第17話 誘拐の真相(下)
夜道をドルチはひっそりと歩いていた。
ドルチはエイグに
ドルチはため息をついた。自分の仕える主人が空恐ろしい人だと知っている。分かっていて仕えている。
ドルチははっとして、立ち止まり、後ろを振り返った。誰かが付いてきたような気がしたのだ。今夜はマウダに残りの金を支払う。だから、誰にも気づかれてはいけない。
暗い夜道に目をこらしてみたが、誰もいない。ドルチはほっとして、また歩き出した。次の角を右に曲がろうとした時、また、何かが視界に入ってはっとした。カタン、と音がして次の
「なんだ、ねずみか。びっくりさせるな。」
思わず小さく呟く。胸を
「!」
手を何者かに
ドルチは気付いたら、後ろから
「何者だ…!」
かろうじて、歯を食いしばり相手に
「契約書を出せ。」
相手はまだ若い男だ。顔を布で
「な、何の契約書だ?」
「とぼけるな。マウダの契約書だ。前金を払った時に受け取っただろう。今夜残りの金を支払った後、契約書を
ドルチは男の声を聞きながら相手の正体に思い当たった。マウダの話が出た時点で、ローロールの手の者だ。
(もしかして、チャムか?だから、あいつが留守中を
以前からチャムはローロールの密偵ではないかと疑っていた。ローロールの主人のゲンスの信頼も
「何をしている。早く出せ。」
首筋の
仕方なく、ドルチは胸の中に手を入れ、マウダの契約書を取り出した。余計な物は持たないようにしているのが災いした。代わりに別の物で
「ま、待て。私に死ねというのか?」
「人を売り飛ばしておいて、言う事か。まあ、いいだろう。このまま、私を護衛という事にして連れて行け。余計な事を言ったり、逃げようとしたら、分かるな。どっちみち、お前は死ぬ。今はどうしたらいいか、分かるだろう。」
ドルチは
「分かった。そうする。」
やっと、ドルチは解放され、手探りで灯篭を
懐紙の火を消し、ようやく辺りを見回した。
男が影のようにドルチの真後ろに立っていた。全身、ほぼ真っ黒の
「行け、案内しろ。」
ドルチは無言で
二人が着くとすでに、そこにはマウダの一団が待っていた。
「金は持ってきたか?」
「はい…この通り
ドルチが金の入った鞄を差し出すと、最初に話したのと別の人間が鞄を受け取り、中を確かめた。
鞄の中にさらに木箱が入っており、その中に金貨と銀貨が入っている。契約した通りの金額より少し多めに入れている。万が一、何かあった時、それで事を収めてもらうためのものだ。
「どうだ?」
今まで黙っていた、真ん中の外套を着た男が尋ねた。
彼だけ
「百スクル金貨一枚、一スクル銀貨五枚多いです。」
確かめた男が答える。
「返せ。」
一言で余分な金はドルチに返却された。手に金を握らされドルチは緊張を隠せなかった。次は契約書を出せと言われるに決まっている。
「百五スクルがお前の命の値段か?」
長髪の男が金の受け渡しが終わるなり、言った。ドルチはぞっとした。やはり、どこかに隠れているらしい、男の存在はばれていたのか。
「なぜ、遅れた?」
ドルチは
なんて言うか。言い訳すらも思いつかない。いや、言い訳をしたってすぐに見破られてしまう。それが分かるから、答えられない。
ドルチが答えられないでいると、長髪の男は軽くため息をついた。
「そうか。では、質問を変えよう。ここには何人で来た?一人で来る約束のはずだが、後ろの小道に隠れているあれはなんだ?」
ドルチの全身に冷や汗が吹きだしてきた。口の中はカラカラだ。それでも、答えなくてはならない。いっそ、洗いざらい話してしまおうかと思ったが、言えばあの男は助けてくれないだろう。
「…実は、護衛だ。いらないと言ったが、旦那様が連れて行けと言われるので、仕方なく連れてきた。それで、言い合っていたから来るのも遅れた。」
ドルチのもっともらしい
「護衛ならば、近くにいるべきだ。」
男は言うなり、周りにいる連中に首を振ってみせた。無言で周りの者達がドルチを押さえにかかる。
