第3章 渦巻き始めた思い

第18話 王太后


 カルーラは王太后おうたいこうという立場に立っている。後宮の権力を一手に握っている。

 だが、満足していなかった。なぜなら、グイニスが生きているからだ。

 カルーラはグイニスの事が嫌いだった。いや、もっと強い感情だ。憎んでいる。おいであるが、血のつながりはないのだし、構わなかった。

 そもそも、ボルピスと結婚したのも、王族だからだ。当時のウムグ王の王弟である。なんとしても、結婚したかったカルーラは、その望みを叶えた。

 今の望みは、甥のグイニスを早く始末する事だ。

 昔はそれほど、グイニスの事が嫌いではなかった。若い頃は、まだ、色んな事に希望を持っていられた。

 だが、今はそうは思わない。夫のボルピスは女に手が早かった。色んな女に手を出し、妃を増やしていくにつれ、不安がつのっていった。

 息子のタルナスを何がなんでも王位につけたかった。

 まだ、グイニスが子供の頃、従兄のタルナスを実の兄のように慕っていた。子供達が他愛たわいもない話をするのを小耳に挟み、カルーラはますますグイニスが嫌いになった。

従兄あに上は王位につかないのですか?』

 グイニスが無邪気むじゃきにタルナスに尋ね、タルナスは答えた。

かないよ。王なんて大変な仕事だ。そんな面倒くさいことなんて、わざわざしたくない。貴族達はおべっかばかり使うし、誰も信用できないし、本当に頭を使うことばかりで、面倒ったらないよ。だから、私は王にはならない。』

『そ、そんなに王になるのは大変なのですか?それだったら、私もなりたくない…。』

 グイニスが泣きそうな声で言うと、タルナスは従弟の頭を優しくでた。

『何を言ってるんだ。お前はならなきゃいけないよ。だって、明日、お前の誕生日の式典で、お前は王太子に立太子されるんだからね。』

『私は不安です。できるかな…。』

 不安げな顔のグイニスに、タルナスは優しく微笑みかけた。

『大丈夫。なんのために私がいるんだ。私はお前を助けるためにいるんだよ。だから、心配なんていらないよ。何かあったら、必ずお前を助けるからね。何があっても私を信じて欲しい。』

『従兄上、うれしいです。』

 一見、カルーラは子供達の会話を、微笑ましく聞いているようにしか見えなかっただろう。

 だが、その心の内では憎しみに煮えたぎっていた。正当な王になれる血筋を持ちながら、王になりたくない、などと言う。だったら、その望みを叶えてやる。

 明日、その願いを叶えてやる。

 カルーラの中で激しい感情が渦巻いたのをはっきり覚えている。

 

 グイニスの朱色がかった透けるような赤い髪が嫌いだ。ボルピスは、グイニスほど見事な色ではない。もっと茶色がかった色をしていた。

 タルナスを産むとき、なぜか赤い髪の子供が生まれるという根拠のない自信を持って、お産に挑んだが、結果は茶色の髪だった。

 この赤い髪が恨めしかった。王家の血筋を示す、至高の髪の色。

 タルナスはこの髪の色ではなかった。カルーラはいたく、落胆した。だが、髪の色がなんだというのだ。

 要は権力を握ったもの勝ちだ。

 カルーラは息子のタルナスには、もっと権力に貪欲どんよくであって欲しい。自分が産んだ息子なら、もっと権力に固執してもよさそうなのに、タルナスにはそんな気配はない。本当に自分が産んだ子供なのだろうかとさえ、思うほどだ。

 だが、タルナスとカルーラは仲が悪い。グイニスに濡れ衣を着せ、ボルピスが王位を奪ってからというもの、タルナスは父母と敵対するようになった。

 グイニスの誕生日に王位を簒奪さんだつできたのは、グイニスの父のウムグが急死しただけでなく、母である王妃もまた、グイニスが八歳の時に病で亡くなっているからだ。義姉である王妃には、最後までグイニスを助けてくれと頼まれたが、言う事を聞く筋合いはない。

