第30話 ヨッパライ

「……そんな事言った?」

「ええ。苦しくて、我慢できない、って」

「う……? いや、あの、うん、全然、なおったよ。大丈夫……覚えてないけど」


 ルロイはいたずらをとがめられた子どものように目をそらした。ばつの悪そうな顔をして冷や汗まじりに笑う。先ほどまでルロイの目尻に掃かれていた赤い火照りは、今はうそのように消えていた。

「どうしよう、マジか、俺、ヨッパライじゃあるまいし、たちのわるい口説き方しちまったな」

「たちのわるい?」


「ああ、いやごめん、何でもない。今はもう正気だから」

 ルロイはあわてて手を振る。

「とにかく俺のことは気にしなくていい。それより、発情期ってけっこう大変だな。こんなのがずっと続くのか」

 ルロイはまだ高揚した心地に駆り立てられているらしかった。

「まさか、えんえんずっと、ってことはないよな。いつ終わるんだろう。俺も、発情するのは初めてでよく分からないんだ。朝になったらこんな感じの気分も醒めるのかな」


 とろとろに潤んだ眼で、シェリーは空を見上げた。月影を探す。

 青い光が、しずかに森を照らし出していた。

 まん丸い月が、ぽかりと中天に浮かんでいる。月の傍らにひときわ明るく瞬く星がひとつ。


 朝になったら、月は沈む。日々、昇る時間を変える月は、次の日にはもう今の位置にはなく、そのかたちもまた変わってしまう。


 つられたルロイが空を見上げる。

 心許ない風が吹きすぎてゆく。ざわざわと木々が揺れて葉擦れの音を立てた。

 シェリーは、気弱に笑った。

「よかった。苦しい時期が早く終わると良いですね」


「え?」

 ルロイは、虚を突かれた顔をした。

「あ、いやそれは、その、そうだな。あの」

 かすかにうろたえた素振りを見せる。

「……ごめん、あの」

 消沈した様子のルロイに、シェリーは、なぜか。


 王宮にいたとき、鏡の前で笑顔を作る練習をさせられていたことを思い出していた。

 ずっと、人見知りで、おどおどと気弱にはにかんでばかりいたから、うまく笑えなくて。女官長によく叱られながら、何度も笑う練習をしたっけ。

 王女なのだから、誰よりも美しく。

 王女なのだから、誰よりも優雅に。

 もっと愛らしく、いとけなく。上手に、可憐に。いみじく笑わせたもうことを、殿下。

 鏡の中の自分は、涙ぐんだ笑顔を浮かべていた。笑って。もっと上手に。嫌そうな顔をしないで。もう結構ですわ、続きは明日。そんな叱責を背中に浴びながら、笑い続ける。

 たぶん、今も、そんな顔をしているのだろう、と思った。


「あの……シェリー……やっぱ怒ってる?」

 ルロイは気まずそうに訊ねた。眉根を下げて、申し訳なさそうな顔をしている。

「もしかして、一回しかしなかったから?」

「はい?」

「いや、普通は一晩中するって村の連中は言ってたから」

 シェリーは眼をぱちくりとさせた。

「あの」

「何」

「それは……何の話ですの?」

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