第31話 面会(下)
マルスと会った後、イイスは馬の貸し出しをする店で馬を借りた。先日、借りに行った時は、店で働く少年が、何も言わないのに農耕馬を引いて来たが、今日は同じ少年がイイスにどの馬にするか、きちんと尋ねてきた。
服装というものはこんなにも影響するものかと、イイスは驚いた。おそらくこの少年は、先日農耕馬を貸し出そうとした客とイイスが同一人物だと、全く気が付いていないだろう。だから、詐欺がまかり通るのだろう。もちろん、詐欺師になるつもりはないが。
「乗馬用の馬だ。私が見てもいいか?」
「はい、もちろんです。こちらにどうぞ。」
馬がたくさんいる
「一頭当たり、一日借りるといくらかな?」
「十五セルです。」
イイスが最初に持っていた有り金と同じ金額だった。だが、今日は心配はいらない。十五セルしか持っていないと知ったランウルグが、持たせてくれたのである。なかなか気の利く若様だ。
「その栗毛の馬を見せてくれ。」
少年が手綱をほどいて、その馬を厩舎から出した。かなりいい馬だ。足を怪我をしている様子もない。健康状態も良さそうだ。
「その馬にする。名前は?」
「ホッピーです。」
イイスは馬を引いた少年と受付まで戻った。少年が
「ところで、君、ハオサンセ殿の屋敷に行くにはどう行くのが一番いい?」
馬を待っている間にイイスは、受付にいる青年に尋ねてみた。
「観光案内の地図はお持ちではないんですか?」
青年は不思議そうに聞き返した。確かに地図には分かりやすく書いてある。
「ああ、地図は持っている。ただ、地元の人しか知らないような近道があるのかと思って尋ねてみただけだ。」
「そうですか。…でも、地図通りに行くのが一番、早いと思いますよ。」
青年が言ったので、イイスは馬を借りると地図通りにハオサンセの屋敷に向かった。父のドルガに友人に会うと言ったのは、嘘ではない。一応、友人に連絡はしてある。
イイスは堂々とハオサンセの屋敷の門前に来ると、来訪を告げた。門番が二人、立って見張っている。
ハオサンセの屋敷は三角州のほぼ真ん中にある。一番、盛り土を高くしてあり、シタレで一番、巨大な建物である。いざという時は城砦となり、市民を守るための建物となる。すでに建てられてから五回の洪水を経ているが、一度も破損したことがない、丈夫な建物だ。
当然、雇われている人間も数が多い。ハオサンセは貴族の中でも珍しく、代理市長を置いていない。サプリュに行かなくてはならない事も多いので、普通は代理市長を置いている。だが、ハオサンセは昔ながらのように、自らシタレの街を管理していた。
だから、この巨大なハオサンセの屋敷が市庁舎も兼ねている。それで、正門も二つある。市庁舎用の門と、ハオサンセの屋敷用である。
しばらくして、ようやく、門が開き、中に入れて
イイスは馬に乗ったまま、門をくぐった。中に入って行くが、まだ、建物は出て来ない。城壁は五重になっているからだ。
イイスが芝と短い草花でびっしり覆われている庭の小路を進んでいると、向こう側から馬に乗った人物がやってきた。とにかく、物凄く広いので、敷地内の移動手段に馬を使っている。
シタレは巨大な三角州全体が街である。その七分の一ほどが、ハオサンセの屋敷だ。何かあった時、市民全員を収容できるようにという意気込みで建てられているので、それくらいの広さが必要だった。
初代が屋敷の広さについて王に申し出た時、当時は多くの人はただ、自分の屋敷を広くしたいんだろうと馬鹿にした。その時、シタレの街には二百人ほどしか住んでいなかったからだ。だが、将来、必ず発展するに違いないから、これくらいの広さにしてくれと王に願い出て、王は当時、馬鹿にされたほどの広さの屋敷を承認した。
実際、今では洪水になった時、市民全員を非難させるのは難しいと言われている。そのため、金持ちの屋敷の多くがハオサンセの屋敷と同じように避難場所にするよう、求められている。
