第17話 誘拐の真相(下)

 夜道をドルチはひっそりと歩いていた。灯篭とうろうのぼんやりとした明るさの中を、急いで歩く。

 ドルチはエイグにじいと呼ばれているが、そこまでとしではない。おじさん、ぐらいが適当な呼びかけの年齢だ。ガルジが爺と呼ぶようにエイグに言ったのだ。

 ドルチはため息をついた。自分の仕える主人が空恐ろしい人だと知っている。分かっていて仕えている。

 ドルチははっとして、立ち止まり、後ろを振り返った。誰かが付いてきたような気がしたのだ。今夜はマウダに残りの金を支払う。だから、誰にも気づかれてはいけない。

 暗い夜道に目をこらしてみたが、誰もいない。ドルチはほっとして、また歩き出した。次の角を右に曲がろうとした時、また、何かが視界に入ってはっとした。カタン、と音がして次の瞬間しゅんかん、チー、チューチューチューと鳴いた。

「なんだ、ねずみか。びっくりさせるな。」

 思わず小さく呟く。胸をで下ろして、歩き出そうとした。

「!」

 手を何者かにはらわれた。それなりに武術の心得はあるつもりだったが、不意を突かれた。灯篭が落ちて火が消え、辺りは真っ暗闇になった。方向さえ、分からない。

 ドルチは気付いたら、後ろから羽交はがめにされ、首に冷たい何か、おそらく短刀か何かの刃物を突き付けられた。

「何者だ…!」

 かろうじて、歯を食いしばり相手に誰何すいかするが、答えはないだろう。ただの物取りではないはずだ。ただの泥棒ごときに負けるドルチではない。もし、そうでなければ、ガルジが大金を預ける仕事を任せるわけがなかった。

「契約書を出せ。」

 相手はまだ若い男だ。顔を布でかくしているのか、くぐもった声だ。

「な、何の契約書だ?」

「とぼけるな。マウダの契約書だ。前金を払った時に受け取っただろう。今夜残りの金を支払った後、契約書を破棄はきするはずだ。その契約書を出せ。」

 ドルチは男の声を聞きながら相手の正体に思い当たった。マウダの話が出た時点で、ローロールの手の者だ。

(もしかして、チャムか?だから、あいつが留守中をねらったはずなのに。)

 以前からチャムはローロールの密偵ではないかと疑っていた。ローロールの主人のゲンスの信頼もあつい。ゲンスの護衛も兼ねているはずだから、ゲンスが留守のうちに行動を起こしたのだ。もし、違ったならドルチの調べが足りなかった。

「何をしている。早く出せ。」

 首筋の頸動脈けいどうみゃくの上にぴったりと刃物をつけられて、ドクドクと脈打つ血の流れを妙に感じた。このまま、相手に力を入れられたらドルチは死ぬ。

 仕方なく、ドルチは胸の中に手を入れ、マウダの契約書を取り出した。余計な物は持たないようにしているのが災いした。代わりに別の物で誤魔化ごまかす事ができない。契約書がなければ金を渡しても、ドルチは殺される。

「ま、待て。私に死ねというのか?」

「人を売り飛ばしておいて、言う事か。まあ、いいだろう。このまま、私を護衛という事にして連れて行け。余計な事を言ったり、逃げようとしたら、分かるな。どっちみち、お前は死ぬ。今はどうしたらいいか、分かるだろう。」

 ドルチは承諾しょうだくした。

「分かった。そうする。」

 やっと、ドルチは解放され、手探りで灯篭をつかんだ。ふところから火打石と懐紙かいしを取り出して、火をつけた。火花でさえ明るかった。懐紙に火花が燃え移り燃え始めた。この小さな火を消さないように、そっと灯篭の蝋燭ろうそくに移した。まぶしいほどにこの火の明りがありがたかった。

 懐紙の火を消し、ようやく辺りを見回した。

 男が影のようにドルチの真後ろに立っていた。全身、ほぼ真っ黒の装束しょうぞくを来ていて、やみに溶け込んでいる。後ろを見なければ、存在さえも忘れてしまいそうだ。

「行け、案内しろ。」

 ドルチは無言でうなずき、歩き出した。マウダとの密会場所は、運河のほとりの倉庫街の一角だ。小さな広場のようになっていて、倉庫と倉庫の間にある。船着き場にほど近く、逃げ道もあるし、見えにくい。

