第15話 グースへの制裁

 グースは床の上に転がって天井を見上げていた。薄暗がりの中、見えるのは天井の太いはりしか見えない。

 グースはランバダとそっくりな少年、ランウルグを逃がしたとして、仲間からぼこぼこに殴られた。中庭を使ったのがばれたのだ。中庭の事は、やってきたばかりのランウルグが知っているはずも無い事だ。

 チャムがボヤ騒ぎを起こした後も適当に暴れてくれたので、最初は疑われなかったが、ザナーを気に入らない一派の連中に、こいつが怪しいと言われたのだ。

 グースはザナーの手下として使われている。グースはなぜかザナーに気に入られていた。  

 そのザナーは冷徹れいてつにマウダの規則を遂行すいこうする。マウダの中でも恐れられている、頭領の一番のお気に入りで右腕だ。

 だが、まだ若いザナーが右腕になった事により、勝手に頭領の右腕を自称しているダンクンイが格下げされた。ダンクンイはそれが面白くない。だから、事あるごとにザナーに盾突いている。

 当然、ザナーの手下にも目を光らせ、何か上げ足をとるものはないか調べている。

 今回の事件はザナーを責め立てる格好の餌食えじきだった。チャムが大暴れして二十七人もの死傷者を出したので、その責任をザナーに押し付けようとしている。

 元々、サプリュはダンクンイの所轄しょかつだ。たまたま、ザナーが来ていて、チャムを恐れて逃げたダンクンイの後始末をしたに過ぎない。

 しかも、ダンクンイはザナーがチャムにした約束を破らせた。ランウルグがいたら、チャムにすぐ返すはずだった。そもそも、ニピ族が護衛している者はさらわないというのが、マウダの掟だ。

 だが、ダンクンイがここは俺の所轄だと言い張り、本当にニピ族か分からないとか、ケチをつけたため、チャムが怒ってダンクンイを殺そうとし、それで仕方なく、ザナーは折れた。

 グースはマウダに攫われてきてからというもの、何かとこのザナーに面倒を見て貰って生きて来られたので、ザナーにいちゃもんをつけるダンクンイが嫌いだったし、ザナーに迷惑をかけるつもりもなかった。

 今更、家族の元にも帰れないし、帰るつもりも毛頭なかった。マウダという巨大な犯罪組織の中で、自分もその手を汚し、罪を重ねて生きて来たのだ。死ねと言われれば死ぬつもりだ。

 ザナーは自分をどうするつもりだろうか。ダンクンイは殺せと要求するだろう。実際に計画を立てて逃がしたのは事実だから、たぶん、その通りにするはずだ。

 ザナーの立場も安定している訳ではない。今までマウダの掟を破らなかったのは、自分の命を守るためでもあったはずだ。

 なぜなら、ザナーは普通の頭領の手下ではなかった。だから、ザナーに従っていても内心では嫌っている者も多いはずだ。

 でも、グースはザナーを嫌いになれない。全身を外套がいとうおおって、仲間内ですら顔もあまり見せないが、その外見は彼の心の状態を表しているように思えたからだ。

 マウダは依頼されて誘拐ゆうかいした人間を、他に売る事はしない。ザナーもグースと同じだという。

 誰かが、自分を誘拐するように依頼した。その事実はグースを打ちのめした。

 だから、家に帰ってもまた誘拐されるかもしれない。今度は殺されるかもしれない。家族に何か起きるかもしれない。自分の代わりに誰かがさらわれるかもしれない。

 そう思えば、チャムが助けに来てくれた時、帰ると言えなかった。その時、チャムを連れて来てくれたのがザナーだった。

 帰らないと行った時、ザナーが少し驚いた様子だった。

「本当に帰らないのか?」

 確認した後、ため息をついて言ったのだ。

「馬鹿だなあ、お前は。」

 それ以来、ザナーはグースの面倒をみてくれた。正当なイワナプ流の剣術を習わせてくれた。表向きのマウダは正当な仕事を持っているのだ。

 それで十分やっていけるのだから、裏の仕事はやめればいいのに、と思ってしまう。

 しかし、ここにも周到なからくりがあった。裏の人間は、表の仕事も働いている人間も把握はあくしているが、表の仕事で働いている人間は裏の仕事の存在を知らないし、まして、本当はマウダだなんて夢にも思っていない。表の仕事をしている人間は、裏の人間に決して接触できない。

 ただし、一番上の雇い主だけが、マウダの幹部だ。だが、表には出ずに代表者を雇って使っている。

 他にもマウダはいくつか仕事を持っている。いずれも表向きはまともな仕事だ。むしろ、善行をしているように見える。時々、裏の人間が客のふりをして入り、状態を調べている。

 その表の仕事の状態を調べ、管理するのもザナーの仕事だった。ザナーの前までダンクンイがしていたが、時々、マウダに入るはずの金をピンハネしているのがばれて、替えられた。

