第30話 面会(上)

 イイスはマルスに会った。今回はマルスが軍の用事でシタレに来ているので、イイスの方が、彼のいる軍人と役人専用の旅館まで行った。南方将軍なので、なかなかいい部屋である。

「誰かと思った…。」

 開口一番、マルスは言った。イイスは顔をしかめた。いつもの事だが、そこまで言わなくてもいいじゃないかと思う。

「どうしたんだ、お前がまともな格好をしている所を、初めて見たような気がする。明日、雨が降るんじゃないか。水軍の演習があるのにどうしてくれるんだ。」

 もう、明日の天気は雨だと決めつけたような物言いだ。

「む、そんなに言わなくてもいいじゃないか。だから、まともな格好かっこうをするのが嫌なんだ。明日から元に戻そう。」

 マルスは慌ててなだめた。

「悪かった、悪かった。いつもまともな格好をしていたら、誰も珍しがらない。いつも変な格好をしているからだ。」

「面倒くさいからだ。」

 イイスは自分の事に関しては、恐ろしく面倒くさがりだ。

「その面倒くさがりがなんで、今日はきちんとした格好を?一度、門前払いされたか?」

 イイスがマルスに会いに来て、門前払いされた事は一度や二度ではない。

「今日は門前払いされなかった。その点に関しては良かったな。」

 つまり、最初からこの格好で来たという事だ。マルスはイイスの恰好をしげしげと眺めた。

 いつもいたかどうか分からないぼさぼさの髪だが、今日はきちんと焦げ茶色の髪を梳いてサリカン人らしく、きれいに一つにまとめていた。髪をまとめているひもも、茶色と黒の組紐だ。い灰色の薄手の外套がいとうも派手ではないが、質がいい。外套を留めているピンも小さな鳥の姿をしている。靴もいつもは穴が開いて、底がぱかぱかしているのに、今日は新しい靴だ。しかも良くなめした鹿革の靴だ。

 おかしい。自分に対してケチな彼がこんなに自分に金をかけるなんて。いつも、彼が自分に対して金をかけていたら、とっくにネム代理市長なんかしていないで、もっと大きな市の代理市長や他の仕事に就いて、出世していただろう。そして、どこかの良家の娘と結婚していたに違いない。

 しかし、そうなればマルスとこうして会う事もなかっただろう。目標を同じくして、一緒に行動していないはずだ。彼は計算の上でも自分の格好を適当にしているのだから。

「イイス。何があった?予定より早く着きすぎたと連絡はあったが、何か問題でもあったのか?」

 心配するマルスにイイスは笑った。

「いや、そういう事じゃない。面白い意味で予想外の出来事があってね。」

 イイスはマルスに今までの事をかいつまんで話した。

「そうか。じゃあ、セルゲス公の息子は本当は出来るという事か。」

「ああ。なかなか良かったよ。やっぱりラペック学校に送って良かった。必要な物はつかみ取ったようだ。」

「なるほど、それで、どうして、今日の恰好につながるんだ?」

 マルスの不思議そうな顔にイイスはとうとう吹きだした。今度はマルスが怪訝けげんそうな顔をする。

「実は今日、普通に出てこようとしたら、三人に引き留められた。」

 まずは護衛のブルエが玄関の扉の前に立ちはだかった。

「どちらに行かれるのですか?まさか、その恰好でビルエ将軍の所に会いに行かれるおつもりですか?」

「そのつもりだけど。」

 当然のように言ったイイスに、ブルエが顔を近づけてひそひそと言った。

「若様に変な事を教えないで下さい。南方将軍に会いに行くのに適当な…言葉は悪いですが、まるで浮浪者のような格好で行っても良いという、変な見本を示さないで下さい。」

 険しい顔で襟首えりくびを掴まれて言われると、着替えざるを得ないではないか。

「う、だめか?」

「だめです。」

 そこへアギがやってきた。ニピ族の侍女も鋭い目でイイスを眺めた。

「どうしたんですか?まさか、その恰好でお出かけされるおつもりですか?まさか、その悪臭ただよ…変な臭いのする服を着て南方将軍に会いに行かれるおつもりですか?南方将軍に恥をかかせるおつもりですか?」

