第11話 黒い仮面
シェリーが住んでいる街は、森からずいぶん離れたところに築かれている。何重もの囲いと、勇敢な兵隊たちによって平和が守られている。
文明の世界は人間のもの。
野獣の世界はバルバロのもの。
ずっと、そう教えられてきた。
でも、今は……
ルロイ、と名乗ったバルバロの少年が、森の道を足早に歩いてゆく。
黒髪。
鞭のように引き締まった身体。狼そっくりの耳。尻尾。
首には、ちぎれた鎖が巻き付いている。
シェリーは黙ってルロイの背中を見つめた。
あやふやな記憶を巻き戻して、たぐり寄せる。
森のふちで子羊を探していたところまでは覚えている。
疲れて、怖くなって、おなかも空いたしと思ってリンゴを食べた。そこからふっつりと記憶がない。
まるで悪い夢を見ていたようだった。今も夢の続きを見ているのかもしれないとさえ思う。記憶の肝心なところに、もやもやとした霞がかかって、どうやっても思い出せない。
でも、誰かに担ぎ上げられたのは覚えている。ひどく怖かったことだけを。悲鳴を上げる間もなく強引に連れ出され、眠り薬をかがされて。
(そんな子、もういらないわ。どこか遠いバルバロの森にでも捨ててしまいなさいな)
けたたましく笑う誰かの声が聞こえて。
その後、気がついたときにはもう、森に運ばれていた。
回りに誰もいなくなったときを見計らって、よろめくように逃げ出したものの、自分の身に何が起こったのか、未だにわからない。半分意識のないおぼろげな状態のまま、結局また倒れてしまって……
ルロイが貸してくれた上着の前をかき合わせ、ためいきをつく。
黒い仮面の兵士たち。全員、眼のところだけ穴を開けた真っ黒な仮面をかぶっていた。
でも、あのなかに一人だけ。
声に覚えのある下級の貴族がいた。
だが、大した権勢のあるわけでもない貴族が単独でこれだけの企みを実行するとは思えない。きっと、誰かの差し金にちがいない。
いったい、誰の──
森の木々の枝先が耳元をかすめた。ちくりとした痛みが走る。
痛い。そう、思ったとたん、今まで忘れていた痛みがぶり返した。身体中がひりひりし始める。たぶん、今までは、逃げるのに必死で気が付かなかったのだろう。
手のひらを見下ろすと、あかぎれのような生傷が何本も走っていた。
血が出るほどのものではない、ほんのちいさな傷。だが、なぜか、ずっと身体のどこかを、ちくり、ちくりと目に見えない針でつつかれているような気がした。
考えたくもなかった。城の中に、敵がいるなんて。
何も知らず、幸せに、ただ平和に。ずっと平穏な日々だけが続いてゆくと盲信していた。確かに城の外には恐ろしい獣が住んでいる。でも、城の中にいれば大丈夫だと──城の中なら、絶対に安心だと──単純に思い込んでいた。
従順な羊のように。
それを思えば、おいそれと自分の名を名乗るわけにはゆかない。
なぜ、森にいたのか。なぜ、兵士に追われていたのか。それが分からない以上、当然とも言えるルロイの疑問を正直に受け止められなかった。
バルバロは、人間を喰らう恐ろしい怪物。
だが、もっと恐ろしい何かが、どこかにいる。
歩きながら空を見上げる。
いつの間にか、日が傾いてしまっている。
木々の影も少しずつ色濃く、暗く、わだかまってゆきつつあった。ざわざわと重なり合った風音が、そこかしこに枯葉の吹き溜まりを作っている。
まるで、薄ら寒さに凍える身を寄せ合おうとでもしているかのようだった。
いったい、ルロイは自分をどこへ連れてゆくつもりなのだろうか。
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