第63話 声が出ない
「……知りません……わたしは……何も、知りません」
ごくりと嚥下する。シェリーは息を喘がせた。声が震える。
軍人はシェリーの反応に満足したらしく、肩を揺らした。
「この山のどこかに、貴女を匿ったバルバロの村があるはず。山狩りをして一帯に火を放ち、バルバロを見つけ次第、何百匹いようとも一匹残らず皆殺しにして、奴らの口を封じます」
「やめてください」
シェリーは息を呑み込み、思わず口走る。
「そんなことは許しません」
「なるほど、やはりあるのですね」
貴族は、得たりとばかりに凄絶な笑みを浮かべた。シェリーは、はっ、と声を呑んだ。
口から出た言葉の意味に気が付く。
バルバロの村など近くにはない、たまたま運良く通りすがった狩人に救われ、森で暮らすことにしたのだ、などと苦しくも最後まで強弁していれば、まだ、村が近くにあることを認めたことにはならなかったものを。
迂闊にも今の一言で、間違いなく近くにバルバロの村があることをルドベルク卿に確信させてしまった……!
「その前に」
嫌悪と憎悪にどす黒くゆがんだ笑みを浮かべ、ルドベルク卿はシェリーの手首を鷲掴んだ。残酷にひねり上げる。シェリーは唇を噛んでうめいた。真っ白な手が、みるみる赤く染まる。
「……痛い……やめてくださ……!」
振り払おうとする、その眼前に。
剣が突きつけられた。
シェリーは息を呑んだ。動けない。おののく眼差しで、ルドベルク卿の表情を見やる。
唇がにやりと吊り上がるのが見えた。まるで蛇のようにちろりと舌なめずりをする。シェリーはとっさに逃げだそうとし、よろめいた。
ルドベルク卿は、掴んだ手を乱暴に引き寄せ、シェリーの背後へと回り込んだ。腕を腰へと巻き付けるようにして抱きかかえ、粗暴に揺すり上げる。
「離して……!」
シェリーは身体に巻き付くルドベルク卿の腕を突っ張ろうとした。動かない。じたばたと足踏みし、膝を蹴り、暴れる。
「お静かになさいませ、殿下」
耳元でささやく笑い声がした。生臭い息が吹きかかる。嫌悪のあまり、喉がふいごのように鳴った。
「……あのけだものどもは、発情すれば何日間も女を犯し続けるといいますからね……貴女はいったい、どうやって今まで生きてきたのですか……?」
「いやです、やめてください、離して……!」
「このように、ですか」
ふいに正面へと振り向かされた。とたん、平手が飛んできて、シェリーの頬を打った。髪を掴まれ、地面へとたたきつけられる。気が付けば血が滲んでいた。唇が切れたのか。
手が震える。歯がかちかちと鳴った。
逃げなければ、と思うのに、身体がまったく動かない。
「貴女はどうせここで死ぬのだから、奴らと同じように私を楽しませても構わないはずです」
仰向けに倒れるシェリーの上に、ゆっくりとのしかかってきながら、ルドベルク卿は襟のボタンを乱暴にはずした。ベルトをほどく音が聞こえる。シェリーは愕然と息を呑み込んだ。悪寒がこみ上げる。
「見よ、愛しき王女は、野獣バルバロの群れに麗しき御身をむさぼり尽くされ、あたら若い命を落とされた。この悲しみ、この絶望は、復讐の旗、殲滅の刃でのみ濯がれるであろう。今こそ野獣バルバロを滅ぼすときだ。我らは王女の苦痛を濯がねばならぬ。王女の受けた屈辱を晴らさねばならぬ。
高揚した叫びを放ちつつ、ルドベルク卿は獲物を前にした肉食獣のようににやにやと笑った。ふいにワンピースの胸元を乱暴に掴んだ。破り捨てる。
恐怖に身体がすくむ。涙すら出ない。石になって、固まってしまったかのようだった。凶暴な男のそれが掴みだされるのを見ても、動けなかった。
助けて。
そう、叫びたかった。
なのに、声が出ない。
泣いて、叫んで、悲鳴を上げて。バルバロは耳が良い。どんなに離れていても悲鳴を聞きつければルロイなら嵐のように馳せてきてくれるだろう。
だが、ルトベルク卿は──剣を持っている。恐ろしい剣だ。どんなにバルバロが森の支配者であっても、剣を持った騎士を相手に無事で済むわけがない。
もし、ルロイが助けに来て──返り討ちにあったとしたら──
幻影が見えた。真っ赤な色。動かない手。広がる色。
目の前に野獣めいた男の顔が見えた。シェリーは声を出せないまま、必死に身をよじってあらがう。
「動くな。騒ぐとバルバロどもを殺すぞ」
ルドベルク卿が吐き捨てる。胸をひどく乱暴に掴まれ、怒鳴りつけられ、乱暴に足を押し開かれる。絶望の呻きが食いしばった歯の間から押し出された。身体がちぎれそうだった。
屈辱が、全身を押しつぶす。
だが、うまくいかなかったらしく、ルドベルク卿は何か口汚い言葉を吐き捨てた。シェリーの身体を引きずって場所を変えようとする。
そのとき、ふいにシルヴィの言葉がよみがえった。
(本当は何されても怖くて言い返せなくて、無理矢理にされるがままになってるだけじゃないの?)
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