「契約書はありません。」
一人が報告した。ちょっとした事から異変に気付くその勘の鋭さで、今まで捕まらずに来たのだ。絶体絶命の状況で、ドルチはのんきにそんな
長髪の男が近づいてくる。外套の下の手が動いた。ドルチは押さえられていて動けない。殺される。そう、覚悟した。
その時、ビュッと切る音がして、何かが耳元をかすめた。直後にガキィンと音がした。目の前の男が短刀で飛んできた物を弾いた。が、たやすくは弾かれず、思いがけず男の方に向かい、彼の左腕に外套の上からかすり傷を負わせて地面に落ちた。
男が地面に落ちた刃物を拾う。
「ほう。飛刀か。」
飛刀と呼ばれる小刀の一種だ。投げて使うが、投げ手に返ってきたり、弾いても戻ってきたりする特殊な刃物だ。彼はそれを服の帯に差し、腕の傷を別の者がさっと手拭いでしばった。
「こんなものを扱うとは。ただの護衛ではないな。お前が契約書を取ったのか?」
いつの間にか、ドルチの後ろに黒装束の男が立っていたらしい。長髪の男がいささか感心した様子で言う。
「その通りだ。私は確認に来ただけだ。この男が死のうがどうなろうが、私には関係ない。確認できれば私は去る。邪魔をする気はない。」
「では、なぜ飛刀を投げた?この男が死んでからでも良かっただろう。」
黒装束の男に長髪の男が問い返す。
「まだ、死なれては困る。」
黒装束の男は言い、契約書を出して広げた。
「ここに書いてある通り、オブン・グースを
くくく、と肩を軽く揺らして長髪の男が笑った。表情は外套のせいで見えない。
「一体、何のつもりだ?公警か、民警か?」
すると、黒装束の男も笑い出した。
「そんな訳はない。言っただろう。確認するだけだと。レグム家の家令のパゲイ・ドルチが、このオブン・グースを攫うように、依頼してきたという事で間違いないか、知りたいだけだ。」
「なるほど。」
長髪の男は少し考える
「残念だがお互いに言わない事が前提だ。私の口からは言えない。」
言いながら、すっとドルチの前にやってきた。黒装束の男ともかなり距離が近づく。ドルチは緊張した。長髪の男はドルチを見下ろしながら、さらに口を開いた。
「だが、一般的に契約書に嘘は書かない。嘘を書けば無意味だ。」
それはその通りだと言っているのと同じだった。
「その契約書を返してもらおうか。」
長髪の男は黒装束の男に向かって手を出した。
黒装束の男が契約書を渡した。長髪の男は目をさっと走らせるなり、契約書を隣の別の男に差し出した。さっと受け取り、ドルチの持っている灯篭の明りから火をつけた。契約書が燃えていく。すぐに完全な灰となった。
「さて、私達の契約関係はこれで終わりだ。」
長髪の男の声を合図に、金を持った男と数名がその場を後にした。残りの者と一緒にこの長髪の男も去るのだろうか。どうか、このまま去って欲しい。ドルチは願った。
長髪の男が背を向けて歩き出し、他の者もそれに従い、進みだした。
「そういえば。」
長髪の男が足を止めた。
「一つ、言う事を忘れていた。」
くるっと体の向きを変え、外套をなびかせながらドルチに向かってきた。逃げる間もなかった。
「!」
ドルチの体に
「言っただろう。誰も連れて来るなと。一人で来なければ命はないと。」
長髪の男はドルチの耳元で
彼が短刀を引き抜いた。わき腹の急所を刺されていた。熱い血が押さえようとした手にかかった。同時にドルチは地面に倒れた。そして、倒れる瞬間に無情にも、黒装束の男が立ち去って行くのが見えた。
ふと、ドルチは気が付いた。
やはり、ガルジは知っていたのだ。だから、エイグにガルジの事を爺と呼ばせた。全て知っていたのだ、ガルジがいない間、屋敷の中で何が起こっていたのかを。
(ああ、坊ちゃん、私の…。)
ドルチは意識を手放した。
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