第77話 「めろめろのれろれろにされちまってたってことさ」

「ぁ……」

 目隠しのバンダナが半分、ずり落ちる。

 目尻を上気しきった色に染め、熱い吐息をこぼして、シェリーはルロイを睨んだ。

「……ルロイさんのばか……いじわる……」

 ルロイはまた笑い出した。

「ごめんごめん。俺、シェリーに、ばか、って言われるのたまらなく好き。ほら、もうからかわないから。おとなしく眼を閉じておくから。今度こそ本気で襲いに来て。待ってるからさ」


 息が熱くはずむ。

 ルロイは言葉の通り、余計な抵抗をやめておとなしくなった。尻尾だけが、ぱた、ぱた、とベッドを叩いている。

 シェリーはゆっくりと深呼吸した。はだけたルロイの胸に、そっと手を押し当てる。

 指の先で、筋肉質な身体に触れる。太陽の下、つややかに躍動する褐色の肌を思い出して、シェリーは思わず眼を閉じる。


 忙しなく高鳴る拍動を指先に感じた。同じように自分の胸にも手を添える。二人の胸の音が、寄せては返す波のように重なり合ってゆく。


 息苦しいほどに、鼓動が早まる。指先に熱を感じる。

 心臓の音、二人ぶんの心の音が、やがて一つに重なって。


 シェリーは、ルロイの広い胸に唇を寄せた。

 ちゅっ、と。キスを落とす。


「やりましたよルロイさん! 棒は出せなかったけど、ついにルロイさんのハートを奪いましたよ!」

 シェリーは歓声を上げて身体を起こした。両手を結び合わせ、腹の上でぴょんぴょんと飛び跳ねる。

「あうっ!?」

「これからは、わたしから奪いに行きますからね。毎日、大好きって言って、毎日キスして、毎日ルロイさんの心を奪います。これでちゃんとした狼になれましたよね?」


「え」

 ルロイは、シェリーにキスされた胸に手を当てた。キスの痕跡をなで、ちょっとしょんぼりした顔をする。

「奪うって、ここにキスするだけ?」


「え」

 再びいそいそと耳がわりのバンダナを結ぼうとしていたシェリーは、ルロイの悲しそうな口調にうろたえた。

「だって、心は……ハートは胸にあるんですよ……? 今ので心を奪えるはずではなかったのですか……?」


 ルロイは、はぁ、と疲れたような、長い吐息をもらした。

「シェリー」

「あの」

 バンダナを握りしめ、シェリーはおろおろと声を泳がせる。

「わたし、何か間違って……?」


「いいや」

 ルロイは眼を閉じ、もう一度、長い吐息をついた。

「さっきまでいちゃいちゃしすぎ、ドキドキしすぎてて自分でも気が付かなかったんだけど」

 シェリーは眼をしばたたかせた。

「ごめん。俺、おあずけ食らってる間にもうとっくにシェリーに全部、奪われちまってたみたいだ」


「えっ。それはヘンです。いつの間に……?」

 シェリーは眉をひそめ、生真面目に考え込んだ。その様子を見ていたルロイはふいに舌を出し、ぺろりと下唇を湿した。

「頭の中がシェリーでいっぱいで、もう、めろめろでえろえろでれろれろにされちまってたってことさ」


 めろめろで。

 えろえろで。

 れろれろ。


 シェリーは、言葉の意味がよく分からないままに頬を赤く染めた。取りあえずは凄いことになってしまっているのではと困惑する。


「さてと。じゃ、そろそろ良い子のおあずけタイムはおしまいってことでいいかな。シェリーに奪られたぶん取り返すために、そろそろ狼の本気ってやつを見せてやるとしようか」

 ルロイは、よいしょ、と上体を起こした。シェリーの額におでこを寄せ、こつん、と押し当てる。

「奪うっていうのはさ、こうやるんだよ」


 次の瞬間。

 くるん、と。

 体勢が入れ替わった。あっという間に上下をひっくり返される。


「きゃあっっ……ぁ、あっ、あれっ……ルロイさんったら、あっ……何、ちょっと待っ……あれれ……?」

 組み敷かれ、のしかかられて、ぐっと体重をかけられ、そのまま抱きすくめられる。

 目元にルロイの黒髪が降りかかった。ちくりとして思わず眼を閉じる。とたん、両手で頭を抱え込まれるようにして捕まえられた。息苦しいほど長く、逃れられないほど荒々しく、噛みつかれそうなほど激しく、何度も。

 優しいキスの海へ引きずり込まれ、溺れて。

「俺の心を奪った罪は重いのだ。従って、まずは全身キスしまくりの刑に処す。一番シェリーが喜ぶところにキスしまくってやるからな。ふっふっふ、どこにしよっかなー? ここかなー? んー?」

