第38話 黒影

「ううん、何でもない。とにかく伝えたから。それと」

 シルヴィはじろりとシェリーの足元の洗濯かごを見やる。シェリーは、その仕草につられて視線を落とした。

「他に何か御用でも」

「それ、どう見ても二人分の洗濯じゃないよね。村であんたの噂を聞いたけど。いつまでもぐずぐず洗濯ばっかりしてるって」

「せんたくやらされてるー」

「ぐずぐずしてるー」

「せんたくおおすぎー」

 シェリーはシルヴィの言いたいことが今ひとつ分からず、けげんに思いはしたものの、とりあえずうなずいた。確かに洗濯物は多い。でも、これにはちゃんとした訳がある。

「はい、あの、でも……」

「あんたが誰に何人分の洗濯させられようが、あたしの知ったことじゃないけど。言いたいこともろくに言えないような弱虫の羊が紛れ込んでるんじゃ、ろくに群れの統率も取れないよね」

 シルヴィはふいと尻尾を振った。尻尾にじゃれついていた狼っ子たちが振り飛ばされ、ころころと転がっていく。

「行くわよ、妹たち」

「はい、ねえさま」

「はい、ねえさま」

「はい、ねえさま。ばいばい、シェリー」

 狼っ子の一人がいとけなく手を振る。シェリーはくすっと微笑んで手を振り返した。

「さようなら。またね、トーラちゃん。シルヴィさんもわざわざご足労くださいましてありがとうございました」

「その子はノーラ。残念だったね」

 シルヴィは刺々しく言い残すと、素早い身のこなしで岩から岩へと跳ね、森へと消えた。

「トーラでいいのにー」

「マーラもばいばいするー」

「ねえさま間違ってるしー」

「早く来なさい、妹たち」

 森の奥から飛んできた雷がぴしゃりと落ちる。狼っ子たちは飛び上がり、転がるようにシルヴィの後を追いかけていった。

 愛らしいむくむくの後ろ姿が木陰に紛れて見えなくなる。シェリーはシルヴィが消えた森をじっと見つめた。やがて、微笑みが昇ってくる。

 はやく洗濯を終わらせてしまおう。

 できるだけ早く、ルロイにお帰りなさいを言うために。



 洗濯を終えたシェリーは、濡れた服の入ったカゴを抱え、村へと急いだ。水を含んだ洗濯物は通常の衣服より遙かに重い。だが、心は、そんな重さなどまるで感じないぐらい、うきうきと弾んでいる。

 足取りも軽い。ついつい、気持ちが急いて、小走りになってしまう。

 早く、村に帰って。

 ルロイに会いたい。

 知らず知らず、笑みまでがこぼれる。シェリーは晴れやかな気持ちがあふれ出るのを隠しきれず、声を上げて笑った。ルロイが狩りに出かけていたのは、ほんの数日間のことだ。なのに、また逢えるのがこんなにも待ち遠しく思えるだなんて。

 ともすれば不注意で転びそうになるのも構わずに、いそいそと帰り路をたどる。


 その後ろ姿を、木にもたれた黒い影が眺めていた。おもむろに身を起こす。獲物を待ち伏せる獣の仕草だった。

「あの子よ」

 控えていたもう一つの影が立ち上がる。黒い影は無言で肯いた。黒いレザーのチョーカーに牙の形をした飾りが下がっている。黒髪が荒々しく風にたなびいた。

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