第32話 ブルエの勘

「今、何と言われましたか?」

 さすがのブルエも、帰って来たイイスが告げた言葉に聞き返してしまった。

「だから、今からチェイナール・ハオサンセの屋敷に行こうと言った。」

 イイスは一人、納得してうなずいた。自分だけ納得されても困るので、ブルエは更なる説明をイイスに求めた。

「もっと詳しく説明して頂かないと。今日は南方将軍の所に行かれたはずではありませんでしたか?」

 ブルエは語調が強くなるのを感じたが、直そうとは思わなかった。イイスは命の保証がない中でも、飄々ひょうひょうとして相手に一杯食わせようとするような、なかなかあなどれない根性の持ち主である。

「早く説明して頂けませんか?若様のお迎えに上がらなくてはなりませんので。」

 ランウルグはアギと学校に行っている。イイスが食わせ者なので、アギの方を護衛につけていた。

 実際の所、このイイスはふふんと笑って、一人えつっている。ブルエでなければ口を割らせるのは無理だろう。

 思わずブルエは、手に持っていた鉄扇をバシッと左のてのひらに打ち付けた。大きな音はなるが痛くはない。

 その音にようやく、イイスの目の焦点がブルエに合った。

「ああ、すまない。実はビルエ将軍に会った後、旧友に会ってきた。その旧友っていうのが、ラペック学校時代の友達で、チェイナール・ハオサンセの息子のガウナスだ。」

 友達がいたのかと、妙な所で感心したブルエだった。

「それで、ガウナスに会って話をしていたら、父親のチェイナール・ハオサンセの方にも会ってね。私はシタレの代理市長にくことになった。」

「…シタレの代理市長ですか?」

 どれほど、端折はしょられた話があるのだろうと考えながら、ブルエは聞き返した。

「そう。いきなり、明日からやれとか、無茶苦茶な要求を出されて、呑まなければ私は、ネムの代理市長の仕事を失って、無職になってしまうから、やると言わざるを得なかった。」

 口調だけ聞けば嫌そうなのだが、口元はにんまりと笑っている。

「しかし、会ったばかりの人をシタレの代理市長に任命するとは、ハオサンセ殿もいきなりの大抜擢ばってきですね。」

「そうだな。しかも、父上の迎えも人をやるから、とか強引だった。」

「それで、どうして私達がハオサンセの屋敷におもむく理由になるんです?」

 ブルエの質問にイイスはニヤリとした。

「…最近、密偵や見張りが多いのだろう?ならば、堂々とハオサンセの客人として住んだら、面倒な事が減るとは思わないか?」

 一見、良さそうな提案だが、ハオサンセの屋敷にかくまわれるという事は、腹の内が分からない、イイス達の監視下に置かれるという事である。しかも、グイニスの子供かもしれない、と疑われている状況で匿われれば、ランウルグはグイニスの子供だと決定したも同然である。

 表向き、ランウルグもランバダも存在してはならないのだ。正式に身分をもらわない限り、ランウルグは国の戸籍上存在しない。ランバダには平民の身分がある。だが、ランウルグにはないのだ。

「…一考の余地はありますが、そう簡単にあなた達の手駒てごまになるつもりはありませんよ。」

 ブルエの言葉に、イイスは意地悪くニヤリとする。

「ふうん。八年前には私達の元に来たのに。」

「当時とは状況が違いますし、若様にお尋ねしない事にはどうにもなりません。」

 イイスがおや、という表情を見せた。

「なんだ、お前が取り仕切っている訳じゃなかったのか。そうか、そうか。」

 満足そうにイイスは頷いた。なぜ、お前に満足されなければならないのか、と言いたかったブルエだが、その言葉は呑み込んでおいた。話が面倒くさくなるだろう。

「若様もご成長されていらっしゃいます。私はあくまでも、若様がご成長されるまでの間の補佐ですから。」

 イイスは、初めて気が付いたかのような表情をした。

「…確かに言われてみれば、そうだよな。確かにそうだな。じゃあ、若様に言わないとなあ。」

 ニヤリとして言うイイスに、ブルエは釘をさした。

誘導ゆうどうしようとしてもダメですよ。あなたがいない所で話しますし、もし、万が一、そんな事をしようものなら、話せないようにしますので。」

「……。分かった、余計な事は言わないように努力する。」

「努力、だけですか?」

 ブルエはわざとゆっくり言って、イイスを見つめた。イイスにしてみれば、鋭い眼光でにらみつけられたようにしか思えない。もっと普通の人なら、殺気を当てられたと思うだろう。