 イイスは思わず自分の服の臭いをかいだ。そんなに臭いのか。ブルエも結構、はっきりものを言うと思っていたが、アギはその上をいった。

「わたしは…今すぐその服をはぎ取って燃やして捨ててしまいたい。若様の前をその恰好でうろうろしないで欲しい。若様の目が汚れるのを阻止したい…!」

 アギは声をしぼり出した。だいたい、一昨日、来た時からその服をぎ取って捨てたかった、とかブツブツ言っている。

「私はくそか…?」

 年若い娘にとっては相当汚らしく映っているのか、かなりの言いようだ。

 そこへランウルグがやってきた。

「あれ?みんなして、深刻な顔でどうしたの?…アギ、具合が悪そうだけど大丈夫?」

「大丈夫です。」

「ところで、サヌア殿はどこかにお出かけされるんですか?そういえば、この間、ビルエ将軍に会いに行かれると言われていましたよね?今日がその日ではないですか?」

「…ええ、そうです。ところで、私の恰好はそんなにひどいですか?」

 アギにこてんぱんに言われた後なので、さすがのイイスも落ち込んで尋ねてみた。

「…そうですね。その恰好で出歩くと、多くの人に誤解されるかもしれません。」

 ランウルグはアギほどはっきりとは言わなかった。

「誤解される?何に?」

「その…物乞いとか…、あ、変装しているなら別ですが。」

 遠慮がちに言葉を選んで言ってくれているのがよく分かったが、一番、堪えたかもしれなかった。

「…分かりました。今まで作戦上、こんな恰好をしてきましたが、今日からきっぱりやめます。」

 それでも、出て行こうとしたので、全員に引き留められた。

「どこへ行くんですか?」

 ブルエの問いに、

「風呂屋に行って、服を買って来るんです。」

 やけくそになって言い返す。

「だめです。風呂屋に入れてもらえませんよ。ここできれいになって貰います。」

 ブルエが言った。そもそも、ここへ来た初日に、風呂へ入るように若様がすすめたのに、なぜ、断って入らなかった、とブルエの目が言っているようだった。イイスにしてみれば、風呂に入っている間に、服を調べられて捨てられてしまうと思ったからである。見せたくない書類を持っていた。今は、いいだろう。誰もいない時に、勝手に部屋の中に隠しておいた。

「服も私が買って来ます。アギ、準備をしなさい。」

 アギが大きく頷いて準備をしに行った。

「私も一緒に行こうか、ブルエ。」

 ランウルグの申し出にブルエは頷いた。

「分かりました。若様の服の見立てはお上手なのでお願いします。」

 ランウルグは嬉しそうに、にっこりした。

「では、サヌア殿には一旦、風呂に入って頂き、私の物で申し訳ないですが、とりあえず着替えて頂きましょう。その後で、買い物に出ましょう。」

 ブルエが言って、にこやかにイイスの腕を掴み、風呂場に引きずって行ったのだった。

 ちなみにイイスが風呂に入っている間に、隠しておいた書類などは、きちんとまとめて卓上に置いてあった。やはり、ニピ族の住んでいる家で物を隠すのは無理だった。

「という訳で、私は今日、こんな恰好になった。」

 イイスの話を聞いてマルスは腹が痛いほど、身をよじって笑ったのだった。隣でこっそりブメスでさえも笑いをかみ殺していた。

「そんなに笑う事か?」

 不思議そうに尋ねるイイスに、マルスは涙を拭いて頷いた。

「ああ。おかしい。こんなに頑固なお前の考えを見事に覆す事ができる人間がいたとは。しかも三人も。」

「いや、正確には一人だ。」

 イイスはきっぱり言った。マルスの顔がすっと真面目な顔に戻る。

「確かにブルエもアギもはっきりものを言うが、すねて意固地になったかもしれない。だが、あの若様に言われた言葉が一番、効いたな。それを聞いて、だめだと思った。」

 マルスはびっくりした。

「まさか、お前…。」

「彼ならいいよ。」

 イイスはマルスに近寄り、ささやいた。

「三日間、一緒にいて思ったよ。私達が彼を利用するんじゃない。彼が私達を利用するんだ。そうして貰いたいと思った。彼は王になる器だと私はみなした。だから、命をけたっていい。」

 イイスの顔は真面目だ。頑固なこの男は一度言い出したら聞かない。誰も止められない。これだと思う人物以外は。

「お前って奴は…。」

 言いながら、マルスもイイスが言うなら、そうなんだろうと思った。イイスの人物評価は的を得ている。人を見ぬく力がある。

「次の手を打つ時が来た。ネムの田舎から出て来る時が来た。」

 イイスは不気味に、にやりと笑った。マルスにとって、敵になってもらいたくない人物の一人に間違いない。

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