それぞれの日曜日
第34話 日曜日の来客 1
「園長先生、お電話です」
日直の保母が電話を森川園長につないだ。今日は日曜日なので、書記の小畑女史は公休日。その代わり、子どもの面倒を見るにあたり手間の少ない年長児童担当保母から1人、それと早めに休暇に入る本来保育担当で日曜休みの太田景子保母の合計2人で事務所の日直をさせている。
「はい、森川です」
電話の相手は、茶屋町の成瀬次郎氏。このよつ葉園の唐橋修也指導員の妻となった人物の父親であった。
「森川先生、今、唐橋さんご夫妻とともに岡山駅に到着した。1時間後をめどにそちらよつ葉園に伺いたい。無論うちの娘と唐橋さん宅の修也君のことである。修也君経由で初奈よりこの日曜日に先生が出勤されていることは既に確認済であるから是非唐橋御夫妻共々伺いたい」
いささか真綿で首でも絞めようと言わんばかりの剣幕に、森川園長はいささかならず圧力を感じないわけにもいかない。
「ちょうどよろしいわ。雁首揃えておいで願う。当方は立会に岡山大学法科に通う大宮哲郎君を同席させるから、それは御了承を」
「大宮君ですな。彼抜きにはこちらも話にならんから、是非御同席願いたい」
電話を切り、森川園長は直ちに大宮邸に電話した。哲郎青年は老園長の話を聞くや否や、すぐによつ葉園にむかう旨を告げ、窓ガラスのマスターに電話して場所を借りる旨を打診すると述べた。
「その電話が終り次第、よつ葉園に来られたい。先方の「連合艦隊」を何とか撃沈せねばならぬようじゃ」
「連合艦隊に失礼だよ、おじさん。そんなこと言っては」
「すまんすまん。まあ頼むわ」
大宮青年、これは困ったことになったと電話を切って窓ガラスこと本田邸に電話をかけたら、幸いマスターが出た。
「それなら、うちの海域でどうぞ好きなだけ海戦をされるとよろしい。唐橋君ご夫妻の御両親が雁首揃えておいでとならば、何なりもてなすくらいのことは可能であるから、とにかく貴君におかれては、うまく当店まで誘導願う」
「かしこまりました!」
喫茶店のマスターではなく、その電話口の青年の答えがこれ。
かの喫茶店は日曜は本来休みであるが、そういう日の宴会については特に問題のない限り受付けていた。マスターには、どうも7月半ばあたりからそのような話が入りそうな予感があったという。
「またよつ葉園での空騒ぎか。しょうもない」
哲郎青年の兄でこの病院の副院長の士郎氏が呆れている。
「しょうもないけどしょうがない。行ってくるわ」
哲郎青年は歩いてよつ葉園に向った。夏場ではあるが、洗濯された学生服と角帽をきちんと着込んでいる。
いかにも戦前の帝国大学生然とした青年が、よつ葉園に到着した。
「森川先生、お待たせいたしました」
正門前でかねて待ちわびていた森川園長が、嘱託医の次男坊を迎えた。
「哲郎、直ちに対策会議である!」
「わかったから、いちいち大袈裟な反応をしないで」
「獅子は兎1匹でも真剣に狩りをする。うちの児童指導員の件でその親族界隈から怒鳴り込まれたあかつきには、これ真剣に当たらぬわけにもいかぬであろうが」
「とにかく先方が来られるまでに落ち着いて対処法を。話はそれからだ」
「すまん。じゃあ、園長室に来てくれるか」
園長室に入っても、森川園長の弁は止まらない。
「聞いてくれるか、哲郎。あのな、唐橋君は先だっての月曜夕方、成瀬初奈嬢と婚姻届を岡山市役所に提出された。これ、違法か?」
「違法と断ずる要素はない。あらばその根拠となる事実を適示されたい」
「違法な要素はないとはいえ、唐橋君も先方の成瀬さんも、婚姻届が提出された事実を事後で知ってびっくりして、そこはええけども何じゃい、わしに言いたいことがあるからこちらにもうじき参ると仰せじゃ」
