第2話 はちみつの色

 ”それ”が動かないことを確認して、一歩、一歩、にじり寄ってゆく。

 周囲に動く人間の気配は無かった。罠を仕掛けている様子もない。

 ルロイは立ち上がった。

 横たわる無力な姿を、間近に見る。

 半人半獣の民バルバロに比べたら、はるかに華奢だった。

 縛られた手足。眼には布をまかれている。どこかに怪我をしているのか。土に血のにおいが染み込んでいる。

 雌だ。身体のすべてが見て取れる。そばにルロイがいることにも気づいていないらしい。

 ルロイは眼を押し開いた。

 時折森にやってくる人間、街に住んでいる人間は、どれもぞっとする姿をしていた。おそろしい鉄の鎧をまとっていることもあれば、何重にも重ねた布を巻き付けていることもある。

 が、ごてごてと肌を隠すものを身につけていない姿を見たのは初めてだった。

 確かに華奢だけれど、バルバロとほとんど同じだ。

 豊かな巻き毛が、雌であることを示すふくらみの一部を覆い隠すようにして被さっている。

 やわらかな、身体の線。真っ白な肌。

 髪の色も太陽に透かしたはちみつのような色だ。

 そんな淡い髪の色をしたバルバロは存在しない。バルバロの血を引いたものは必ず黒髪になる。

 しかし、髪の色の美しさ、身体のやわらかさとは裏腹に、その雌はひどく傷つき弱りきっているように見えた。

「……ど、どうしたらいいんだ? これ?」

 ルロイは少女の傍らに屈み込んだ。

 手を伸ばし、汚れた枯れ草と一緒に、肌に被さっている髪の毛を払い落とす。

「おまえ、大丈夫か……? って、うわあっ!」

 何もかもがいっしょくたになって眼に飛び込んでくる。

 ルロイは思わず飛び退った。

 よくよく考えたら、今まで雌のハダカなんて見たことがなかった。そのへんのおばちゃんとかばあちゃんのハダカなんてあれはもはやハダカとは言えないしろものというか――そんなこと言ったらぶん殴られて噛みつかれるのがオチだろうが――とにかく、その程度しか見たことがなかったのである。

 それが、いきなり。

「う……っ!」

 ルロイはみるみる顔をあからめ、ひっくり返った。

「や、やばっ……!」

「ん……?」

 人間の少女が、苦しげに身じろぎする。

「お、おまえ」

 ルロイははっと我に返った。てんてこ舞いしつつ、膝をついてあたふたと少女に這い寄り、目隠しを取ってやる。

「何者だ? こんなところで何やってる。ここは人間なんかの来るところじゃねえ。バルバロの森だ!」

「……う、うぅん……?」

 苦しげに声を喘がせる。

「分かったら、とっとと森から出て行け……!」

 言いかけて、ルロイは、ふいに身体をこわばらせた。

 鉄の臭いがする。

「なに……?」

 ルロイはたちどころに表情をするどく変えて周囲を見渡した。耳をそばだてる。怒鳴り声がした。草を踏みしだく足音。石の崩れる音。乱れ重なるいくつもの気配。金属のぶつかり合う音。枝をへし折る音――

 バルバロは狩猟の民だ。どこに何があるのか、どこにけもの道があるのか、どこをどう行けば深みにはまらずにすむのか。森の隅々まで知っている。わざと獲物に位置を報せ、追い散らかすような、そんな乱暴な歩き方をすることは決してない。

 森の歩き方を知らないのは。

 ――人間だけだ。

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