 その事もダンクンイは根に持っている。できれば、自分が次期頭領になろうとねらっていたのに、それがザナーに邪魔じゃまされているので、焦っているのだ。

 実際にマウダと付き合いのある悪い連中も、次期頭領はザナーだと思っている。ザナーがならなかったら、マウダも終わりだとこっそり言ってくれた奴もいた。誰がどこを見ているかを見極めろ。とそいつは教えてくれた。ダンクンイは次期頭領の座とザナーだけを見ているが、ザナーはマウダ全体を見ている。言われなくてもどっちにつくべきか分かるだろう。と、そいつはにやっとして言っていた。

 それ以来、グースは誰がどこを見ているかを見るように心がけた。そうすると、面白いほどに人の見極めが出来るようになった。そして、マウダの中で生きていくためにぼろを出さないようにしてこれたのだ。

 今日までは。

 扉を開ける音がした。部屋の前に来ても気配がしなかったから、ザナーに違いない。ザナーは一人でいる時、音もなく歩くし、真後ろに来ても気配がない。

 ザナーは昔からマウダの暗殺者でもある。今ではその仕事はだいぶ減り、他の者がするようになったが、裏切った仲間やマウダに盾突く者などを、容赦ようしゃなくほうむってきた。

 だから、みんなザナーが一人で現れると、殺されるのではないかと思って、恐れている。

 そのザナーが一人で、グースが幽閉されている部屋にやってきた。

 彼の持っているランプの明りがまぶしい。ザナーは扉を閉じると、近くの小机にランプを置いた。もちろん、今日も頭からすっぽり外套がいとうを被っている。暗殺者の頃から変わらない恰好かっこうだった。

「グース。大丈夫か。」

 ザナーは淡々と言って、小机の前にあった椅子を持ってきて、グースを立たせて座らせた。その後で、ザナーは少し離れた正面に立った。外套を被っているから、その表情はよく分からない。

 ザナーの動きをグースはよく知っている。この後、自然に近づいて来て、二言三言話し、短刀で急所を刺されるのだ。彼は必ず相手の人間が殺される理由を言う。

「お前を殺すように頭領に命令された。分かっている通り、あの少年を逃がしたからだ。」

 グースは覚悟した。ダンクンイの取り巻き達にぼこぼこに殴られたせいで、椅子に座っているのもやっとだ。逃げる事などできない。

 ザナーがゆっくり近づいて来た。グースの肩に手を置いた。グースは殴られてれ上がった顔で、ザナーの顔を見上げた。

 久しぶりに、外套の中のザナーの顔を見た。彼が顔を見せないので、みにくいと思っている者も多いが、実際はその真逆だ。男とも女ともつかぬ柔和な整った顔立ち。だが、その顔に感情を表す事はほとんどない。

 グースは、はっとした。ザナーの目が悲しみに満ちていたからだ。

「可哀そうに。八つ当たりされたな。私のせいだ。それなのに、お前を殺さなくてはいけない。」

 グースは意味が分からなかった。逃がしたのは明らかに自分だ。だが、ランウルグを連れて行けと命令したのはザナーだった。グースはどきっとした。

 もしかして、ザナーはグースがランウルグを逃がすと計算の上で、グースにランウルグを連れて行くように命じたのではないか。

 でも、どうしてザナーがランウルグを知っていたのか。いや、ランバダを知っていたのだ。グースを攫う前に下見に来ているはずだ。その時にランバダを見て、知っていたに違いない。一緒に遊んでいたのを見ていて、友達だと分かっていたのだろう。

