第27話 幼い子たちのえんそく 復路

 下津井駅に到着した一行は、次の目的地にあるタコ料理店に歩いて向った。その店は下津井港の近くにあり、駅から歩いて数分の場所。潮の香りとともにタコを煮込んだ醤油味の香りが混ざった、何とも言えず嗅覚をそそる匂いがあふれている。

 先ほどはボートの競争に熱狂し、そこから丘の上の琴海駅まで歩いて移動して体を動かした後だけに、幼い子どもたちは既に空腹状態。駄々をこねたりぐずついたりされないうちに、何か食べさせないといけない。年長の園児ならまだしも、幼い子らは一度にたくさん食べることはできないものの、その分空腹になるのは早い。


 浅野青年の導きによって、子どもたちは店に入った。すでに、子どもでも食べられるように整えられた料理が並んでいる。

 当時のよつ葉園では、朝と夕方、特に朝の食事前の挨拶は奇妙に長い御託宣を入所児童に唱えさせていた。最初のうちはそんなものかなと思っていた子らも、そのうちそんな言葉を押し付けられることに嫌気を催してくる。もっとも幼い未就学の子らは担当保母らと部屋で食事をとる。食堂がそこまで広くないこともあるが、それ以上に食べさせるのが一仕事だからというのもある。そちらはさすがに長い御託宣を並べたりはせず、一言、いただきますで食事に入る。

 いつもと違う場所で、いつもと違う料理。それだけでも御馳走である。何も洋食のフルコースや高級な寿司や懐石料理ばかりが御馳走というわけではない。たこ飯やらタコの刺身やら煮付。普段滅多に食べることのない、タコ以外の海産物もこの店の食卓に並んでいる。子どもたちはいつも以上に食べている。普段の食事では残す子もいないではないが、この日はみんなよく食べた。

 幸い、店に入ったのは13時少し前。この日は予約ということで席があらかじめ確保されていた。それに加えて子どもたちは別の座敷に案内されているので、一般客と鉢合うこともない。昼食の時間帯を少しばかりずらしていることもあるから、店員側も慌てずに子どもたちへの料理を出せる。すぐに出さねばならないもの以外は、すでに昼食時間帯にかかる前に作りおいているから、その点においても重畳である。

 食事が終り、食休みを兼ねてこの地で数十分の休憩。この座敷には子どもたちが時間をつぶせるための子ども向けの遊具やおもちゃもある。なかには眠くなって少し仮眠をとっている子も。付添の女子中学生と保母、それに青年たちには店員が気を利かせて珈琲か紅茶を出してくれている。


「磯貝君、ちょっと来て下さる?」

「はい、太田先生」

 2歳年上の保母は大学生を呼んだ。何か打合せがあるのだろう。山上保母は彼らの動きを察知していたが、特にそれで動くことはなかった。それは大学生の小学校の後輩でもある浅野青年もまた同じ。

 彼らは、2階の座敷から1階に降りて店外に出た。

「今日の子ら、どう?」

「去年よりもなつかれているかな」

「第2班まで奉仕活動に入れたのは、園長先生のご判断?」

「そや。森川先生が上手いことしてくれた。ただ、太田センセイと人前でイチャイチャするなよと、大宮さんから思いっ切り五寸釘を刺されたけどね」

「何その、五寸釘って(苦笑)?」

「そりゃそや。ぼくと景ちゃんがイチャイチャしてみ、子どもらみんな、びっくりするわな。しかも今回、幼児以外中学の女子ばっかりでしょ。せやから、昨日も本堂のほうに呼ばれて酒は飲ませていただいたけど、あれはもう、あちらで問題が起こらないようにという住職さんの判断じゃ」

「春くんと一緒にいたいけど、今週末まではさすがにまずいよね」

「いや、ここだけの話、今日は住職さんが景ちゃんも呼ぶっておっしゃった。無論ぼくも本堂に呼ばれるけどね」

「お酒、飲まされるかな? 私、あまり飲めないから」

「無理して飲まなくってもいい。ぼくは飲むけどね」

「お酒飲んで景子を襲ったりセンジャローな」

「仏様の前でそんな罰当たりなこと、でっきるかよ」

 大学生と保母の2人の男女は数分にわたって話した後、2階に戻った。山上保母は彼らの動きを兼ねて見ていたが、特に何も言わなかった。小さな子たちは少し横になるなど、中学生のおねえさんやすでに母親として同じくらいの子のいる保母さんによって温かく見守られている。浅野青年は、1階の店員らと打合中。2人の動きも見ていたが、特に声を掛けたりもしなかった。


 昼時の時間は過ぎ、そろそろ午後2時。店によっては休憩の時間に入る頃。改めて浅野青年の誘導により、子どもたちの一団は店を出た。歩いて下津井駅まで戻った頃には、すでに茶屋町行の電車がホームに入っていた。

 改札口までやって来た高田車掌が山上保母を呼び止める。

「山上先生、こちらが児島までの切符です」

 大人8人分の切符。これで幼児10人は無賃扱。車内補充券1枚でこの団体全員の児島までの通行証が出来上がっているのである。

 山上保母は高田車掌の指示にしたがい、子どもたちを後ろの車両の前よりに座らせると同時に、女子中学生たちに若い保母とともに子どもらを見ておくように指示を出した。ボランティアの青年たちは、別件での用事のため別の位置にいる。いざという時動けるよう、子どもたちと少し離れた位置で子どもを見守るためもある。

 14時30分。電車は下津井に向けて出発した。


「磯貝君、ひょっとしてあの保母さんのこと・・・」

 目の前で子どもの世話をしている若い保母は、短期大学を出て2年目の太田景子保母。昨年よつ葉園に就職してこの2年来幼児担当を勤めている。磯貝青年はこの太田保母とは昨年から面識があった。

「あの保母さん、太田景子さんって言うけど、わしの高校時代の先輩じゃ。恵子さんは保母を目指すってことで短大に行って、わしは御覧の通り中学校の教師を目指して岡大の教育に入った。去年の奉仕活動で再会して、それでいろいろ話しているうちにほらこの通り、ってこと。森川園長にはすでにバレているけど、山上先生にはバレていない。森川先生がなぁ、折角やから太田さんと一緒に今年も3日ほど海水浴行って来いって言われて、それで2班まで参加しとるのよ」

「なんか、園長先生から言われた?」

「子どもらの前で手を出すなとは、言われた。あと、山上先生にはくれぐれも気付かれないように、ってな」

「あの保母さんから、何て呼ばれているのよ?」

「春君と呼ばれているね。ぼくは、景ちゃんとか、ケーコちゃんとか」

「ま、ええんじゃない。景子おねえさんのヒモになるのも」

 そう言いながら、浅野青年は靴の紐を結び直す。電車は鷲羽山駅を出発した。子どもたちのほうは特に問題はない模様。

「ええなそれって、アホかいな(苦笑)。ぼくが景ちゃんを養わんといけまあが。実は両家には、付合っていることは既に知られているよ」

「それはゴッツアンです、磯貝センパイ!」

「何がセンパイじゃ。気持ち悪いこと言うなよ」

 そうこうしているうちに、電車は風光明媚な瀬戸の海の見えるところに達した。そろそろ琴海駅に到着する。児島競艇からの帰りのギャンブルのおじさんたちがまた大量に乗って来るところ。彼らは子どもたちの近くまで移動した。


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