馬に乗った人物は駆け足で近づいて来て、イイスの前で馬を止めた。
「やあ、イイス、久しぶりだな。」
彼は言ってしげしげとイイスを眺めた。
「久しぶり。そっちは元気そうだな。」
「ああ。なんだか、お前がまともな格好をしているのを見るのは、学校以来じゃないか?久しくそんな姿を見なかった。」
「みんな、似たような反応だ。」
イイスが言うと相手が吹きだした。
「当然だろう。お前がまともな格好をすればどんなにいいか、周りの人間はみんなそう思っていたさ。実を言うと、お前がいいかげんな格好で来て門番に追い返されないか、心配だった。だけど、今日はまともな格好で来てくれて良かったよ。父上とすれ違っても、文句言われそうもないからね。
それで、今日はどういう風の吹き回しだ?今まで一度も来た事のないお前が、ここに来たのは何の理由がある?」
イイスはゆっくり並んで馬を歩かせながら、相手をじっと見つめた。
「ガウナス、以前にした約束はまだ、有効か?」
ガウナスは慎重に答える。
「どの約束だ?」
「お前ならいつでもうちで雇ってやる。給料でもなんでもお前の言い値にしてやる、という約束だ。」
イイスの答えにガウナスはにっこりした。
「ああ。その約束なら有効だ。それで、うちに来るのか?」
ガウナスは目を輝かせた。
「そのつもりだ。だが、本当にいいのか?私の要求するものは高くつくぞ。」
イイスは真面目な顔で確認した。
「もちろん。お前が心配しているのは、我が父上殿が何と言うかだろう?大丈夫だ。私がラペック学校に行ったのは、優秀な人材が八大貴族に流れ込まないようにするため、ハオサンセに勧誘して連れてくるためだった。だから、ラペック学校の首席卒業生のお前が働いてくれるのは大歓迎だ。
そっちこそ、いいのか。今まで自由に動けないからと田舎の代理市長をしていたのに。給料は高いが、その代わり、働いて貰うぞ。」
「分かっている。そのためにここに来た。ガウナス、時が来た。次の手を打たねばならない。」
イイスは空中の一点を見つめて言った。
「そうか。それで、どうするつもりだ?私達にどうして欲しくてここに来た?」
「セルゲス公をここに
一瞬、ガウナスは何を言われたのか分からなかった。思わず、誰もいないのに周りを確認した。
「なんだって?今、なんて言った?」
「セルゲス公をここに匿う。今、セルゲス公は王宮にいる。陛下が今まで匿われていたが、八大貴族に感づかれ、もう限界だ。八大貴族の手が回る前にここにお連れする。」
イイスの言う事はいつでも突飛でもなかった。常にガウナスの思考を超越した所を行っている。
「どうやって、その情報を手に入れた?確かな情報なのか?」
ガウナスの心配をよそにイイスは断言した。
「間違いない。確実な情報だ。」
イイスの目は真剣そのものだ。
「ガウナス、お前は父上殿からどの程度聞いている?」
「一応、父が仕入れた情報は全部聞いている事になっている。」
一応と言っているのはもしかしたら、父が密偵から仕入れた情報の内、知らせていない情報があるかもしれないという意味を含ませての事だ。
「それなら、言おう。セルゲス公に子供がいるのは知っているな?」
ガウナスは頷いた。
「リムカーナ学校に行っているらしいな。美少年だろう?馬鹿な事ばかりするという噂だが。」
「噂は噂だ。なかなかの役者ぶりだ。」
「会ったのか?」
「成り行きで。」
ガウナスはイイスの答えを聞きながら、辺りをもう一度見回した。
「そのセルゲス公の息子の護衛からの情報だ。」
「護衛はニピ族か?」
「もちろん。舞の最高の使い手らしい。ビルエ将軍のブメスでも太刀打ちできないようだ。」
「ふうん。つまり、何か条件があって、その情報を聞いたんだな。」
イイスは頷いた。
「その通り。セルゲス公と息子との面会を果たせるようにして欲しいと。親子が七年間も会っていないうえに、状況が目まぐるしく変わって来たから、きちんと話し合っておきたいそうだ。確かにその方がいいから、その話を請け合った。」