「お前は、ここに来る前の事をきちんと覚えていた。」

 すまない、耳元でささやかれた。と同時に腹に衝撃しょうげきが走った。痛みはまだ感じない。体の力が抜けて行く。

 すっかり、意識を手放したグースにザナーは囁いた。

「お前は私と同じだ。これ以上、お前に手を汚させたくない。」

 ザナーはグースを床に寝かせた。

「さようなら、グース。」

 ザナーは部屋を出ると、外で待っていた男二人にグースの事を告げて、頭領の部屋に向かった。

 いつの間にか、悲しみも苦しみも辛い事も痛みも、他人事のように思い、感じなくなっていた。もちろん、嬉しい事も楽しい事もない。

 感情はここに来てまもなく、心の奥底に封じ込めた。まだ、少年だった自分にはそれしかできなかった。そうしなければ、生きられなかった。

 ザナーが来たので、頭領の部屋の見張りが中に入れた。二人の見張りは軽蔑けいべつするようにザナーを見ている。

 中には他の見張りとダンクンイと数人の取り巻きがいた。

 頭領はまだ少し早い時間だが、すでに豪勢ごうせいな布団の中に座っていた。

「頭領、グースを始末してきました。」

「本当に殺したんだろうな?」

 ザナーの言葉をダンクンイが疑った。

 その時、もう一人、男が入って来た。

「頭領、間違いなくグースは死んでいました。急所を一突き、相変わらずの手並みです。」

 男は報告するとすぐに退室した。ダンクンイが獣でも見るようにザナーを見つめた。

「あんなに目をかけてやっていた奴でさえ、容赦なく殺すとは。恐ろしい奴だ。」

 そう言って吐き捨てる。

「それがザナーの良い所さ。今まで、マウダのこのきびしい掟を一度も破った事がない。ダンクンイ、お前と違ってね。」

 頭領が厳しい目をダンクンイに向けた。

「お前はもうちょっと、このザナーを見習った方がいいんじゃないかい?」

「ですが、今回、二十人も死んだんですよ、おとがめなしですか。」

「だから、グースを殺させたんだ。一番可愛がっている奴を殺すほど、辛い事はないからね。それに、サプリュの管轄かんかつはお前だろう。わたしがザナーに任せると言ったら、猛反対したのはお前だ。

 ニピ族が中で暴れている間、お前は何をしていた?怖くて逃げ隠れていたんだろう?見なくても分かる。ザナーがニピを相手にして止めるまで、何もしなかっただろう。

 もう、お前にサプリュは任せない。サプリュはザナーに任せる。前に約束した通りだ。前に失敗した時、今度は上手くやると言ったのはお前だ。

 だが、今回は許さない。お前はそうだね。恐ろしいニピのおひざ元の、ベスかトスあたりに行かせるかね。」

 ダンクンイは思わず立ち上がって抗議した。

「お袋…!ひどくないか!」

 頭領は燃え盛る炎のような厳しい目で、にらみつけた。

「馬鹿を言ってんじゃないよ!頭領の息子だからって図に乗ってんじゃない!話は終わった!お前ら出て行け!」

 ダンクンイの取り巻き達と見張りは縮み上がって、大急ぎで部屋を出た。

 元々、夫がマウダの頭領だったが、夫の亡き後、ますます強力に組織をまとめあげてきたのが、今の頭領だ。女だからと馬鹿にして死んだ男は数知れない。

 手下達も分かっているから、逆鱗げきりんに触れないうちに退散した。だが、ダンクンイはまだ、そこに立ったままだった。

「お前も早く出て行け!出て行かなかったら、お前の見たくないものを見るんだよ!」

 ダンクンイに怒鳴ってから、かたわらで黙って立っているザナーに優しく呼びかけた。

「ザナー、服を脱いでこっちにおいで。」

 ザナーは言われた通りに、外套を脱ぎ、他の服も脱いで、下着も脱ぐ。細身だが筋肉がしっかりついている。薄い褐色の肌はつややかだ。脱いだ服をたたんでから、ザナーは頭領の布団の中に入った。

 思わずダンクンイは目を背けた。なぜ、頭領だからといってそれができるのか、ダンクンイはザナーの気持ちが理解できない。

 確かに頭領の命令は拒否できない。それは分かっているが、もしかしたら、ザナーの母親よりも年上かもしれない女に抱かれる、ザナーの気持ちが理解できなかった。

 頭領がザナーの上に覆うように体勢を変えた。

「いつまでいるんだい。出て行きな!」

 ダンクンイは慌てて外に出た。一人身で寂しいのは分かるが、なぜ、ザナーなのか。確かに顔はいいし、頭は切れるし、仕事もできる。しかし、何を考えているか分からない。彼なら簡単に寝首をかく事だってできるのだ。

 ダンクンイが出て行った後、頭領はザナーの首に手をかけた。

「お前は本当に、いつまでもわたしを喜ばせてくれるね。お前は決してわたしに服従している訳じゃない。いつまで、服従しないつもりだい?服従したら、早くわたしとの夜伽よとぎは終わるんだよ。

 ねえ、ザナー、お前、本当は何を考えているんだい?わたしの寝首をかくつもりかい?でも、まだ時じゃないね。お前は賢いから、今日はそんな事はしないね。」

 ザナーの顔が真っ赤になった。頭領が首をめていたのだ。だが、頭領が言った通り、ザナーは反撃はんげきしなかった。

 頭領は手を離した。ザナーがせき込んで大きく息を吸う。そのザナーに頭領は囁いた。

「ねえ、ザナー、お前、本当にグースを殺したのかい?」

 だが、ザナーは答えなかった。

「お前、本当に悪い子だね。だから、いつまでもこんなに嫌な思いをするんだよ。」

 頭領は優しく言って頭をなでた。ザナーの顔は何の表情も浮かべていない。だが、頭領はザナーの本当の気持ちを、何を考えているか知っている。知っていて、ザナーを夜伽の相手にしているのだ。

「全く、理解できないぜ。」

 こっそりのぞいていたダンクンイは吐き捨てると、その場を立ち去った。

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