを見つめた。

「知っていると?どうやって、分かったのですか?大叔父は用心深くて、すきを見せなかったはずです。」

 ミリノはうなずいた。

「わたしはあの医者を、丸七年、ずっとうたがっていました。あの旦那様が普通の医者にせる訳がないと、思ったのです。それが診せるという事は何か、理由があるはずだと疑っていました。でも、ニピ族の護衛ごえいがいて、容易には近づけなかったのです。」

「本当にニピ族でしたか?」

 ミリノにとって、意外な質問がルイスの口から出た。ルイスはまだ、二十代の若い医者だ。息子より年上とはいえ、割と近い年代である。つい、口調がぞんざいになった。

「どういう事なの?」

 ルイスはしまったという表情で口ごもった。

「大叔父の護衛は解かれているもので。」

 結局、ルイスはばつが悪そうに答えた。

「そう、ですか。あの人は一度もしゃべっている所を見た事がないんですよ。でもね、わたしがじろじろ見たせいか、それ以来、前を通っただけで警戒けいかいされていたんです。

 それが八か月前にようやく、何をしているか分かったんです。そして、二か月ほど前に証拠も手に入れました。」

 ミリノはそう言って、盗んだ薬の入った小瓶こびんを取り出した。

「!こ、これは、よく持ってこれましたね!これは、何の薬ですか!?もし、これが何かわかれば、治療をしやすくなります…!どんな薬か教えて下さい!」

 ルイスが興奮こうふんし、目の色を変えてミリノの手ごと小瓶をつかんで引き寄せた。どうも、カートン家の人間は薬の事となると、人が変わるらしいとミリノは思った。

 ルイスは、はっとして、手をひっこめた。

「申し訳ありません。つい、興奮してしまいました。これを調べさせて下さい。後は何の薬か私達が調べるべきで、それが私達の仕事なのに。」

 恥ずかしそうな様子でうつむくルイスに、ミリノは首を振った。

「いいんです。どうぞ、お持ち下さい。そして、坊ちゃまを助けてあげて下さい。」

 ルイスに小瓶を手渡した。

「奥様の化粧品が入っていた小瓶です。綺麗きれいに匂いが取れるまで洗い、乾燥させてから、入れました。せんも新しい物に変えてあります。全部移し替えると気づかれると思ったので、半分ほどしか持ってこれなかったんですが。」

「いいえ、十分です…!あるとないとでは、全く違います。」

 礼を言って、小瓶を薬箱兼道具箱にしまうルイスをミリノは見つめた。真面目そうな青年である。

「先生、それでね、わたし、その薬が何か知っています。」

 小瓶を出したせいで、最初に言った事を忘れてしまったかもしれないと、ミリノはもう一度、言った。

「そういえば、先ほどおっしゃっていましたね。」

 さすがに忘れていなかった。

「それ、どうも媚薬びやくらしいです。」

「え!?」

 ミリノの言葉にルイスは、小瓶が入っている薬箱を見つめた。

「どういう事ですか?」

 ミリノは自分がどうやって、それを知ったかその経緯を詳しく話した。彼女が詳しく話を進めれば進めるほど、ルイスの表情は険しくなっていく。最後には眉間みけんしわを寄せて腕を組み、右こぶしあごの下に当ててだまりこくった。

 しばらくして、ルイスは口を開いた。

「ミリノさん。大変、申し訳ないのですが、今の話を父にもして頂けませんか?もしかしたら、後二、三回はお願いするかもしれません。書記官を交えて正式な記録を作るとなれば、最低、後二回、今の話をして頂かなくてはならなくなるかと思います。」

