第67話 今度は、俺が君を守ってやる

 ──知られてしまった。


 絶望にも似た寒気が身を浸す。

 シェリーは悄然とうつむいた。否定する気力もなく、だらりと腕を垂らす。

 分かっていた。気付いていた。なのに黙っていた。

 ルロイを危険にさらし、バルバロの皆を危険にさらすと知っていて、それでも嘘をつき続けた。幼い頃に見た、檻の中のバルバロの記憶にわざと蓋をした。良心の呵責に責めさいなまれるのが怖くて、わざと忘れようとし、思い通りに忘れ去ってきた。奴隷に落とされたバルバロがどんなむごい扱いを受けてきたのか本当は知っていながら、自らの保身のためだけに、弱く、無知で、無垢な振りをし続けてきた。

 自分も、ルドベルク卿と同じだ。

 鏡の中には怪物がいる。魔法の鏡が映し出すのは、見たくもない真実の顔だ。放逐の王女というかりそめの仮面を剥ぎ取られた自分もまた、ルドベルク卿と同じくらい醜い顔をしているに違いなかった。


 ルロイに握られた手が、しおれた花のように垂れ下がる。


 できることならもう──いっそ吹き散らかされる灰神楽となってルロイの前から消えてしまいたかった。このまま、落ちてしまいたい、とさえ思った。



「ああ、そうかよ」

 ルロイは血まみれの手に、ぐいと力を込めた。ともすれば滑り落ちそうになるシェリーの手を、改めてしっかりとつなぎ止め、握り直す。

「相変わらず長い名前だ」

 張りのあるルロイの声が鋭く耳を射る。

 シェリーは顔を上げた。ルロイは笑っていた。いつもと同じ、優しくて、大らかで、まっすぐで、単純で。太陽みたいにあけすけな、あの笑顔だった。

「だから、それがどうした?」

 にやりと笑う口の端から、皓々と光る狼の牙がのぞいている。

「変態ナルシスト野郎の言うことなんかに耳を貸すな。シェリーはシェリーのままだ。今度は、俺が君を守ってやる」

 濡れて滲んでぼやけたシェリーの視界に、ルロイの声がまっすぐに射し込んだ。

「シェリー」

 まるでふいに扉が開かれたかのようだった。名を呼ばわる声が、さながら風のように、煥発として通り抜ける。

 見上げたルロイの眼の奥に、幼い少女の姿をした自分が見えたように思った。

 その光はまざまざと白く、まばゆく。心の檻の奥底に閉じこめられていた幼い記憶を、余すところなく照らし出してゆく。


「愚かな狼どもめ」

 ルドベルク卿が凶笑を解き放った。狂乱のさけびが高々と掲げられる。

「そんなに死にたいなら、二匹いっぺんに死ぬがいい」

 殺意のこもった棍棒が振り下ろされる。

 直視できず、シェリーは悲鳴を上げた。


 信じろ。


 耳元で声が聞こえた。シェリーは目をみはった。ルロイの眼が、ぐっと近づいてくる。まるで夜空のようだった。

 手首に掛かっていた体重の重みが嘘のように消え失せている。

 まるですべての重圧から解き放たれ、鳥になって、空に舞い上がったかのように思えた。

 突風が逆巻く。耳元に風切り音が吹き込んでくる。

 ルロイの笑い声が風に飛ばされ、飛んでゆく。一瞬、空を飛んでいる──と思い違いする。だがすぐに気が付く。


 腕一本で木にぶら下がっていた手を自ら離し。

 地面を蹴り。

 はるか眼下の森めがけて、シェリーを腕に抱いたまま空高く身を躍らせたのだと──


 直後、濡れたように輝く河の水面が見えた。

 落ちてゆく。

 シェリーは声も限りにルロイの名を叫んだ。ルロイもまた、シェリーを強く抱きしめて呼び返す。

 視界の隅に、棍棒を振り下ろしたその勢いのまま、ルドベルク卿が足を滑らせるのが見えた。

 だが、それも一瞬だった。二人は抱き合ったまま、石のように崖下へと墜落していった。

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