「分かった、余計な事は言わない。」

 ブルエはイイスに微笑ほほえみかけながら、頷いた。

「ええ、ぜひお願いします。私も余計な手間が省けますので。」

「……。」

 イイスは何も言わなかったが、ははは、と笑い返してきた辺り、やはりただ者ではなかった。


 ランウルグに事情を話すと、父上と会ってから決めたいと言い出した。実際の所、状況が変わってきている。ブルエも一度、グイニスと会って話をした方がいいと感じていた。

「そうですね、若様。その方がよろしいかと思います。私も、旦那様のご意向を今一度、確認したいと思っています。」

 ブルエの言葉にランウルグがほっとしたように、息を吐いてほおを上気させた。

「本当に?良かった。父上に会いたい。」

 ランウルグにも、グイニスが生きている事は伝えてある。

「…父上はお元気だろうか。会えるといいのだけど。」

 期待しすぎると、落胆した時のがっかりした気持ちが、何倍もふくれ上がる事を、何度も経験しているランウルグは、最初に比べて元気のない声で言った。

 ランウルグのそんなに長くない人生経験上、上手くいくことの方が少なかった。身の危険があるという理由で、父のグイニスと会えなくなった事はいくらでもある。

「若様、できるだけお会いできるように、努力致します。」

 ブルエが思わず、ランウルグの気持ちをなぐさめたくて言えば、ランウルグも護衛のブルエを気遣った。

「いいよ、無理しないで。ブルエやアギに何かあったら、それはそれで嫌だから。私はどうしたらいいか分からなくなってしまうし、きっと生き残れないよ。」

 最後は冗談めかして言っていたが、本当は泣きたいのをごまかしていると、ブルエは感じた。

「若様、大丈夫ですよ。いろいろな人が裏で動いていますから。若様もご存知の通り。旦那様の方も若様とお会いしたいでしょう。」

 きっと、知恵をしぼられるでしょう、ブルエは言ってから、イイスの提案について今一度、どう考えているか尋ねた。

「私個人としては、それもいいかもしれないとは、思う。そうすれば、彼らも後に戻れないし、何が何でも父上と私を守らなくてはならなくなるだろう?でも、そうなって、陛下の方は大丈夫なのかな、とも思う。今まで父上を助けて下さっていたのなら、お立場がどうなるのか、そこが心配だから。」

 ランウルグ自身の答えが出て来て、ブルエはほっとした。何の考えも結論も出せないようでは、将来的に困る事が何度も出てくるだろう。

「もう少し、様子を見ましょう。おそらく、旦那様と連絡を取り合ううちに、向こう側の動きも分かって来るはずです。旦那様が出て来られる時に、一気に事は動きますから、しっかり心の準備をなさっていて下さい。」

 ランウルグは頷いた。

「分かった。父上の動向によっては、サヌア殿の提案も受けるって事?」

「そういう事もあり得ます。ただし、そうなれば、彼らに見張られて、彼らの言う事をある程度、まなければならなくなります。将来的にも、自分達のおかげで、助かったのだと恩を売って来ることも考えられますし。その点については、考えておかなくてはならないかと。」

 ブルエの意見に、ランウルグは「そうだね。」と頷いた。

 ランウルグは別に野心があるわけではない。ただ、生きるためには、政治的なあれこれを考えなくてはならないだけだ。

 ランウルグに野心と目標があるなら、もう少し、楽に生きられるだろうとブルエは思った。絶対に成し遂げようという思いは、ある程度の苦しみに耐えられるものだからだ。

 そういう意味で、ランウルグは不幸だ。元来が優しいので、何かやられた事をやり返してやろうという気持ちもない。

 八大貴族に対して、やり返してやるという気持ちはないのだ。彼らも仕方なかったのだと思っている。

 ただ、今は父親に会いたい、という気持ちだけで動いているのだ。ランウルグに何か決定的に、自ら政治的な事を成し遂げるための動機づけが必要だとブルエは感じている。

 いつか、これが命取りにならないかと、ブルエは不安だ。

 今度、旦那様にお会いしたら双子の弟がいる事を、伝えてもいいか確認しようと、ブルエは思った。ランウルグにとって、誰かを守るという事が、一番、彼が自ら動く動機づけになるだろうからだ。

 優しいランウルグには、双子の弟を守らなければならない、という事実は重荷になると同時に、愛すべき存在がいる、という事が喜びになるはずだ。

 本当なら知られてはならない存在だが、ランウルグのためなら、仕方ないとブルエは思った。

 ブルエにとっての一番は、ランウルグなのだ。ランバダを守って怪我をした時のような失敗は二度とするまい、とブルエは固くちかっていた。チャムに思いっきり叱られたが、当然の事だろう。

 チャムがもう一人の、ランバダの護衛でつくづく良かったと思っていた。

 チャムとは同郷で、ブルエの方が舞が上手だと思われているが、案外そうでもない事をブルエは分かっていた。チャムと十回試合をして、全勝できたためしがない。もし、全員に全勝できるなら、天才と呼ばれてもいいかもしれないと思うが、そうでない限りは傲慢ごうまんだと思うのだ。

 チャムは意外な戦法を取ったりする。ブルエが考えない時に、思わない舞で攻めて来たりして、新たな舞の使い方は、チャムの方が天才的だと思う。

 しかも、咄嗟とっさの判断もいい。だから、ブルエが怪我をした時も、見事にランウルグを助け出してくれた。さらにマウダに情報を流し、ニピ族をねらう新たな組織をつぶさせた。

 最小限の動きで、最大の効果を得られたと言っていいだろう。

 時々、ブルエはチャムと一緒に仕事をしたいなと思う事があった。ただ、それはランウルグとランバダの身の上に、大きな変化がある、そういう時でしか実現しない希望だ。

 できれば、ならない方が良い。

 ふと、モルサはなぜ、裏切ったのだろうとブルエは唐突とうとつに思った。もし、彼が裏切ってさえいなければ頼りになる先輩で、彼に教わりたい事はたくさんあった。

 モルサがなぜ、裏切ったのか、そこに、もっと深い理由があるような気がした。家族が人質に取られたから、そんな上辺だけの理由ではなく、その根源を知っておく必要がある、そんな気がした。将来的に重要な事である、これはニピ族のかんだ。必ず調べようと、ブルエは決めた。

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