 二人が着くとすでに、そこにはマウダの一団が待っていた。

 覆面ふくめんをしていて顔が分からない。その中の一人は外套がいとうを着、頭からすっぽりかぶっている。初めて接触した時もそうだが、とにかく、恐ろしい集団だ。必要な事以外は一切口にしない。

 恰好かっこうをつけておどしてくる連中になら、負ける気など全くしないが、こいつらは違う。統制がとれていて無言でのやり取りが仲間内でできてしまう。国王軍とどっちが統制がとれているか、真面目に考えてしまうほどだ。

「金は持ってきたか?」

「はい…この通りかばんに入れて持ってきました。」

 ドルチが金の入った鞄を差し出すと、最初に話したのと別の人間が鞄を受け取り、中を確かめた。

 鞄の中にさらに木箱が入っており、その中に金貨と銀貨が入っている。契約した通りの金額より少し多めに入れている。万が一、何かあった時、それで事を収めてもらうためのものだ。賄賂わいろみたいなものだが、これでドルチは世を渡ってきた。

「どうだ?」

 今まで黙っていた、真ん中の外套を着た男が尋ねた。

 彼だけ覆面ふくめんをしておらず、背は平均的なドルチよりも少し高い。外套の隙間すきまから結んでいない、切りそろえられた髪がはみ出していた。髪の色は暗くてよく分からない。

「百スクル金貨一枚、一スクル銀貨五枚多いです。」

 確かめた男が答える。

「返せ。」

 一言で余分な金はドルチに返却された。手に金を握らされドルチは緊張を隠せなかった。次は契約書を出せと言われるに決まっている。

「百五スクルがお前の命の値段か?」

 長髪の男が金の受け渡しが終わるなり、言った。ドルチはぞっとした。やはり、どこかに隠れているらしい、男の存在はばれていたのか。

「なぜ、遅れた?」

 ドルチはつばを呑み込んだ。大抵の事では動じない自信があったドルチだが、今は恐怖が足元からじわじわとい登ってくるような感じがした。

 なんて言うか。言い訳すらも思いつかない。いや、言い訳をしたってすぐに見破られてしまう。それが分かるから、答えられない。

 ドルチが答えられないでいると、長髪の男は軽くため息をついた。

「そうか。では、質問を変えよう。ここには何人で来た?一人で来る約束のはずだが、後ろの小道に隠れているあれはなんだ?」

 ドルチの全身に冷や汗が吹きだしてきた。口の中はカラカラだ。それでも、答えなくてはならない。いっそ、洗いざらい話してしまおうかと思ったが、言えばあの男は助けてくれないだろう。

「…実は、護衛だ。いらないと言ったが、旦那様が連れて行けと言われるので、仕方なく連れてきた。それで、言い合っていたから来るのも遅れた。」

 ドルチのもっともらしいうそに、男はなるほど、とつぶやくように言った。ひとり言のような返事からは、ドルチの嘘に納得したようには見えなかった。

「護衛ならば、近くにいるべきだ。」

 男は言うなり、周りにいる連中に首を振ってみせた。無言で周りの者達がドルチを押さえにかかる。ふところに手を突っ込んできて、中に入っている物を片っ端から引っ張り出した。

「契約書はありません。」

 一人が報告した。ちょっとした事から異変に気付くその勘の鋭さで、今まで捕まらずに来たのだ。絶体絶命の状況で、ドルチはのんきにそんな分析ぶんせきをしていた。

 長髪の男が近づいてくる。外套の下の手が動いた。ドルチは押さえられていて動けない。殺される。そう、覚悟した。

 その時、ビュッと切る音がして、何かが耳元をかすめた。直後にガキィンと音がした。目の前の男が短刀で飛んできた物を弾いた。が、たやすくは弾かれず、思いがけず男の方に向かい、彼の左腕に外套の上からかすり傷を負わせて地面に落ちた。

