第35話 日曜日の来客 2

 目の前のグラスの水をすすった森川園長が、職場の部下になる新郎とその妻の件に思うところを述べ始めた。


 皆さん、私共よつ葉園は現在御存知のように児島市通生の××院に5班に分けて海水浴と遠足を兼ねた泊まりがけの行事を実施しております。成瀬さんは現在浅口教さんにおられるが、奥様の御実家は奇遇にも××院の檀家さんじゃな。唐橋さんは御両親とも××院の檀家ではないが真言宗と伺っておる。

 ワシとしては、何も民主主義の多数決とやらを変なところで根拠にする意図はありませんが、真言宗関連の人が多いことに加え、ちょうど今お世話になっとる××院さんに一肌脱いでいただければ、簡単に挙式も上げられ、ついでに披露宴がてらに御披露目も出来ようかと。あまり人を呼んでドンチャンなどしても唐橋君ご夫妻に負担になろうから、そこは節度を持っていただきまして、ですな、何でしたら、この行事をやっておる間にその機会を設けられればよろしいかと思う。

 あの二人はまあ選りにもよって仏滅の日に婚姻届を提出して来られたが、そのことをあらかじめ唐橋君に指摘したら、こんなことを申しておった。

「仏滅がなんぼのモンか知りませんが、この日にスタートとなれば、まだ最悪でもないしこれ以上悪くもならんと考えます」

とな。哲郎にその話をしましたら、それは素晴らしいと絶賛しよった。そういう視点もありましたか、となぁ。唐橋君を昨日の朝礼の後園長室に呼出して、もし結婚式をするならいつがいいかと申したら、これまた振るったことを仰せでしたぞ。

「仏滅は、アカグチ(赤口~しゃっこう)よりマシらしいですね。ならば結婚式は友引がよろしいかと。大安吉日に越したことはないが、後から2番目の次は前から2番目でちょうどエエやないですか。ただ、午前中か午後の2時以降のほうがよろしと物の本にはあります。昼飯時は勘弁してください。あかんらし、ですわ」

 それでカレンダーを確認しましたら、来週の8月6日がちょうど友引にあたる日でありまして、うちの行事の最後の班が××院で夜を迎える最後の日でもある。この日なら何とかならぬかということで、実は去る水曜日に私森川より唐橋君を通して××院の住職あてに手紙を言づけておりました。その返答ですが、昨日奉仕活動で1週間お世話になった磯貝春男君より住職から言付かった手紙もありまして、そちらがこれである。どうか皆さん、ご一読を。


 森川園長は持参した鞄の中から一通の手紙を取り出し、まずは唐橋夫妻に提示して一読を促した。手紙の便箋が4枚、テーブルに並べられた。2組の夫婦が便箋の上の万年筆でしたためられている青色のかかった文字に、熱心に目を通す。

「しかしここの住職さん、毛筆ではなくブルーブラックのインクで書かれておられますなぁ。なかなか乙と言いますか、粋と申しますか」


 浅口教の地元幹部をしている成瀬次郎氏の弁に、一同頷く。実は去る水曜日に唐橋指導員が成瀬車掌とともに第1班と第2班に同行した際に話をしており、それを踏まえた上で翌日出された速達の手紙である。住職の提案では、この行事の最後の日に新婚夫婦の結婚式を昼のうちに行ってはどうかとのこと。そのことは新婦の会社関係者も了承どころかもろ手を挙げて賛成されたという。


「そうですかな。私ら何も聞かされておらなんだけど、それなら安心しましたわ」

 しかしその日は平日である。もっとも、両家とも日曜休みの勤め人ではない。

「その日は昼から休みをとりますわ。うちは自営業ですから大丈夫です」

 まずは成瀬氏。続いて唐橋指導員の父親が述べる。

「うちも自営業みたいなものですから、かまわんですよ」

 唐橋指導員の実家は、早島町のい草農家である。成瀬氏は茶屋町駅前で店を営んでいるが、本来実家は早島町にある。家はお互い同じ町内で、そんなこともあって以前からの知合いであり、両親間はもとより新婚夫婦はそんなこともあって同じ小学校に通う幼馴染であるばかりか、幼少期から仲良かったという。


「式のことをうちの息子が私たちに告げていなかったのは、なぜですかしら?」

 唐橋夫人の疑問に、森川園長がこれまでの舞台裏を説明した。

「それも、今のうちの行事ありますゆえ、この泊まりがけの遠足が5班全部終了するまで公表せぬよう、おたくの息子さんと成瀬の娘さんにはお願いしておいた。結婚式につきましても、正式に予定を詰めるまでは親御さんには一切述べないようにと要請しておりまして、これは内密にということで話を進めておりました。ですがその合間にも、あの青年は気を利かせたつもりか、はたまた心底持っておる本音をここぞとばかりに吐露しよったのかはわからんが、御両親にそのようなことを申していたというのは、私の配慮不足でした。そこは、申し訳ありませんでした」

 隣席者はすべてアイス珈琲を飲み干している。ウエイトレス姿の清美嬢がテーブル上の手紙以外のものをすべて回収し、カウンターに退ける代わりに新たな水と珈琲の入ったグラスを全員に提供した。

 頃合いを見計らって、森川園長がかねての腹案を新郎新婦の両親に述べる。


 さてその日であるが、昼からの業務は副園長として週数回来てくださる元自由が丘学園の清田さんと山上先生にお任せして、私は昼過ぎに児島に向います。

 唐橋君は第5班の中学生諸君の引率に行っておりますから、彼と14時頃までには現地で合流します。それから15時30分より式を挙げ、17時からは夕食を兼ねて子どもらは離れで、私共は本堂のほうで会食できればと思っております。

 折角なのでお泊りいただきたいと先方も仰せのことであるから、その日はしっかり祝わせていただく所存です。

 行事終了までは伏せて置く予定でしたが、何分にもこの手の話というのはみな興味持つものでしてなぁ、まして結婚ともなればなおのこと。おたくらの場合は幼馴染ということではあるものの、見合いというより恋愛の要素の高いところ、これはやはり隠し通すことは不可能であると。ワシも大いに反省しております。

 これをさらに隠ぺいに向かわせるような真似は問題外にしても、あと10日来、周囲を挑発しかねぬ情報提供はやはり問題である。そこは以前にもまして最大限注意しつつ、不測の事態にはそれに応じて手を打つべく考えております。


 二杯目のアイス珈琲を飲みながら、森川園長が今後の予定と方針を述べた。

 とにもかくにも、あと10日ほどは今まで通り伏せておく方向で進むが、最後の泊りの日に大きな「サプライズ」が入ることがこれで明白となった。

 奇しくもそれは、広島に原子爆弾が投下された日からちょうど13年目。

 新郎の母親が、身内のことを述べた。


 私の姉の子になる甥が広島一中の生徒で勤労動員に出ていて、被爆しました。あの子はあれを機に人が変わりましたわ、良くも悪くも。30歳になる今も独身で核兵器廃絶運動に取組んでおります。本人は核兵器がなくなるかアメリカが土下座するまでは結婚しないと、使命感のようなものを持って作家活動しております。

 せめてその子の従弟にあたる修也にはそこまでかたくなにならずに人生を送って欲しく思っております。幸い初奈ちゃんと結ばれることになって、母親としてはこれでようやく一安心です。

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