第47話 本田陽子嬢の苦悩と決意 2

 ここで、マスターとママさんがカウンターからやってきて、近くのソファに座って話し始めた。


 園長先生、私個人としては、陽子にも普通に結婚して子どもを産み育てて欲しいと願っておりますが、とことん独身をとおして人生を渡っていきたいなどと言われたらどう向き合ったらいいのか。私も随分説得しましたよ。

 内山君という文学部の院生さんがいるでしょう。よつ葉園さんの行事については確かに陽子とともにきちんとこなして、浮いた話など何一つと言ってもいいほど出ていない。おたくの児童指導員の唐橋君については幾分子どもさんらにも見破られているようですし、第2班の話ですか、女子中学生の子らがおたくの太田景子さんという保母さんが奉仕活動に来た娘の後輩になる磯貝君とイイカンジだったとか何とかいう噂も出ていると、大宮君を通して先生からも伺っています。

 しかし、陽子についてはそのような話はない。内山君もここによく来ますし、陽子ともかなり仲は良いようですが、その、どこまで行ったとか何とか、さすがにそんなド直球の下世話バナシを、親がするわけにもいきません。

 ただ、うちの嫁さん、このママさんは、恐ろしいことを言い出してくれまして。

「誰かの子どもを産んでも、大学を出すくらいまで出せる資産はうちにあるから」

とか何とか。要は陽子が誰と、例えば内山君と結婚せずに彼の子を産んだとしても自分らの孫として育てると、まあ、こんなことを申すのです。

 何じゃア、女っちゅうのは、ホンマ、強いですなぁ。先生も大宮君も御存知ですよね。戦後強くなったのは女と靴下じゃ、言うて。あ、これ言うと嫁さんにまた後でこんかぎり叱られかねんから、言わんとこ。あ、言うてしもたわ(爆笑)。

 実は来週、墓参を兼ねて、清美ちゃんのお父さんが大阪から来られますのや。あの方がうちの陽子を見たら、この半年の激変にどれほど腰を抜かされるか、恐ろしいような、ある意味楽しみでもあるような。ええ。


「父ですが、岡山駅に見送りに行ったときにこんなことを言っていました。あの本田の陽子さん、わしはその前を知らんから何とも言えんが、彼女は間違いなく半年もすれば今まで以上に垢抜けて妖艶にさえなるだろうな、と。忘れもしません、そのヨウエンって言葉。哲郎君、妖艶ってどういう意味?」

 オレにそんなもの振るなよと言いたいのを抑え、大宮青年は答えた。

「要は美しい女性のことを言う。ただ、その美しさの方向性が、必ずしもいいとは言えない側面もあって、まあなんだ、男を誘惑するというか・・・」

「哲郎、無理せんでええ(苦笑)。ま、別の言い方すれば美魔女とでも申そうか」

「おじさん、それちょっと言い過ぎじゃないかなぁ。言われる本人がいるよ」

 意外にもというかある意味予想通りというか、その言葉の標的となった彼女は、満更でもないといった表情に。

「美魔女、ですか。悪くないですね。そんな人生を目指すのも」

 そう言って、彼女は自分の思うところを述べ始めた。


 私は大宮君ほど頭もよくないし、清美ちゃんほどしっかりとした考えを持って生きているわけでもありません。確かに、本気で好きな人はいます。誰かはもう言わなくていいでしょう。その人には、昔から好きな人がいました。そこら辺の人は、どっちかが身を引いて片方を選べばいいだろうというかもしれません。

 でも、私は彼を諦める気はありません。相手の方もそうです。

 ならば、この三者の関係を壊さずいい形でこれからの人生を送ったらよいか、私なりに考えてみました。その結果、私は結婚しないことにしました。無論老後にその人と一緒になれるというならなるかもしれませんが、今結婚などしてしまうと私のキャリアがすべて台無しになります。

 戦前の家父長制や家制度をありがたがる盆暗ども、男女含めてこいつらに私は三下半を突き付けて、女一人で生きていきます。その目的達成のためには、悪魔とでも手を結びます。インドのチャンドラ・ボースの言葉を地で行っていますが、私はそう決心しました。もう一人の女性が彼との結婚を望むなら、私は喜んで賛成します。その男性の家も彼女の家も、家制度とやらには結構反感をお持ちの方のようですから、私の考えを理解してくださっているようです。

 こんなことを言うと、女一人で寂しくないのかという人もいるでしょうが、そういうウスラ馬鹿共に申すべきは、ひとつ。

 テメエは、テメエの頭の上の蝿だけ追ってやがれ!

 このくらいでないと私の目的は達成できませんからね。この週末ずっと悩んでおりましたが、今朝ふと思い立って自分の考えてきたことを整理したら、今の青空のようにスッキリと自らの進むべき道の全貌が見えて参りました。父は呆れていましたが、それでも認めてくれました。母が一番反対するかと思いきや、それならとことんそれで行きなさいと、父ほど渋ることなどなく賛成に回ってくれました。

 相当反対されるかと思っていましたが、両親には感謝しています。

 ただ、こんなのは清美ちゃんには真似して欲しくはないですけどね。


「わしゃア70年近くも生きて参ったが、かくもすさまじいほどの熱情を持って生き抜く決意をするお嬢さんは、初めてじゃ。そこまで言われたら、わしももう、何も申せん。ただ、一言だけ老婆心、まあ、ババアではなくジジイではあるが、言わせておくれ。そこまで陽子さんが腹を決めたなら、それでとことんおやりなさい。その代わり羽目を外し過ぎて自分の幸せを見失わんように、な。もう一つ、人の幸せを奪うような真似は論外。御賢察願うぞ、それだけ守られるなら、わしはあんたの人生に何も申すことはない。それから、来年も予定が合えば是非、この行事の奉仕活動、内山君共々是非お願いしたいと思っております」

 周囲の静まり返る中、森川園長の言葉がこの店の隅々まで伝わっていく。


「それはいいとしても、園長先生、この話が山上先生に発覚したら、どんなことを言われるかちょっと心配です」

 そこで、ウエイトレス姿の卒園生が一言懸念となる事項を指摘した。

「哲郎、その点についてはどう考えりゃあ?」

 今朝がた思うところあって家族法の入門書を熟読していた青年が答える。

「本田さんの求める幸福は、日本国の法令の意図する家族像とは明らかに異なる。しかしながら、そのような人生を送られた女性がいないかと言えば、数はともあれいないわけでもない。彼女がそれこそ内山さんの子を出産すれば、父親である内山さんも高確率で認知されようが、そんなことは些末な話。そういう親子なら今もいくらもいます。ぼく個人としてはそのような形で女性に子どもを産ませたいとは思わないが、それは別問題。そういう愛の形というのか、それを百も承知で本田さんが実践されるなら、ぼくらはそれにケチをつける筋合いも権利もない。そもそも山上さんがどうこうは、問題ですらない。ナンピト(何人)であれ、陽子さんたちに物言いをつける権利など、どこにもありません」


 ここまで言って少し珈琲をすすった大宮青年が、一言付け加えた。

「姉御が啖呵切るような物言いを本田さんがするのは、初めて聞いたよ」

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