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第43話 取って食ってやろうか

 ルロイはたちまち盛大に耳やら眉やらをハの字に下げ、物悲しそうに鼻を鳴らした。くんくんと自分で自分の身体を嗅ぎ始める。

「えっ? 俺、もしかして汗臭い? うそ、どうしよう? くさいとシェリーに嫌われる?」

「嫌いにはなりません」

「じゃ、いい」

「だめです」

「でも俺、実はお風呂そんなに好きじゃねえんだよな」

「あとで、お背中を流しに行きますから、ね?」

「分かった行く。今すぐ行く」

 ルロイは片手でかごを抱え持ち、もう一方の手でシェリーの手を取った。

「一緒に帰ろう」

 大股で歩き出す。いきなり手を引かれて、シェリーはつんのめりそうになった。

「ああん、待ってください。そんなに急がれたら、わたし、転んでしまいます」

「ごめんごめん。シェリーと一緒に家に帰れるのがあんまり嬉しかったもんだからさ」

 ルロイは笑って速度を落とす。


 手を繋いで、歩調を合わせ、シェリーは小走りにルロイの後を追う。

 シェリーは顔を上げ、隣を歩くルロイを見上げた。

「何」

 ルロイが笑って返す。シェリーは照れくさくなってうつむいた。

「いいえ、何でも」

 またぞろしばらくしてからルロイを横目に見上げると、再び眼があった。やはり笑って、何だかじろじろとのぞき込まれている。まさか、ずっと見られていたのだろうか、と、シェリーはあわてた。

「何、何ですか、さっきから」

「シェリーこそ何だよ。さっきからチラチラ見てばっかりで」

「わたしは、別に……それよりルロイさんこそ、何でそんなにじーっと見てるんですか」

「俺は別に、いつも通りだけど」

「今、すっごく笑ってました」

「シェリーだって、さっきから一人でくすくす笑ってたぞ」

「笑ってません」

「ふーん?」

「もう、さっきから何ですか。わたしの顔に何かついてます?」

「うん。いや、顔だけじゃないけどね」

「えっ。どこに? 何?」

「あちこち。全部」

「えええ、そんな、いつの間に。何がついてるんですか? 泥んこかしら……もう、見てないで取ってください」

「だめだ。このまんまでいい」

「ひどい。ルロイさんのいじわる。どうして、そんなににやにやしてるんですか。恥ずかしいじゃないですか」

「それは、あんまりにもシェリーが」

 ルロイはふいと口をとざし、笑った。悪い狼の顔になって、かすかに舌なめずりする。

「そんなに取れ取れいうんなら、お望みどおり、取って食ってやろうか」

「……食べる? 何を?」

「シェリーを」

「えっ……ええええ?」

「そうそう、その顔。可愛いなあ。ホント可愛い。食っちまいたいぐらいだ」

 ルロイは屈託なく笑う。


 曇りのないルロイの黒い瞳にまっすぐ見つめられるだけで、胸の奥底に隠した、ほろ苦く重たい雲が、少しずつ薄皮のように剥がれて、いつの間にか吹き散らされてゆくようだった。

 今はまだ、本当のことは言えない。誰にも言えない秘密が自分にはあるけれど、でも。

 まぶしいルロイの笑顔を追いかけてさえいれば、いつかは、さえぎるものひとつない、真っ青な空の下へ飛び出せそうな──そんな気がした。




 シェリーが洗濯物を干し、その間にルロイが行水用の湯を大鍋に沸かす。

 こまごまとした他の用事を済ませて戻ってくると、ルロイは家中を歩き回っていた。眼を輝かせてあちこちのぞき込んでいる。

「家の中がぴかぴかになってる!」

「お留守の間に、ちょっとお掃除しました」

「ちょっとどころか、何もかも新品みたいに光り輝いてる! すげえ、何、このおしゃれな部屋!? 俺の家じゃないみたいだ。それに何だ、このベッドにかぶせてあるやたらカッコイイ布っきれは?」

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