第2話 双子の兄弟・ランウルグ

 茶色の外套がいとう羽織はおり、黒い髪を後ろで一つにまとめて馬のしっぽのように垂らしている、若い青年剣士が、草むらの中をじっと見つめていた。

 彼の名前はブルエ。護衛すべきあるじの姿を探している。「ちょうちょをとって。」と言っておきながら姿をくらましたのだ。姿がないので、捕まえたちょうは放してやる。

 一瞬、焦ったがすぐにどこにいるか分かった。上手くいたつもりなのだ。だが、わざと、

「若様ー、若様、どちらに行かれましたか?」

 と探すふりをする。

「しーっ。」

 草むらの中から、ごそごそと子供がい出てきて、唇に指を立てた。

「若様、何を…。」

「しずかに、ブルエ、しずかにして。ほら、せっかく、うさぎがあなから出てきたのに、もどってしまったじゃないか。」

 炎のように真っ赤な髪を、後ろで一つに結んだ子供は、人形のように整って愛らしい顔つきをしている。子供らしくふくらんだほっぺたをますます膨らませて、ランウルグは怒っていた。

「申し訳ありません、若様。ですが、私の側を決して離れないとお約束しましたね。急にいなくなるとだめだと、あれほど申し上げましたのに。」

 侍従で護衛のブルエに反論され、ランウルグはう、と言葉に詰まった。

「た、たしかにやくそくはしたけど…ごめんなさい。うさぎがきゅうに出てきたから、あなをたしかめたかったんだ。」

「うーん。仕方ありませんね。今度から私に言って下さい。一緒に確かめましょう。私も子供の頃は、外で遊んでばかりでしたからね。」

 上目遣いにブルエを見ていたランウルグは、喜んで飛び跳ねた。

 その様子をにこにこしながら見ていたブルエは、自然に近づきながら子供の手を取り、さっと抱きかかえて地面に転がった。

 今までいた所に矢が突き刺さった。

 ランウルグは息を呑んだが、おどろきはしなかった。物心ついた時からそうだったのである。ブルエは三人目の護衛だった。

 ブルエはランウルグを抱えたまま、様子をうかがっていたが、ひそひそと指示を出した。

「若様、このままそっと匍匐ほふく前進です。大丈夫、私が気が付かなかったくらいですからね、一緒に行きますよ。いいですか。」

 ブルエは音もなく、剣を抜いて右手に持つと、しっかりとうなずいたランウルグと共に、草むらの中で匍匐前進を始めた。

 そして、前から目をつけていた、栗の大木の根本に、動物が空けた大きな穴の前に来た。中に毒虫や蛇など何もいないのを確認し、そこにランウルグを押し込む。

「ちょっと、窮屈きゅうくつですが、うさぎになったつもりで隠れていて下さい。」

「やしきにはもどらないの?」

「様子をみてからにしましょう。」

 ブルエの言葉にランウルグは素直にうなずいた。

 ブルエはじっと耳をそばだてて、辺りの様子を窺った。屋敷の方から、犬の激しい吠え声が聞こえる。屋敷の方でも騒ぎになっているようで、大声で怒鳴る声もした。

 地面から人が歩き、走り回っている振動が伝わってくる。

 ガサガサと近くの草むらが大きく揺れる。ブルエは獣のように、人の気配を正確に感じ取っていた。一人が先に歩き、もう一人が追いついた。

 ブルエは息を殺し、出て来た瞬間に斬り伏せようと身構えた。

「どうだった?」

「だめだ、失敗した。護衛に気づかれた。今、二人を探している所だ。」

 後から来た者が、先を歩く者に尋ねた。

「屋敷の方も失敗した。女中でさえも剣を扱う。どうする?」

「退却だ。そっちはお前に任せる。」

「お前は?」

「やる事がある。先に行け。」

「分かった。」

 彼らは合図の口笛を短く吹いた。

 やがて、足音がガサガサと草をかき分けながら、遠ざかって行き、かわりに多くの人々の走る音が近づいてきた。

「若様、若様ー、ブルエ、どこだ?」

 二人を探す聞き慣れた声がしてきて、ランウルグは大きく息を吐いた。

 ブルエはしばらく辺りの様子をうかがった。もう一人の刺客の行方が気になったが、ランウルグをいつまでも穴の中に入れておくわけにもいかない。

「いったん、出ましょう。」

 ブルエはランウルグを穴の中から引っ張り出した。彼は土だらけになったが、文句一つ言わなかった。命が助かっただけでも良かったと思っている。

 以前の護衛は二人とも自分を守るために、腕にランウルグを抱いたまま死んだ。

 だから、今日は何もなかった。無事だった。それだけで良かった。

 まだ、幼い少年は、若い青年剣士の左手をそっと握った。

 右手に抜身の剣を握ったままのブルエが振り返り、目が合うとわざとにっこりしてみせた。自分は大丈夫だと分かってもらえるように。

 ブルエの厳しい山猫のような目が、一瞬、和らいで優しくなった。彼に任せておけば大丈夫。そんな安心感があった。

