第54話 血闘
ルロイは皮肉に顔をゆがめた。冷や汗が、背中にじわりと伝う。
「尻尾を振る代わりに、背後から忍び寄って不意打ちするのが、お偉いバルバロさまの流儀ってやつか。笑わせるな、アドルファー」
言い返すと同時に、ルロイは腰に差した山刀を鞘走らせて抜き払った。相手の剣を横薙ぎに払いのける。けたたましい剣戟の悲鳴が上がった。
「ちびっこども、下がってろ。怪我するぞ」
ルロイは好戦的に口の端を吊り上げた。
「あんたたち、やるなら外でやってよ。これ以上、うちの床に穴を開けんじゃないよ」
シルヴィが妹たちを抱きかかえてはぽろぽろ取りこぼしながら怒鳴った。ルロイともう一人の闖入者を見比べた妹たちが、眼をぱちくりとさせて固まる。
「えええ? ルロイがふたり?」
「えええ? ルロイが増えた?」
「えええ? ルロイはどっち?」
黒ずくめのバルバロは首にかけたチョーカーを引きちぎった。シルヴィへと投げ渡す。
「血闘だ。見届けろ、シルヴィ」
チョーカーを受け取ったシルヴィは、手元で揺れる金色の輝きに息を呑み込んだ。
金の牙を賭けて戦う正式な血闘。それはバルバロの国を統べるための、もっとも強力な弱肉強食の掟だった。闘いの勝者は敗者の生殺与奪すべてを自由にする権利を得る。
「アドルファー、何言ってんの。あんた、まさか、本気で殺り合う気? 相手はルロイだよ」
「だからこそだ」
黒ずくめのバルバロは傲慢なまなざしをルロイへとくれた。
「尻尾を巻いて逃げるなら今のうちだぞ」
「呼び出したのは血闘のためか」
ルロイは喉の奥から唸りを上げた。口の端をめくれ上がらせ、牙を見せる。のこのこと呼び出しに応じた自分が、つくづく情けない。
黒ずくめのバルバロは冷ややかに笑った。
「だとしたらどうする。逃げたければ逃げてもいいぞ」
「うっせえ、誰が逃げるか。いいだろう、表へ出ろ。決着を付けてやる」
ルロイはシルヴィの家から飛び出した。黒い影が闇のように後を追ってくる。
切り結んだ剣とナイフが、甲高い音を立ててぶつかり合った。きらめく鋼の軌跡が交錯する。
黒ずくめのバルバロは冷ややかに吐き捨てる。
「いい加減で目を覚まして城へ戻れ、ルロイ。月の民の誇りを忘れたのか」
「黙れ。てめえの指図なんぞ誰が受けるか」
ぎりぎりと刃が噛み合う。力比べでは対等でも、手持ちの得物が違う。そのまま、力任せに押し込まれた。呼吸が乱れる。
しのぎ合うどころか、強がりとともに受け流すだけで精いっぱいだ。相手は両刃の剣。一方、こちらは生活用の山刀と来ている。圧倒的に不利だ。
かろうじて踏みとどまりはしたものの、この状態ではいつまで持ちこたえられるか分からない。
「ならば致し方あるまい。いやしくも血を分けた兄弟の身、さすがに命まではと思ったが、貴様の馬鹿はやはり死んでみないと直らぬようだ」
「うるせえッ!」
地面を蹴って飛び出しつつ、猛然と反撃に出る。ルロイは相手の心臓を狙って、山刀を繰り出した。黒ずくめのバルバロは平然とルロイの攻撃を見切った。上体をそらして切っ先を交わす。
ルロイは左手で地面に触れながら身体を倒し、速度を上げて駆け抜けた。土煙が白くあがった。
尻尾でバランスをとりながら、地面に大きな弧を描いて方向転換する。
「どこを狙っている。俺の心臓はここだ。貴様の剣はなまくらか。狙った場所にかすらせることもできぬとは」
黒ずくめのバルバロは、心臓の位置を握ったこぶしで叩いて嘲った。
「それとも、本当に何も見えていないのか。自分が何のために、誰のために戦うべきなのか」
「黙れ!」
ルロイは身を低くし、速度を上げた。相手は長剣使いだ。まともに打ち合っては勝ちめがない。傾いた身体を、地面に触れ続けた左手で支えながら、急角度に走り迫る。
「ちょこまかと走り回って何になる。そんな単純な攻撃で……」
「そいつはどうかな」
ルロイは左手につかんだ砂の目潰しを相手の目に浴びせかけた。
「くっ……!」
黒ずくめのバルバロは反射的に片手を剣から離し、目を閉じてよろめき後ずさった。剣先がふらつく。
ルロイは相手の足元へ滑り込むようにして背後に回った。片手で身体を支え、バネ仕掛けのように下半身を旋回させて、低い位置からの回し蹴りで足払いをかける。
「もらった!」
倒した、と確信した寸前。
あっさりと交わされる。勢いあまってのけぞったルロイの頭上から、乾いた嘲笑が降りかかった。
「残念だったな」
目を閉じたまま、黒ずくめのバルバロはにやりと笑った。剣を鋭く振る。ぞっとする剣の残響音が鼓膜を震わせた。
山刀が手からたたき落とされる。そのまま、どこへ吹っ飛んでいったのか分からない。
黒ずくめのバルバロは剣を振りかぶった。ルロイは愕然とうめく。
「何で目潰しが効かねえんだよ」
「貴様が砂を掴んでいるのは見えていた。だから言っただろう。単純な攻撃はやめろとな」
死を宣告する光が眼に映り込む。
ぎらつく切っ先から目が離せない。
ふいに、剣の柄に刻まれた、くろがね色の紋章が眼に飛び込んだ。華やかでありながらおぞましい記憶を呼び覚ます
「てめえ、その剣を、どこで」
ルロイは命の危機も忘れ、手を伸ばそうとした。首筋の毛がぞわりと総毛立つ。黒ずくめのバルバロはルロイの問いに答えようともせず、侮蔑しきったまなざしを流しくれた。
「人間に尻尾を振る犬は、今、ここで死ね」
やにわに心臓が激しく鼓動を打ち始める。身体の中を駆け巡る赤黒い恐怖が、耳元で叩き鳴らされる轟音となって聞こえた。
剣の切っ先が降りせまる。
何もかもが、おそろしく緩慢に見えた。
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