「なるほど。…だが、そうさせるつもりで、レルスリ家は陛下を追い込んだのかもしれない。中に匿われているセルゲス公を出すために。」
「おそらく。だが、どっちみち、セルゲス公は危ない。出ようが出まいが、八大貴族に捕まる。だったら、出た方がいいだろう。その方が助かる可能性は高くなる。」
イイスの横顔を見ながら、ガウナスは胸が高鳴るのを感じた。いよいよ、自分達の努力が報われる時が来るのだ。セルゲス公をあるべき地位に戻す時が。そのために、自分達は地道に活動をしてきたのだ。
まだ時ではないと言って、田舎に引っ込んでいたイイスが、いよいよ動くと言う。
「ああ、そうだな。レルスリ家はいつだって用意周到だ。おそらく、セルゲス公は中から出て来るだろう。このまま、中にいて八大貴族が来るのを待つわけがない。そんな事をすれば、助けてくれた陛下のご恩を無駄にすることになるから。責められるのは陛下だからな。」
ガウナスの言葉にイイスは頷いた。
「その通り。王の首を
「どういう意味だ?」
イイスは挑戦的な笑顔を浮かべた。
「分からないか?八大貴族もセルゲス公に息子がいるらしいと掴んでいる。もし、今の陛下が言う事を聞かないとしたら、セルゲス公かその息子を手に入れるだろう。もしくはその両方を手に入れる。奴らはどうすると思う?」
ガウナスは鳥肌がたった。
「もし、その両者を彼らが手に入れたら、陛下に生か死か選ばせるだろう。陛下が死を選ばれる可能性もあるが、どっちみち、八大貴族の操り人形の王が誕生してしまう。絶対に彼らに渡してはならないな。」
「そうだ。だから、手元にある駒を確実に手に入れるんだ。上手くいけばセルゲス公もこちらに来てくださる。」
「つまり、セルゲス公の息子を先に味方につけると?」
「その通り。だから、
「ようやく、お前の話が見えて来たぞ。なるほどな。だが、一つ問題なのは、サプリュから遠すぎる事だ。向こうからの情報は確実に手に入りにくくなる。密偵は多くいるが、ニピ族は少ない。それに比べたら八大貴族はニピ族をがっちり囲っているからな。」
「その点も問題ない。心配無用さ。」
「なんだって?」
ガウナスは聞き返した。
「言っただろう。セルゲス公の若様にはニピの舞手が護衛についていると。踊りの方は金を積まれたら仕方ない、向こう側につく者もいるだろう。だが、舞の方は違う。昔ながらのやり方で数は少ないが少数精鋭だ。その上、裏方で支える人員は踊りの方より多いらしいぞ。踊りの方は裏方に回るような人員も、護衛やなんかに回してしまうらしいから。」
ガウナスは目をしばたたかせた。ニピの事情まで知っているとは思わなかったのだ。
「お前、まさか、今の話もその若様の護衛から聞いた話なのか。」
「まあね。つまり、こっちがきちんとすれば、向こうも味方になってくれる。その代わり、約束を破ったら殺されるが。」
イイスはかなり本気だとガウナスは思った。おそらく、かなり突っ込んだ話をして、おおよそまとめてきたに違いない。
「分かった。すぐにでも、父に連絡をしよう。早馬を出す。ちょうど、街の視察に出ているから。お前には何をしてもらおうかな。いろいろ、仕事がありはするんだが。」
ガウナスは急いで、少し離れた所に待機している使用人を呼び、父のチェイナールに連絡をしに行かせた。イイスがまともな格好をしている時に合わせた方がいいに決まっている。そうしておいて、イイスにどんな仕事を任せようか考え始めた。
「そういえば、一つ、仕事は済ませたぞ。前にシタレに来たら、どこが弱点になるか調べてくれと言っていただろう。だから、一応、調べてみた。まだ、観光案内の地図を見て、ざっと調べただけだが、赤丸をつけてある所が危ない所だ。一番、気になるのは門の数が多い所か。」
イイスはこのために地図を広げて歩いていたのだ。観光案内地図をガウナスに差し出した。