 男が地面に落ちた刃物を拾う。

「ほう。飛刀か。」

 飛刀と呼ばれる小刀の一種だ。投げて使うが、投げ手に返ってきたり、弾いても戻ってきたりする特殊な刃物だ。彼はそれを服の帯に差し、腕の傷を別の者がさっと手拭いでしばった。

「こんなものを扱うとは。ただの護衛ではないな。お前が契約書を取ったのか?」

 いつの間にか、ドルチの後ろに黒装束の男が立っていたらしい。長髪の男がいささか感心した様子で言う。

「その通りだ。私は確認に来ただけだ。この男が死のうがどうなろうが、私には関係ない。確認できれば私は去る。邪魔をする気はない。」

「では、なぜ飛刀を投げた?この男が死んでからでも良かっただろう。」

 黒装束の男に長髪の男が問い返す。

「まだ、死なれては困る。」

 黒装束の男は言い、契約書を出して広げた。

「ここに書いてある通り、オブン・グースをさらわせる見返りに、前金で百五十スクル、そして今夜、三百八十スクル、計五百三十スクルを支払う。パゲイ・ドルチの名で署名をしてある。間違いないな?」

 くくく、と肩を軽く揺らして長髪の男が笑った。表情は外套のせいで見えない。

「一体、何のつもりだ?公警か、民警か?」

 すると、黒装束の男も笑い出した。

「そんな訳はない。言っただろう。確認するだけだと。レグム家の家令のパゲイ・ドルチが、このオブン・グースを攫うように、依頼してきたという事で間違いないか、知りたいだけだ。」

「なるほど。」

 長髪の男は少し考える素振そぶりを見せた。

「残念だがお互いに言わない事が前提だ。私の口からは言えない。」

 言いながら、すっとドルチの前にやってきた。黒装束の男ともかなり距離が近づく。ドルチは緊張した。長髪の男はドルチを見下ろしながら、さらに口を開いた。

「だが、一般的に契約書に嘘は書かない。嘘を書けば無意味だ。」

 それはその通りだと言っているのと同じだった。

「その契約書を返してもらおうか。」

 長髪の男は黒装束の男に向かって手を出した。わずかに顔が上向きになり、ドルチに外套で隠れていた顔が若干、見えた。まだ、若い。二十代後半くらいだろうか。

 黒装束の男が契約書を渡した。長髪の男は目をさっと走らせるなり、契約書を隣の別の男に差し出した。さっと受け取り、ドルチの持っている灯篭の明りから火をつけた。契約書が燃えていく。すぐに完全な灰となった。

「さて、私達の契約関係はこれで終わりだ。」

 長髪の男の声を合図に、金を持った男と数名がその場を後にした。残りの者と一緒にこの長髪の男も去るのだろうか。どうか、このまま去って欲しい。ドルチは願った。

 長髪の男が背を向けて歩き出し、他の者もそれに従い、進みだした。

「そういえば。」

 長髪の男が足を止めた。

「一つ、言う事を忘れていた。」

 くるっと体の向きを変え、外套をなびかせながらドルチに向かってきた。逃げる間もなかった。

「!」

 ドルチの体に衝撃しょうげきが走った。

「言っただろう。誰も連れて来るなと。一人で来なければ命はないと。」

 長髪の男はドルチの耳元でささやいた。足もとから力が抜けていくのを、長髪の男が支えている状態だった。

 彼が短刀を引き抜いた。わき腹の急所を刺されていた。熱い血が押さえようとした手にかかった。同時にドルチは地面に倒れた。そして、倒れる瞬間に無情にも、黒装束の男が立ち去って行くのが見えた。

 ふと、ドルチは気が付いた。冷酷れいこくな主人のガルジはこうなる事を予測していたのだろうか。もしかして、あの黒装束の男はガルジの命令でドルチを見張っていたのではないか。

 やはり、ガルジは知っていたのだ。だから、エイグにガルジの事を爺と呼ばせた。全て知っていたのだ、ガルジがいない間、屋敷の中で何が起こっていたのかを。

(ああ、坊ちゃん、私の…。)

 ドルチは意識を手放した。

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