第3話 もう、どうにでもなれ

「静かにしろ」

 ルロイはとっさに少女を背後から羽交い締めにし、口を塞いだ。

「う……」

 少女は悲鳴を上げかけた。

「ううっ!? うううううっ!」

「ばか、静かにしてろって」

 声を押し殺しつつ、焦って怒鳴りつける。

「何かいるぞ」

 気配に気づかれたのか。

 人間の怒声が響き渡った。とたんに、腕の中の少女が身体をこわばらせた。さきほどまであれほど暴れていたのが、凍り付いたように動かなくなっている。

「撃て。何でもいい、殺せ」

 誰がいるかも分からないのに、いきなり、背後から無数の銃声が響き渡った。

「追え。決して生かして返すな」


「ちくしょう、何だよあいつら……いきなり撃ってきやがった」

 ルロイはじたばたと暴れる少女の裸身を、木陰へと引きずり込んだ。声を出されないよう、ぴたりと口を塞ぐ。

 少女はくぐもった悲鳴をあげた。身体をのけぞらせる。

「うるせえ、静かにしろ」

 ざわざわと不穏に揺れる木々に身をひそめる。

「声を出したらぶっ殺されるぞ」

 いっそう強く少女を腕に抱き、耳元で獰猛にささやきかける。

 少女の青い瞳が、血走った恐怖に見開かれた。ルロイは少女の身体を抱きしめた。追っ手の様子を、息を殺してうかがう。

 少女は苦しげに喘いでいた。

 藪を踏み荒らす足音。騒然と行き交う人間の群れ。血と森の生々しい臭いが漂った。

 ルロイは四方を見渡した。舌打ちする。

 少女は怪我をしている。

 一人では、間違いなく……捕まるだろう。

 だからと言って下手に連れて逃げたとしても、背後には武器を持った人間の群れが迫っている。

 見つかったら──

 ごくり、と唾を飲み込む。

 殺される。

 人間に対する本能的な恐怖が、冷たく背筋を流れくだった。

 だが、同じ人間であるはずのこの少女が、いったい、なぜ、同類の兵士に追われているのか。

「あっ……あ、うう……」

 少女の噛みしめたくちびるから苦しげなうめきが洩れる。

「くそっ」

 ルロイは自棄になって首を振った。

「もう、どうにでもなれだ」

 こんな人間を一人、助けたところで、何の価値もない。自己満足にすらならない。そう思っていたにも関わらず。

 気が付いたら、少女を抱き上げていた。

「う……!」

 儚げなあえぎ声が聞こえた。腕の中で、うまれたての赤ん坊みたいな、真っ白な肌が身をよじる。

 ルロイは頬をかぁっと赤く染め、あわてて目をそらした。

「声を上げるなって言っただろう」

 脅すように唸りを上げ、少女を抱いたまま、森を疾駆した。崖を駆け上がり、沢づたいに岩を飛び移る。

 人間を助けても、絶対に、ろくなことにはならない。バルバロの村に連れ帰っても結局は──

 だが、人間にすら見捨てられたこの少女を見捨てることは、なぜかできなかった。

 腕の中で、少女が、血にかすんだ目を開く。

「お前、少しは有り難いと思えよ。わざわざ助けてやってるんだからな!?」


 少女は、かぼそい息をもらした。弱々しくうなずいて、ルロイにぎゅっとすがりつく。

 確かな理由すら分からないまま、ルロイは少女を抱いて走り続けた。

 空を見上げる。見慣れた山肌の光景が後方へ飛びすさってゆく。

 茂みから茂みへ、姿を隠しながら走り抜けるたびに方角を確かめる。この向きなら――

「もう少しだ、もう少し我慢しろ」

 風が人間の臭いを運んでくる。鉄の臭いが強く鼻を打った。

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