「お前、その約束を覚えていたのか。だが、門の数は洪水のとき、水の流れを変えるためもあるんだ。それで、少しずつ門の高さを変えてある。」
ガウナスは地図に目を通しながら言った。
「分かる。水門の役割を持たせているんだろう?だが、戦争の時は突破口が増えるだけだ。使用人達の通用門なんかも含めたら、二十くらいにはなるだろう?」
「まあ、そうだ。…まさか、お前、戦争をするつもりなのか?」
イイスは馬を止め、じっとガウナスを見つめた。
「もし、そうだとしたら?」
「…本気なのか?」
ガウナスは恐る恐る聞き返す。イイスは驚くほど、人を自分の
「無駄な血を流すつもりはない。だが、それを覚悟しておく必要がある。向こうだって必死さ。おそらく、良くて内戦だと思っているだろうね。八大貴族の方が内戦に持ち込みたいかもしれないな。」
ガウナスは少しほっとした。イイスは時々、恐ろしいほど冷酷になれる。それを学生時代に体験していた。
「つまり、今の所、内戦は避けたいというのがお前の考えなんだな?」
ガウナスは念を押した。
「当然だ。内戦というのは国の危機だ。国が分裂する危機だし、外国に取られる可能性もある。余計な危機は招くべきではない。それは八大貴族も分かっているはずだが。特にレルスリやノンプディあたりの貴族は、頭を張っているだけあって、慎重だからよく分かっているはずだ。」
「それを聞いて安心した。あまり過激だと父が嫌うから。」
二人は馬を進ませながら、三つ目の城壁をくぐった。
城壁は五重構造になっている。外側二つの城壁は石とノムノ泥の分厚い壁、三つ目は中が空洞で通路になっており、あちこちの出入り口と繋がっている。残りの内側二つは兵士達の居住空間だ。兵士達をどこに住まわせるかが問題になった時、城壁を兼ねた集合住宅を作ってその問題を解決したのだ。
そして、城壁と城壁の間はかなり離れている。洪水になった時、狭いと水の勢いが増して激流となってしまうからだ。
この五重の城壁があっても十分なほど、ハオサンセの屋敷は広かった。
ようやく、建物が見えてきた。城壁の中にもう一つの街があると言って良かった。だが、建物の建て方は普通とはかなり異なっている。一階部分には居住空間を作らない。建物の配置自体も水の流れを考慮して建てられている。
そして、何より目を引くのが、城壁の内側に堀というか、運河があって、直接、海に出られるように港がある。
もちろん、治水も考えて巨大な水門がいくつもあり、大きな風車が下の方にいくつも見えていた。こうして見ると、建物が建っている所はかなり高い位置にある。よく、考えて作られていた。
「話には聞いていたが、本当に屋敷内に軍港があるんだな。これを設計したユースーラは天才だ。後の時代になって必要とされた時に完成する設計だ。」
「天才のお前が天才というなら、ユースーラはよほどの天才なんだろうな。」
ガウナスの言葉にイイスが振り返った。
「お前、私が天才だと思っているのか?」
物凄く驚いた表情である。
「なんだ、そんなに驚く事か?」
「ああ。お前がそんな風に思っているとは考えもしなかった。私は別に天才じゃない。」
今度はガウナスが驚く番だった。
いつも
そのイイスが自分は天才ではないと言ったのだ。
「お前が天才じゃないなら、他の人はどうなる?」
ガウナスは思わず力を込めて聞き返す。
「私はただあまのじゃくなだけだ。他の人が正面から見たら、私は上や下、裏や斜めから見てみようと思うだけだ。他の人は普通の人、私はただのへそ曲がり。ただ、それだけの事だ。」
イイスは真面目な顔をしている。ふざけた様子はなかった。
「お前、どうかしたのか?」
「…どうもしない。本当の事だから言っているだけだ。」
少し、すねたらしい。
「悪かったよ。ごめん。ところで、お前、お父上はどうする?たしか、一緒に暮らしていただろう?」
イイスは軽いため息をついた。