 他の子供達はブルエを怖がるが、ランウルグにはそんな気持ちは全くない。

 どんな状況になろうとも、必ず守ってくれる。

 ギィィン

 ブルエが剣をふるった。草むらにまだ潜んでいた、刺客の剣を弾いたのだ。

 それと同時に、草むらから一頭の犬が飛び出してくる。犬が刺客の腕にみつく。

 ブルエは剣をふるった勢いのまま、自然な動きで犬に気を取られた相手の間合いに入り、剣の柄で殴り倒した。

 殺せば誰の手の者か分からなくなる。まだ、七歳だったが、年中刺客に追われてばかりだから、分かるようになってしまった。

 グサッ

 刺客の剣が地面に突き刺さった。均衡の取れた良い剣のようだ。普通の剣なら、大抵、ブルエに弾き飛ばされた後、地面に落ちるだけで突き刺さる事はない。

 本当に一瞬の出来事だったが、ランウルグは落ち着いていた。

 ブルエが剣を弾いた音を聞きつけて、多くの味方がぞろぞろと駆け寄って来た。ぐるりと三人を取り囲む。

 ブルエが殴り倒した刺客は、あっという間に縛られて連れていかれる。

 ランウルグはブルエから手を放し、剣の元に駆け寄った。

 かろうじて、剣の長さよりランウルグの方が背が高い。柄に手をかけるが、上手く地面から引き抜けなかった。

 思った以上に、剣は地面に深く刺さっていた。

 周りの大人達は何も言わずに見守っている。危ない時は、ブルエが対処すると分かっているからだ。

 ランウルグは体勢を崩し、想像以上に重たかった剣の重みで後ろによろめいたが、地面には倒れなかった。

 ブルエが支えたのだ。剣の柄を真上から左手で押さえ、右の大きなてのひらでランウルグの背中を支えていた。

「ありがとう。ほら、ねえ、ブルエ、この剣、いい剣だよ。」

「その通りです、若様。ですから、そのまま倒れれば若様の腕もざっくり切れていましたよ。

 大変、良い刀工の手の物です。おそらく、一点ものでしょう。柄の作りも良く、手になじみやすい。しっかりしている上に、柄頭の飾り石も黒瑪瑙くろめのうを使っている。見た目は地味ですが質の良い豪勢ごうせいな剣です。」

 ブルエの説明にランウルグはうなずいた。

「ね、ブルエ、そしたらこの剣を調べれば、だれが作ってだれにわたしたか、分かるんじゃない?さっきのしかくが自分で買ったとは、思えないもん。」

 ブルエはにっこりした。周りの者達も内心では舌を巻き、同時に誇りに思い、将来を楽しみに思う。成長したらどれほど賢くなるのかと。仕える側も主君が賢い方が嬉しい。

「その通りです、若様。ですから、しばらく預かりますよ。」

 ブルエの言葉にランウルグは素直に従った。周りの者達も安心する。実はランウルグは賢い分、悪戯いたずらもやんちゃも大人の裏をかくような事をするので、困る所もあった。

 それが、ほとんど無表情の、誰もが一目見るなり一歩下がってしまうような、普通の子供ならば誰も寄り付かない、護衛剣士のブルエになついている。

 ブルエもランウルグに対しては優しい表情を見せ、ランウルグを上手に扱う。

 だからといって、ブルエがランウルグを子供扱いしているわけでもない。説明すべき事はきちんと説明する。ランウルグもそれで納得するのだ。

 ブルエがランウルグの護衛剣士になってまだ三年目だが、すでに二人の間には主従関係が出来上がっており、そして、兄弟のような絆で結ばれていた。

「若様、ご無事でしたか。では、屋敷にお戻り下さい。」

 執事のモルサがやってきた。彼がやってきたという事は、屋敷の中も落ち着いたという事である。

「うん、分かった。みんなは大丈夫?だれもけがしなかった?」

 ランウルグの質問にモルサはにっこりした。

「はい、大丈夫ですよ。犬達も元気で落ち着いています。」

 確かに二頭の番犬も落ち着いていた。近くに何かがいる様子はない。

「よかった。だれもけがしなくて。じゃ、かえろう。」

 ランウルグはブルエと手をつなぐと、嬉しそうに歩き出した。他の者達もぐるっと取り囲んで護衛する。

 ランウルグはそれで良しとした。本当は護衛なんかいらない。普通に他の子供達と遊びたかった。

 刺客なんか来なければいいのに。そしたら、ブルエも国王軍に入れるのに。自分みたいな子供の護衛なんかしなくて済むのにな。

 鬼ごっこをしたりかけっこをしたり、かくれんぼをしたりそんな風に、命の心配なんかせずに遊んでみたかった。

 それでも、ランウルグは一言も文句を言わなかった。

 言えば彼らを困らすだけだと知っているから。護衛付きでも、外に出させてもらえるだけましなのだから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る