 この機会を逃すわけがない。

 それをなぜ、タルナスは分からないのか。

 グイニスの誕生日に王位を簒奪した日、タルナスが激高げっこうする姿を初めて見た。

『…許さない!なんて非道なことを…!わずか十歳のグイニスにこんなことを!』

 全身をふるわせて、ボルピスとカルーラをにらみつけた。ボルピスとは喧嘩けんかばかりしていたが、権力を得るという事に関してだけは、一致していた。

 まさか、息子からこんな反撃はんげきを食らうとは、ボルピスもカルーラも思っていなかった。

『誰に向かって物を言っている!』

 一瞬、おどろいたボルピスだったが、睨みつけて来るタルナスに対して腹を立て、怒鳴り返した。

 大体があまり、反抗しない子供だった。十四歳になっても、親に反発をした事がなかった。面倒くさがりで、欲がなかった。面倒くさがりだが、誰がごますりに来ているかなんかはすぐに気がついた。

 ボルピスが大声を出せば、渋々しぶしぶでも面倒だから言うことを大抵は聞いていた。

 だが、この日は違った。

 タルナスは一歩も引かなかった。

『ただのうわさだと信じたかった。父上も母上もそんな事はしないと、信じたかった。

 王位を狙っていると、聞いても笑い飛ばしていたのに、あなた達は息子の信頼を裏切り、私でさえも裏切り者の子供とした…!』

 はっとした時には遅かった。

 カルーラが止める間もなく、ボルピスがタルナスを平手打ちした。一回だけでなく、二回も三回も叩くので、カルーラは慌てて止めに入った。

『なんてことを…!立太子の式典をれた顔で受けさせる気なの!』

 カルーラの抗議こうぎをボルピスは、鼻で笑った。

『こんな軟弱なんじゃくな奴に立太子の式典を受ける資格はない…!』

 すると、タルナスは口元を手の甲できながら、カルーラを押しのけ、前に進み出た。

『最初から、資格などありません。』

 ボルピスの顔色が変わった。

『お前のために言っているのだぞ。』

 ボルピスの声が震え、怒りをこらえているのが分かった。

 だが、タルナスは負けなかった。見た事がないほど、怒りで目をきらきらと光らせて、全身をふるわせながら、声をしぼり出した。

『私のためではなく、ご自分のためではないですか…!』

 カルーラはタルナスを止めようと、腕をつかみ引き下がらせようとした。

 夫が爆発寸前だと分かるからだ。このまま、タルナスに話をさせれば、惨事さんじになる。カルーラのかんが告げていた。

 それなのに、タルナスはカルーラの手をはらった。

『私は一度たりとも、立太子されたいと望んだことはありません。父上と母上の望みではありませんか…!』

 ボルピスの目つきが変わり、卓上の文鎮ぶんちんに手を伸ばしたのと、カルーラがタルナスをかばおうと、前に出ようとしたのは同時だった。

 タルナスも咄嗟とっさに腕で自分を守ろうとしたが、カルーラと共に誰かに押されて二人一緒に後ろに尻餅しりもちをついた。

 ゴツッ、という鈍い音と共にカルーラは目を閉じたが、衝撃しょうげきはなかった。タルナスが殴られたと思い、慌てて目を開けると、二人の前に誰かが立ちふさがっていた。

 ボルピスの護衛のボーロだ。ニピ族の彼ならば、鉄扇てっせんで簡単にボルピスの手を振り払う事はできただろうに、ひたいに直接、文鎮を受けていた。

『お前…!』

 さすがにボルピスがおどろいて我に返り、文鎮を取り落とした。

『奥様、若様、お怪我けがはありませんか?』

 ボーロの額から血がボタボタとしたたり落ちた。

『…ボーロ、お前の方が…!』

 タルナスが声を震わせた。さっきまであった怒りが消え、目を真ん丸にしてボーロの額の傷を見つめている。

『…早く手当てをしなさい。』

 カルーラはニピ族が苦手であったが、彼の傷がかなり深いものだと見て、さすがにきついことは言わなかった。髪の毛の生えている皮と肉がめくれているように見えたのだ。

『奥様、お気遣い感謝致します。しかし、無用でございます。』

 ボルピスもカルーラもはっとした。タルナスも横で息を呑む。

『若様、若様のお気持ちに私は感銘かんめいを受けました。しかし、決して無理をなさいませんよう。