「連れて来たいと思っているが、果たして一緒に来ると言うかどうか…。全然違う所に来るから、頑固に嫌だと言うかもしれない。」
ガウナスはイイスが父親の事もあって、田舎に引っ込んでいたんだったな、と今更ながら思い出した。他の兄弟達家族が見捨てた父親を、一人で看ているイイスは立派だと思う。イイスならとっくに出世できていただろうに、その出世の道も捨てて、親を看ながら出来る仕事を探した事もガウナスは知っている。
マルスにも出会って目標を同じくしているから、計画的だと口では言っているが、出世した方が有利だったはずなのだ。だが、父の為にイイスはそうしなかった。
「全く、お前は一見、
「なんだ、一見、傍若無人、というのは。」
「聞いての通りだよ。お前はぱっと見、とっつきにくそうな雰囲気なんだ。そこは自覚しておけよ。」
「はあ。そうかなあ。私の周りには私をこてんぱんに言う奴ばかりだ。」
イイスは首をひねった。ガウナスはそんな友人がおかしかった。こてんぱんに言っても大丈夫そうな雰囲気なのだ。
最初はとっつきにくそうだから、慎重に気を遣いながら接してみる。だが、意外に話しやすいし、外見と中身が全く違う事に驚く。そのうえ、頭が良くて仕事もできる。
少しぐらい、きついことを言っても大丈夫だろうと思って言ってみる。案の定、見た目ほど神経質ではないし、打たれ強い。ならば、もっときつい事を言っても大丈夫だろう、となって、こてんぱんに言われるのだ。
「すまない、待たせてしまった。」
その時、ガウナスの父、チェイナールが戻ってきた。ラペック学校に在学中から、次男の友人のイイスに目をつけていたのだ。それが、なかなかいい所に就職せず、ネム市の代理市長になった時には、なんで、うちを蹴ってそんな田舎に行くかと
だが、小さい街を収められるかどうかで力量は分かるな、と息子のガウナスに友人関係を断つことなく、いつでもハオサンセに勧誘できるようにしろと命じていた。
以前から、手ぐすね引いて待っていたそのイイスがやってきたというので、飛んで帰って来たのだ。
イイスは馬から降り、チェイナールに丁寧に挨拶をした。
「こちらこそ、突然、お伺い致しまして申し訳ありません。御子息のガウナス殿とラペック学校の在学中からの友人なので、その関係に甘えていきなり来てしまいました。」
ガウナスから、かなりの変人だと聞かされていたので、予想外に服装も発言もまともで、いい意味でチェイナールは面食らった。なかなかの好青年である。イイスはマルスやガウナスと対等に話しているが、実は一番、年下なのだ。
「いやいや、気にする事はない。ガウナスから話は聞いている。そのせいか、初めて会った気がしないが、初対面だな?私はチェイナール・ハオサンセだ。」
「イイス・サヌアと申します。今はネム市の代理市長を務めております。」
「ふむ。ネム市はレキヨ殿の管轄だろう。よく休みが貰えたな。」
「それが、不注意で足を骨折してしまったのです。怪我の療養のため、休みを貰えましたが、おそらく、復職できないものと思いまして、ガウナス殿に相談しに参りました。」
ガウナスは初耳だったので、思わずイイスの足を眺めた。今日は杖さえもついていなかった。
「足を骨折した?しかし、その割にはきちんと乗馬できている。大丈夫なのか。」
チェイナールは尋ねた。
「数か月前の事です。ご安心ください、骨折を治してから来ました。医師にも完治したと太鼓判を押されましたので、大丈夫です。御心配頂いてありがとうございます。」
「ふむ。それなら、良かった。それで、なぜ、復職できないと?」
「医師に言われた期間よりも長い休みを頂いたからです。部下に確認させた所、おそらく、私はこのままクビになるだろうとの事でしたので。」
チェイナールは納得した。ケチな田舎の貴族の爺さんらしいやり方だ。レキヨはケチで有名だ。
「なるほど、たしかにありそうなことだ。だが、私はこれで
「お