「おじさんが何か怒鳴り込まれるようなことをしたみたいな話だね」
「いや、わしを責め立てようというわけでもない。ただ、これだけは違うだろうからとか何とかされたしと、そんな言われ方をされてなぁ」
「いちいちどういう言い方かもわからないが、もういいよ。で、先方さんはぼくにまで付合えと。そこは来られてからのことで何とかするとしても、ナニユエぼくまで必要とされているのか、理解不明ですよ」
さすがの大宮青年、言葉がいささかの乱れも出た模様。
「ええから、ここは頼むわ、哲郎。わしゃあ、正直かなわんのじゃ」
そこまで言われれば、何とかせざるを得ない。
哲郎青年と事務室で待機していると、唐橋夫妻と成瀬夫妻がやって来た。
「森川園長はいらっしゃいますか」
新婦の実父である成瀬次郎氏の言葉に、森川園長が答える。
「私です。あんたら、ここでは難なので、近くの喫茶店に御同行できませんかな。御指名の大宮哲郎君が御案内するので、そちらで問答いたす所存です」
「異議はありません。では大宮君、御案内願います」
大宮青年が先頭に立ち、その場をよつ葉園から喫茶店へと移動した。日曜日で定休日であるから、この手の話にはむしろこの場所は好都合である。
喫茶店に着くと、すでに窓は開けられ天井の扇風機が回されている。日が当たらないから存外涼しい。下手にエアコンなどない方が開放的で気分もよい。
「じゃあ皆さん、アイス珈琲でよろしいですね」
せっかくの休みの中、突如呼出されたにもかかわらず嬉々として飛んできたであろうウエイトレス姿の清美嬢が珈琲を運んで来席者に提供した。彼女もマスター夫妻とともに少し離れた位置に陣取って話を聞くことに。
「園長先生、御社では優秀な職員さんか社員さんか知らんが、うちの馬鹿息子、とんでもないことを言い出しております」
「また唐橋君がとんでもないことを言い出されたかな」
「ええ。婚姻届を出せばそれで法的に夫婦である。結婚式、まして披露宴などとんでもない。金と時間の無駄。阿呆どもがそんな金使うヒマがあったら、その金で数か月来はええ生活ができるわと。いつものこととはいえ、何とかならんですか?」
冷やされた珈琲をすすって、森川園長が答える。
「唐橋君はかねてそういう兆候を持った人ではあるが、そこまで言いよったか。まあ大した社会実践家でありますなぁ。そこらの評論家も裸足で逃げ出しよるわ」
半ば頷きつつも、今度は成瀬夫人が一言。まだ彼女は珈琲を口にしていない。
「修也さんは確かに有能な方だと思います。うちの娘もそこに惚れたようなもの。ですけど親に対しては、あまりな弁ではないですか。新婦の産みと育ちのただ一人の母親としましては、心情的にはとーてー・・・」
そこまで言い切って、彼女はブラックのままアイス珈琲をすする。あまりの苦さに彼女は甘味とミルクを多めに入れた。彼女の夫が妻の弁を引継いで話す。こちらは既にこの日の暑さに耐えかねて甘味とミルクを入れていくらか飲んでいる。
「ですよね。到底受入れ難いお話かと」
大宮青年の理解を示す弁に4名の男女が頷く。新郎の父がそれを受けて述べる。
「わしは嫁さんほどの思いはないにせよ、娘の花嫁姿くらい拝ませてくれてもバチは当たらんのとちゃうかと思っております。何も派手な結婚式や披露宴をしろとは申しません。妻のためにもどうか、娘の花嫁姿を拝める機会を設けてくださいませんか。宗派形式この際不問。何とか森川先生のお力添えを頂けぬものでしょうか」
静かながらも、新婦の父の弁は選挙戦最終日の候補者のようでさえある。
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