 どんな事があっても、旦那様は若様の父君であり、奥様は母君でございます。否定することのできない事実なのです。どうか、それをお忘れになりませんよう。』

 そして、ボーロはボルピスに向き直った。

 ボルピスは苦虫をつぶしたような顔をして、本当にいささかばつが悪そうにしている。

『…お前、どうするつもりだ?まさか、私の言った事を本気にしているのではあるまいな。』

 ボーロはボルピスが王位を簒奪さんだつしようとしていると知って、何度もやめるように言った。最後は懇願こんがんさえしたのだ。

 護衛のくせに余計な事を、と内心ではカルーラは馬鹿にしていた。

『護衛が出しゃばるな…!私を護衛だけしていればいいものを!』

『旦那様は変わられました。どうかそれだけはおやめ下さい。』

 そんなやり取りがしばらく続いた後、ボルピスは言ったのだ。

『そんなに嫌なら、私の護衛をやめれば良いのだ。どちらも選べないなら黙っていろ。』

 ボルピスの言葉に、ボーロがはっとしてだまり、青ざめた。そして、その後からボーロは何も言わなくなったので、てっきりボルピスの言うことを聞く事にしたのだと思っていたのだ。

 そして、グイニスから立太子の権利をうばい、即ち、王権を奪ったこの日、ボーロが死のうとしている、とカルーラも気が付いた。

『旦那様、我らニピ族の使命は、王族の護衛だけではありません。王族の血筋を絶やさないだけではなく、王権の安定と無駄な争いを防ぐ事が、我らの任務でございます。

 両方とも、重要な任務に就き、どちらかを選ぶことはできません。そして、旦那様に不要とされているのならば、私の存在価値はありません。

 ご存知の通り、ニピ族はお一人の方だけにお仕えいたします。他のお方にお仕えすることは致しません。』

『…待て、ボーロ、早まるな。』

 止めようとしたのはタルナスだった。

 タルナスの声に、背を向けているボーロの肩がわずかに動いて、一瞬、力が抜けたのが分かった。

『…旦那様、最後までお仕えできない事をお許し下さい。そして、お守りできない事を残念に思います。』

 ボルピスは何も言わなかった。ただ、ずっと黙っていた。若い頃からの護衛なので、実は衝撃しょうげきのあまり、何も言えずにいたのだろうとカルーラは思う。

『待て、ボーロ……!』

『お世話になりました。』

 ボーロはひざをついてボルピスに挨拶をすると、鉄扇を開いた。

 鉄扇はニピ族の武器であり、唯一ゆいいつ、彼らがこだわって美しくする道具だ。扇子の骨はほとんどさびの出ない鉄製で、普通、布地が張られている部分は、特殊な金属を織り込んであり、やわらかい光沢がある。ニピ族にかかればその布地の部分でさえも立派な刃物だ。

『やめろ…!』

 タルナスが叫んだのと、ボーロが下を向いたまま首を切ったのは同時だった。

 その瞬間しゅんかんの出来事は、さすがのカルーラも一生、忘れられないだろう。

 以外にもその死に顔はおだやかだった。口元にはかすかに笑みが浮かんでいた。

『…私の許しも得ずに勝手に死んだうえ、二君に仕えずと言いながら、タルナスの制止が嬉しかったのか、お前は。』

 ボルピスが珍しく、声を湿らせて発した一言が、カルーラの耳にいつまでも残った。

 ボーロは頸動脈けいどうみゃくを切ったのに、部屋はあまり汚れず、絨毯じゅうたんを取り換えるだけで済んだ。ニピ族らしく綺麗きれいに切った、と遺体を検分したカートン家の医者は言った。下を向いたまま綺麗に切ったので、血が部屋中に飛び散る事がなかったと。

 余談だが、ボルピスはその後も、なぜかその部屋を執務室として使い続けた。

 

 そして、カルーラは苦手だったニピ族が嫌いになった。

 なぜ、死ぬまで忠実でいようとするのか。口先だけで言うやからなら大勢いる。しかし、彼らは実行してしまうのだ。

 そこがカルーラには理解できないところだ。金だけで動く連中の方が理解できる。そっちの方が簡単だし、最初から信頼もないし、捨てる時も簡単だ。

 だから、王太后になった今も、カルーラはニピ族の護衛はつけていない。つけたくないのだ。

 しかし、妃の中にもニピ族の血を引く者がいる。それが、ティースンス妃だ。ピリナという名前で姓がない。そこからも、彼女がニピ族の血を引く者だと推測すいそくできる。与えられた位がそのまま姓になっている。