イイスが謙遜して言うのをチェイナールは豪快に笑い飛ばした。
「大丈夫だ。レキヨの爺さんが無理難題を言うのを次々と解決していたではないか。税収をあげろというのを、出来る限り税制の改革をして、税収を二割増しにしただろう。二割増しと言うのは凄い事だぞ。
しかも、農民や市民が暮らしやすくなるように工夫もした。農業改革をせっせと行って、収穫量を増やし、換金作物の生産量を増やし、そのうえ、河川の氾濫を防ぐため、治水事業も行って川の流れを変え、ついでに新たな耕作地を増やし、医師のいない地域も多かったから、カートン家に掛け合って三人も派遣して貰えるようにした。
無計画に切られた山林に植林をして山崩れを防ぎ、井戸の設置や下水道の整備、数え上げたらきりがないほど、君はよくやっていた。
君の努力でわずかな短い時間で、ぎりぎり定められた期間内にネム市の市民生活の向上が出来て、レキヨはネム市を失わずに済んでいる訳だ。」
イイスはチェイナールが、事細かに自分のネム市での働きを知っているので、驚いた。すぐには言葉も出て来ない。
「どうだ、驚いただろう。私は君にネム市でやっていたように、シタレでもやって貰いたいのだ。出来る限りの権限を君に与えようと思う。」
イイスとガウナスは顔を見合わせ、もう一度、チェイナールの顔を見た。
「それは…つまり?」
「そうだ。君を代理市長に任命しようと思う。」
「え?」
「父上…!」
ガウナスにしても初耳である。
「私もサプリュとしょっちゅう往復するのは、さすがに体に堪えるようになってきた。こっちにいても、あっちにいてもとんぼがえりしなくてはならん。それも市の事があるからだ。こう、時勢がどうなるか分からんようになってきては、動きがつかない。
そろそろ、代理市長について考えてもいいかと思っているところに、君が来たわけだ。この機会を逃すつもりはないからな。どうだ、引き受けてくれるか?」
じっとチェイナールはイイスを見つめた。イイスは試されていると思った。おそらく、辞退したら他の仕事もないだろう。これをやるかやらないかだ。もちろん、答えは決まっている。
「分かりました。ご期待に添えるように努力いたします。」
チェイナールはにやっとした。
「そうこなくては。よし、話は決まりだ。ガウナス、お前が補佐として手伝え。私の補佐はバイゼルがいるから、十分だろう。」
「はい、分かりました。」
「さっそく、明日から働いて貰おうか。」
かなり急な話の展開だ。さすがにガウナスとイイスは慌てた。
「父上、さすがにそうもいきませんよ。レキヨ殿に挨拶もあるでしょうし、引越しの準備もしなくてはなりません。それにこっちもいろいろ手続きはあるし、準備もあります。」
「一度、帰らせて下さい。置いて来た父を連れて来たいのです。」
「ふむ。それもそうか。ただ、私が心配しているのはレキヨの爺さんが心変わりをして、君を手放さないのではないかと思ってな。
引越しなんかは他の者にさせればいいし、レキヨの爺さんは私がなんとかする。君の父上は代わりに誰かが迎えに行けばいい事だ。」
つまり、何が何でも明日から働いて貰うという事だ。
「よし、話は決まりだ。ガウナス、サヌア殿の引越しの手続きや父上を迎えに行かせる人員を手配しろ。それから、バイゼル、お前はサプリュに行く準備をしろ。どうせ、サプリュに行かなきゃならん。ついでに陛下に御報告してこよう。」
ガウナスの兄、バイゼルは苦笑して父に従っている。歩きながらガウナスの肩をぽんぽんと叩いて行った。
それを見て、イイスは本当はガウナスが代理市長をしたかったんだな、と分かってしまった。彼がすねないようにしないといけない。上手く立ててやればいいだろう。
ガウナスと別れ、明日から激務だなあと少しばかり、自由だった生活が惜しくなったイイスだった。
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