第51話 狼の群れの中にひとり
シェリーの表情が、古い漆喰の仮面のように、痛々しくひびわれて見えた。やわらかな微笑が青白くそそけ立つ。
「そんなことはありません」
「だったら言えよ」
笑みの形に上がっていた口の端が、泣いてでもいるかのようにひきつった。
「どうして、そんな怖いお顔をなさるのです」
「シェリーが答えてくれないからだろ」
ルロイは足音を荒々しくさせてその場で歩き回った。ひどく落ち着かない。
「何で言えないんだ。俺のこと、頼ってくれてるんじゃないのか。そりゃあ、無理矢理聞き出すつもりはないけど、もし、シェリーが何か言われたんなら言い返してやるから。俺だってシェリーのために毎日頑張ってる。今日だって」
苛立ちに任せて続きを言ってしまいそうになって、ルロイは口をつぐんだ。
ずっと一緒にいて、もう、とっくにお互いのことを分かり合えたと思っていたのに。
まだ、こんな些細な、どうでもいいようなことが、何も考えず呑み込んだ魚の骨のように、あっけなく心の隙間に突き刺さって、いつまでも取れない。
そんなつまらない事実に今さら気付いて、ルロイは奥歯を苦々しく噛んだ。
「言ってくれ。俺の立場のことなら、何て言われてても構わないから」
シェリーはシーツの端をきつく握りしめた。揉み絞られたシーツの影が、濃く、深く、伸びてゆく。
ルロイはシェリーが握りしめるシーツの影を見つめた。唇が乾いた。喉が嗄れたようにいがらっぽい。
「村の習慣で、みんな一緒に狩りに行くのは、また人間と出くわして」
シェリーが唾を飲み込む音が恐ろしく大きく響いた。
「奴隷狩りに遭わないようにするためだって」
「ちょっと待て」
耐えきれず、ルロイはシェリーの言葉をさえぎった。
「シルヴィがそう言ったのか」
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シェリーはうつむいた。言ってから、おそらくはしまった、と思ったのだろう。おずおずと首を振る。
「はっきりと言った訳じゃ」
聞こえるか聞こえないかぐらいの、蚊の鳴くような声。だが、その声はあまりに小さすぎてルロイには届かない。
「言われたんだな」
ルロイは声をわずかに凄ませた。シェリーがびくりと肩を震わせる。その眼に、みるみる涙の珠がふくらむのを見て、ルロイは声を呑み込んだ。
「……あの野郎」
首筋の毛がぞわりと粟立つ。ルロイは拳を握り込んだ。腕が震える。その手をシェリーが掴んで引き止めた。
「ルロイさん、待って」
「待たない。おかしいだろ。何でシェリーがそんなこと言われなきゃならないんだ。平気なのか」
「ルロイさん、怒らないで」
「どういう意味なんだ。俺に対する当てつけか。何考えてんだあいつら。何が奴隷狩りだ。狼の群れに一人ぐらい人間がいたっていい……」
ルロイは声を荒らげ、檻の中の熊のように部屋中を歩き回った。ふと、足を止め、まじまじとシェリーを見下ろす。
狼の群れの中にひとり。
頭の中で、黒い言葉が渦巻く。怯えた眼をした羊。奴隷狩り。記憶の奥底にあった過去の光景がよみがえった。
それは、自分だ。
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