第36話 おおかみにおそわれるひつじー
「ルロイさん」
気が付けば、また、洗濯物をゆすぐ手が止まってしまう。
「どうしたの。困った顔しちゃって」
背後から影が差した。
と同時に。横からぽこぽこと、全員が同じ顔をしたちっちゃな狼っ子たちが、腕にすがりついたり、背中に飛び乗ったりしてしがみついてきた。おそろいのぶどう色をした吊りスカートからは、むくむくと丸っこい尻尾が飛び出している。
「どうしたのシェリーこまったかおしちゃってー」
「どうしたのシェリーこまったかおしちゃってー?」
「どうしたのシェリーこまったかおしちゃってーー?」
狼っ子たちは眼をきらきらとさせ、声を揃えてたずねる。
シェリーはあわてて立ち上がった。濡れた手をエプロンでぬぐい、居住まいを正してから、礼儀正しくスカートをつまんで膝を折り、会釈する。
「ごきげんよう、シルヴィさん、妹さんたち」
「別にごきげんは良くないけど」
バルバロ特有の、毛皮の縁襟がついた革ジャケットを羽織った少女が、腰に手を当て、肩をそびやかせた気の強い笑みでシェリーを見下ろしていた。
「いもうとさんじゃないしー」
「マーラだしー」
「トーラだしー」
「ノーラだしー」
「そのシルヴィさん呼ばわり、やめてくんない? むずがゆいから」
毛皮のベルトに見えたのはシルヴィの尻尾だった。
挨拶も早々に、その視線がシェリー本人から、シェリーの足元にこんもりと盛り上がった洗濯物の山へと移る。
「からかわれて恥ずかしかったとか」
きれいな形の眉がひそめられる。
「いえ、そんなことは」
「あの子たちも、発情したオスを相手にしたら、キスで済むわけないってことぐらい分かりそうなものだけどね。でも尻尾もない普通の人間が、そんなこと知ってるわけないか」
シェリーは何も言い返せなかった。
「あれ? 可愛い顔してとぼけてる?」
シルヴィは、鼻の先で、ぷっ、とわざとらしく笑った。腰に巻き付けた尻尾が、ゆらり、ゆらりとほどけてうねる。
「すぐそうやっておどおどして」
シルヴィは黒く尖った爪をシェリーの鼻先へと向けた。シェリーはつつかれるまま動けない。シルヴィの笑みが深まった。
「まるで狼に襲われる羊みたい。もしかしてあたしが怖いの? ルロイとつがいになったのだって、本当は何されても怖くて言い返せなくて、無理矢理にされるがままになってるだけじゃないの?」
「おおかみにおそわれるひつじー」
「おどおどしてるひつじー」
「こわくていいかえせないひつじー」
狼っ子たちが輪唱する。それだけ何度も繰り返されると、さすがに、普段あまり気の回らないシェリーにも、シルヴィに何を言われているのかうすうす感づいた。
唇をわずかに引き結んで、シルヴィを見上げる。
「……ルロイさんは、優しい人です」
「違う。間違えないで」
シルヴィは即座にさえぎる。
「あんたは人間。でも、あたしたちはバルバロ」
シルヴィの口元だけが笑っている。だが、シェリーを見つめる眼は笑っていなかった。
「そういう言い方するなら、優しいバルバロ、って言わなきゃ。悪いけど、あんたの話し方は、聞いててあんまりいい気はしないな」
シェリーはうつむいた。また何も言い返せない。ルロイといるときは、まだ、少しは思ったことを言えるようになったけれど、相手が何を考えているのか分からないときなどは、まるで唇に錆びた蓋をされたように重くなってしまう。
本当は、もっと、相手のことを知りたいのに。しゃべるのが嫌いなわけでもないのに、何をどう切り出せばいいのか、頭の中が真っ白になって、相手の気持ちどころか、自分の思っていることさえよく分からなくなってしまう。
「ま、それは置いておくとして」
シルヴィは獲物を押さえ込んだ時のように眼をすうと細めてみせた。
「さっき、オスどもが狩りから帰ってきたよ」
シェリーは弾かれたように顔を上げた。ルロイが狩りから帰ってきたのだ。控えめに見えるよう心しながら、隠しきれぬ笑顔を輝かせる。
「わざわざお知らせいただいてすみません。何かお手伝いしなくちゃいけないようなことがあるようでしたら、わたしもすぐに参ります」
「白々しいこと言っちゃって。ルロイのほかはどーでもいいくせに」
シルヴィは棘のある笑いを浮かべた。あざけるような仕草で顎をそらす。
「しんぱいなのはルロイだけなのー?」
「おにくのことはどーでもいいのー?」
「シェリーはおにくがきらいなのー?」
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