 ミリノはエイグのためなので、すぐに了承りょうしょうした。

「…他に何か、例えば使った薬草とか、聞いたりしませんでしたか?」

 ルイスの質問に、ミリノは考え込んだ。

「そういえば、わたしには薬の名前かどうかは分からなかったんですが、何かを基本に使ったとか言っていました。えーと、シャ、なんとかって、言っていたと思います。」

「シャ、なんとか…ですか?」

 ルイスが腕を組んで考え始めた。

「えーと、待ってくださいよ、思い出せそう。確か…シャローとか、ジャローとかそんな言葉だったような気がします。」

「……まさか、ジャロンですか?」

 ミリノはあっと声を上げた。

「そうです、そうです!ジャロンって言ってました…!」

 ミリノはモヤモヤとしていたものを思い出せてすっきりしたが、同時にルイスは固まった。

「…先生、どうしました?」

 とてつもなく、悪い予感がして、ミリノはそっとルイスの肩を叩いた。

 ルイスの顔は真っ青で、ミリノに肩を叩かれたルイスは深いため息をつくと、ひざの上に両肘りょうひじをつき、両手で目をおおって泣き出してしまった。

「!」

 ミリノは言葉にならないおどろきで、思わずルイスの肩をさぶった。

「先生、どうしたんです?どうか、教えて下さい…!」

「…すみません。」

 ルイスはようやくそれだけ言って、しばらく静かに泣いていたが、御者に馬車を止めさせると、馬車を降り、まだ朝で人通りの少ない通りをしばらく歩いていた。ミリノが窓から様子をうかがうと、ウロウロしながら頭を整理し、手巾で涙をきながら、必死になって涙をおさえようとしていた。

 よほど重大な事だと、ミリノは覚悟した。まだ、若いから狼狽ろうばいしたのだろうが、それでも宮廷医師団長の父について歩いているのだ。有能でなければ、そんな事はないだろう。しかも、薬草の名前を聞いただけで、それが何の薬なのか、すぐに判断できた所をみれば、ルイスはかなり優秀な医者だろう。

 しばらくして、ルイスは戻ってきた。この時にはすでに涙は止まり、どうするか考えがまとまった様子だった。

「お見苦しい所をお見せしてしまい、申し訳ありません。」

 ルイスの謝罪にミリノは首を振った。自分だって衝撃しょうげきを受けて、部屋に戻ってから泣いた。

「先生、その、ジャロンとかいうのは、どんな薬なんですか?」

 ルイスは話そうとして、再び涙が込み上げてきた様子だが、なんとかこらえ、一呼吸おいて話し出した。

「…まず、エイグ君が記憶を失う理由が分かりました。ミリノさんのお話からして、その薬を服用させられていたと考えられます。もし、ジャロンを基本とした薬ならば、記憶を失うようになっておかしくありません。

 一部の森の子族が先読みをする時に使用しているのですが、先読みをする神官は、だんだん記憶を失うようになり、最後は常に夢を見ているかのような状態になります。

 量のさじ加減によって、興奮こうふんさせたり、麻酔薬に使えるのですが、量の加減がとてもむずかしい上に、薬草の成分の抽出の仕方一つによって、効能がいちじるしく変化するため、非常に扱いの難しい薬剤です。

 そのため、カートン家ではジャロンを通常使用する薬として認定していません。研究に使用する際には、カートン家の会議で承認されなければ、使う事はできません。ジャロンを栽培する薬草園も厳重げんじゅうに管理し、常に栽培した量と使用した量を確認する事になっています。」

 難しい事はミリノには分からなかったが、軽々しく扱っていい薬ではない、という事は分かった。

「じゃあ、あのおかしなお医者は、勝手に使っていたと…。」

 ルイスはうなずいた。

「はい。承認なしに研究しているということです。」

「…でもですよ、先生。それが分かれば、みんなで研究すれば、なんとか解毒薬か何かできないんですか?」

 ミリノの質問に、ルイスは難しい顔でため息をついた。

「申し訳ありません。非常に難しいです。なぜなら、新薬の開発において、カートン家の中で大叔父の右に出る者がいないからです。」

 ミリノは目を丸くして、ルイスを凝視ぎょうしした。

「医者としては、カートン家の中で父をもしのぐ、一番の医者でしょう。大叔父は天才なのです。道を踏み外す前は、いくつも良い薬を開発していました。新しい薬の調合をカートン家の初代に迫る勢いで、生み出していました。医者としても思いやりのある、いい医者だったと聞いています。

 私が子供の頃はすでに問題になっていましたので、実際に若い頃の良き医者だった時代を知りません。」

 ミリノは物凄ものすごく不安になった。それは、つまり……。

「申し訳ありません。」

 ルイスは深々と頭を下げた。

「今の段階では、ジャロンの解毒薬は作れないのです。」

「治療も、できないということですか?」

 ミリノの声はふるえた。

「治療はできます。薬を服用しなければ、徐々に薬の作用は抜けていくと考えられます。それよりも、まず、彼の場合はきちんと栄養をとり、体の傷を治すことから始めなければなりません。体がきちんと治っていなければ、ジャロンの副作用とたたかう事もできませんから。」

