第56話 負け犬は黙ってろ

 ルロイは、土と一緒に金の牙のチョーカーを握り込んだ。投げ捨てようと振り上げる。だが、できない。

 血闘で決着を付けた以上、その結果に逆らうことは許されなかった。掟に逆らえば追放される。従う他はない。

「おとなしく言うとおりにしな」

 シルヴィでさえもが奥歯に物が挟まったような言い方をする。いつもは九官鳥のようにひたすらシルヴィの物真似をする妹たちも、さすがに気後れしたのか、何も言わなかった。

 言外に、負け犬は黙ってろと言われたも同然だった。

 ルロイは身体の奥を冷たい手でぐっと握りつぶされたような気がした。息が詰まる。全身にわななくような熱い血がたぎった。

「まだ負けた訳じゃねえよ」

 そらぞらしく吐き捨てる。自分でも強がりだと分かっていた。シルヴィはとがった顎をそらした。腰に手を当て、肩をそびやかせる。


「あんたがどう思ってるかなんて、村のみんなには関係ない。みんな、あんたのことを思って……あんたが村のためにずっと頑張ってきたこと、あの子にマジで惚れてること、みんなあんたのそういうところを見てきて、知ってるからこそ、誰も、面と向かって言えなかっただけ。もしだよ、もし、あの子が人間の兵士を引き入れたら、今度こそあたしたちは滅びる。アドルファーはみんなの気持ちを代弁しただけだ」

「そんなことにはならない」

 ルロイは歯を食いしばった。

「何でそんなことが分かるの。何でそうだと言い切れる?」

 ぞっとする声だった。

「もしかして、人間どもと密約した?」

 ルロイは、愕然として顔を上げた。一瞬、何を言われたのか分からなくなり、シルヴィを見返す。

 やがて背筋に氷を押し当てたような寒気が襲ってきた。血の気が引く。

「お前、何を言い出す……」


「みんな怖いんだよ。人間が。あの子が。あの子が連れてくる災厄が。分かるだろ、あんたには。そのが」

 ルロイの表情を見たのか、それとも別の何かに気づいたのか。シルヴィの口元がうっすらと狡猾にゆがんだ。

「とにかく、あんたはアドルファーに負けたんだ。あいつの命令には従わなきゃならない。狼の掟は絶対だ」

 シルヴィはそっけなく言い捨てた。ルロイが落とした山刀を拾い上げようと身を屈める。


 ルロイは押し殺した声を上げた。

「お前も同じ意見なのか。アドルファーと」

 シルヴィの眼があわただしく左右に動いた。

「いい加減にして。しつこい」

「言えよ」

「言ったら怒鳴るくせに」

「怒鳴らないから言え」

「あんた自分のことがぜんぜん分かってない。妹たちの前で、何て顔をしてんのさ」

 シルヴィはいらだった風に話をさえぎった。怯える妹たちの傍らに膝をつき、抱き寄せる。狼っ子たちは、シルヴィの腕の中からもがき出るようにして次々顔を覗かせた。

「ねえさまを怖がらせるなんて、ルロイのばか」

「ねえさまを泣かせたらマーラゆるさないから」

「トーラがルロイからねえさまをまもってあげる」

「心配しなくていいよ、妹たち。ルロイは馬鹿だけど、乱暴はしない」

 シルヴィは抱き寄せた妹たちに頬を寄せ、顔を埋めて匂いを嗅いだ。

 勇敢なちびの狼っ子たちは、それぞれ、うー、と一人前の唸りをあげながらルロイを睨み付けてくる。

「……怒ってねえって言ってんだろ」

 ルロイはためいきをついた。

「シェリーは人間の兵士に追われてたんだ。俺がかくまわなきゃ殺されてたかもしれない」

「それがどうだっていうの」

「なのに、お前等全員、そんなシェリーを森へ放り出せっていうのか」


 シルヴィは、大きく息を吸い込んだ。ぐるりと振り返る。靴の下で土が擦れた音を立てた。まるで、募る思いが爆発したような勢いだった。

「分かってないのはあんたのほうさ。あんたはいつもそうだ。シェリーのことになったら、すぐそうやってムキになって。あんたが、あたしのことでそんなふうに意地を張って誰かに楯突いてくれた事が今までに一度でも」

 シルヴィは唐突に声を呑み込んだ。わずかに頬が紅潮した。いらだたしげに眼を伏せる。


「あんた、まさか本気でを忘れたんじゃないだろうね」

 固い声だった。

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