第32話 悪い顔

 まっすぐ向かい合って、互いに、思いを込めて見つめ合う。二人の間を隔てるものは何もなかった。そこにあるのは、心を映す透明な泉と、さざ波のように揺れ動く水の音。

 せせらぎが流れる。夜の虫が鳴く。静かな、この上もなく明瞭な月明かりに裸身を晒して、シェリーは立ちつくす。


 人間とバルバロ。

 抑圧する種族と、抑圧されてきた種族。

 互いに差別し、傷つけ、憎み合ってきた忌まわしい過去を思えば、とうてい許してはもらえない、受け入れてはもらえない、と思っていた──


 声もなく、ただ、いつまでも見つめ合う。

 シェリーは声をふるわせた。

「でも……会ったばかりなのに」

「そんな気がしない」

 長いキスが、言葉を呑み込む。

「……ん……」

 二人の水影が重なる。


「ん……っ……ん?」

 満ち足りた吐息に、うろんな響きが混じる。


 もっと、触れたい。

 もっと近づきたい。

 そう思ってもっと身を寄せようとしているつもりなのに。

 なのに、なぜか、何度近づこうとしても、逆に押し戻される。

「……ん……?」

「……ん?」

 互いにいぶかしむ視線を、下腹部へと落とす。

 つっかい棒みたいなものが見えた。

「……また、この棒がくっついていますね」

「う、うん……確かに……えっ、棒?」

「……この棒がちょっと、お邪魔をして……近づけないんですけれど」

「う、うん……そうみたいだな……?」

「……引っ張りましょうか」

「いや、いいです! ほんといいです!」

「じゃ……どうしましょ……?」

「う、うん、いや、ちょっと待って。おかしいな。満足したら発情期も終わるって聞いたのに」

「えっ?」


 ふと。月がかげった。

 青い光が薄暗がりに変わる。ざわざわと森が揺れて、暗い、優しい雲の影に覆われる。

 ぱしゃん、と水が跳ね上がった。ルロイが素早く動き出す。

「えっ……今、何て……?」

「いや? 別に? 何でもないよ?」

「な、何でもないって。あっ、ルロイさん、またさっきみたいな、ちょっと悪い顔になってます。も、もしかしたら、朝になったらおしまい、っていう、さっきのお話も嘘なんですか? 分かりましたわ。さては、発情期って、うそつきになる時期のことなんですね。ひどい、いったいいつ終わるんですか?」


「静かにしてもらおうか」

 ルロイはにやりと狼のように笑った。ひょい、とシェリーの小脇に手を入れ、からだごと抱き上げる。

「ぁっ、何、きゃっ……!」

「ごめんごめん、でも、嘘じゃないんだ。いつ終わるか分からないってのは本当。普通は一晩で終わるって言うけど、そうじゃない場合ももちろんある。俺は、たぶん、そうじゃないほうだろうな。こればっかりは終わるまでやってみないと」


 抱かれたまま、腰を添わせるようにして、ゆっくりと下ろされてゆく。

 人形のように抱き上げられたシェリーは、落とされないよう、ルロイの首にしがみついてじたばたした。

「ぁっ、あっ、下ろさないで……あ、当たってます、ホントに、あの、当たってます……ああんっ……!」

「そうそう、足を絡めて。しっかり掴まれよ」

「ま、待って……ぁ……ゃあんんっ……また……それ以上……下ろされたら、また……っちゃう……ぁっ……!」

「でも、これは、好きになったらこうなるんだから、仕方ないよな」

「そっ、そんな、無理にならなくってもいいですっ……ほ、ほら、ルロイさん……お月様……もうすぐ沈みます。あっ、ほら、東の空が明るくなってきました……もうすぐ朝です……おはようございます……」

「いや、また始まった。我慢できない」

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