 まあ、位を名前にするのは普通にあるので、誰も気にしていないが、カルーラは気になった。なぜか、あの女はカルーラの過去を知っていた。

 あの女は得体が知れない。何を考えているのかも分からない。なぜ、お針子上がりのウェルシアとつるんで、余計な入れ知恵をするのかも分からない。

 グイニスの事をどう考えているのかも、分からなかった。なぜか、ウェルシアの兄だという護衛にグイニスの後を追わせている。

 ただ、一つ言える事は、ニピ族の血筋の女が動けば、自分達も警戒けいかいせざるを得ないという事だ。あの女達に先を越されたくないと思うが、目立ってもならないとも思う。

 実はカルーラは、数年前よりスクーキ=マリャから情報を貰い、グイニスに刺客を送っている。まだ、ボルピスが生きていて、病状がどんどん悪くなって死にそうな頃からである。その時にこんな会話をした。

『なぜ、わたくしにそんな事を話すのか?何が目的だ?』

 カルーラが尋ねると、家督かとくを継いだばかりのスクーキ=マリャはにやりと笑った。

『一人より、二人の方が早いでしょう。王妃様も早く処理なさりたいと思いまして。』

 実にカルーラが理解できる人間とは、こんな奴である。

『そうか。分かった。何が望みじゃ?』

『望みなどありません。』

 カルーラは笑った。

『嘘じゃ。早く申してみよ。』

『それでは、私が必要な時に申し出るという事で良いでしょうか。』

『なるほど。分かった。…ところで、そなたはリイカに兄を殺させたのか?』

 リイカはグイニスの姉である。カルーラは彼女にも時々、刺客を送っていた。

 模擬もぎの騎馬戦が好きなお転婆てんば姫だった。実際にボルピスが本物の騎馬戦に送り込み、泣いて帰って来るかと思いきや、数年で戦果を挙げてみせた根性のある姫である。

 カルーラはリイカの事も嫌いだが、そこは認めよう。

 だが、生かしておく理由にはならない。できれば、リイカもグイニスと共に死んでしまえば良い。軍功いちじるしいリイカがグイニスと事を起こせば、簡単にタルナスの玉座は取り返されてしまうのだ。

 このスクーキ=マリャの兄のスクーキ=バルは、リイカの元上司であるが、リイカとは犬猿の仲だった。

 カルーラの指摘にスクーキ=マリャは不敵に笑った。

『滅相もございません。かりにも戦姫様にそのように大胆な事を、私がどうしてできるでしょうか。』

 答えはもちろん、その通り、という事だ。

『どうせ、リイカに何か吹き込んだのであろう。まあ、良い。今後も良い話を持ってくるが良い。』

 それ以来、マリャからグイニスの情報が入ってくるたびに、刺客を送り続けている。

 だが、未だに殺せていない。何しろ、ニピ族の護衛が優秀なのだ、と暗殺に失敗した刺客が必死に言い訳をしていた。

 そのうち、グイニスに子供がいるという事も分かった。もちろん、タルナスには知らせず、ひそかに始末するつもりだ。

 八大貴族のバムス・レルスリにも知らせていない。バムスは、グイニスをけむたがっている訳ではない事をカルーラは分かっている。

 八大貴族としての利益は追及しつつも、バムスは決してグイニスを殺すような真似はしない。王家の血筋を絶やすような真似はしない。それが分かっているから知らせないのだ。

 一番、厄介やっかいな相手だとカルーラは思っている。静かで淡々としているが、きちんと筋が通っている。

 一方で、マリャはレルスリ家を超えようと、虎視眈々こしたんたんすきねらっている。だから、カルーラと手を結んだのだ。

 だが、おそらくそれは、バムスも知っているはずだ。分かっていて黙認もくにんしていると思われる。厄介な相手である。

 その次がピリナ・ティースンスだ。王子を産んで調子に乗っているのだろうか。なぜか、何をやらせてもダメなオルザンを結婚させようと画策を始めたようだ。全くその意図が読めない。

 バムスにしろピリナにしろ二人に共通するのが、腹の底で何を考えているのか分からない、という事だ。

 思惑が分からないので不気味な存在だった。

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