 笑い声を含んだ唇が肌に触れる。

「ぁ、あん……ゃあん……ばかぁ……」


 ……こんなふうに、笑いあえる日々がずっと、ずっと続いて欲しいから。


「……せっかくルロイさんのハート奪ったのに……こんなことではまた取られちゃいます……ぁっ……ぁ……そんな……だめ……」

「そしたらまた頑張って取り返せばいい。狼になったんだろ?」

 髪を撫でる、そのままの仕草で、伝うように指先が頬を、首筋を、耳朶を、やわらかな肌を這う。

「ぁ、あっ……そうでした……狼になったのでした……これからも、毎日、ルロイさんを襲えるように頑張って棒を出す練習を……がるるう……ぅん……!」


 ……守られるだけじゃなく、お互いに助け合えるようになりたいから。


「そんなかわいい唸り声たてられたら、やべえな俺。毎日、嬉しすぎて遠吠えしながらシェリーのこと襲いまくっちまうかも」

「え、ええっ……遠吠えだなんてそんな、ぁ……んっ、ううんっ……ぁっ、ぁ……もっと、もっと、ぁぁ……どうしましょ……遠吠えしちゃう……」

 波を描くように、ゆるやかに触れられて。

「いいよ、言っても。もっと声出して」


 ……自分の気持ちを、思いを、きちんと伝えられるようになりたいから。


「えっ……どんな……声……」

「そうだな。ルロイさんのばかぁん、とか言ってくれると嬉しい」

「ルロイさんの……」

 そこではっと我に返る。


 シェリーは口をつぐみ、頬を両手で押さえ赤らめた。

「……ちょっとそれは……さすがに恥ずかしいです」

「言ってくれよー言われたいよーーー」

「……いやです」

「無理矢理言わせるけどね」

 ルロイの声に笑いが混じった。唇が耳朶をかすめた。荒々しい吐息が吹き掛かる。

 天井がめくるめく闇に揺れ動いている。

 波に翻弄される小舟のように、身体が、ベッドが、かすれた軋みをあげて激しく揺れる。聞こえてくる風の音も、それが野外の木々のざわめきなのか、ふいごのように押し込まれこぼれる切ない吐息なのか、もう、自分でも分からなかった。

「あっっ……ぁ、あっ、あ……や、やだ、無理矢理なんて、ぜったい嫌ですから……絶対言いませんから……ぁ、あっ、やだ……ルロイさんのばかぁ……」

「ぁうっ、うう、ズキューンって来たあ!」

 ルロイは自分の心臓を両手で押さえ、身悶えて身体をよじらせた。

「それ、もっと言って、もっと。うわあゾクゾクする」

「だめ……わたしは、ルロイさんの、優しいところが、好きなんですから……ぁっ……」

「うんうん、もっと言って」

「そんな、いじわるなこと、言わせようったって……その手には乗りませんから……ぁ、ぁ、ああ……そんな……やだ……ぁっ、ぁん、ぁぁん、いじわるしちゃだめ……」

「実はもっといろいろ言わせたい言葉があるんだけど」

「こんなにだいすきなのに……ひどいです……ぁぁん、くるしい、もう、もう、だめ……ばかぁ……ふわふわする……っちゃう……」



 ……たとえ、共に暮らすことが許されなくても、ふたりで一緒に生きていく勇気が欲しいから。



 ふたりで、ひとつになって、身も、心も、溶け合って。


「ああ、たまらねえ」

 ルロイがうわずった喘ぎを漏らした。濡れたような息づかいがひどく荒くなる。

「シェリーのこと、馬鹿みたいに好きだ。好きだよ、最高に好き、ものすごく好きだ、全部、全部、好きだ」

 呼吸が激しくなる。

 断続的に放出される熱に、身体が震える。重みと一緒に吹きかかってくる熱いうめき。目眩にも似たきらめき。やがて、ゆりかごのように静かに変わってゆく呼吸。

 何もかもが、解き放たれたかのように柔らかく、とろりと甘く、満ち足りて感じられた。



「最高に幸せだ」

 全身にくちづけられ、抱きしめられて、何度も情熱的に耳元で名前をささやかれる。

 無垢な光の中、いやいやをするように、シェリーは唇を尖らせる。

「ん? どうかした?」


 ほおずりしながらルロイが尋ねる。シェリーはぐったりと上気しながら、力なく首を横に振った。

「……大変なことを……思い出してしまいました」

「何を」

 さっそく次の一戦を仕掛けようとしながらも、ルロイはひとまず話を聞く態度を見せた。

「どうしましょう……完全に忘れてました……」

「だから何を」

「お引っ越しですよ。さっき言ったじゃないですか」

 シェリーは、長々と吐息をつき、頭を振って、ぎごちなく身を起こそうとした。

「今日中に村を出て行く、って。こんなことをしている場合ではありませんでした。はやくお引っ越しの荷物をまとめないと」

 ほつれた髪を耳元でおさえ、止まらぬ喘ぎを何とか噛み殺して、ようやくそれだけを言い終える。


「分かった」

 ルロイがうなずく。

「じゃ、起きて」

 差し伸べられた手につかまり、シェリーは起きあがった。ベッドから降りようと腰をねじる。

「ってことで、もう一回」

 ルロイは平然とシェリーの背後から腰に手を回し、ぐいと抱き寄せた。

「ふぇっ?」

 シェリーは素っ頓狂な声をあげ、手だけをベッドに押し当てた形でじたばたとした。

「いけません、そんな、お引っ越しの準備しなくちゃ……荷造りを……ぁぅぅん……」

「大丈夫だ。任せとけ。今夜は徹夜で子作りしてやる」

 ゆるゆるとまさぐりながらルロイはにやりと笑う。

「逃がさないからな」

「そんなぁ、ぜんぜん違うじゃないですか……ルロイさんのばかぁ……」

「はぁぅう、きたーー!」




 むかし、むかしのお話です。

 とある国の。

 とある森。

 優しいバルバロの若者に愛された王女さまは、毎日、幸せに暮らしておりました。


 ですが、王女さまはほとほと困ってしまわれました。というのも、大変なことに気づいてしまったからなのです。

 なぜ、困ってしまったかって?

 それは、ですね……


 毎日、毎日。あんまりにも愛されすぎて、幸せすぎて。

 それはそれは、たいそうお困りだったそうです。


 めでたし、めでたし。


【第2話 おしまい】










・・・・・・・・・・・・

あとがき。

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【完結編 恋の逆あかずきんちゃん計画】は、なろうムーンライトもしくは自サイトでお読みいただけます。

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【完結】お月様にお願い!〜 天然王女さまと発情狼のぜんぜんじれったくない恋のお話 〜 上原 友里@男装メガネっ子元帥 @yuriworld

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