第31話 食っちまおうかな

「うん?」

 ルロイは苦虫を噛みつぶしたような顔をした。

「……俺……もしかしてそんなにへたくそだったのかな……いやいや、そういう問題じゃない。ごめん。ごめんって言ったのは、まだつがいじゃないのに俺一人で勝手に発情期に入って……」


 一人で。

 勝手に。


 そんなたわいもない言葉尻を、わざわざあげつらうように捉えて、勝手に傷ついて。


 一瞬、ためらったあと。シェリーは、にっこり笑った。

「ううん」

 かぶりを振る。今までで一番上手に笑えたような気がした。

「何でもありませんわ。わたくし、怒ったりはしていません」

「そう言ってくれると少しは安心だ」

 ルロイは何も気付かない様子で、シェリーの手を取って立ち上がった。

「もう一回水浴びしてから帰る?」

「……はい、ぜひ」


「俺も水浴びしたくなった」

 ルロイは、ふっ、と口元をゆるめ。

「抱いていってやるよ」

 笑いかけてくるなり、シェリーの身体をやすやすと両腕に抱き上げる。

「きゃっ」

「軽いな、シェリーは。子うさぎみたいに軽い」

 言いながら、ふいにぺろり、と舌なめずりをして笑う。

「もう一回、食っちまおうかな」

「ぇ、えっ……!? 本気で食べるおつもりですか……そ、それはお断りいたします」

「冗談だよ」

 ルロイはシェリーを抱いたまま、泉に踏み込んだ。

「洗ってやる」

「あんっ、いいです、それぐらい自分でできますから……」

「さっきは背中流してくれって言っただろ」

「それは、その、その場の雰囲気でっ」


 ぱちゃぱちゃ、と水飛沫が跳ねる。

 水面に映った青い月が、笑うかのようにゆらゆらと揺れた。

「いいから、洗ってやるって」

「大丈夫ですってば。いくらわたしでも、身体洗うぐらい、ひとりでできますもの……きゃっ!」

 ルロイの手から下ろされて、少し離れようとした途端、つるつるした石に足を取られ、すてん、と転びそうになる。

「おっと」

 ルロイが背後から受け止めた。

「大丈夫か」

「ご、ごめんなさい……つい、足が滑っちゃって……」

「おっちょこちょいだなあシェリーは。全然、目が離せないよ。仕方ない。こっち向いて」

「……はい?」

 言われるがまま、素直に信じたシェリーが振り向こうとすると。

 抜き打ちのキスが唇をふさいだ。


 ぱしゃん、と。

 足下で泉の水が揺れる。

「ルロイ……さ……」

 もれる声を遮る、長いくちづけ。ゆらゆらと、何もかも見通すかのような、さざめきが続く。


「こんなことなら、最初から言っとけば良かった。変に意地張ったりせずに、もっと、シェリーのこと好きだ。大好きだ。一生、一緒にいたい、って。くどいぐらい言ってからにしとくべきだった」


 ようやく、キスを離してくれる。まだ腕の中だ。シェリーは、まじまじとルロイを見上げた。

「そうしたら、いきなり発情期が始まるなんてことにはならなかったんだ。だから、ごめん、って謝りたかった」

 優しい眼。

 荒々しい狼を思わせる精悍な風貌の奥に。

 穏やかな微笑みが浮かんでいた。

 風が、吹きすぎてゆく。青い湖水のほとりに、月の影が満ちる。


「わたし……人間なのに……」

「バルバロが人間に恋しちゃ悪いか」

 ルロイは拗ねたように笑う。


 水音が跳ねる。波が揺れる。

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