 ルイスの明確な答えに、ミリノは少し安心した。だが、次の瞬間しゅんかん、ルイスはもっと衝撃的しょうげきてきな発言をした。

「ミリノさん。先ほど、奥様にエイグ君が長生きできないかもれないと、覚悟して頂きたいとお願いしました。

 あの時は本当に可能性としてあり得る、という範疇はんちゅうでしたが、今は恐ろしい事に現実のものとなってしまいました。エイグ君は、長生きできないかもしれません。」

 だから、さっきルイスは泣いていたのだと、ミリノは理解した。だが、一言も声を出せない。

 本当はいろいろ言いたかった。カートン家の医者が、余計な事をしたから、坊ちゃまは生きられないと言ってやりたかった。あんた達がきちんと、おかしな医者を管理していないから、こうなったと怒鳴ってやりたかった。

 でも、目の前の青年医師にそんな事を言っても、何にもならないとミリノにも分かっていた。それに、彼自身、その事をよく承知していた。

「…申し訳ないです。私達が大叔父を……。座敷牢ざしきろうにでも閉じ込めておけば良かった…!」

 ルイスは言って、また、涙をこらえた。

 ミリノは何も言えず、二人はしばらく、馬車がゴトゴトと道を走る音を聞いていた。

「先生、わたし、思ったんですけどね。もう過ぎ去った事はなげいても仕方ありません。わたしも、ずっと何度も後悔しました。坊ちゃまの事では、本当に後悔することばかりで。

 でもね、先生、もし、坊ちゃまが長生きできないのなら、坊ちゃまが残りの人生を楽しく過ごして貰えるようにして頂きたいんです。

 ほら、昨日、助けてくれた、花通りに住んでいた子。いたでしょう。できれば、あの子に来てもらって、一緒にいて貰えればって思うんです。あの子ならずっと、気にかけて坊ちゃまと友達になってくれるはずです。事情を話せば、坊ちゃまの最後まで一緒にいてくれるんじゃないですか?わたし、そうします。あの子ぐらいしかいませんから。あの子に頼み込んで……。」

 何かに追い立てられるように話すミリノの提案をルイスは聞いていたが、顔を上げて、まだ話そうとするミリノを手で制し、はっきり明言した。

「ミリノさん。お気持ちは分かります。でも、ランバダ君に責任を押し付ける事はできません。彼は国王軍の訓練兵であり、それ以前にまだ少年なのです。

 昨日の事だけで、彼は相当心に傷を負ったでしょう。責任感のある子ですから、おそらく今日あたり、お見舞いに来るはずです。その上、もし彼が来たら、昨晩の事は話しておく必要があります。

 しかし、今の話は彼には話せませんし、もちろん、エイグ君にも言えません。余計な事を話せば、かえって友情にヒビが入るでしょう。ランバダ君の様子がおかしくなれば、すぐにエイグ君は気づきます。彼は人の心の機微きび敏感びんかんですから。そうなれば、エイグ君が事実を知るのに時間はかからず、彼は将来に希望を持てなくなり、余計に死期を早めてしまうかもしれません。

 ただ、エイグ君が生きられる限り、楽しく過ごして貰えるようにすることに関しては、同意します。ミリノさんがおっしゃるとおり、彼が心を許せる人が必要です。」

 ミリノはルイスの話を聞きながら、泣けてきて手巾で涙をぬぐった。自分は本当は責任を逃れたかっただけなのだ、と気がついて恥ずかしかった。今のところ、ミリノ以外に身近にずっといられる、エイグが心を許せる人間がいない。花通りの少年を用意する事で、自分の罪悪感から逃れたかったのだと。

「大叔父の作った薬は手ごわいですが、私はあきらめません。医者の本分として、ジャロンの治療を放棄ほうきする事などできません。こうなった以上、ジャロンの研究を大規模に進めるしかないでしょう。」

 ルイスの決意をミリノはだまって聞いていた。

「分かりました、先生。証言する以外にわたしは何をしたら、いいでしょう?」

 鼻声のミリノの質問に、ルイスはようやく強張った顔をやわらげた。

「ただ、一緒にいてあげて下さい。それだけでいいんです。」

 ああ…、確かにそうだと、ミリノはうなずいた。それ以外にできる事も、してあげられる事もないのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る