第71話 何だかしょっぱい

 シェリーはルロイを見つめ、シルヴィを見つめ、グリーズを、アルマを、ロギ婆を、そのほかの皆を見渡し、深々と頭を下げた。

「今までお世話になりました。そして──ありがとうございました」



 家に戻り、ベッドに眠る妹たちを起こさぬよう手提げのかごに三人まとめて寝かせつけてから、向かえに来たシルヴィへ手渡す。

 シルヴィはシェリーの顔を見もしなかった。

「別に、ざまあみろとか思ってるわけじゃないから」

 そっぽを向いたまま、不機嫌な調子で言い捨てる。

「おやすみなさい、妹さんたち」

 シェリーは指先でまんまるい妹たちのほっぺたをつついた。毛玉みたいにまるくなった子狼たちは、それぞれのおなかに鼻を埋め、ぎゅうぎゅう詰めになりながらも尻尾だけをふりふりした。

「ねえさまに言われたとおり、ちゃんと見張ってるしー、むにゃむにゃ」

「ねえさまに言われたとおり、ちゃんと看病してるしー、むにゃむにゃ」

「ねえさまに言われたとおり、ちゃんとゴハンの用意もしたしー、むにゃむにゃ」

「妹たち、寝言がうるさいよ」

 苛立ったような、照れたような赤い顔でシルヴィがあわててさえぎる。

「あんたのこと、追い出したくて追い出すわけじゃないんだからね。全部ルロイのため、村のためよ。あたしにだって立場ってものがあるの」

 シェリーは両手を握り合わせ、しずかにうなずいた。

「はい。分かっています。おやすみなさい、シルヴィさん」


 シルヴィが去ったあと、シェリーは闇の向こう側を見つめた。そこにいるのは分かっていた。入るに入りかねていたルロイが、耳をしょんぼりと垂らした姿で立ちつくしている。

「ルロイさん」

 シェリーは手招いた。夜空を見上げる。月は雲に隠れて今どこにあるのかも分からなかった。

「出て行くって……本当なのか」

「でもその前にお話があります」

「何の」

 ルロイは相変わらず憮然として立ちつくしたまま、家に入ろうともしない。声が暗い。シェリーはうながすように微笑んだ。


「どうぞ、お入りになって。お茶を淹れますわ」

「悪いが、とてもそんな気分にはなれない」

 ルロイはうなだれて頭を振る。

「せっかく皆を説得できると思ったのに、残念だ」

 シェリーはルロイの手を取った。微妙に逃げようとして抗うルロイの手を、ぎゅっと握りしめる。

「大切なお話です」

 引かれるがままのルロイの手は、まるで別人のようにか弱く、力なかった。



 お湯を沸かし、お茶の用意をする。森に咲く花を摘んで作った香り高いハーブティ。大好きな香りだ。

 ぽこぽこと音を立てるポットを鍋つかみで運びながら、シェリーは澄んだ音を鳴らすカップとソーサーをテーブルに並べた。

「そうか……シェリーが淹れてくれるお茶が飲めるのも今夜が最後か」

 ルロイは見るも哀れなほどに肩を落としてつぶやいた。

「味わって飲まなきゃな。うう、でも何だかしょっぱいような……」

「気のせいです」

 シェリーは微笑んだ。

 ルロイはテーブル上のハンカチを見やった。

「何、それ」

「気になりますか」

「いいや。もう、何もかもどうでもいい気がしてきた」

 ルロイは自棄酒をあおるような仕草でお茶を飲み干した。めそめそと愚痴りつつ、テーブルに突っ伏す。

「でも、それがシェリーの決めたことなら俺が反対する理由はないんだよな……でもさ……でも、俺、シェリーとずっと……いや、いつまでもぐずぐず言うなんてやっぱ男らしくない。ここはきっぱりと別れを……うあああ! やっぱ無理だ! 俺はずうっとシェリーと一緒にいたい。離れたくない。ううう、どうすればいいんだ……」

 ぐしゃぐしゃと髪を両手でかき回し、ごつんと額をテーブルに落とす。

 その拍子に、ガラス瓶の上にかかっていたハンカチが滑り落ちた。


「ん?」

 ガラスの瓶の中身は、粉をまぶした色とりどりのキャンディだった。

 ルロイは眼をしばたたかせた。

「これは」

「ちょっとずつ集めてたお砂糖で作りました」

「何で」

「ルロイさん、あまいものお好きでしょ」

「いや、好きっていうか、いや、確かに好きだけど。飴なんて今まで一度しか」

 ルロイはあからさまに狼狽して口ごもった。口をぱくぱくと喘がせて、呆然とシェリーの顔を見返す。



 シェリーはガラス瓶の蓋をはずして、中のキャンディを手のひらに出し、転がした。甘い香りが漂う。

「ルロイさんは、わたくしが人間の国の王女だったことを、本当は最初からご存じだったのですね」


 ルロイはまだ、心ここにあらずと言った眼で、まじまじとキャンディを見つめ続けていた。唖然としたまま、眼をしばたたかせ、ようやく我に返ったふうにかぶりを振る。

「いや、全然」

「じゃあ、どうして、あのとき、わたくしを助けてくださったのですか」

「そりゃ助けるだろ普通」

「いいえ」

 シェリーはルロイを見つめ、かすかに小首をかしげた。

「わたくしが森に連れてこられたときです。ルロイさんと、初めてお会いしたとき」

 シェリーはルロイの傍らに腰を下ろした。こわばったまま固まっているルロイの握りこぶしを、ゆっくりとほどくようにして開かせ、手のひらにキャンディを落とす。

 ルロイは怖じ気づいた顔をしてキャンディを見やった。


「あのとき、わたくしは名を名乗りませんでした。なのに、ルロイさんは、初めて会ったはずのわたくしのことをまるで最初からご存じだったみたいに、シェリーとお呼びになりました」

 

「だって、君があまりにも」

 言いかけて、ルロイはごくりと喉仏を上下させた。


「昔、俺がまだガキだったころ、バルバロ狩りに捕まったことがある」

「……」

「しょっちゅう脱走しようとしては捕まってさ、しまいには檻に入れられて、飯も食わせてもらえなくてさ。もし外に出られたら人間なんか全員みなごろしにしてやるー、とか思ってた」

 ルロイは呆然と手のひらのキャンディを見下ろした。

「そうしたら、こんなふうに、お菓子をくれたちっちゃな女の子がいてさ、五つとか六つとか、そんな感じの」


 見返すルロイの眼に、シェリーの顔が映りこんだ。甘い色。優しい香り。呼び覚まされる記憶。


「その子が、自分のことをこう言ったんだ。シェリーと呼んでくれ、って」


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